第十七章 街を出る前に
コーカンドの街を出る前日のこと、マリエル達のキャラバンも、市場に出していた店を片付け終わりのんびりと過ごしていた。
昼食を食べたあともゆったりと街の中を見て回り、果物や野菜が山と積まれた露店で買い物をする。
「さて、道中で食べる干し肉やドライフルーツも買ったし、他に買いたいものはあるか?」
買った食料の荷物を抱えたリーダーがそう訊ねるので、マリエルはちらりとルスタムの方を見る。それで何を言いたいのか察したのだろう、ルスタムがこう言った。
「少し前にクルトも買い込んだんで、おおむね大丈夫だよ」
「そうか。それなら一度部屋に戻るか」
リーダーはそういうものの、歩き出そうとせずにルスタムとヴァンダクの方へ視線をやる。すると、ヴァンダクがもじもじしながら口を開いた。
「あのねぇ、いちご食べたいの」
その言葉を待っていたのだろうか、リーダーはにっと笑っていちごを売っている露店の方を向く。
「生のいちごは一年ぶりだからな。ヴァンダクもたくさん食べるといい」
そういって、袋いっぱいのいちごを買う。それはどう見てもヴァンダクひとりで食べるのには多すぎる量だけれども、仲間達みなで食べるには丁度良いくらいだ。
いちごを見て物欲しそうな顔をするルスタムの顔をちらりと見てから、マリエルがリーダーに訊ねる。
「みんなで食べるんですよね?」
「ああ、もちろんさ」
リーダーの返事に、ルスタムはにっこりと笑う。リペーヤも唇をぺろりと嘗めて食べる気満々のようだ。
そんな仲間の様子を見て、マリエルはこう提案する。
「それでしたら、タプチャンで食べるのはどうでしょう?
ここに来る途中に、木陰になっているところがあったので」
それを聞いて、みなそれが良いという。日差しが強くなってきたとはいえ、今は気候が良い時期だ。だから、薄暗いキャラバン・サライの部屋の中よりも、できるだけ外にいたいのだろう。もっとも、それも日陰であればとはなるけれども。
ふと、カイルロッドの姿が見当たらない気がした。はぐれたのかと思ってマリエルが慌てて周囲を見渡すと、他の店で大きな瓜を買っていた。
ふと、カイルロッドと目が合う。
「ああ、コウのごはん買ってた」
「そういえばそうですね。
あれ? コウはいちごはあまり食べませんか?」
ふたりのやりとりを聞いて、コウが元気よく答える。
「いちごも好き! でも、いちごだけだとお腹いっぱいにならないから」
「たしかに」
マリエルは納得して頷く。言われたとおり、コウの大きな体を保つには、いちごだけでは足りないだろう。
とりあえず、これですっかり買い物は済んだ。マリエルは市場の外にあったタプチャンを案内しようと、みなを先導して歩き始めた。
市場から通りを挟んで向かい側、ポプラ並木の下に、高床式の座席の中心に低い食台が置かれた物がいくつも列んでいる。ちらほらと人が座っているのを見かけはしたけれども、誰も使っていない席を見つけることができた。
「あ、タプチャン、あそこが空いてますね」
マリエルが空いている座席に靴を脱いで上がると、他にみなもそれに続く。コウだけタプチャンには上がれないので、上がり口の側からこちらを眺めている。
カイルロッドが先程買った瓜をコウに与えてから、リーダーがいちごの袋を開け、声を掛ける。
「それじゃあ、みんなで食べようか」
「はーい」
いい返事をしてヴァンダクが早速いちごを頬張る。その様があまりにも嬉しそうなので、つい他のみなも笑顔になる。
「こんなに欲張ってるところ、子供には見せられないぞ」
冗談めかしてそう言って、リペーヤが笑い声を上げる。すると、ヴァンダクもつられて笑った。
