ある第三王子の結婚事情
※この話は『お嬢様が婚約破棄されたので優しい言葉をかけたら、おかずが一品多くなりました。』の後日談を兼ねた話になります。
前作を読まなくても楽しめるように書きましたが、読めばさらに楽しんで頂けます。
「ミディアス様、どちらへ行かれるつもりですか?」
「……ちょっと友人の所へね」
私が執務室から出ると、秘書官であるイリスが眼鏡越しに睨みをきかして詰め寄ってくる。
物音立てないように気をつけたはずなのに……この秘書官の察知能力を上方修正しなければならないな。
「またイデオン子爵のところですか! つい先月も行ったばかりでしょう? だいたい往復で1日かかる領地へ行くことは控えて頂くようにお願いしたはずですよ。ミディアス様はトップとしての自覚がなさすぎます」
頭からツノでも生えてきそうな形相だ。
第三王子である私に文句……いや、忠言する数少ない臣下ではあるが、少々おっかない。
私は一歩足を横に出し、いつでも逃げれる態勢をとって弁明を始める。
「イリス。君も私が先日陛下に言われたことは知ってるね? イデオン子爵に至急相談しなければならないんだ」
「知っています。ですが相談など王都にいらっしゃる貴族の方に持ちかけても変わりはないでしょう?」
そんな貴族がいるならとうにしている。
説得を諦めた私は一度後ろに重心を置き、勢いよく駆け出した。
「後生だ。許せイリス!」
「許しません! 衛兵! ミディアス様を確保!」
背後の叫びに振り返らず、急いで館を出ると愛馬に跨がり腹を強く蹴り叩く。
衛兵達もいつものことかと諦め顔で取り囲むが、本気で止めるようすはない。
私は良い部下を持ったものだ。
「で、こんな夜更けにいらっしゃったわけですね」
「まぁ、そういうことだ」
私を出迎えたのはベルクファスト=イデオン子爵。
かれこれ3年の付き合いがある友人だ。
ブリガスタン子爵家の五女セシリア嬢の従者だった男だが、元々は没落したとはいえ青い血の流れる貴族。
両親を騙したブリガスタン子爵達の悪事が暴かれると貴族に舞い戻り、主人であったセシリア嬢を妻にした変わり者だ。
「まぁ、ミディアス様の心情は察しますが……」
「ここにも陛下からのお達しが来たのか?」
「えぇ。我が家には生まれて半年にも満たない娘しかいないんですけどね」
イデオン子爵は小さなため息をついて1枚の紙を私に手渡した。
〜来月の7の日に第3王子であるミディアス=ウォスパルトの見合い会を行う。
25歳以下の未婚の娘で男爵以上の家柄であれば参加資格があるものとする。
結婚を機にミディアス=ウォスパルトは侯爵に、見合いの会にて侯爵妃が誕生すると約束する。
カブリアム=ウォスパルト王〜
私の父、つまりは国王陛下からのお達しだ。
そう。私はもうすぐ大規模なお見合いをしなければならない。
もっとも王族でありながら25歳にもなって、結婚どころか婚約者もいない私がおかしいのだ。
子供の頃は相手を決められた『貴族の結婚』というものを別段不思議には思っていなかった。
だが貴族学校に通いだし、上流階級の人々の醜さを感じるようになった時には、全てを拒否するようになっていた。
みな私ではなく王子という肩書を見ているのだと気付いたのもその頃だ。
幸い私は三男。
兄達はすでに結婚して子もいる。
婚約者だった女性の家が問題を起こして破談になると、私は誰とも婚約をしない旨を陛下に伝えた。
しばらくは私の言い分が通っていたのだが、子爵の位を授かり法務卿の地位に就くと、陛下も王妃も口煩く結婚しろと催促し始めた。
もちろん結婚自体はやぶさかではない。
だが貴族の令嬢ときたら、外見が麗しくとも中身が見るに耐えない。
いや、王族と繋がりを持とうとする連中が、か。
野心の強い者、気は優しくとも世間を知らぬ脳内お花畑な者。
稀に私が良いと思える人がいたとしても、すでに婚約者がいたりした。
