歩き始める
生徒会副会長である古雅稜という人のことを私はほとんど知らない。
生徒会長である藤絵麗華さんが太陽ならば、副会長である古雅稜さんは月。
色々と破天荒なところのある生徒会長を微笑ましそうに一歩引いたところから見守り、時にフォローに回る影。
生徒会長に比べれば大人しく、悪く言えば目立たない人。
そんな人だから、私は風紀委員長が生徒会長とまとめて古雅先輩まで敵視することが不思議だった。
「山田。昨日古雅と何があった?」
だからその日。放課後になり私を呼び出した風紀委員長――月島先輩が嫌そうに、本当に嫌そうにそんなことを聞いてくる意味が分からなかった。
いや、質問の意図自体は分かるのだけれど、何故そんなに苦虫をかみつぶしたような顔をしているのだろうか。
「苛立ってるのは不甲斐ない自分にでもある。すまない。学年が違うとはいえ、おまえがいじめにあっているとは気付いていなかった」
どうせここで説明しなくても、どこかでばれるだろう。そう思ってありのままに説明した私に月島先輩は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
しかしどう考えても月島先輩は悪くないし、私がいじめられたことに月島先輩の責任なんてまったくない。悪いのは周囲への影響を考えない馬鹿と、くだらない嫌がらせに屈した私の弱さだ。
私がそう言うと、月島先輩の目つきが悪くなり眉間に皺が寄った。
「何故そうなる。一番悪いのはおまえに水をかけた連中だろう」
そう言われても。彼女たちは自分でよく考えもせず、感情とその場の空気に流されただけのその他大勢だろう。
どちらかというとそんな彼女たちの反応を考えず無自覚に煽る幼馴染に責任があると思うのだけれど。
「木を見て森を見ずならぬ、森を見て木を見ずか。大衆という存在を知りながら見ていない。しかも数少ない個として認識している相手がアレだから、余計に個と全のバランスが崩れているのか? ……山田。おまえ友達いないだろう」
何やらぶつぶつと呟いた後に失礼なことを言われた。
今それがどう関係するのだろうか。
「気が置けない友人がいれば、おまえがそこまで崩れることもないだろう。何せ古雅が心配をして俺に忠告をしてくるくらいだからな」
古雅先輩が心配していたと聞いて、心臓がきゅっとしまるような感覚に襲われた。
これは申し訳なさ? それとも嬉しさ? よく分からない。
それにしてもわざわざ忠告を伝えるということは、生徒会長はともかくやはり古雅先輩と月島先輩はそれほど仲が悪いわけではないのだろうか。
私がそう聞くと、月島先輩は相好を崩したと思えばすぐに苦笑するように顔を歪めた。
笑みと言えば「クックック」というあくどいものばかりで、鬼畜眼鏡とあだ名される月島先輩には珍しい表情だ。
「まあ友人ではあるんだろう。実際あいつの能力と責任感の強さには信頼を置いている。……あの格好はどうかと思うがな」
確かに。生徒会長の金髪は地毛らしいが、古雅先輩についてそういう話を聞かないということは、色を抜いているということだろう。
あまり派手なことを好むような人には見えないのに、何故あんなに目立つ格好をしているのだろう。
「二年の中ごろまではもっと普通で、どちらかというと地味だったんだよあいつは。それが……まあ、磨けばあの通りだということが周囲にバレてな。下手に藤絵と並んで女子に持ち上げられたから、後に引けなくなったんだろう。……あいつ自身の気持ちも考えずに」
月島先輩は、そう吐き捨てるように言った。
もしかして、元々月島先輩は以前から古雅先輩と仲がよかったのだろうか。
そして以前の普通な古雅先輩を知るからこそ、今の女子生徒に持ち上げられ着飾る古雅先輩が気に入らない。
もしかして月島先輩は、古雅先輩のことが凄く好きなのではないだろうか。
「……好意があるかと言えばあるが、惚れた腫れたの関係ではないと断言しておく。というか藤絵が恐くてそんな感情抱けんわ!」
私の疑念に、月島先輩は本気で身が竦んだように腕を擦りながら答えた。
一体生徒会長はどれだけ古雅先輩のことを気に入っているのだろうか。
とりあえず顔を赤くしている月島先輩に、男のツンデレって面倒くさいなあと思った。
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うちの高校には強歩大会というものがある。