マリエルも少しずついちごをつまみ、ちらりとルスタムの方を見る。やはりヴァンダクに沢山とられないようにと思っているのだろうか、一生懸命いちごの入った口を動かしている。リーダーはみなの様子を見ながら満足そうにゆっくりといちごを食べているし、カイルロッドは一個つまんでは一個コウに食べさせるということを繰り返している。
そうこうしているうちに、いちごはすっかり無くなってしまった。結局、ヴァンダクとルスタムのどちらの方がたくさんいちごを食べたのかはわからないけれども、そこは特に気にしなくてもいいところだろう。
しばらくタプチャンに座ったままゆったりとした時間を過ごす。馬乳酒を飲んでみんなで話をしているのだけれども、心地よいそよ風のせいか、だんだんと瞼が重くなってきた。
意識をはっきりさせようと仲間達を見渡すと、ヴァンダクもお腹がいっぱいになったからなのか、うとうとしている。
「ヴァンダク、ちょっと隣に来てくれますか?」
「んー、なぁに?」
マリエルは目を擦りながら隣に来たヴァンダクの頭を、自分の肩にもたれかけさせて言う。
「眠いんでしょう? 私の肩を貸しますよ」
「いいの? じゃあ借りるね」
「その代わり、私もあなたの肩を借ります」
「いいよぉ」
眠いもの同士、こうやってもたれ合えば転がらずにいられるだろう。
「しばらく休みますね」
誰に言うでもなくマリエルがそう言って瞼を閉じると、ゆっくり休め。と言う声が聞こえた。
心地よいそよ風を瞼を閉じたまま感じていると、誰かが肩を叩いた。
「そろそろ晩ごはん食べに行かないと」
その声にぼんやりと目を開けると、先程と比べてだいぶ日が傾いていた。
「コウももう、さっきの瓜食べ終わったし」
どうやらカイルロッドの声だったようだけれども、日の傾きと言われた内容に驚いてしまった。
「あっ、もうそんなに経ちましたか?
ヴァンダク、そろそろごはんだそうですよ」
肩にもたれかかっているヴァンダクの背中を軽く叩いてマリエルが言うと、ヴァンダクはぱちっと目を覚まして姿勢を正した。
「もうごはん? ちょっと早くない?」
その様を見ながら、リーダーが困ったように笑って返す。
「ちょっと早いんだがな、明日は朝早くからこの街を出なきゃいけない。
だから、今日は早めに飯を食って早く寝るぞ」
そうだ、今は気候の良い時期とは言え、そろそろ日中の気温が高くなってきている。太陽が天頂にある時間は休みたいので、朝早くから移動しなくてはいけないのだ。
「ふたりとも起きたか?
それじゃあ早速食堂に行こうか」
もしかしたら、寝ているところをずっと見ていたのかもしれない。子供を見るような目でリペーヤがそう言うので、マリエルはつい気恥ずかしくなってしまう。
「そ、そうですね。食堂に行きましょうか」
照れ隠しをするようにマリエルも姿勢を正して、それから立ち上がった。
みなタプチャンから降り、食堂へと向かう。その道中で、リペーヤとヴァンダクが何を食べるかという話で盛り上がっている。
正直言って、先程いちごをそれなりに食べたのでマリエルとしてはそんなに空腹ではないのだけれども、このふたりはきっと、いつまでも食べ盛りなのだろう。
ふたりの話を聞いていたルスタムが、思い出したように言う。
「そうだ、次の街に行く前にラグマン食べたい」
それを聞いて、リペーヤが賛成する。
「そうだそうだ、そうしよう」
「どこにでもあるように見えて、どこも味付け違うからさ」
たしかに、ラグマンを食べられない街というのは見たことがないけれども、どこの街、どこの食堂でも、同じ味のラグマンは置いていない。
マリエルはあまり食に興味がある方ではないけれども、改めて言われると、この街の食堂の味を確かめて置いてもいいかなと思う。
リペーヤとヴァンダクが鼻を利かせて今夜の食堂を選ぶ。今夜もまた、おいしい食事ができそうだ。
しばらくこの街とはお別れなのだから、今夜はしっかり味わって楽しもう。