権力を振りかざして妻に娶ることは可能だが、それをしたいとは思わない。
特に私の心情が変わったのは、イデオン子爵と出会ってからだろう。
彼の家庭は暖かい。
政略の意味を持つ貴族社会の結婚事情に当てはまらない、幸せを実感出来る家族だ。
いつ来ても仲良く寄り添う2人。
イデオン子爵は「喧嘩なんてしょっちゅうですよ」なんて言っているが、その微笑みからはお互いを思いやり、大事にしあってると感じられる。
「でもいいことですよ。そろそろミディアス様も腰を落ち着かせてはいかがですか?」
「おや? まさか君にまで言われるとはな」
「結婚は良いものですし、子は可愛いですよ?」
そりゃ、君達夫婦はそうだろう。
私が思う理想の夫婦像から「結婚なんてろくなことがない」とでも言われたら、一生独身を貫く自信がある。
「確かに子供は可愛いとは思うさ。でも君も貴族令嬢たちの醜さはよく知っているだろ?」
両腕を前で組んだイデオン子爵は、少し困った顔をした。
「ミディアス様は少し女性に偏見を持ちすぎですね。ご自身で作った常識にとらわれてますよ。本質を見抜く事は得意であられるのに」
「そうかも……しれないな」
確かに私は色眼鏡越しに女性を見ているのかもしれない。
会った時から貴族の令嬢という括りに入れているのだろう。
「ミディアス様、女性は見る気持ち1つで顔を変えますよ? お嬢様には言えませんが、妻に迎えると決めた瞬間から、とてつもなく愛おしさを感じたものです」
「なるほどな。結婚の先輩からの金言として受け取っておこう」
私の言葉にイデオン子爵は少し嬉しそうに笑う。
愚痴を一通り言ったあと、私はイデオン子爵を訪ねた本題の一つを話し出した。
「イデオン子爵。一つお願いがあるんだが、私の秘書官を覚えているかな?」
「確かイリス様でしたね。ミディアス様を戒めることが出来る、貴重な女性だと覚えていますよ」
「そうだ、な。ほら彼女は平民の出だろ? それを妬んで突き上げてくる連中がいるんだよ。で、だ。身内のいない彼女を、君の家の養女に迎えてもらえないか?」
「貴族社会とは難儀なものですね。分かりました。その件はなんとかしましょう」
イデオン子爵は諦めたように苦笑いを浮かべる。
それでも無茶を聞いてくれる彼のような存在は、私には大変ありがたい。
「ありがとう。この世界はしがらみが強くてね、なかなか君のところみたいには出来ないんだよ」
もともとイデオン子爵は男爵の位だった。
爵位する時、両親を騙した連中から莫大なお金が返還されたが、それだけで子爵に成り上がったわけではない。
彼はそのお金を領地発展につぎ込んだ。
もともと従者をしていた時に見た庶民の暮らしから、感じるものがあったのだろう。
治水、道路整備から農業の技術支援。能力のある者を呼び寄せ、のさばることしか出来ない人間の権威を次々と剥奪していった。
特に教育には力を入れ、この国では高額で貴族や富裕層しか通えなかった学校を安く開放し、庶民にも通えるように普及させた。
仕事があり、学校にも通えるとの噂で領土に人は増え、人口はこの3年で倍以上に増えた。
派遣した有能な者たちも舌を巻くほどの仕事量。
だが、彼等は領土の発展に誇りを持ち、「このままイデオン子爵領に骨を埋めさせて欲しい」と私のところまで直訴に来たほどだ。
ふと、どこからか赤ん坊の泣く声が聞こえる。
「ミディアス様、今日はそろそろお開きとしましょうか? 今、客間へと案内します」
「そうだな。遅くまで話し込んですまなかった。さすがに私もセシリア子爵夫人に嫌われたくは無い」
顔を見合わせて笑うと、客間へと案内された私は眠りにつくのだった。
目が覚めると、すでに部屋の中は陽の光で明るくなっていた。
借りていた夜着を脱ぎ、白いシャツと薄茶のトラウザーズに着替えていると扉を叩く音がする。
「ミディアス様、朝食の用意が出来ております」
「わかった。今出るので少し待ってくれ」
