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SS #008 『理髪師たちの騎士団本部』

作者: 柳田喜八郎

挿絵(By みてみん)




 王立騎士団特務部隊――それは騎士団本務事務棟に拠点を構える『貴族案件専任チーム』である。貴族が起こした事件・事故を厳しく取り締まり、身分制度による著しい人権格差を是正する役割を持つ。任務遂行に必要なあらゆる権限を女王の名において付与されていることから、彼らはしばしば『女王直属チーム』とも表現される。

 しかし、彼らに与えられているのは任務と権限ばかりではない。一部の隊員には、本人にとってはたいへん過酷な王命が下されていた。

「あの……やはり私は、今回も……?」

「はい。女王陛下と宮廷式部省のご決定でございます」

「たまにはショートにしたいのですが……」

「申し訳ございません。王子の御髪を決められた長さより短く致しますと、私の首が飛んでしまいます」

「ですよね……」

 言葉の綾でなく、物理的なほうだ。王命に反した者は裁判なしで即刻処刑されてしまう。理髪師の命を守るためにも、マルコはおとなしく首にタオルを巻かれ、散髪用ケープの中でじっとしていた。

 五月に中央に移住して以来、散髪は四回目である。マルコ本人の希望は一切通らず、騎士団のお抱え理髪師は宮廷式部省が定めた『王族らしい典雅な髪型』の維持に努めている。

 左隣の椅子ではベイカー、右隣の椅子ではゴヤがそれぞれの担当理髪師と話をしているのだが――。

「俺はまた襟足残しなのか?」

「はい。女王陛下のご希望ですから」

「理由は?」

「いつも通りですよ。抱きしめた時に指を絡めるのがお好きなのだそうです」

「やはり対外的なイメージ戦略ではないのか」

「ですね。女王陛下のお好みの問題です」

「俺としては、後ろはさっぱり刈り上げたいのだが……」

「女王陛下のご不興を買った場合に責任を取っていただけるのでしたら、刈り上げでもモヒカンでも何でもやりますよ? ですけど、ねえ……?」

「お互い、襟足の長さひとつで命を賭けたくはないよな」

「ええ、一世一代の大博打は別の機会に取っておきましょう。いつも通りにしますよ?」

「ああ、頼んだ」

 隣で聴いている実の息子としては、非常に複雑な心境である。

 では右隣のゴヤはというと、こちらも不満を口にしている。

「あの、俺、前髪アップの男らしい感じにしてもらいたいんスけど……」

「駄目ですよぉ~。ゴヤさんは団長の息子さんってことで、黙ってても注目度高いんですからぁ~。団長さんが実質的クーデターで前の団長追い出しちゃってますでしょ~? 息子のほうはそういう性格じゃありませんよ~、王子や隊長に逆らったりするタイプじゃありませんよ~っていうのを、まず見た目でアピールするように言われてるんですからぁ~。前髪下ろして眉毛隠して、凛々しい感じが出ないようにサイドもちょっと顔にかけて、『みんなのカワイイ弟キャラ』を前面に押し出しましょうね~、っていうのが宮廷式部省の決定なんですよぉ~?」

 理髪師の言葉に、順番待ちのロドニーが反応する。

「あ、それ、一応カワイイ系だったんだ!?」

「ええ、そうなんですよぉ~。式部省も結構無茶なこと言いますよねぇ。元がわりと凛々しい系の顔なんだから、弟キャラに仕立てるより『王子に忠誠を誓う騎士』って路線にしたほうがしっくりハマると思うんですけどねぇ~?」

 この言葉に、マルコ担当の眼鏡の理髪師も続ける。

「私もそう思いますが、それではトニーさんと被ってしまいます。特務部隊は市民からの好感度が高い分、メディアへの露出も多くなります。無個性・統一規格を求める近衛とは対照的に、アイドルのような個別のキャラ立てが求められておりますので……」

「……トニーさんが『忠誠を誓う騎士』ですか……?」

 週に一度は『戦闘訓練』名目で顔面を殴り合っているマルコとしては、式部省の決定には大いに異議を唱えたいところである。

 マルコは気になって、他の隊員にも『キャラ設定』があるのかと尋ねた。すると眼鏡の理髪師は、道具類を収めた棚から一冊のファイルを持ってきた。

「ご確認ください。たいへん詳細に設定されておりますよ」

「ええと……えっ!? 本当ですかっ!?」

 マルコは豆鉄砲を食らった鳩のように、パチパチと目を瞬かせた。

 そこには特務部隊長以下、全隊員のヘアカットとスタイリングの指定がミリ単位で記載されていた。確かにこれまでも、記者会見や公式取材の前には理髪師たちの入念なヘアセットを受けていたが――。