初めて聞いた人は競歩大会と勘違いしそうなそれは、二十㎞にも及ぶ距離を数時間かけてひたすら歩く、人によっては苦行のような行事だ。
「じゃあ全員準備はいいな? 各曲がり道とチェックポイントには係員が立ってるから、指示に従うように!」
そんな強歩大会が、体育を担当している男性教師の声で始まりを告げた。
幾つかのグループに分かれ、思い思いのペースで歩き出す生徒たち。男子と女子では歩く距離が異なるため、この場には女子生徒しかいない。
そんな集団に紛れるように、私は一人で歩き始めた。
友達がいない。月島先輩に言われたそれは当たっていると思う。
私自身受け身な性格だし、積極的に他人と連れ立ち行動するタイプではない。
一人の方が楽。そんな考え方は人として中々終わっているとは自覚している
私は孤高なんて存在ではなく、ただの孤独な人間である。
だって私が一人なのは、他人に惑わされず一人自分の道を行くからではなく、ただ他人という存在に疲れただけなのだから。
今だって周囲の女子生徒の何割かはぶしつけに観察するような視線や、あるいは敵意に満ちた目を私に向けている。
嫉妬というのは中々に厄介なものだと他人事のように思う。
いつだって彼女たちは自分たちが正しい者であるかのように振る舞う。
「工藤くんの優しさにつけこんで卑怯だ」
「自分から身を引くくらいできないの図々しい」
それらの言葉を言葉で止めるのは難しい。
だって彼女たちにとってそれは紛れもない真実であり正義なのだから。
「……」
気が付けば、女子生徒の海の中に古雅先輩が居ないかと探していた。
私を幼馴染というフィルター越しに見ない人。
私という存在を見つけてくれた人。
見つけたところで一緒に歩きましょうと提案するどころか、声をかけることだってできないのに。
それでもその姿を探してしまったのは、縋る何かが欲しかったからかもしれない。
「よ! 山田さん。一緒に行っていい?」
だから不意に背後からかけられた声に、とても安心してしまった。
つい先日知り合ったばかりだけれど、信頼できると確信できるその声に。
「……桧さん?」
「うん。いや、目的地まで結構時間もかかるでしょ。その間に約束果たしておこうかなって」
そう言って笑う桧さんに、何だかほっとした。
そうだ。古雅先輩だけじゃない。私を私として見てくれる人は居るのだと。
「キョロキョロしてたけど、どうしたの? あ、もしかして私を探してくれてた?」
「あ、ごめんなさい。探してたのは古雅先輩で……」
「おおう。マジで古雅さんのこと好きなんだね山田さん。今恋する乙女みたいな顔してたよ」
もしかしたら本気で古雅先輩に恋をしているかもしれない。
そう言ったら桧さんはどんな反応をするだろうか。
この人なら案外「お、おう。そうなんだ」と戸惑いながらも受け入れてくれそうな気がする。
桧さんもタイプは違うけれど太陽のような人だから。
生徒会長が「私を見ろ!」と輝く太陽ならば、桧さんは分け隔てなく周囲を照らしてくれる太陽。
私という陰に隠れた人間も見つけてくれる光だ。
「でも古雅さんは今回は運営側でどっかのチェックポイントに居ると思うよ。それに居たとしても、一緒には歩けないんじゃない?」
桧さんの言葉にはてと首を傾げる。
古雅先輩が参加していないのは残念だけれど、一緒に歩けないというのはどういうことだろうか。
確かに取り巻きの人が多くて近づけそうにはないけれど。
「いや、多分その取り巻きも一緒に歩けない。ああ見えて古雅さんって武芸百般の超人なのよ。同じペースで普通の女子が歩いたら死ぬって」
何だか信じられない言葉が桧さんの口から飛び出した。
武芸百般。
あのほんわかしていて深窓の令嬢といった面持ちの古雅先輩とは対極の言葉だと思うのだけれど。
「知ってるかもしんないけど、古雅さんって伝統とか重んじる名家の跡取り候補なのよ。だから華道茶道に日本舞踊に武道まで、道とつくもんはほとんど叩き込まれてんの。うち道場でさ、古雅さんとの個人的な繋がりってのもそこなわけ。本人が言うには道というものは全て通ずるものがあるってんで楽しんでやってるらしいけど、私にゃ華道と武道にどんな繋がりがあるのかさっぱりだよ」
そう言って肩をすくめる桧さんだけれど、私には少し納得できる話だった。
