私の頼れるゴリマッチョ06
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___目が覚める。重い瞼を必死に開け、まだ動ききっていない脳を動かす。
辺りには何も見えない、暗闇。頭に何かをかぶっている感覚がする。
___私は...
まだうまく動かない軋む体を起こし、圧迫感のあった頭を開放する。完備された空調、ほんのり香るラベンダーの香りを楽しみつつ、薄暗い部屋を見渡す。
どうやら、ログアウト予定時間より1時間早く帰還させられたようだ。きっとあの時気を失ったのがきかっけだろう。
腕にある装置を操作する。その刺激的な明るさに慣れていない目を閉じる。
___結局あのモンスターは何だったんだろう
二頭の角を持つ恐ろしい狼を思い出す。痛覚が鈍いゲームの世界でなければ、私は真っ先に逃げていただろう。戦う意思をなくすほどの殺意、濃厚な死の香り。背中は汗で冷たくなっていた。
周りにいた4頭のダイアウルフは、あの草原では常時発生のモンスターだ。あの草原は、一定のレベル以上の人のレベル上げにちょうどいい。そのぐらいの、あまり難易度が高すぎないマップだったはずだ。他にいるのはクック系の中位種、ゴブリン、オークなど人型モンスター、虫系の中位種、その他草食動物系のモンスターのみだ。
ウィンドウを開き掲示板を除く。どれだけ確認したとしても、それ以上のことは書いていないようだった。私が体験した事もわからないまま。
どさり、とベッドに横たわる。青白く発光するウィンドウを眺めながら、愛おしい筋肉のことを考える。
___明日、考えればいいか
過剰な疲労感を抱えたまま、私は寝息を立てる。外敵が襲ってくることもない安全なこの部屋で、硬くも柔らかくもないベッドに包まれて、今日を終えるのだった。
翌日。少しスッキリした頭を起こす。朝日を浴びながら洗面所へと向かい、酷くくすんでいる顔を水で洗い流す。歯を磨きながら、腕の装置から今日の仕事内容を確認する。
チャットボックスには通知が2件。片方は管理人__仕事の上司に当たる人だ__からのもので、本日のタスクが明記されている。もう片方は、湊さんからだった。
「体調は大丈夫ですか?ゲームの体の方は家のベッドに寝かせています。何もしていないから安心してね!」
___いや、何かって何だよ
微笑みが漏れる。私が気を使わないよう、なんとも微妙な事を言ってくれたのだろう。そんな細かな気遣いができるゴリマッチョの言葉は、諦めている私の体を胸の奥から温めてくれる。暖房のような人だ。
湊さんに「ありがとう」と返信を送る。何か気が利かせればいいが、今の私は嬉しさであまり頭が回らなかった。湊さんにリアルの連絡先は教えていなかったのだが、まぁ誰かに聞いたんだろう。
ゲーム世界での肉体はログアウトしてもその場に残る。上級魔法でルーム__周囲からの攻撃行為を受けない防御魔法だ__というものを貼るか、ホームに設定された家に住むか以外、安全圏がない。魔法使いがいないパーティが旅や遠征する場合は、草食動物が多い洞窟や、村などの宿屋で休むしかない。とはいえ、私たちゲームプレイヤーは死に戻りので関係ないのだが、やはりもう一人の自分が死ぬのはあまり気分のいいものではない。
口の中をスッキリさせ、会社支給の飲み物を飲み干す。もう一度鏡を眺め、ありきたりな一般女性へと変身する。なんともいえない単色の、規定の服を身に着け、本日の仕事へと向かった。
私は会社支給のマンションの一室に住んでいる。三食付き、決まった時間に出社し、決まった時間に帰宅する。会社へは徒歩圏内で、欲しいものは注文すれば届く。どこかに遊びにいくなら電車を使う必要があるが特に不便を感じたことはない。
周りに私と同じ色の服を着ている、目に光がない機械のような動きをした人達が、白い息を吐きながら歩く。まるで魂が抜けだしているような、現実味のない不思議な光景だ。
私は今どう見られているのだろうか、人間になれているだろうか。
ただ、周りは私など目に入らない。その眼には何も映っていないのだから。私はここで、ただ孤独なのだ。辺り一面の雪を踏みしめていると、余計な考えも次第に消え去っていく。本日も健康に出社だ。
本日のタスクも丁度時間内に完了したことに安堵する。同時刻になりだした甲高い退社のチャイムを聞きながら片づける。もうすでにいない人もいる。
「斎藤さん、お疲れ様」
黒い液体を持って、上司__管理人という役職だ__である田中さんが私に声をかけてきた。湊さんほどではないが、いい筋肉をしている。その上層部が着れる黒いスーツの下の胸筋は私には隠せない。性格は、私のような下層部の社員全員を気にするような変に真面目な性格だ。
「お疲れ様です。」
「今日もきっちり時間通り、流石だね」
お互いに笑顔を浮かべながら言葉のキャッチボールをする。あちらからのパスは、キャッチボールが苦手な私でも取りやすいよう柔らかいものだ。
笑うたびにできるえくぼが可愛らしい。
「今日のタスクは少し難しいので、ちょっと心配でした」
「そっか...申し訳ないけど、週明けもこの仕事を維持しても大丈夫?人手が少し足りてなくて」
「大丈夫です」
話半分で聞きながら、片付けを終了する。今日から3日間の休みに入るのだ。湊さんと、仲間たちと、予定は聞いていないから__気を失って聞けなかったのだが__、もしかしたら一人かもしれないけどゲームを思い切り堪能するのだ。
少し頬を染めて、筋肉を揺らす田中さんに微笑みで答える。通勤用バッグも装備した。あとは何もないあの部屋へ帰るだけ___
「あの、よかったら、この後...」
「気にかけてくださってありがとうござ...あっ」
「あ...気にしないで。また。今日もありがとう」
「すみません...また週明けによろしくお願いします」
話を聞いていなかった私は、思わず上司の発言を遮ってしまい呼吸が止まる。どうやら私は、やってしまった、という顔をしていたらしく、田中さんは苦笑しながら優しく応えてくれた。熱くなっていく顔を感じながら、急いでドアへと向かった。
「ただいま」
ドアを開けると自動的に辺りを照らしてくれる。かじかんだ手を自分の体で暖めながら、いつもの寝間着に着替え、寝室へと向かう。手や足の先に一気に血液が流れるのを感じる。少し仕事で緊張していたようだ。
軋むベッドの音色を聞きながら、ギアを手に取る。あの時の恐怖を思い出し、頭に装着するのを少しためらってしまった。
___湊さんは、家に連れて帰ってくれたっていったし
私の愛おしい筋肉を思い出す。記憶だけで固まってしまった私の筋肉も、徐々に熱で緩やかにほぐされていく。
少し気分転換に、いつものラベンダーではなく、今日はオレンジスイートを加湿器に入れる。その柑橘系の爽やかな匂いは、私を夏の爽やかな空気の中に放り込んでくれる。空には入道雲、セミの鳴く声、溶けるアイスと空の色と、分厚い筋肉の壁___
緊張が少しほぐれたようなので、ギアをセットし、静かにベッドに横たわる。ご飯は後でいいか。
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まだ昨夜の影響が消えていない、違和感がする体へと移動した。