「ベイカー隊長が『男らしさを感じさせない中性的で神秘的な美剣士』で、グレナシン副隊長が『こざっぱりと清潔感のある線の細い美青年』で、私が『女王陛下の面影を感じさせる女性的で柔和な貴公子』で……?」

 式部省のイメージ戦略にめまいを覚えたマルコは、興味津々な様子で手元を覗き込むゴヤにファイルを渡した。

「あざッス! うっわー、ホント細かい! すごいッスねこれ! 式部省の人、これ作るのに何時間かけたんスかね? 先輩! これ漫画のキャラ設定っぽくて面白いっスよ!」

「え、マジで?」

 トコトコと近づいてきたロドニーにファイルを渡し、ゴヤはイヒヒと笑う。

「キール先輩とハンクのがマジで傑作ッス!」

「キールの……?」

 ペラペラとページをめくると、キールのヘアカット指定は二種類存在していた。一つは赤いペンで大きく×印がつけられている。

「……ぶははははっ! なんだこれ!? 式部省、何考えてこんな指定出したんだ!?」

 事情を知る理髪師たちは三人揃ってニヤニヤしていた。

 キールは特務部隊に昇進する以前、近衛隊の所属だった。×印のページには近衛隊の基本の髪型、ヘアオイルで撫でつけた七三分けが指定されていた。確かにその髪型ならば、他の隊員とキャラは被らないのだが――。

「近衛隊のころは帽子で誤魔化せてたんですけどねぇ~? キールさん、すっごい直毛ですからぁ~。どう頑張ってもてっぺんがチクチク立っちゃうんですよぉ~」

「一番強力なワックスでもセットできなくて、結局ボウズに変更されちゃいましたね」

「私どもも最大限の努力は致しましたが、髪質以前に、そもそものキャラ設定がキールさんにお似合いになりません」

「だよな? 『知的でクール』ってところまではアリだけども……」

 ロドニーの声にゴヤたちも続く。

「『男性的なセクシーさを前面に押し出す』って方向性もアリなんスけど……」

「確かに『都会的』で『洗練された』方ではありますが……」

「どう贔屓目に見ても、『知的でクールで洗練された都会的なセクシー男子』ではないよな?」

「そうッスよね? パーツは合ってるハズなんスけど……?」

「何が違うかと考えますと……?」

「うーん……なんだろな??」

 首を傾げる部下たちに、ベイカーは私見を表明する。

「あいつはどちらかといえば、『寡黙で仕事熱心なところが男らしさを感じさせる職人肌の都会人』じゃないか? 『都会的なセクシー男子』は洒落たバーで女と飲んでいそうだが、『職人肌の都会人』は隠れ家的居酒屋で知る人ぞ知る銘酒を男友達とちびりちびりと味わっているイメージだ」

 ベイカーの見解に、一同、同意を込めて拍手する。

 そう、まさにそれなのだ。細分化された要素は間違っていないのだが、総合的に見るとなぜか全く違うものになっている。

 ゴヤの髪に櫛を入れながら、理髪師は楽しそうに話す。

「ハンクさんもそんな感じですよぉ~? 式部省の考えでは、人虎族と獅子族のハーフらしい野性的な雰囲気を前面に押し出す戦略だったみたいなんですけどぉ~……」

 マルコの髪を霧吹きで湿らせながら、何かを思い出した理髪師は笑いをこらえながら眼鏡を直す。

「はじめは指定通りにスタイリングさせていただきましたが、あまりにもお似合いにならなかったため、二度目以降はこちらから修正案を提出させていただきました。ハンクさんは皆さまの後ろでそっと微笑んでいらっしゃる方ですからね」

 ロドニーはハンクのスタイリング指定ページを開いた。

 初期案は両サイドがコーンロウ、前髪はポンパドール風にボリュームをつけ、後頭部は両サイドから寄せた髪と一緒に毛先を立て、ヤマアラシのような攻撃的フォルムにする指示だった。

 現在はもともとボリュームの多い直毛を活かしてライオンの鬣のようにスタイリングされているが、それでも十分迫力がある。式部省の指定は明らかにやりすぎていた。

 ロドニーは他のページも見た。特務部隊と行動を共にすることが多い情報部員たちにもTPOごとに詳細なスタイリング設定が存在しているようだ。

「はー……イメージ戦略って、そんなに重要なのかぁ……」

 呟きながら自分のスタイリング指定ページを開き、ロドニーは首をかしげる。


 少年っぽさを残した好青年風で。


 それしか書かれていない。肝心の髪型も『時流に沿うこと』とだけある。ほかの隊員のようにミリ単位の指定が入った図解もなく、情報量が少ない。

「あの、これ、なんで俺にはキャラ設定無いんですか?」

 ロドニーは理髪師たちに聞いたつもりだったが、この問いにはベイカーが答えた。

「キャラを作る必要がないからだ」

「え? なんで……?」

「俺は『中性的』なんて指定のせいでこの髪型をキープしているが、好きにして良いのならキールくらいの長さにしている。式部省の作りたいイメージと本人の性格が一致しない場合ほど、詳細な設定項目が増えることになっている」

