猫の皮をかぶった恋人……propose直後?
クリスマスイブのプレゼントが婚姻届と言う、あり得ない……常識人を自認する吉水奏には想像を絶するものだった為、呆然としている間に、プロポーズの相手である梶谷琴音の車の助手席に乗せられてしまった。
で、
「奏。それ一応大事に持っててね?あ、書き損じの為に何枚か予備の準備はあるけど」
運転席の琴音は言っているが、奏の耳には入ってこない。
一応後ろの座席にバッグを入れて貰ってはいるものの、ふと思い出したのは、
「あぁぁ‼バ、バイト‼」
「連絡しといたよ?」
「れ、連絡って⁉」
横を向いた奏に、琴音はにっこりと笑う。
「『すみません‼実は今日、家でクリスマスパーティーなんです。奏に言っておいたんですが、もしかしたら忘れているかもと思って連絡しました』って」
「きょ、今日言っても、店長や皆が……」
「うん、そういうかと思って、ちゃんと一週間前に……」
「な、何でぇぇ?さ、先回りできるの?」
奏の声に、大通りから閑静な住宅地に向かう道にカーブを曲がりながら、答える。
「ん?奏が言いそうなこと、俺、解るし……それに、論文とか課題で頭が一杯で『ふーん……そうなんだ?』って聞き逃してたみたいだけど、11月から言ってたんだよ?で、『用事がなければ来るよね?』って言ったら『その時はね……』って言ってたし」
「聞いてなかった‼聞き逃したって言ってるじゃない‼琴音も‼」
「うん、だからパーティ以外の用事を全部キャンセルしといたの」
「む、無茶苦茶‼何考えてんの?」
奏は訴えるが、運転しつつ、
「だって、奏は全然俺のこと見てくれないし。いい加減腹が立ったんだもん」
「だもんじゃないでしょ⁉学生だよ?それにね?私はお金がないし、どこに住むの?私の部屋じゃ狭すぎるでしょ⁉バイトも増やす……」
「あ、それはね?後で言おうと思ったんだけど、俺の家族『奏と結婚するのいいよ?もう、逆に是非是非、家の嫁に来て貰いなさい』だって」
一応、何とか週に一回、土曜か日曜に琴や礼儀作法のレッスンを受けているのだが、そのレッスン料は受け取って貰えず心苦しい思いをしているのに、師匠がたこと、琴音の祖父母に両親は何を……。
「あ、それと、ばあちゃんと母さんと結花義姉さんが、『奏と結婚するなら、家には部屋が幾つもあるから、家に住みなさい‼』『琴ちゃんは何にも出来ないのに、奏ちゃんの負担になるでしょう?家を出るなんて駄目です‼』『それに、奏ちゃんが妹になるなんて嬉しいわ、気兼ねせずにこちらのお家に住んじゃってね』って言ってたよ?気にしない気にしない」
「なっ……」
言い返そうとしても、全て返されると言うよりも、封じ込められていく、言いくるめられていくような気がする。
結花と言うのは、琴音の長兄、琵琶こと大学の教官、梶谷琵琶の奥さんである。
次兄の龍と3兄の信乃はそれぞれ雅楽専門の道に進んだが、琵琶は大学の教官でありながら優秀な演奏家で、雅楽器だけでなくピアニストとしても知られている。
結花も琴だけでなくハープ奏者としても才能を発揮しており、夫婦とも忙しい日々を送りつつ子育てにも熱心である。
「龍さんと信乃さんの奥さまがたは……」
「あの兄貴たち出来ちゃった婚だもん。特にばあちゃんが『文句は言わせません‼』だし」
「そ、それに、バイトも……」
「だから、しなくていいです、だって。琵琶兄さんに聞いたら、もう、じいちゃんに頼まれて卒業までの学費も全額払っといたって。はっきり言って奏は俺の嫁だし、自分の孫だから良いんだ‼遠慮するな~って。ポーンっと」
「でも、奨学金が……返さなきゃ駄目なんだよ~‼」
必死に訴えるが、音もなく車を止めると車の中で操作をし、車庫のシャッターを開けると、琴音の定位置に停める。
車は楽器等を運ぶ為のワゴンが2台、それ以外に琴音のを合わせて8台ある。
「あぁ、兄貴たちも来てるのか……。はい。奏のバッグは持つから、こっちこっち」
「うわぁ……外車……ん?あ、知らないワゴン?」