着替え終えて扉を開けると、40歳くらいの侍女が私を待っていた。
「こちらでございます」
侍女のあとに続き食堂に入ると、すでにイデオン子爵とセシリア子爵夫人が待っていた。
「おはようございます、ミディアス様。変わらず元気そうで嬉しく思います」
「ははっ、セシリア子爵夫人。おはようございます。前にあったのは1ヶ月前だったかな? それにしてはわずかな間にまた美しくなられたようだ」
「ミディアス様はお上手ですこと。ベルクも少しは見習ったらどうかしら?」
セシリア子爵夫人はそういいつつも、イデオン子爵に優しい笑みを向けている。
いわれた当人は気まずそうに頭を掻いていた。
この家の変わっているところは、食事のさい使用人達も同じテーブルで食べることだ。
皆で一斉に簡単な祈りを捧げると、朝食を食べ始める。
豆やカブ、パースニップの入ったポタージュに、大麦のパン。少しの豚肉が添えられているが、貴族にしては質素な食事だ。
普通の貴族ならば小麦で作られた白いパンに、肉や魚が豪勢に並ぶもの。
昔それとなくイデオン子爵に「食事くらいもう少し贅沢をしたらどうだ?」と言ったことがあるが、「これでも十分贅沢ですよ。栄養のバランスもいいですし。ミディアス様こそ肉や魚ばかり食べていると肥えてしまわれますよ」と、誡められてしまった。
「そういえばミディアス様。イリス様を養女にとベルクから聞きました。私、とっても楽しみにしてますからね」
「セシリア子爵夫人より歳上の養女で申し訳ないが、よろしく頼むよ」
「あら、イリス様はおいくつなのです?」
「確か23になったはずだ」
セシリア子爵夫人はまだ19歳。
歳上の養女にはなるが、貴族としてはよくある話だ。
談笑を交えながら食事を終えると、イデオン子爵の執務室に。
子爵令嬢を抱っこさせてもらうが泣かせてしまったり、今後のイデオン子爵領の構想を聞いてるうちにお昼近くになってしまった。
「イデオン子爵、そろそろ戻らないと説教が長くなりそうなんで行かせてもらう。また改めてイリスを連れて来るのでよろしく頼む」
「分かりました。手筈は整えておきます」
イデオン子爵と握手を交わし、セシリア子爵夫人とハグをする。
もう少しゆっくりしたいが、これ以上は帰ってからの身の危険を感じてしまう。
私は愛馬に跨がり王都を目指して駆けるのだった。
夜になり、ようやく職場にある自室に戻ってくると、扉の前で座り込む女性がいた。
「ようやくお戻りですか?」
「んっ、あ、あぁ。今帰った」
不機嫌に立ち上がる女――イリスは私に詰め寄ると、束になった書類を手渡し、眼鏡越しに厳しい視線を送ってくる。
「明日の朝までに確認と捺印をよろしくお願いしますね」
「わ、分かった。ちゃんとやっておこう」
私の返事に溜飲が下がったのか、小さなため息をついたイリスはその場を離れようとした。
「イ、イリス。この前話した件だがイデオン子爵から快く了承を得られた。すぐにとは言わないが、近いうちに一緒に子爵領まで来てくれ」
イリスは踵を返すと、再び詰め寄ってくる。
「そのお話は大変ありがたく思ってますが、わざわざ一緒に来て頂く必要はありません! 私1人で行って参ります!」
「どぅ、どぅ。わ、分かった、分かったから。そんなに目くじら立てていると、せっかくの美人が台無しだぞ」
一瞬、呆気にとられたイリスは2度、3度と瞬きを繰り返し顔を真っ赤にさせる。
「な、な、な、な、何を言っているんでしゅーーすか? び、び、び、美人とか――。わ、わ、わ、たひ――私1人で行きましゅ――すからね」
落ち着きなく首を振り、言葉を噛み、手をバタバタさせたイリスは逃げるように走り去った。
これは良いイリスの撃退法を見つけたかもしれない。
ピリピリしてる普段と違って、慌てふためくイリスは中々に新鮮なものだ。
本人に言えば殴られそうだが、イリスは男と間違われるほど身長が高く、がたいがいい。
