事の始まり
「まずはごめんなさい山田さん」
席について落ち着くなり、古雅先輩――黒髪の男子生徒が勢いよく頭を下げた。
今私たちが居るのは学校の近くにある喫茶店。
四人掛けのテーブル席で、向かいには古雅先輩と蘇芳くん。隣には途中で合流した桧さんが座っている。
そして前述のように古雅先輩は頭を下げ、桧さんは申し訳なさそうに縮こまり、蘇芳くんは我関せずといった様子で水を飲んでいる。
「確認したいんですけど。古雅先輩は男性だったということでいいんですよね? 実は男装趣味だったとかではなく」
「……うん。俺は正真正銘男だよ。ちなみにあんな格好をしてるけど、オカマとか性同一性障害でもないし、好きでやってるわけでもない」
「その割にはノリノリで……」
「桧。ちょっと黙ってろ」
茶々を入れた桧さんを笑顔で威嚇する古雅先輩。それを受けてさらに縮こまる桧さんだけれど、それでも言わずにはいられなかったのだろう。
実際好きでやっているわけではなかったという割には、今に至っても「もしかしたら」と確信が得られない程度には堂に入っていた。
「あの。今更ですけど本当に古雅稜さんですよね? 同じ人だとは何となく分かるんですけど、雰囲気が全然違って……」
ついでに言えば、骨格なども間違いなく男性のそれであり、女子制服を着てウィッグを被った程度であそこまで化けられるのが信じられなかった。
「ああ。どう説明したらいいか……。山田さん。ちょっとこっち見ててくれる?」
「はい?」
古雅先輩はそう言うと、私に見せつけるように右手の人差し指をピンと立てた。
「……え?」
その瞬間、古雅先輩の纏っていた空気が一変した。
男性的に見えていたはずの大きな手は、長くしなやかな指をした女性的なそれに変わり、手品でも見せられている気分だった。
「……」
そしてその指先を唇へと当てる古雅先輩。
その顔つきもいつの間にか変わっていて、目は全てを包み込むような母性を感じさせ、指先の触れた唇は蝶を誘う蜜に濡れたように蠱惑的だった。
「はい。おしまい」
「……あ」
古雅先輩がそう言って手を打った瞬間、それまでの姿が幻覚だったみたいに、黒髪の少年がそこに居た。
「山田さんの疑問通り、いくら女性の服や化粧で着飾っても体つきはどうしようもない。どうにかなっちゃうのが所謂男の娘ってやつなんだろうけど、俺はそんなんじゃないからね。だから女性的に見えるように、比喩じゃなく本気で指先まで計算された演技が必要になる。それじゃあ何で俺がそんなことができるかという話なんだけど……」
そこまで言うと、古雅先輩は迷ったように言葉を濁した。
しばしの沈黙。そして古雅先輩は全身に力を込めた様子で、しっかりと口を開いた。
「俺が養子入りする本家は歌舞伎の宗家なんだ」
「……」
以前古雅先輩が話してくれなかった真実。
それを今度こそ古雅先輩は話してくれた。
「……あんま驚いてない?」
「ごめんなさい。鉄之助さんの名前を聞いて少し調べたんです」
「あー、なるほど。やっぱりそっちからバレたか。あの爺様勝手に出てくるから」
そう言って頭を抱える古雅先輩は、けれどどこか嬉しそうだった。
「そこから俺が男だって確信したわけか」
「はい。他にも色々変だなとは思いましたけど」
古雅先輩のことを疑い始めたのは割と最近のことなのだけれど、思い返してみれば古雅先輩の周りには色々とおかしいことが多かった。
例えば友人だという月島先輩。
月島先輩が古雅先輩は昔地味だったと話してくれた時に、他の女子生徒に持ち上げられ後に引けなくなって古雅先輩はあんな格好になったと吐き捨てるように言っていた。
一応ぎりぎりで校則違反ではない古雅先輩の服装を何故そこまで嫌うのか。その時は疑問に思っても深く考えず、単に派手な姿の古雅先輩が気に入らないんだろうと思った。
月島先輩が友人だという相手にそんな個人的な感情であそこまで嫌悪感を示すはずがなかったのに。
そして桐生さんが古雅先輩に恋人は居るのかと聞いた時の桧さんの態度。
私はその時は古雅先輩に恋人が居るのを隠すためにあんな態度をとったのかと思ったけれど、それならばあんなバレバレな嘘を押し通し安堵するわけがなかった。
あの時桧さんは、本当に隠したいことは隠し通せたから安心していたのだろう。
そして極め付きは、この学校のOBだという彩月さんと話した時のこと。
彼は私が古雅先輩に恋心を抱いているのを見抜いた上で、その恋は無駄にならないと断言した。
普通なら「気の迷いじゃないか」とか「覚悟はあるのか」とか聞いてくるだろうに、まるで私が古雅先輩に恋することが当たり前であるかのように振る舞ったのだ。
しかしもしそうだというのなら、私はともかく彩月さんの変態度が一気に跳ね上がるわけだけれど、そこは「おかしいのは僕もだからね。むしろ僕の方が断然おかしいね」というセリフによってむしろ肯定されている。
もしかしたら彩月さんは私に全てを話したかったけれど、部外者だと自覚してヒントだけを与えてくれたのかもしれない。
変態だけれどいい人だ。
惚れられている古雅先輩はいい迷惑だろうけれど。
