第十二章 軌道線上の星
ざわめく市場の一角で、銀でできた装飾品を売る。小さな台に乗せられた装飾品は、すべてがすばらしいと言えるような物ではないけれども、それぞれに適正だと思える価格を店主であるカイルロッドが付けているので、今ここで店番をしているマリエルが憂えることは何ひとつない。
カイルロッドは先程、少し前に目をつけて置いた古道具屋で仕入れをしたいと言い残し、コウに乗って市場を出ていったばかりだ。
店番をするのがキャラバンを構成する商人の仕事とは言え、休憩は必要だ。いつだったか。それはもうだいぶ前の話になるけれども、マリエルは朝から夕方までひとりで店番を任されたことがある。あの時は下手に席を外すこともできなかったので、食事もままならず、ずっと座り続けていたので腰にもかなり響いたのを今でもよく覚えている。あれはつらい。
カイルロッドと店番を交代するまでは、マリエルも街中を歩いて仕入れたいものの目星を付けたり、ルスタムに買っておいてくれと頼まれた食料を購入するなどしていたので、だいぶ体がほぐれている。カイルロッドもそろそろ体をほぐした方がいいだろう。
店の前を買い物客が流れていくのをぼんやりと眺める。時折目の前の台に置かれた銀細工を見て、興味を示す客はいたけれども、どうにも上手くは売れない。それもそうだ。マリエルは装飾品には詳しくないので、どこをどう推せば客が買う気になるのか、いまいちわからないのだ。
「とはいえ、私もそろそろ売るのに慣れないと困るんですけどね」
そう口の中で呟いて、また人波を見る。上手く売れはしないけれども、ここにいること自体に意義がある。そう自分に言い聞かせる。実際、完全に人がいない状態で商品の盗難などがあったら困るのだ。
もっとも、仲間でないにせよ他の商人の目がこんなにたくさんあるところで盗みを働くなどと言うのは無謀なことなのだけれども。そう、商人同士の連帯感を侮ってはいけないのだ。
台の上で光を照り返す銀の装飾品を見て、思いを巡らせる。カイルロッドは、今度はどんなものを仕入れてくるのだろう。彼はかなりの目利きだ。任せておけば間違いない。
ぼんやりしながらまた人波を眺めてしばらくすると、通路の向こうから見覚えのある人影が、見覚えのある亀に乗ってやって来た。
「ただいま」
「おかえりなさい」
店を離れる前よりも膨らみを増した荷物を持っているカイルロッドを見ていると、コウがにゅっと首を伸ばしてきてこう言った。
「今日もね、ステキなもの買ったよ」
「そうなんですね。それはよかったです」
とは言え、なにを買ってきたのだろう。それをカイルロッドに訊ねると、こう返ってきた。
「他の街で売りたいから、ここでは出さない。
キャラバン・サライに戻ったら見せるよ」
なるほど、この街で仕入れたものをここで売っても仕方がない。確かにその通りだ。
こういう所も堅実だなと思っていると、カイルロッドがなにかを思いだしたように荷物をまさぐりだした。
「そういえば、さっき仕入れに行った古道具屋で、おまけに本をもらったんだよね。
なんか、随分古い本で引き取り手もいないし、でも捨てるのももったいないからって」
「古い本ですか? どのような物でしょう」
「マリエルならわかるかなって思ったんだけど」
そう言って、カイルロッドは荷物の中から表紙の付いていない本を取り出す。それを受け取り、マリエルは丁寧にページを捲っていく。
「なるほど、紙の感じからすると、相当古いものですね」
「どの程度古いの?」
「僕の祖父母の代か、それより前か……ですね」
「それは古い」
カイルロッドとやりとりをしながら、マリエルはさらにページを捲る。書かれている文字は自分たちが日常で使っている物とはだいぶ違っていて、内容を読むことはできない。
「マリエルはその本読めるの?」
無邪気にそう訊ねてくるコウに、マリエルはくすりと笑って返す。
