第十四章 濡れた羊
賊達の村に招かれマリエル達は賊の頭の家にある、広めの庭にユルタを立て、そこで一晩を過ごした。
残念ながら食料を買うということはできなかったけれども、夕食時にはこの村にしては豪華なのであろうなと感じられる料理でもてなされた。それから、他の街の話を聞かせて欲しいと頼まれ、パルフやシャフリサープズ、サマルカンドやタシケント、ヒヴァの話などを夜が更けるまで続けた。その話をするときには、珍しい話が聞けると、他の村人も賊の頭の家にやってきていて、あの賊の頭はやはりこの村では慕われているのだなと、なんとなく思った。
そして夜が明けて。マリエル達はまた賊の頭の家に招かれ、朝食を振る舞われた。
「随分と眠そうな顔をしてるが、昨夜遅くまで引き留めたからかい?」
「そうですね、少し、寝るのが遅くなってしまったので」
朝食を食べながら、マリエルは頭の言葉にそう返す。
たしかに昨晩は月が昇るまで頭の家に引き留められていたけれども、その時間まで起きていること自体は珍しいことではない。寝不足の本当の理由は、万が一にでも他の賊の男達に夜の間、悪さをしに来られたら困ると、リーダーとマリエルのふたりで、交代で気を張って警戒していた。それが寝不足の原因だ。
結果として、悪さをしに来るような者は誰もいなかった。今更ながらに、頭は本当に自分たちを歓迎していたのだと、マリエルは内心ほっとした。
なにごともなくよかったと思いながら朝食を食べていると、頭がこう言った。
「そうそう、このあと広場で面白い見世物があるんだ。
きっと珍しい物だと思うし、見ていったらいい」
面白い物とは何だろう。この村に、そんなに見せるような物があるとは思えないのだけれど。
「一体なにがあるんだ?」
リーダーがそう訊ねると、頭はにっと笑ってこう答える。
「ズブカシーさ」
「ズブカシー?」
「そう、力自慢が集まって迫力があるぞ」
「なるほど、それは楽しみだ」
力自慢が集まると言うことは、何らかの力比べか、そうでないなら格闘技かなにかだろう。想像してみてもそんなに珍しいと思える物は浮かんでこなかったけれども、それはそれで見て楽しいかもしれないとマリエルは思った。
朝食が終わり、頭に案内されて村の広場へと向かう。そこでは村の人達が集まって、なにかを囲うように遠巻きにしていた。
一体何があるのだろう。そう思って村人達が見ている方向を見ると、広場の真ん中に大きな穴が開いていた。昨日通ったときには無かったので、きっと夜の間か、もしくは夜が明けた頃に掘られたものだろう。
あの穴に一体何が? そう疑問に思っていると、昨日マリエル達を襲った賊の男達と、それに加えて体格のいい村の男が馬に乗って現れた。彼らはそれぞれに、先端にかぎ爪の付いた長い棒を手に持っている。
それを見たマリエルは、あの棒で打ち合うのだろうかと思った。けれども、そうではないことがすぐにわかった。
賊の頭が声を上げて合図をすると、男達が馬を走らせ広場にある穴にかぎ爪を差し込む。そして、その中に入っていたものを引きずり出した。
それは水に濡れた大きな羊の死体だった。
「えっ? えっ?」
何が起こっているのかわからず、マリエルは思わず口を押さえて疑問の声を上げる。そうしている間にも、男達はかぎ爪の付いた棒で羊の体を引きずり、時には放り投げ、奪い合う。あの羊は見たところ、そう簡単に運べる重さではないはずだ。それがさらに、体を包む羊毛が水を含んでいるのだから、殊更に重いはずだ。それを見る限りではいとも容易く動かしている。その光景は珍しさだけでなく、驚きを十分にマリエルに与えた。
「へぇ、すごい! たしかに力自慢だ!」
マリエルの隣にいるルスタムは、すっかりこの催し物が気に入ったようで、こぶしを振り上げて声を上げている。その一方で、マリエルの背中にしがみついて頭を押しつけてきている者もいる。
「こわいよぉ……羊さん悪いことしてないのに……」