形の良い耳が見えるほど短く、癖のついた金髪。目尻の上がったパッチリとした猫目に、筋の通った高い鼻。
いつも眉間にシワが寄っているので怖く見られがちだが、よく見れば美人だと思う。
「あんな態度を男に見せれば、結婚相手ぐらいすぐに見つかるだろうに」
私は小さく呟くと、手元の書類の山を見てため息を吐くのであった。
それから2週間後。
結局イデオン子爵領にはイリス1人が向かい、無事に養女として迎えられたと報告された。
私も見合い会に向けて仕事を片付ける必要があり、多忙な毎日を過ごす。
そして、あっという間に当日を迎えるのだった。
「この光景を見れば、さぞかし私は少女趣味だと思われるだろうな」
「それは仕方ありませんね。結婚、婚約をしてない貴族の令嬢ですから、当然歳も若くなりますよ」
私が頼んだのだが、イデオン子爵がこの見合い会場に来てくれていて良かった。
こんな愚痴を言うことが出来るのは彼だけだ。
もちろん会場に入るために、生後半年の娘を抱えている。
普段宮廷舞踏会の開かれる広間には、様々な料理が並び、うら若き乙女や少女、その家族で埋め尽くされていた。
私は作りものの笑顔をかぶり、周りを見渡す。
見合い参加者の平均年齢は12歳を下回るのではないだろうか?
どう見たって幼女としか思えない子が大勢。
たまに20歳前後の女性も見かけるが、ようは行き遅れの令嬢。
何かしら難があるのは想像するに易しい。
もちろんこのためにわざわざ婚約を破棄して来ている女性もいるとは聞いている。
そこまでするのか……。
結婚すると私は臣籍降下となり、侯爵位を授かる予定だ。王家を離れるとはいえ、少しでも王家と結びつきたいと考える貴族達が多いのだ。
「ミディアス様、主役がここにいては会も進まないでしょう。あちらへ行かれてはどうですか?」
イデオン子爵に押し出されるように、私は陛下のところへ歩み出す。
幾人もの少女に声をかけられ、軽い会釈で挨拶をかわしていく。
「国王陛下、挨拶が遅れてすいません。なにぶん、この人混み。真っ直ぐ歩いて来ることが困難でしたから」
「ミディアス……分かっておろうな。王家の顔に泥を塗らぬように、今日ここで相手を決めるのだぞ」
陛下の言ってることは分かっている。
王の名で開かれた見合いの会だ。
私が誰も選ばなければ、当然陛下の顔を潰したことになってしまう。
ざっと見ても100人近い令嬢達。
一人一人と話していては日が変わってしまう。
せめて15歳に満たない者はお帰り願いたいが、陛下が下限を決めなかった以上、それは出来ない話だ。
「それでは今よりミディアス第三王子が妃を選ぶための会を始める」
陛下が宣言すると、一気に私に押し寄せる人の波。
我先にと駆けてくるその姿に恐怖を覚えるほどだ。
「ミディアス様、うちの娘はですね――」
「ミディアス様、私は伯爵家の――」
「私は昔からミディアス様を――」
一度に多数の言葉をかけられたところで聞き取れるはずがない。
少しでも私のことを理解している人間なら、その行為で評価を落としていると分かるのだが。
私が収集のつかない状況に嫌気がさしていると、後ろの方から人が割れ道が作られる。
その道を悠然と歩く、赤いドレスを纏った妙齢の美女。
胸元まで伸びた先のカールした金髪は天使の輪を作り上がるほど美しく、パチリと開かれた少し垂れ気味の大きな目にこじんまりとしているが整った鼻筋。
会場にいる女性が羨む容姿だろう。
エルディア公爵家の三女……ユレリアナだ。
「お久しぶりですわね、ミディアス様」
優雅な笑みを浮かべた彼女はドレスの端を両手で少しつまみ上げると、軽く頭を下げる。
「久しぶりだね。私が学校を卒業してからだから……6年になるか」
「まだ私が13の時でしたからね」
さすがに公爵令嬢相手ともなると、話の邪魔をしようとする者はいない。
ただ恨めしい目を向けるだけだ。
