第十六章 ハートランド
ステップを抜け、キャラバンは昼前にコーカンドの街に着いた。久しぶりの大きな街で、キャラバン・サライも設けられている。キャラバン・サライに泊まるのは久しぶりだ。
リーダーが宿泊手続きをした後、割り当てられた部屋へと荷物を運んでいく。そんななか、カイルロッドが不満そうな顔をしているのがマリエルの目に入った。今回、コウは一緒の部屋で休めないので厩に置いているのだけれども、きっとそれが不満なのだろう。
マリエルは宥めるようにカイルロッドに言う。
「荷物を置いたら、みんなで食事をしに行きますから。その時にコウも連れていきましょう」
「あたりまえじゃん」
そのやりとりを聞いていたのか、リーダーが笑いながら話し掛けてくる。
「まあそう拗ねるな。
おれだってコウは大事な仲間だって思ってるけどさ、部屋に入るにはちぃと大きすぎる。
この小さいキャラバン・サライじゃ仕方ないさ」
「わかってるよ、もう」
部屋に着き、貴重品以外の荷物を置いて、カイルロッドはそわそわした素振りを見せる。多分、早くコウと一緒に食事に行きたいのだろう。
「それじゃあ、食堂に向かうか」
リーダーがぐるりとみなを見回してから、部屋を出る。その後ろを、リペーヤとヴァンダクがそそくさとついていく。カイルロッドもついて行くのかと思ったら、早足でリーダーを追い越してどこかへ行ってしまった。
「あれ? カイルロッドどこ行った?」
急に姿が見えなくなったので不思議に思ったのだろう、ルスタムがきょとんとした顔をする。その言葉に、リーダーが厩の方を指さして答える。
「コウを呼びに厩に行ったんだろ。
まぁ、入り口前で待ってるだろうよ」
そのまま入り口の方へと向かうと、本当にカイルロッドはそこにいた。すでにコウを連れてきていて、その甲羅に乗っている。
合流したところで、キャラバンの一行は街の中にある食堂街へと向かった。みなお腹を空かせているのか、わいわいと何を食べるかの話をしながら。
食堂街をしばらく歩き、店を選ぶ。歩いている間、リペーヤとヴァンダクがきょろきょろと周りを見渡しながら鼻をひくひくさせている。そして、ふたり同時に指さした店があったので、そこに入ることにした。
その店は店内だけでなく、店の表側にもいくつか椅子とテーブルを出しているので、そこに席を取った。少々狭い食堂なので、中にコウを入れるのは難しいと判断したのだ。
メニューを見ながらどれを食べるかという話をしていると、店員がやって来た。
「注文はお決まりですか?」
その質問に、リペーヤが返す。
「いやぁ、まだ決まってないんですよ。
それで、よかったらこのお店のおすすめを聞きたいというか、食べてみたいなぁ」
愛想の良いリペーヤの言葉に、店員はにっこりと笑う。
「おすすめですか。でしたらペリメニがおすすめです。
ペリメニとシャシリクを合わせてご注文頂くお客様が多いですね」
「はー、ペリメニ。いいね」
そういえば、ペリメニは長いこと食べていない。そんな話をみなでして、また少しメニューを見る。すると、ヴァンダクがこう言った。
「俺、マンティも食べたい」
それを聞いて、リーダーがにっこりと笑う。それから、店員にこう伝えた。
「じゃあ、ペリメニとシャシリク、それにマンティを頼む。
それと、そこの亀に食べさせる野菜屑みたいなのがあったらそれも」
「かしこまりました。しばらくお待ち下さい」
注文を取った店員が奥に戻ったあと、マリエル達のテーブルは少し静かになった。いずれ運ばれてくる料理に思いを巡らせているのだろう。マリエルがそう思っていたら、ふと、カイルロッドがこんな話を出した。
「ここに来るまでにちょっと耳に入ったんだけどさ」
なんだろう。と、みなの視線がカイルロッドに集まる。
「ロシアが領土を求めて南下してくるんじゃないかって噂があるらしい」
それを聞いて、ヴァンダクとルスタムはきょとんとしているけれども、リペーヤは額に手を当てて困ったような顔をしている。
「ロシアに来られたら、たまったもんじゃない」