「残念ながら、読めません。
でも、この文字はだいぶ西の方の国で使われているものですね」
それを聞いて、カイルロッドはさすが。と言う顔をする。
「それじゃあ、その本は一応、マリエルが持ってる方がいいのかな?」
読めるわけではないのだけれど。と心の中でもう一回呟いてから、マリエルは、お預かりしておきます。と返した。
その日も店じまいをして、キャラバン・サライの部屋へと戻る。一旦荷物を置いてから、みなで夕食だ。
「ただいま帰りました」
マリエルがそう言って部屋に入ると、続いてカイルロッドと彼を乗せたコウも、ただいまと言って部屋に入る。
すでに部屋の中で毛布にくるまって座っているヴァンダクが、顔を上げる。
「おかえりー。
今日は寒いね、温かいごはん食べたいね」
「そうですね、温かいごはんを食べに行きましょう。
ああそうだ、ルスタム、頼まれていた物なのですが……」
ヴァンダクに言葉を返し、そのまま昼間頼まれていた買い物をルスタムに渡そうとしたその時、マリエルの荷物から本が一冊落ちた。先程カイルロッドがおまけで貰ったと言っていた古い本だ。
その本にいち早く反応したのはリペーヤだった。
「何だこの本。上等な物ってわけじゃなさそうだけど、結構しただろ」
そう、本は本来高価な物だ。だからきっと、カイルロッドに渡した相手も捨てるにはしのびなかったのだろう。
マリエルは本を拾い上げて、ぱらぱらとめくって言う。
「カイルロッドが仕入れのおまけで貰ったらしいんですよ。
どうやら西の国の本みたいなのですが、見てみますか?」
それから、みなの顔をぐるっと見ると、リペーヤとルスタムが興味を持ったようだった。
「えー、西の本? どんなことが書いてあんだろ」
手を伸ばしてきたルスタムに本を渡すと、ルスタムも丁寧にページを捲っている。その様を見て、リペーヤが訊ねる。
「ルスタムおまえ、西の国の言葉読めるの?」
ルスタムはにっと笑って答える。
「読めるわけないじゃん」
「だよなー」
そのやりとりを見ながらマリエルがリーダーの方に目をやると、リーダーは頭を振って呟く。
「おれには学問なんて似合わないさ」
もしかしたら、リーダーなら西の国の文字を読めるのではないかと根拠も無く思っていたので、マリエルは少しだけ残念な気持ちになる。
ふと、本を見ていたルスタムとリペーヤが本をめくる手を止めて不思議そうな声を出した。
「あれ? 何だこの絵」
「丸いのがいくつも列んでる」
「西の国ではこういう絵が流行ってたのか?」
そんなに不思議な絵なのだろうかと思って、マリエルも本を覗き込む。そこには中心に丸が描かれていて、同心円状にまた線が引かれている。その線の上に重なるように小さな丸が描かれているという、不思議な図だった。
「変わった絵ですね」
思わずきょとんとしていると、急にヴァンダクが横から覗き込んで、大きい声でこう言った。
「これ、星が回る線の絵だ!」
その言葉に、本を見ていた三人は驚く。声が大きかったからと言うのはもちろんあるのだけれども、ヴァンダクが一目で、その絵の意味を汲み取ったことが予想外だった。
「ねぇねぇ、この本欲しいよ。俺に売ってくれる?」
本を食い入るように見つめて、ヴァンダクがマリエルにねだる。
「そうですね、折角なら少しでもこの本のことがわかる人の元にあった方が良いでしょう。
良いですよね? カイルロッド」
マリエルの言葉にカイルロッドは、別に構わない。と言う。これで晴れてこの本はヴァンダクの物になった。
「ありがとう! 大事にするね!」
嬉しそうに何度も何度も本をめくっては、いたるところに描かれた丸の絵、おそらく星の絵を食い入るように見つめている。その笑顔は、まるで冬の太陽のように明るい。
そろそろ夕食を食べに行くぞと声を掛けられたヴァンダクは、本当に大事そうに、自分の荷物の中へと本をしまい込んだ。