ユレリアナは6つ年が違うが、学校という括りの中で王族と話せるものなど少なく、多少なりとも会話を交わしたのが彼女だった。
「美しくなったものだな。君ほどの者がいまだに未婚とはね」
「あら、私はミディアス様の言葉を信じてお待ちしていただけですわ。『貰い手がいなかったら私が貰ってやろう』そうおっしゃったじゃないですか?」
「そう……だったかな?」
婚約破棄をした頃、不思議がって聞いてきたユレリアナとの会話の中でそんなことを言ったかもしれない。
その後もユレリアナとの会話が続く。
エルディア公爵が私を気に入っているので援助は惜しまないとか、公爵領の東部分を結婚後の領地に考えているとか。
さらには子供の人数や、その子供の婚約する家のことまで……素晴らしい未来を語ってくれた。
あまりに長い話にしびれを切らし、他の子爵令嬢や侯爵令嬢が話に割り込んできたが、会場は侯爵妃はユレリアナに決まったような空気に包まれていた。
側から見れば、とんだ出来レースに思えただろう。
他の令嬢とも些細な会話をしていると、「ゴホン」と陛下が咳く。
私は断りを入れて陛下の所へと歩み寄った。
「ミディアス、そろそろ時間である。決まったか?」
「……はい。決まりました」
陛下は目を細め頷いた。
「皆のもの、ご苦労であった。すでにミディアスは心を決めた。今より王家の習わしにより、ミディアスが婚儀の指輪を持っていく。受け取ったものが指輪を嵌れば侯爵妃の誕生である」
王家では指輪を送り、それを嵌めることを結婚としている。
もちろん結婚式や披露宴はまた別の日にあるのだが、初代陛下がそのように妃にプロポーズしたことが起因となった婚儀。
今では形骸化されたものだが、それでもその習わしを王家は守り続けている。
つまり私が指輪を送り、女性が受けいれ指に嵌めた瞬間に結婚が成立する。
王妃が紫色の置き台から指輪を手に取り、私に渡す。
その表情からは安堵の色が見て取れる。
指輪を手に一歩前に足を運ぶと、まるで私の通る道が分かるかのように人並みが割れていく。
先に見えるのは赤いドレスの美女。
恍惚の表情で今か今かと私を待ちわびている。
ヒソヒソと話し声が聞こえる中、そのまままっすぐに歩く。
そして――満面の笑みを浮かべるユレリアナを通り過ぎた時、会場からどよめきが起こる。
勘違いした令嬢を幾人も通り過ぎた先に、我関せずと、料理をむさぼる長身の女性がいた。
慣れないドレスを身に纏い、眼鏡を外しているせいか、普段パチリと開いた目は細くなっている。
「そんなに食ってどうする? そんなに美味いのか?」
「えぇ、美味しいですよ。失恋した女にはやけ食いしか残ってませんから」
こちらに顔を向けず食べ続けるイリス。
どうやら私に気付いていない。
「失恋……ね。それは初耳だ」
「訂正します。ちょっといいなって憧れてただけです」
骨付き肉にかぶりつき、ようやくこちらを見たと思えば、眉間にシワを寄せ、さらに目をすぼめて顔を近づける。
こいつ、これほど目が悪かったのか。
「――ミ、ミ、ミディアス様! いや、あの、いえ、間違いです。これはなにかの間違いです」
慌てるイリスに頬がゆるんでしまう。
私は近くにいたイデオン子爵、セシリア子爵夫人をチラリと見た。
昔この男がしたプロポーズをするのが、密かな憧れだったのだ。
私は片膝をつき、イリスの手を優しく引き寄せた。
「イリス子爵令嬢、私と結婚して頂けませんか?」
突然のことに何を言われたのか分かってないのだろう。
何度も瞬きを繰り返すイリス。
「はぇ? あ、あ、あっ、わ、あーーっ!」
ようやく理解したのか、奇妙な言葉を繰り返し、バタバタと暴れ出してしまう。
はぁ、私の夢は台無しだ。
私は立ち上がると落ち着きのないイリスを抱き寄せ、吐息のかかる距離まで顔を近づけた。
「イリス、落ち着け。私と結婚するのは嫌か?」
「い、いやじゃないてふ」
顔を赤らめ、普段からは想像できないか細い声を絞り出すイリス。