日本舞踏と武道の足取りには共通点が多いと聞いたことがある。古雅先輩の歩き方がとても綺麗なのは、そういった歩方が体に染みついているからなのだろうと。
「そんな家の人が銀髪にして怒られないのかな?」
「あーそこ? そこはなんつーか、当主の爺ちゃんが先進的というか傾奇者というか『可愛いは正義じゃ!』と言い放ったって聞いてる」
「……」
伝統的な名家とは何だったのだろうか。
そこだけ聞くと、とてもファンキーなお爺ちゃんとしか思えないのだけれど。
「いや実際かなりファンキーな爺ちゃんだよ。当主としてはちゃんと厳格なんで、古雅さんは苦手だったらしいけどね。最近は本性知って遠慮なくなったから、爺馬鹿が加速してさっきみたいな迷言が飛び出したと」
「……仲がいい家族なんだね」
「うん。今の話を聞いてそんな感想が出る山田さんて素敵だと思う」
正直な感想を言ったら何故か感心された。
だけど実際の話。そんな習い事三昧で息苦しそうな生活を古雅先輩が続けられたのは、本人のやる気もだけれど家族の理解が大きかったのではないだろうか。
そうやって話をしながら歩き続け、幾つかのチェックポイントを通過する。
最初は団子になっていた生徒たちも徐々にばらけだし、次第に後方へと離れていき見えなくなる。
もしかしなくても、私たちは結構なペースで歩いているのではないだろうか。
「ああ、今更それ気付くんだ。やっぱ山田さん面白いわ」
そんな私の疑問にくつくつと笑って見せる桧さん。
「いや、意図的にペース上げてたのは私なんだけどね。山田さん話に集中しててちっとも疲れた様子見せないからさ。どんだけ古雅さんのこと好きなの」
そういって笑う桧さんに頬が赤くなるのを感じた。
確かに。話を聞くのに夢中で自分が何故歩いているのかすら忘れていた。
気が付けば工程も半分以上を過ぎ、このままなら一番乗りは確実なほどだ。
「どうして?」
「ん? いや、周りがうざいのもあるけどさ、離れてスタートした男子に追いつかれたらまた面倒くさいのが出てくるでしょ」
そう言われてようやく気付く。
下手にゆっくりしていたら、また幼馴染に絡まれるのだと。
「おっ、あそこに居るの古雅さんじゃない? おーい! 古雅さーん!」
それに気づいてお礼を言おうとしたのだけれど、桧さんはまっすぐと伸びた道路の向こうに古雅先輩の姿を見つけてさっさと歩いて行ってしまう。
その姿を追いかけて、田んぼの広がる景色の中、十字路にポツンと立つ古雅先輩を含めた数名の生徒を見つける。その姿を見た瞬間胸がきゅっとして、体を締め上げられたみたいに背筋が伸びた。
どうしよう。何を話せば。
そうやって内心で慌てたものの、すぐにわざわざ話しかけるのも変だと気付く。
桧さんと違って私は古雅先輩にとっては顔見知り程度だ。軽く挨拶をしてそのまま通り過ぎるのが自然だろう。
「こんにちは桧さん。山田さんも。随分とペースが速いのね」
そう寂しく思いながら決意したというのに、古雅先輩はたおやかな笑みを浮かべて私にも声をかけてくれた。
「こ、こんにちはです古雅先輩」
「ええ、こんにちは。珍しいわね、桧さんと山田さんが一緒だなんて。桧さんはいつも蘇芳くんと一緒に居るから、女の子の友達がいないのかと思って心配していたのだけれど」
「ちょっと古雅さん。私これでも友達多いんですよ。あと誰が蘇芳といつも一緒ですか」
古雅先輩の言葉に、わざとらしく怒って見せる桧さん。
その気安い様子から、本当に旧知の仲だと見て取れる。心なしか古雅先輩からもいつもより気が抜けたような空気を感じる。
「ここからは右に曲がって山の方を目指してね。そのまま真っすぐ山道を登って行って、中腹にあるキャンプ場がゴールよ」
「うええ。最後に上り坂ですか」
「何言ってるの。桧さんなら楽勝でしょう。山田さんのことちゃんと見ててあげてね」
「はーい。じゃ、行こっか山田さん」
「うん。では、失礼します」
「はい。気を付けてね」
歩き始めた私たちに、微笑みながら手を振ってくれる古雅先輩。
その姿を見ただけで、何だか今日一日は幸せに過ごせるような気がしてくる。
「……本当に山田さんは古雅先輩好きなんだね」
そんなことを考える私を見て、何故か感心したように頷く桧さん。
それに「うん」と返すと桧さんは一瞬呆けたように目を開き、そして愉快そうに笑った。