そして先日知ったばかりであり、今回語られた歌舞伎の宗家の跡継ぎだという事実は、古雅先輩が何故女装していたのかという理由にも関係があるのかもしれない。
昔ならともかく今の時代歌舞伎は女人禁制の伝統芸能だ。
そして女人禁制である故に、歌舞伎には女性を演じる役者がいる。
「女形ってやつでね。高市宗家は代々女形として有名なんだ。そして爺様はあの通り普段はただの爺だけど、女形の中には女性らしさを追求するために普段から女装で生活してる人も居る。つまりは真面目な理由を言うと、俺が女装してるのは歌舞伎修行の一環なわけだ」
「……真面目な理由?」
何だろうその言い方は。
まるで不真面目な理由もあるあのような。
「ああ。不真面目というかふざけた理由を言うと。事の始まりは山田さんも会ったあの彩月先輩でね。あの人が何をトチ狂ったのか登校時間で生徒がたむろしてる中で、俺に告白してきたんだ。ちなみにその時俺は女装なんかしていない」
「……」
予想外のそれに言葉が出ない。
彩月さんがそういう人なのはまあ予想していたけれど、まさか公衆の面前でそれをカミングアウトするとは。
「理由を問いただす周囲に『僕はもう女はこりごりなんだ! この子は素直なうえに着飾ればそこらの女の子より綺麗なんだよ。完璧じゃないか!』と傍から聞いてたら頭わいてんのかと言いたくなるようなことを口走ってね。晴れて俺は女装趣味の変態という噂が広がり他の男子生徒からドン引きされた」
「……」
阿呆な事件だと思ってたら、さらに予想を越えてヘヴィだった。
いや傍から見れば確かに阿呆なのだけれど、渦中の古雅先輩はさぞきつかったことだろう。
「確かに彩月先輩は阿呆だった。しかしあの学校の生徒は揃いも揃って阿呆ばかりでね。『彩月先輩が惚れるくらい可愛いなら女装して見せろ』と一部というか同学年の女子ほぼ全員が謎の盛り上がりを見せ、実際に女装して見せたら何故か女子の一員であるかのように扱われ始めて、自分でもよく分からん立ち位置になっていた」
「……」
古雅先輩が他の女子生徒から慕われているのにそんな理由が。
最初は慕われているというよりも弄り目的だったみたいだけれど、古雅先輩の女装はあの通り完璧だったので女子生徒たちも何かに目覚めてしまったのかもしれない。
「さらにそれを聞きつけた爺様が面白がり『丁度いいからそのまま女装で学校行け。何、修行じゃ修行』と言い始めた上に、学校側がその戯言をか何故か受理しやがったから俺は女装して学生生活を送る羽目になった」
「……」
何も言えない。
何故本人を置き去りにしてそこまで話が進んでしまったのだろうか。
古雅先輩的にも「どうしてこうなった!?」状態だったに違いない。
「そういうわけで。俺が男なのは学校側も知ってるし、男女別の授業の時はちゃんと男子側で受けてる。生徒も二、三年はよっぽど噂に疎い人間以外は全員知ってる」
なるほど。だから数々の騒動の中で一年生との間に温度差があったのだろう。
古雅先輩と月島先輩の噂にしたって、古雅先輩が男だと知ってる人からすれば相手にするまでもなかったに違いない。
「そういう意味じゃ俺は別に一年生に自分が男だと隠すつもりはなかったんだよ。でも俺が知らない間に箝口令を敷いた連中がいてね」
「わ、私は悪くないですよ! 私だって上級生の女子たちに脅されたんですから!」
ギロリと音が聞こえてきそうな目で睨まれ、桧さんは狼狽えながらそう言った。
なるほど。桧さんが古雅先輩のファンクラブのお姉さま方にお話しをされたのは、古雅先輩の正体を知っていたかららしい。
そういう意味では蘇芳くんも古雅先輩の正体は知っていたわけだけれど、お話しはされなかったのかそれとも無視したのか。
私にバレたと分かったときの態度からして、どうせすぐバレると達観していたのかもしれない。
「そのせいで山田さんの相手の仕方に凄い悩んだんだよ。最初は騒動に巻き込まれて傷ついてるのに、挫ける様子もないし素直だし力になってあげようと思ったんだ。でも月島と桧から山田さんが俺を女だと思って慕ってるって聞いて、ようやく俺が男だと一年に知られてないって分かった。いざバラすにしても男だと分かったら軽蔑されると思ったし、でも騙したままやり過ごすのも不誠実な気がするし。本当にどうしようって悩みまくった」
どうやら古雅先輩は古雅先輩で、意図せず私を騙した形になって苦心していたらしい。
そこまで私のことを考えてくれたのは嬉しくもあるけれど、それならもっと驚いて見せた方がよかったのだろうか。
「私は大丈夫です。私が古雅先輩の生き方や在り方を好きになったんですから、性別とかどうでもいいです」
「山田さんたまにぶっ飛んだ発言するよね」
「いや。こいつ割と普段からぶっ飛んでるぞ」
古雅先輩を安心させるための言葉に、桧さんと蘇芳くんがつっこんできた。
桧さんはともかく蘇芳くんは私を何だと思っているのだろう。
「うん。山田さんにそう言われたから、俺も覚悟を決めて話そうと思ったんだ。ありがとう山田さん。こんな俺を好きだと言ってくれて」
そう古雅先輩は言うと、安心したような穏やかな笑みを浮かべた。




