立ち合い
「……すいませんでした」
ひとしきり泣いて落ち着いた私はできるだけ平静を装い頭を下げた。
いくらなんでも恥ずかしすぎる。いい歳をして子供のように泣いて、しかもそれを先輩と同学年の男子に見られるなんて。
「何がだ? 俺は何も見ていないぞ」
「……」
しかしそんな私を気遣ったのだろう。月島先輩は腕組みをしたまま窓の外を眺めていて、蘇芳くんはズボンのポケットに手を突っ込み無言で何もない壁を見つめていた。
そのわざとらしい態度がありがたい。
なかったことにするから気にするな。そう言ってくれているのだから、私も何もなかったかのように振る舞うべきだろう。
例え恥ずかしくても、ここまでお膳立てされたらそうしないと罰が当たる。
「しかし山田も体調が悪いようだしな。この話は後日に……」
「いえ。大丈夫です。すぐ話させてください」
しかし続いて月島先輩から出た気遣いは受け取ることができない。
古雅先輩の優しさに触れたせいで持て余していた感情を爆発させてしまったけれど、昨日怒りとともに抱いた決意はまだ胸の奥で燻っている。
この灯を、間をおいて消したりしたくはない。
「それで山田さんは何か考えがあるみたいだけれど、どうするつもりなの?」
「正面からぶつかり合います!」
「……まあ」
私の宣言に、古雅先輩は微笑ましそうに笑みを浮かべ、月島先輩先輩は唖然とした顔になり、蘇芳くんは呆れたように胡乱な目を向けてきた。
「いや待て山田。それはおかしい。昨日あんなことがあったばかりだというのにわざわざ騒ぎを……」
「はい。月島はちょっと黙ってましょうねー」
「ぐあっ!?」
「それで山田さん。どうしてそういう結論に至ったのか説明してもらっても大丈夫かしら?」
真剣な表情で抗議してきた月島先輩の額を人差し指で突き上げ黙らせる古雅先輩。
私には優しいのに容赦ない。いや仲がいいからこその手加減のなさなのかもしれないけれど。
「私は私の周囲の人たちをよく見ていなかったと思うんです。幼馴染と一緒で、何を言っても話が通じないから相手をするだけ無駄なんだって。だから正々堂々同じ人間として正面からぶつかり合い屈服させるべきだと思いました」
「五十点」
何が!?
突然の採点に戸惑う私に、古雅先輩は笑顔を消すと疲れたようにため息をついた。
「山田……おまえが自分自身を見つめ直し、相手のこともきちんと見直そうとしたのは素晴らしいと思う。だが何故そんな男前な結論に至った?」
「どうにも山田さんは人づきあいが下手みたいね」
先輩方二人が揃って呆れたような顔をする。
それにまた男前と言われた。男子から見ると私は男前なのだろうか。
「山田さん。こういった場合重要なのは敵を見極めること。そして場合によっては敵も味方に引き込むことよ」
「ちょっと待て。おまえは何を吹き込むつもりだ」
突然私の目を見つめながら言い始めた古雅先輩に、月島先輩が眉間の皺を深くしながらつっこみをいれる。
「実際この子の幼馴染は面倒なの。相手の価値観を全否定するのって洗脳の手法の一つなんだから。自覚してやってるわけではないんでしょうけど、山田さんの人間関係に関する思考停止は絶対に幼馴染の悪影響だわ」
「つまり洗脳を解くためにも正面からぶつかった方がいいと?」
「それもちょっとやめた方がいいわね。私も何度か話をしたことがあるけれど、アレは自分の価値観というか一種の妄想の中で生きてる人種なの。藤絵さんみたいな妄想すら粉砕する理不尽じゃないとまともに相手なんてできないわ」
「なるほど」
幼馴染が妄想をこじらせていると認定された上で、生徒会長がそれを上回る理不尽だと断言された。
一体幼馴染は古雅先輩に何をやらかし、生徒会長はどんな強烈な個性を持った存在なのだろう。
「ならば尚更山田を矢面に立たせず俺たちがやった方がいいのではないか?」
「それはダメよ。今山田さんは自分の力で問題に立ち向かおうといている。それを邪魔するのは流石に過保護だわ」
「しかし今回は……」
「今回も次回も十戒もないの!」
納得いかないのか抗議を重ねる月島先輩。そんな先輩の様子に苛立ったように古雅先輩が大きな声をあげる。
「いい? 嫌な奴っていうのは生きてる限り何度駆除しても黒い物体Xのようにいくらでも湧いてくるの。それをいちいち私たちでフォローできるわけじゃないのよ」
「それはそうだが……」
「何より。山田さんみたいな黒髪で大人しそうで可愛い子は、自分に自信がないくせに自尊心だけは高い阿呆な男共が、従順な女に違いないと妄想拗らせて寄ってきやすいの。そんな男共を叩き潰せるように山田さんも変わらなければならないのよ!」
「何だその説得力があるようでいて個人的恨み心髄の主張は」
古雅先輩の言葉に呆れたように返す月島先輩。
確かに古雅先輩の言いようは何だか実感がこもったような言い方だった。
もしかして以前まだ地味な外見だったという時に、そういった男に付きまとわれていたのだろうか。
しかし何より。
「……可愛いって言われた」
「古雅さん。こいつほっといても大丈夫なんじゃねえっすか? 案外図太いっすよ」
古雅先輩に褒められて何だか胸が暖かくなっている私に、蘇芳くんが無粋なつっこみを入れてくる。
この人はこの人で結構失礼だと思う。
「そういうわけで山田さん」
「どういうわけだ」
「貴女に人間関係を円滑にするために必要な幾つかのアドバイスをするわ。それを聞いた上でどうするか……。もし失敗しても私と月島でフォローするから」
「フォローは勿論やるが勝手に決めるな」