「琵琶兄さんのところのだよ。ハープとかも運ぶから。普段はあの学校に置いてある小さいの。で、こっちが龍兄さんと信乃兄さんの」
「じゅ、10台も良く入るね……」
「まぁ、普段お弟子さんのも入れるからね。他にもあるけど………はい、シャッター下ろしたから行くよ、奏」
手を引かれ歩き出す。
「……えっと、琴音?さっきから気になったんだけど……私のこと呼びすて?」
「結婚するのに先輩いるの?」
「こ、これ書いてないし‼」
握りしめたままの婚姻届を見せる。
「い、印鑑とか……」
「奏のバッグに入ってるでしょ?それに、戸籍謄本もすぐとれるから……」
「あ、あのね?琴音?解るでしょ~?結婚は大事なもので……」
「だって、奏といたいから。本当は、俺が入学してすぐでもと思ったんだよ。でも、突然じゃビックリするだろうし、俺だって急にプロポーズした訳じゃないもん。前から必死にアプローチしても全部スルーしてたのは奏じゃん」
むぅっと頬を膨らませる琴音。
「だから奏に本気だってこと解って貰う為に、根回し必死にしたんだよ」
「根回し……て言っても、他の子とお付き合い……」
「だから、本気で付き合ってないってば‼しつこかったの、で、お試し‼それにいつもきっぱり断ってるよ‼奏がいるからって」
「わ、私?何で?」
首を傾げる奏に、今度こそ本気でムカッときた琴音は、繋いでいた手を引っ張った。
つんのめる奏を抱き締めると、その耳元に囁く。
「前からずっと言ってたよね?好きだって、特別だって。二つ下だから全然見てくれないって解ってたけど、それでも必死で追いかけてきたの‼いい加減に俺を見てよ‼」
「えっと、えっと……」
おろおろとしていたものの、
「あの、琴音。あっちに琵琶教官と結花さんが……」
「兄さんたちより返事先‼じゃないと言うまで……キスするからね!」
「ま、待ってぇぇ‼龍さんと信乃さんもいるんだよ~‼見てる、見てる、見てる~‼」
「あんなのモブ‼そこらの埃、塵芥。後でほうきで殴っとく‼」
兄達を『ゴミ』扱いする琴音に、半泣きで、
「龍さんと信乃さんはお兄さんで、そんな風に言っちゃ駄目だよ。それに、クリスマスイブでしょ?」
「奏の返事が先‼」
「だ、大学卒業するまで待ってぇぇ‼」
「駄目だよ。そんなこと言ってたら、声楽の勉強に行ってきます‼って行っちゃうでしょ‼」
一年遅らせて、その間に気が変わると思っていたのに、先回りされる。
「俺は奏と一緒にいたいの‼ずっといたいの‼」
「はいはいはい、琴。そんなに強く言うとビックリして引くから。御免ね?奏ちゃん。琴もう一途だから、馬鹿たちと違って。不器用だしこれでも必死なんだよ」
強気で押せ押せの……それでいて、お子様の癇癪のように膨れっ面をしている年の離れている末弟を可愛がっている琵琶は、苦笑しつつ伝える。
「背は伸びたし声も低くなったけど、君に会った頃のままだから。嫌いじゃなかったら一緒にいてやってくれない?あ、龍と信乃は好意抱かなくていいから」
「兄貴、ひでぇ‼奏ちゃん、琴の嫁なら、俺の義妹じゃん‼」
「あ、琴が嫌なら俺の腕でもいいよ?」
「それがチャラチャラしてるんだ‼三十路になって何考えているんだ‼」
琵琶は、信乃の耳を引っ張る。
「全く‼この馬鹿たちはいいから、琴のことをよろしくね?本当に本当に頼むから‼馬鹿は二人で充分です‼多分奏ちゃんいないと、琴駄目だと思うから……琴?ちゃんと部屋に案内しなさい。家の奥を知らないでしょ?奏ちゃんはビックリしてるんだから、いいね?」
「はい、兄さん。奏、いこう」
「あ、えと……よ、良く解りませんが、よ、よろしくお願いします」
深々と頭を下げる奏の手を引いて、琴音は屋敷に入っていった。
「貴方?私、奏ちゃんの着替えを手伝ってきますね?」
「結花、頼んだよ。私は、この馬鹿たちのお説教をするから」
妻を見送った琵琶は、年は近いが精神年齢は琴音よりも低い弟たちをどうしてくれようと睨み付けるのだった。