「あ、これ、そういうファイルなんですか?」

「そうだ。だからお前の場合、本当に修正を入れる必要がないんだ。顔は万人受けするベビーフェイス。筋肉はついているが着やせするタイプで、同年代の平均よりやや低めの身長は初対面の人間にも威圧感を与えない。髪色は奇抜さのない落ち着いたブラウン、瞳の色はどの種族からも好感を持たれる標準的な焦げ茶色。家柄と基礎教育がしっかりしている分、口調が砕けていても各種マナーは身についている。それらの特徴のすべてが式部省の求める『一般庶民受けする騎士団員』のイメージに合致する」

「えーと……なんかそうやってリストアップされると、俺ってものすご~く都合のいい人材のような……」

「式部省のイメージ戦略的にはな。俺もお前ほど完璧な見た目が整っていたらどんなに良かったことか……」

「ええ、そうですよね。うらやましい……」

「俺も先輩みたいに素のまんまでいけてたらなぁー……」

「えっ!? ちょっと待て!? なんだよこの流れ!? 俺ってそんな、羨まれるほど優遇されて無くない!?」

「いや、十二分に優遇されているさ。人前でキャラを作らなくていいお前には、俺たちの苦労は分からんだろう。なあマルコ」

「はい。自分でも女顔の自覚はありますが、メンタリティは間違いなく男性ですのに……」

「俺もぶっちゃけ、『可愛い弟キャラ』じゃなくて『マッチョな先輩たちの舎弟キャラ』だと思うんスけど……」

「ああ、そうだな。お前はカワイイ系ではない。どこからどう見てもまったく可愛くないし、可愛らしさの欠片も無い。可愛くしようと思ったら女装でもさせるくらいの思い切った手を打たねばならないくらい徹頭徹尾可愛くないのがお前という人間なのだが……うん、本当に可愛くないな」

「え、あの、隊長? そこまで真顔で言い切られると、若干傷付くッス……」

「ハハッ! 冗談に決まっているだろう?」

 ベイカーは鏡越しにゴヤの眼を見て、声のトーンを下げて言う。

「お前は俺の前でだけ可愛い顔を見せていればいいんだ。分かるだろう? ガルボナード……」

「ふぇっ!? ちょ、あ、え……ええっ!?」

「本気で照れるな。こっちまで恥ずかしくなるだろうが」

「んあああぁぁぁ~っ! たぁいちょ~う! 酷いッスよぉ~っ!」

 からかわれるゴヤの反応に、誰もがたまらず吹き出した。

 ゴヤは確かに『可愛い弟』だ。だがそれは見た目ではなく中身の話で、そういう『身内にしか分からない可愛らしさ』を外見に反映させることは不可能である。

 また逆に、見た目の『女性的な雰囲気』を中身にまで求められて困っているのがマルコだ。母親似の優しい面差しとは裏腹に、彼にはトニーと殴り合いの喧嘩を始めてしまう苛烈な一面がある。内面的には間違いなく『純度100%の漢』なのである。

 そしてベイカーはアルビノという珍しい特徴のため、問答無用で『神秘的』や『儚げ』、『病弱そう』といったカテゴリーに分類される。しかし彼はどこまでも俗人的で、金儲けと勝負事、酒と女が大好きな健康そのものの二十代男性だ。

 設定されたキャラクターと実際の人物像とのギャップに悩む彼らのことは、ロドニーよりも理髪師たちのほうがよく理解していた。

 騎士団本部の理髪室は騎士団員ならば誰でも無料で利用できる。何かの手続きのために本部を訪れ、そのついでに髪を切っていく支部員たちも多い。毎日全国各地からやってくる『お客さん』と雑談を交わす彼らは、様々な地位にある男たちの十人十色の悩みや愚痴を聞いてきた。