「全力でやってみましょう」
月島が言葉を遮って文句を言うのも聞き流し、古雅先輩はにっこりと綺麗な顔で笑いながらそう言った。
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・
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「マジでやんのか?」
「うん。古雅先輩にも応援されたし」
放課後。私は蘇芳くんを連れて人のまばらとなってきた校内を歩いていた。
蘇芳くんが私に付いて来ているのは「山田さん。申し訳ないのだけれど、この問題児が悪さをしないように風紀委員として見張っておいてもらえるかしら」というお願いのため。
監視を名目にしているけれど、それは私を蘇芳くんに守らせるための建前なのは丸分かりだった。
そうでなければ月島先輩も「風紀委員を勝手に使うな」と文句を言っていただろうし。
「ごめんなさい付き合わせて」
「ああ? いや、別にそこは迷惑だとか思ってねえよ。むしろなんつーか。俺は見た目がこんなだからな。おまえみたいな無害な小動物みたいなやつと一緒に居れば、周りの人間も落ち着くんじゃねえか」
私の謝罪に蘇芳くんはばつが悪そうに視線をそらすと、どこか拗ねたように言った。
なるほど。これまでの少ないやり取りでも、彼は見た目ほど恐い人間ではないというのはよく分かる。
根は優しくて力持ち。そんな人なのだろう。
「おまえはおまえで風紀委員な上に風紀委員長と古雅さんに気に入られてるわけだしな。俺と一緒に居ても悪い噂なんざ流れないだろうさ。あの人が女子のまとめ役やってるってのは未だに信じられねえけどな」
「道場では違うの?」
「ああ。そもそも桧の家の道場ってのが競技化だのスポーツ化だのといったことに興味がない古武道の道場だからな。門下生なんざ男ばっかだよ。しかも同年代で古雅さんに勝てる奴はほぼいないときてる。俺だって素手なら体格差で押し切れるだろうが、古雅さんに剣か槍でも持たれたらもう勝てねえよ」
「桧さんは古雅さんを慕ってるみたいだったけど」
「はあ? おまえアレがまともな女に見えるのかよ。師匠が古雅さんを見習えって泣きいれるレベルだぞ。慕ってるつっても体育会系のノリだありゃ」
そう言って笑う蘇芳くんの顔は、気安いというかなんというか、好きな子のことをあえて悪く言っちゃう悪ガキのそれだった。
それが何だか幼馴染が好き勝手言ってる顔に重なって、少し苛立つ。
「そういう言い方はよくないと思う。本人が気にしてくても、やっぱり否定されるようなことを繰り返し言われると気になるし」
「あ? それくらいで……」
私の言葉に蘇芳くんは眉をひそめて反論しようとしたけれど、不意に何かに気付いたように気まずい顔になり頭をかいた。
「わりぃ。ダチのこと悪く言われたらいい気はしねえよな。桧だって昔馴染みだから慣れてると思ったけど、本心じゃおまえみたいに傷ついてるかもしれねえし」
「……」
何か人を勝手に引き合いに出されて納得された。
どうやら私と幼馴染の修羅場は、反面教師として蘇芳くんと桧さんの交友関係にいい影響を与えることになったらしい。
それ自体はいいことなのかもしれないけれど、人を可哀想な人みたいに扱うことについては徹底的に抗議したい。
「いや、おまえ自分で自覚してる以上にヤバい状態だからな。大体なんなんだよおまえのクズみてえな幼馴染は。言動が家庭内暴力やってる親父そのものじゃねえか」
「いやそこまででは……」
否定しようとして、しかし違和感を覚えて言葉が止まった。
暴力こそ振るわれなかったものの、幼馴染の言動による被害を訴えずどうしようもないのだとただひたすら耐えていた私のそれは、ドメスティックバイオレンスの被害者の行動そのものではないかと。
「……私本当に洗脳されてた?」
「先輩たちも言ってたのに今更気付いたのか。ぶん殴って縁切りしても誰も文句言わないレベルだぞ。というか桧ならまず間違いなくぶん殴ってる」
確かに。桧さんは幼馴染の俺様ワールドには取り込まれなかったし、あの時生徒会長の介入がなかったら本気で殴っていたかもしれない。
やはり私の対応が、私の弱さが間違っていたのだろうか。
「あー、そうやって自分を卑下すんのはやめとけ。おまえの幼馴染みたいなクズの思う壺だ。古雅さんの言ってた黒髪で大人しい云々もそういうことを言ってんだろ」
気まずそうに頭をかきながら言った蘇芳くんに、そういうことなのかと納得する。
こうやってすぐに落ち込んで、そして抵抗を諦めてしまうようでは付け込まれる。
だから変わるべきだと古雅先輩は言ってくれたのだろう。
「ありがとう。あと面倒くさくてごめんなさい」
「おう。気にすんな。つーか偉そうなこと言っといて、俺も一般的に見ればクズな人間だからな」
そう言って自嘲するようなことを言いながらも、ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべる蘇芳くん。
そうだった。この人喧嘩したあげくに登校拒否してた問題児だった。
「じゃあ遠慮なくこき使っても大丈夫だね」
「……やっぱいい度胸してるわおまえ」
そう言って笑いあいながら歩を進めているうちに、目的地へとたどり着いた。
昨日蘇芳くんに助けられた、女子生徒たちに絡まれた倉庫の裏。
「こんにちは桐生さん」
「……」
そしてそこでは、昨日私に絡んできた女子生徒の一人が、頬に湿布を貼った痛々しい姿でこちらを睨んでいた。