第十章 ここは青の都
サマルカンドに来てしばらく。マリエル達は道中で仕入れた陶器や布、絨毯や装飾品を店で売りながら、仕入れを担当している者は街で仕入れもしながら過ごしていた。
この街は全体の人口が多い分、富裕層の人数も多い。だからだろうか、他の街ではあまり売れ行きの良くなかった絨毯や装飾品などの、いわゆる贅沢品もよく売れている。
一方で、陶器の売れ行きはそこまででもない。この街よりも北にあるタシケントで陶器の生産が盛んなので、そこから陶器を運んでくるキャラバンが多く、街の人々が必要とするような陶器は十分に供給されているからだろうとマリエルは考えた。
もっとも、タシケントで作られる繊細な絵付けの陶器は、我々も欲しいけれども。と、マリエルは街の商店街を見ながら口の中で呟く。
街の布屋や雑貨屋、絨毯を店頭に置いた店などを見て回り、ある程度目星を付けたあと、気候が良くなってきたこの頃の涼しい風に誘われて街の中を散策する。
先程の商店街から少し離れると、野菜や果物を山と積んで売っている露店が連なり、それを抜けると住宅街がある。
他の人の住居をじろじろと見るのは失礼かとも思いつつ、時折立派な木彫りの玄関扉が目に入ると、さすがかつて都だっただけのことはあると感心してしまう。ああいった立派な扉を構えることができるのは裕福な家族だけで、それはつまり、立派な扉が並んでいる通りというのは、富裕層が住んでいる住宅街であるということになる。
ここには自分は場違いだなと思いながら、住宅街を抜ける。すると、大きな道に出て、その道の先には夜空にも負けないほどうつくしい青で彩られた建物が並んでいる。
「ああ、あれは……」
思わず感嘆の溜息をつき、歩きながら建物を眺める。そのうつくしい青は神聖な場所であって、みだりに踏み入れてはいけないような気さえした。
青いタイルで彩られた建物群の中を歩いて回る。その神聖な青は、太陽に照らされて輝いていた。
しばらく青い区画を歩いていたけれども、いつまでもそこにいるわけにはいかない。マリエルは後ろ髪引かれる思いをしながら、大きな通りへと戻っていく。
自分はキャラバンの仲間の元に戻らなくてはいけない。そう思っても、つい振り返って輝く青に見とれてしまう。そして、それを見ているとこう確信できるのだ。
「神様はきっと、人々の平安を望んでらっしゃる」
きらめく青い建物を見て、感動と言えそうなものを胸に抱えたままマリエルは先程の商店街に戻る。目をつけておいた品物を仕入れるためだ。
パルフやシャフリサープズでは見かけなかったような絵付けがされた陶器や、掠れたような模様が鮮やかな色で織られているアドラス、艶やかな糸の束を細かく折り込んだ絨毯、それに、しっかりと水分を抜いて乾燥させてあるスパイスを、改めてじっくり見極めながら購入していく。
陶器はタシケントに行って買った方が安く仕入れられるのだろうけれども、生憎次に向かう予定の街は、北にあるタシケントではなく東にあるコーカンドだ。
元締めが言うには、コーカンドよりもずっと、ずっとずっと東にある街で仕入れてきてほしいものがあるとのことだったので、そちらに行ってからとなると、タシケントに行けるのは下手をすれば数年先だ。その数年間、タシケントで手に入るあの陶器を手元に置かずにいてもいいのだろうけれども、そんなに離れた場所に行くのであれば、今の内にタシケントの陶器を手に入れて置いて、東の町で物珍しさと一緒に売りたいのだ。
ずっしりと重たい仕入れた商品を背負い、マリエルはキャラバン・サライへと戻り、部屋でひと休みする。
ルスタムやカイルロッドの店に行って店番を替わるか聞きたい気持ちはあるけれども、とりあえず今は少し休みたい。
あの清浄な青を見て気持ち自体はとても清々しいのだけれども、いかんせん背負ってきた荷物が重かったせいか、それとも背負い方が悪かったのか、若干腰に来ているのだ。
部屋の中で仕入れてきた商品を眺めながらぼんやりと思いを巡らせる。あのうつくしい青を思い返すと、これも商人の性だろうか、あの青を手に入れたいと思ってしまう。