 立場が違えば悩みも違う。けれどもどれだけバリエーションに富んだ話でも、根本的な部分では共通するものがあった。


 他人が求める『自分』と、自分が求める『自分』。そのあまりにも大きなギャップを、どこから、どんな手段で埋めていくべきか。


 それはヘアセットひとつでも十分すぎるほど伝わっていた。地位に見合う髪型と自分が本当に望む髪型とは、一致しない場合が多いからだ。

 チャキチャキと小気味良い音を立て、理髪師たちは髪の長さを整えていく。

 銀色の鋏を巧みに操りながら、眼鏡の理髪師は独り言のような調子で言った。

「もしも王子の御髪をバッサリ切らせていただくことがあるとすれば、特定の女性とのご交際か、ご婚約が発表された場合でございましょう」

「え? こ、婚約……ですか?」

「あくまでも、もしもの話ではございますが。世間の方々は、妻帯者には相応の男らしさを求めるものでございます。たとえば、騎士団長にはご立派な顎鬚とボリューム感のあるウェービィヘアを。副団長には知的な印象に整えた口髭と、きっちり撫でつけたヘアスタイルを。地方の支部長クラスの方々には、いかにも軍事組織の指揮官らしい短めの刈り込みを……といった具合でしょうか。どなたかがことさらにイメージを押し付けずとも、社会的に、ある種のテンプレートが出来上がっておりますので」

「テンプレートですか……なるほど、そうですね。それならば、今の立ち位置のまま他者のイメージを変えようとするより、自分が望むイメージに近い立ち位置に移動してしまうのも良さそうですね……?」

「はい。そういった手段もございます。外見的に大きく変わられたとしても、ご自身のお心が伴わない限り、『イメージチェンジ』に成功したとは申せません。私どもがお手伝いできますのは、すでにお心を固められた方への、最後の一押しでございます」

「では私は、まだ『その時』ではありませんね」

「はい。『その時』になられれば、ご自身のお心も世間の目も、自然と変わってゆくものでございます」

「ありがとうございます。大切なことに気付くことができました」

「いいえ、差し出がましいことを申しました」

 希望の髪型にすることはできなかったが、マルコの心から不満は消えていた。

 理髪師の言うとおり、自分の心が変わらない限りは何の成長も無い。見た目を変える必要が生じるほどの成長を遂げてから、改めて彼に希望の髪型をオーダーしよう。

 そんな思いで清々しい顔つきになったマルコの隣で、ベイカーは難しい顔をしていた。自分の髪を切る理髪師に、愚痴を言うような口調で話しかける。

「俺の場合、交際の事実を公表してなおこれだぞ?」

「隊長さんはね。それは仕方がありませんよ。なんたって愛人枠ですから」

「かといって、女王陛下と結婚することになってもそれはそれで困るよな?」

「ですね。マルコ王子の義理のパパってことになっちゃいますよね?」

「同じ職場で義理の親子関係というのもやりづらいよなぁ……?」

「隊長、それ言ったら俺どーなっちゃうんスか? まんま親子で本部勤務ッスよ」

「お前の場合は義理の親子関係ではなく『血縁関係のない法的な親子』だから、少し違うのではないか?」

「そうッスかね?」

 この会話に、ゴヤの髪を切る理髪師が言う。

「情報部と事務のほうには逆パターンの人いますよねぇ~? 法的には他人ってことになってる血縁上の親子ぉ~」

「ああ、あれは仕方がないんだ。騎士団員の身内というだけで報復行為の対象にされてしまうからな。貴族や士族と違って、ごく普通の市民の家に警備用ゴーレムは置けないし……」

「市民階級には事実婚の人、けっこう多いッスよ? フリーっぽく見えても子供三人いたりとか」

「へぇ~、そうなんですかぁ? じゃ、特務の隊員さんたちも実は奥さんいたり?」

「今のところ無いな」

「ねえッスね!」

「あらあら、残念ですねぇ。ボク、そういう噂話大好物なのに~」

「それ系の話題ならナイルさんに聞くとすごいッスよ?」

「なぜか他人の家の内情に詳しいよな、あいつ」

「なんか話せちゃう雰囲気なんスよねぇ、あの人」

「あ、わかりますぅ~。ついうっかり『ここだけの話』とかしちゃいますよねぇ~」

「油断してると個人情報ごっそり抜かれちゃいそうッスよね?」

「こわぁ~い! ってゆーか、そもそもボクらって情報部に身辺調査されてるから個人情報隠せてないと思うんですけどねぇ?」

「あはは。多分そうッスね」

「情報部はある意味無敵だからなぁ?」

 その情報部のスタイリング指定ページを眺めていたロドニーは、自分と同様、ほぼ何も書かれていないページを見つけた。

「……?」

 間違えて挟み込んだわけでも、仕切りとして入れられているわけでもない。

 ページの右端には通し番号が振られているし、隊員の名前を記載する欄には『ピーコック』と書かれている。スタイリング指定は自分と同じく『時流に沿うこと』。それ以外の記述はない。

 順番待ちの椅子に腰かけたまま、ロドニーは生まれて初めて『腰を抜かす』という状況を体験した。

(これ……これって、おい、まさか……?!)