その意見に、マリエルも同意する。
「そうですね、ロシアは氷で閉ざされている時期が長いと言います。
そこよりも比較的温暖なこの辺りの国を手に入れて、穀物を育てられる土地を増やしたいというのはわかります。
わかるんですけれど」
「おれ達の生活を脅かされたらって考えると、歓迎はできないな」
リーダーも、ロシアに対する警戒心を露わにする。しばらく静かに話を聞いていたヴァンダクが、恐る恐る口を開く。
「それってつまり、俺達がキャラバンを続けられなくなっちゃうってこと?」
リーダーが黙って頷く。
「でも、ロシアが南下してきても、キャラバンをやめさせて得することなんて何も無いだろ? キャラバンが続けられなくなるなんてこと、あるのかなぁ」
疑問を口にするルスタムに、カイルロッドが答える。
「僕が知っている限りだと、僕達の国とロシアでは、あまりにも文化が違う。得することがあろうが無かろうが、ロシアに組み込まれたら、それに従わざるを得なくなるだろうね」
続けてマリエルも言う。
「ロシアとしては、もしこちらまで版図に入れるのであれば、キャラバンという定住しない存在は、厄介でしょう。
むこうは戸籍をきっちりと管理して、人口と人とを紐付けして考える国ですから」
ふたりの説明に、ルスタムはなるほど。と頷いているけれども、ヴァンダクはよくわからないようで、きょとんとしながら話を聞いている。
「すこし、難しい話になっちまったな」
額を抑えたリーダーが、苦笑いをしている。それから、難しい話だけれども、一応は覚えておけとルスタムとヴァンダクに言う。ふたりは黙って頷いた。
そうしている内にペリメニが運ばれてきた。ぷりっとした白い皮がおいしそうな湯気を立てている。コウに食べさせる野菜屑もきたので、それはカイルロッドが受け取った。
「それじゃあ、冷める前にいただこう」
リーダーがそう言うと、みな食前の祈りをあげてからペリメニを箸でつまんでいく。ヨーグルトのソースをたっぷりかけて、口の中で噛みしめる、さっぱりとした酸味と、つるつるの皮の中に包まれていた肉汁と香味野菜の旨味と香りが混じり合ってつい箸が進む。
ふと、リペーヤがにっと笑ってみなに言う。
「そういえば知ってるか?
ペリメニって、さっき話に出てたロシアから来た食べ物なのだぜ?」
それを聞いて、ルスタムとヴァンダクはまたきょとんとする。それから、マリエルとカイルロッドの顔を交互に見ている。
頬張っていたペリメニを飲み込んでから、カイルロッドが言う。
「ペリメニはおいしいけどロシアは気に入らない」
その正直な言葉に、マリエルは思わず笑ってしまう。そう、まさに自分もそういう気持ちで、ロシアは警戒するべき国だと思うけれども、今、目の前にあるおいしい料理は好きなのだ。
リーダーが、笑い声を上げてマリエルの背中を叩く。
「それもそうだ。おいしい料理が好きなのと、その料理を作ったやつが好きになれないのは矛盾してない。
それぞれ別の問題だからな」
それを聞いて安心したのか、ヴァンダクがにっこりと笑ってペリメニを口に運ぶ。
「ペリメニおいしいねぇ」
おいしいという言葉を聞いて興味を持ったのか、カイルロッドの横から、口に野菜屑を付けたコウが顔を覗かせる。
「コウも食べる?」
「たべる!」
カイルロッドがペリメニをひとつつまみ、コウの口に入れる。コウはもぐもぐと噛みしめてから、おいしいね。と言った。
マリエルは、ぼんやりとペリメニの乗った皿を見て少し思いに耽る。色々な国のものが色々な国に行って、それぞれの国で根ざしてしまうことがあるのは自分もよく知っている。
交易路ができてもう何百年、下手をすれば千年以上も経っているはずだ。他の国から来て根付いたものを、自国の物だと思い込んでしまっている。そんなことはありふれているはずなのだ。
そしてそれは、そのものを運んできた国に対する印象とは違うもの、かけ離れたものになっていてもおかしくない。そう考えながら、マリエルはペリメニを口に入れた。