あれを自らの手に入れたいと思ってしまうのは、傲慢だろうか。いや、考えるまでも無く傲慢なのだ。あのうつくしい青で彩られた建物は、神様への祈りのための物なのだから。
そして、自分の傲慢を感じながらこうも思う。あの素晴らしく圧倒的な青を見たら、他の国々の異教徒も、自分たちの神様の存在を信じるだろうと。
空に溶け込むことなく輝いていた青を思い出してぼんやりしていると、部屋の入り口から声が掛かった。
「あれ? マリエルこんなところにいたんだ?」
「あれ? お帰りなさいルスタム。
あれ? お店はどうしました」
「いやもう、店じまいの時間だけど」
「えっ? あっ、すいませんひとりでこんなのんびりしてて」
ルスタムの言葉に、マリエルはそんなに長いことぼんやりしていたのかと驚く。その様子を見てか、ルスタムと一緒に戻ってきたリペーヤが心配そうな顔でマリエルに話し掛ける。
「そんなにぼんやりしてどうしたんだ。
調子でも悪いのか? アブリック飲む?」
「ご心配おかけして申し訳ないです。
調子が悪いわけではない……敢えて言うならちょっと腰に来てますけど、調子は悪くないです」
要らない心配をかけたと苦笑いをしていると、また入り口から元気な声が聞こえてきた。
「ただいまー」
「ただいまー」
どうやらヴァンダクとコウ、それにカイルロッドも戻ってきたようだ。入り口の方を見ると、おそらく先日の伺った家も含めて得意先を回っていたリーダーも入ってきた。
「なにか、良い物でも見たという顔をしてるね」
荷物を下ろしたリーダーが、にっと笑ってマリエルに言う。その言葉で、マリエルの胸に先程見たもののことをみなに伝えたいと言う気持ちがわいてきた。
「実は、先程仕入れの途中でとてもうつくしい建物を見たんです。
きっと、みんな知っていると思いますけれど……」
そう切り出して、マリエルはあの青で彩られた神聖な建物の話をした。それがどれほどうつくしくて、輝いていて、敬虔な気持ちを思い起こさせる、崇高なものだったか。
その話を、実際に見たことがあるらしいリーダーとリペーヤは何度も頷きながら聞いているし、ヴァンダクとルスタムは目を輝かせて、身を乗り出して聞いている。カイルロッドは一見興味なさそうな素振りだけれども、てのひらを人差し指でなぞりながら、口の中でなにかを呟いている。もしかしたら、マリエルの話を聞いて、頭の中で市場やキャラバン・サライからその神聖な建物の区画までの道順を思い描いているのかも知れない。
マリエルが胸の中に抱えていた感動をあらかた語り終えると、ルスタムとヴァンダク、それにコウが一斉に口を開いた。
「僕もそれ見たい!」
「俺も行きたい!」
「ボクもきらきら見たい!」
若手はさすが食いつきが良いなと思わず微笑ましくなったけれども、ひとり静かなカイルロッドを見て、彼はどうなのだろうと思う。
すると、もじもじする仕草をやや見せながら、カイルロッドもこう言った。
「店番があるからそんな見学とか、そんなできない気はするけど、そんな、えっと」
少し俯きがちになってしまっているカイルロッドに、マリエルはくすくすと笑ってこう返す。
「そうですね、店番は大事です。
でも、みんなで交代しながら、順番に見て行くのはどうでしょう。
どうです、リーダー」
その提案に、カイルロッドもぱっと表情を明るくする。普段大人しいカイルロッドがそんな様子を見せているからだろうか、リーダーも朗らかに笑ってみなに言う。
「そうだな、順番に見に行けばいい。
おれも久しぶりに見に行きたいし、リペーヤもそうだろう?」
突然話を振られたリペーヤも、頷いてリーダーの意見に賛成している。
キャラバンとして各地を旅していると、他では見られない、その土地にしかないものというのが存在するというのを嫌でもわかってしまう。
あのうつくしい建物は、この街を出てしまったらまたここに来るまで見られない。だから、前途有望な若手達にもぜひ見てもらいたかった。