そう言って鼻を啜っているのはヴァンダクだ。普段肉を食べるのが好きとは言え、生きていたときの姿のまま羊が引きずられたり放り投げられたりするところを見てショックを受けているのだろう。
他のみなはどうだろうと見てみると、リーダーとリペーヤは楽しんでいるようだし、カイルロッドも羊の動きに合わせて視線や体を動かしている。
そして実際、マリエル自身はどうなのだろうと、少し考える。考えながら馬に乗った男達が羊を引きずるのを見て、その様を楽しんでいることに気がついた。
背中にしがみついているヴァンダクをこわがらせないように気をつけながら、頭がズブカシーと呼んでいたこの催し物を眺める。
しばらく眺めていると、男のうちのひとりが、羊の体をはじめの穴の中へと放り込んだ。
「どうだった、楽しんでくれたか?」
馬に乗った男達が、濡れた羊を運んで姿を消したあと、頭がそうリーダーに訊ねる。
「もちろん。いやはや、こんなに珍しくて興奮するものは久しぶりだ」
そう答えてから、リーダーが他の仲間達に目をやる。
「めっちゃ面白かった」
「すごい迫力だったよな」
ルスタムとリペーヤがそう言った後、カイルロッドはなにも言わずに頷き、ヴァンダクは俯いたままマリエルの手をぎゅうっと握る。その手を握り返しながら、マリエルも頭に言う。
「どういったルールなのかはわかりませんでしたが、楽しませていただきました。
ただ、この子が少しこわがってしまって……」
「なんだ? なにがこわかったんだ?」
不思議そうな顔をする頭に、マリエルはヴァンダクの頭を撫でながら返す。
「この子は荒事が苦手なので、ちょっとびっくりしてしまったみたいなんです」
「なるほどな。まぁ、そういうやつもいるさ」
そう笑い声を上げたあと、頭がリーダーに言う。
「おおむね気に入ってもらえたようだったけど。
それでさ、おまえら、この村で一緒に暮らしていく気はないか?」
突然そんなことを言われてマリエル達は驚いた。ただ、リーダーだけがこう切り出されるのをわかっていたかのように、落ち着いていた。
もしや、リーダーはここに留まる気なのか。マリエルは一瞬そう思ったけれども、リーダーは頭に、穏やかな声でこう言った。
「おまえたちが、おれ達を気に入ってくれたのはよくわかったよ。
さっきのズブカシーとかいうやつも、わざわざ準備してくれたんだろう?」
「ああ、勘づいていたか」
「だけどもな、おれ達は旅を続けなきゃあいけないんだ。
それが、おれ達の使命だからな」
その言葉に、リーダーは逆上することもなく、寂しそうな顔をする。
人を襲う賊であっても、人情という物があるのか。そのことをマリエルは意外に思ったけれども、料理を振る舞われ、村人達に話を聞かせた昨晩のことを思い出すと、いややはり、それは意外ではないのだ。という気持ちになった。
けれども、いつまでもこの村に留まっていることはできないし、そのことを望んでいるわけではなかった。
「ユルタを畳んだら、ここを発つ」
リーダーは頭にそう言い、手で挨拶をしてからユルタの方を向く。それから、ルスタムとリペーヤにこう言った。
「お前達ふたりは、この人達へのお礼としてギジャクとドゥタールを演奏してくれ。
その間に、他のやつらでユルタを畳む」
その言葉に、ルスタムとリペーヤはユルタへと駆けていき、リーダーは頭に、聞きたい村人がいたら連れてこいという。頭は嬉しそうな顔をして、村人達に声を掛けに行った。
リーダーとマリエル、それにヴァンダクとカイルロッドでユルタを畳んでいる間、ギジャクの染み渡るような音と、ドゥタールのはじける音が乾いた村に響いた。
名残惜しそうにする賊の頭。その周りを賊の手下と村人が囲んで、ギジャクとドゥタールの音に合わせて体を揺らしている。
きっと、この村にはもう来ることはないだろう。それならば、人生でたった一度の出来事を心に刻みつけていっても良いのではないか。
ユルタを畳み終わり、出発の時間だ。神が望まない限り、もうあの人々と会うことはないだろう。