「ではもう一度言う。私と結婚して欲しい」
「……ひゃい」
そのまま唇を重ね、イリスの左手の指に指輪を嵌めた。
その時だ。
「ミディアス様、その女はなんなのです!」
ヒステリックな叫びを上げたのはユレリアナだった。
「私の妻となったイリスだ」
するとユレリアナの怒りに満ちた顔は緩まり、勝ち誇った顔をする。
「あぁ、確かミディアス様の仕事を手伝っていた女でしたわね。でも、その女は平民。そもそもここにいる資格もない女ですわ」
なるほどな。
ユレリアナの言いそうなことだ。
資格がないというイリスが何故ここにいるのか、少しは頭を働かせて欲しいものだ。
「すでにイリスはイデオン子爵家の養女として子爵令嬢となっている。陛下も承知されているが、何か問題でも?」
すでに陛下には仕事に影響を与えかねないとの名目で、イリスが子爵家に入ることを報告してある。
ユレリアナが振り返ると、苦虫を噛み潰したような顔の陛下が「そう聞いている」と告げる。
「なっ、そ、そんな! そんな馬鹿な話はないわ! 分かっているの! その女を選べば公爵家を敵に回すのよ! だいたい――」
「やめよ、エルディア公爵令嬢!」
再びユレリアナの叫びが始まると、一喝したのは陛下だった。
「すでに婚儀は終了した。カブリアム=ウォスパルト王の名において、ミディアス=ウォスパルトとイリス=イデオンの結婚を祝福する!」
さすがは陛下、腹を括ったようだ。
ユレリアナも陛下の宣言にこれ以上言えることなどなく、恐ろしい目つきでこちらを睨み付けると会場を飛び出していった。
意識がどこかに旅立ったまま戻らないイリスを支えていると、実に困った顔のイデオン子爵が話しかけてくる。
「一体どこまで計算されていたのですか?」
「計算? 人聞きの悪いことを言わないでくれ。私としてはエルディア公爵令嬢と結婚する可能性も考慮していたよ。だが、夢みがちなお嬢様では私の妻にはなれないよ。おかげで自分の正直な気持ちに従って選ぶことが出来たけれどね」
打算的ではあるが、ユレリアナとの結婚を考えなかったわけではない。
外見は美しいし、公爵家の力は魅力的だ。
しかし脳内お花畑と結婚は無理だ。
「敵が増えましたね」
「そうだね。苦労をかけるよお義父さん」
イデオン子爵はあからさまなため息を吐く。
おそらく、イデオン子爵は当分、他の貴族達から目の敵にされるだろう。
だが、まぁ彼ならば大丈夫。
例え全ての貴族を敵に回したところで、何食わぬ顔で堂々と渡り合える‥‥そんな男だ。
イリスがようやく意識を復活させると、手を引いて陛下のもとへ。
諦め顔で叱責する父に、何故か嬉しそうな母。
2人の兄は「お前らしい」と笑っていた。
「ミディアス様! まだこちらの書類も終わってないのですか! あなたはトップとしての自覚が足りてません」
今日も執務室にイリスの怒声が飛ぶ。
周りの部下達からは鬼嫁と比喩されるイリス。「ミディアス様も大変ですね」と、声をかけられるのも日常茶飯事だ。
だが彼らは知らない。
あまりに声を張りすぎて息を切らすイリス。
「やはりイリスは怒った顔も美しいな」
「な、な、な、にゃにを言って。わ、わ、わたひは――」
顔を赤らめ慌てふためく姿が、どれだけ可愛く私の心を癒すのかを。
お読み頂きありがとうございます。
この場を借りて、私が最近夢中になり、おすすめしたい作品のご紹介を!
『曇天フルスイング』
作・砂臥 環様
https://ncode.syosetu.com/n8563gh/
Nコード N8563GH
弱小野球部とそのマネージャーの青春物語!
ニヤケながら泣いてしまう作品です!
ボリュームも3万文字弱と読みやすいですよ!
私のブクマからも飛べますので、興味のある方は是非!
おっと、後はお決まりの文句を。
楽しんで頂けたなら↓の評価を押して頂けると、イデオン子爵の苦労が癒されます。