 これは運命が変わった際に生じた『修正の失敗箇所』だ。ロドニーは心の中でオオカミナオシに問う。

(なあ、オオカミナオシ? これ、このまま残ってて大丈夫なのか!? 明らかに『この世界にあってはならないモノ』だよな!?)

 名前を呼ばれたオオカミナオシは無言で体の制御権を奪い、ロドニーの目を通して問題のページを凝視する。次にファイルの表紙、理髪室の内部、そこで働く理髪師たちの様子を見て、この文書が世界に与える『不具合の度合い』を算定し始めた。

 この算定作業には数十秒から数分かかるらしく、その間、オオカミナオシはまったく何の反応も示さなくなる

(おい、オオカミナオシ? まだか? まだかかるのか? おおーいっ!)

 外からは目を閉じてじっとしているようにしか見えないが、心の中では必死に呼びかけるロドニーの声が響き渡っている。

 壁に掛けられた逆転時計の秒針が鏡の中で三回半まわったころ、オオカミナオシはようやく言葉を発した。

(この不具合の修正重要度は限りなく低い。このまま残すこともできるが?)

 ロドニーは一も二もなく頷いた。

(当たり前だ。消すわけねえだろ、バカ!)

(そうか。では)

(え、そんだけ!? 三分半も待たせてそんだけかよ!? っておい、なんか返事しろっつーの! ぅおおおぉぉぉ~いっ!!)

 ロドニーの絶叫など気にも留めず、オオカミナオシは消えてしまった。

 体の制御権を取り戻したロドニーは、誰にもそれと悟られぬよう、ごく自然な動作でファイルを置く。

 ざっと見た限り、このファイルには内偵任務のために外に出たきりになっている情報部員の名前も載っている。彼らはこの理髪室を利用しないし、公式行事に顔を出すこともない。理髪師たちはこの『ピーコック』という人物を、そういった任務に就いている隊員と判断しているはずだ。このページが『存在しない男のスタイリング指定』であることは、まだ誰にも気づかれていない。

 ロドニーは必死に平静を装い、仲間たちのほうを見た。

 作られたイメージと本人の性格が一致しない彼らは、最後の仕上げにシャンプー台に移動するところだった。

 納得した顔のマルコとあきらめ顔のベイカー、まあいいやと流しているゴヤ。

 切り取られた髪の毛と一緒に、それぞれの心の葛藤も洗い流されていくのだろう。だが、何をどうしても水に流せない思いがあるに違いない。

 ロドニーは、ファイルに残された『ピーコックの残像』に不思議な親近感を覚えていた。

 彼にも詳細設定がない。その理由は説明されずとも理解できる。どんな服を着ても、どんな髪型になっても、おそらく彼は彼のままだ。ピーコックという男が別の何かになるところなど想像もできないし、もしもそうなれば、それはもう彼ではない。


 自分というキャラクターが認められること。


 確かにそれは他の何よりも貴重で、誰よりも優遇されているのかもしれない。ありのままの自分で生きられない人々からすれば、この上なく贅沢な人生を送っていることになるのだろう。

(あー……そっか。俺、ものすごく恵まれた立ち位置にいるんだ……?)

 もう一度ファイルの表紙に目を落とし、ここにいない男に問いかける。

(こういう『幸せ』って、自分じゃ全然気付かないモンだよな? お前、気付いてたか?)

 もしもここに彼がいたら、彼は何と答えただろう。


「は? 急になんだ? なんか変な詩集とか読んじゃった系? うっわ超キモイ」


 なにをどう考えても、そのくらいしか思い浮かばない。

 想像上の彼のセリフに、心が急速冷却されていくのを感じた。

(……うん。ものすごくピーコックって感じ……)

 軽く頭を振って、ロドニーは気持ちを切り替える。

 自分は何も見なかった。何も知らないし、何も気付いていない。今日はいつも通りの今日で、変わったことなど何もなかった。

 軽く深呼吸して、簡単な自己暗示を完了する。

 そうして顔を上げると、いつものように、髪の短いベイカーが最初にスタイリングを終えたところだった。ロドニーはベイカーと入れ替わる形で散髪用の椅子に腰を下ろす。

 妙にふかふかとした独特な座り心地の椅子に、ロドニーはくだらないことを考える。


 今この瞬間、並行世界のこの椅子に座っているのは誰なのだろう、と――。


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