殺された心と死なない思い
男の友情は女と違ってドロドロしていない。
そんな話を聞いたことがある。
「やったか斎木!?」
「おう! 無事に工藤のお姫様を奪還できたぜ!」
「よし! 俺たちはここで足止めする。早く山田さんを工藤の所に!」
私を担いだ男子生徒がやってきたのはグラウンドの端にある体育倉庫。
そしてその周囲に集まっていたのは五人ほどの男子。彼らのやり取りを聞いて、今の状況を大体察した。
恐らくは幼馴染の友人であり、幼馴染の言い分をそのまま信じちゃったのであろう男子生徒たち。
皆いい笑顔でサムズアップしあい強い結束力を感じる。
うん。確かに女と違ってドロドロじゃない爽やかな友情だ。
爽やかに馬鹿だ。
「連れてきたぞ工藤!」
「やっ!?」
体育倉庫の中に入るなり急に肩から降ろされ、私は咄嗟に足を着くことができずそのまま尻餅をつくように転がってしまった。
「……璃音」
「……」
背後からかけられた声に身が竦むような寒気がした。
「……」
「璃音。やっと会えた」
尻餅をついたまま振り向いたそこには、最近顔すら見ていなかった幼馴染の姿があった。
ただその様子は以前に増しておかしかった。
浮かべた笑みは痙攣したみたいに引きつっていて、こちらを見る目は熱に浮かされたみたいに蕩けている。
恋の病に落ちた男。何て素敵なものではなく、刺激したら何をするか分からない変質者。
そんな印象を受ける姿だった。
「あいつら酷いよな。俺と璃音を会わせないように意地悪ばかりして。俺のことを好きになってくれるのは嬉しいけど、俺に必要なのは璃音だけなのに」
「……」
私だけとは、古雅先輩はどうしたんだと聞きたいところだけれど、嫌な予感がして口を開くことはできなかった。
元々人の話を聞かない男だったけれど、今は現実すら捻じ曲げてしまうような危うさを感じる。
以前なら私がいくら反論しても自分のいいように解釈していただろうけれど、今の状況でどういう反応が来るか予想ができない。
俺は間違ってない。間違っているのはおまえだ。などということになりかねない。
「稜さんも稜さんだよ。俺たちの仲に嫉妬して、璃音をいじめるなんて」
「は?」
意味の分からない言葉が聞こえたせいで、ずっと閉じているつもりだった口から低い声が漏れた。
古雅先輩が私をいじめた?
一体何を言っているのだろうかこの男は。
何をどうしたらそんな阿呆らしい誤解をひりだせるのだろうか。
何故こんな塵みたいな男の口から古雅先輩を非難する言葉が出ているのだろうか。
「……乃兎」
「何? 璃音」
服に付いた埃を払い立ち上がりながら名前を呼ぶと、幼馴染は犬みたいに嬉しそうに笑みを浮かべた。
その名前が嫌いだった。
強引に呼べと言われて嫌々口にするたび、呪いみたいにその名前は私の心を汚していった。
その名前を呼ぶたびに幼馴染への憎しみが募っていった。
「私は貴方が嫌い。何度そう言えば理解するの?」
おまえが嫌いだと何度口にしただろう。
初めは怒りと共に吐き出されたはずの言葉は、次第に力を失っていき、そして諦めへと変わった。
その言葉を口にするたびに徒労感に苛まれ、口を開くことすら面倒になった。
「また璃音は。素直じゃないなあ」
「意地はらなくてもいいんだよ山田さん。このままじゃ乃兎に本当に嫌われちゃうよ?」
「というかマジでツンデレかよ」
「……」
幼馴染の返答に、周囲の男子の言葉に、私はスッと自分の心が冷え切って死んでいくような錯覚を覚えた。
そう、こうやっていつも幼馴染は私の言葉を理解しようとしない。
そして周りの自称親友たちは、幼馴染の言い分を信じて無責任に煽り、その妄想を補強していく。
何故自分の好意は受け止められて当たり前だと思えるのだろう。
何故相手が自分を拒絶することを予想できないのだろう。
強く思えばそれを相手が受け止めてくれるなら、私はこの気持ちを隠したりしなくてもよかったのに。
そう、この感覚だ。
古雅先輩に出会うまで、私はずっとこの感覚と付き合ってきた。
自分の言うことが何一つまともに通じなくて、おかしいのは自分なのではと不安になって、狂いそうな自我を守るために心を殺した。
だけど……今はそれ以上にこの男たちに腹が立って仕方がない。
「いい加減にして!」
「え!?」
これまでの苛立ちを乗せて放たれた言葉に、幼馴染が目を丸くするのが目に入った。
きっと幼馴染は私がこんな大声を出したところをほとんど知らない。
私が本気で怒り、殺意すら抱いた姿を見たことがない。
この幼馴染は、私のことをその程度も知らないし見ていない。
「何がツンデレよ馬鹿じゃないの!? アンタたちの妄想を現実世界に持ち出さないでよ気持ち悪い! 大体素直になるも何も、私は物心ついてから一度だってアンタに好意を抱いたことはないし、むしろ殺したいほど憎んでる! 何を言っても自分の都合のいいように捻じ曲げて、そんなに従順な女が欲しいなら人形にでも話しかけてなさいよナルシスト!」
一度口に出したら今までの鬱憤が爆発したように溢れだしてきた。
周囲が呆然とするのにも構わずに、肺の空気を全て出し切るまで罵倒し、私は大きく肩で息をしながら自分の目から涙が零れているのに気付いた。
情けない。悔しい。イラつく。
何で私はこんな奴に自分の生き方を捻じ曲げられなきゃいけないの。
「璃音? 何を言って……」
「寄るな!」
この期に及んでも私の言っていることを理解していない幼馴染の手を、大きな音が鳴る勢いで振り払った。
「……」
それを幼馴染は信じられないものかのように目を見開いて見ていた。
まるで初めて、私が自分を拒絶していることに気付いたみたいに。
「……けるな!?」
「!?」
幼馴染が何か叫ぶと同時、私は後ろに並べられたハードルを巻き込みながら吹っ飛んでいた。
寸前に見えたのは、今まで見たことがないような憎しみに染まった幼馴染の顔と、振りぬかれた手。
殴られたと遅れて理解すると、それに追いつくように殴られた頬と打ち付けた背中が強い痛みに襲われる。
「ちょっ!? 何やってんだ乃兎!」
「馬鹿かおまえ!?」
「と、とりあえず保健室!」
騒ぎ出した男子生徒たちの声が遠く聞こえる。
起き上がりたいのに体は全然言うことを聞いてくれなくて、痛くもなんともないはずの手足にも力が入らない。
「……ッ! ……が……」
「き……」
男子生徒たちがもめている間に、倉庫の外も騒がしくなっていた。
中の様子を見たのだろうか。そんな風にどこか他人事で様子を窺っていると、金属が軋むような音がして倉庫の扉が一気に開いた。
「山田さん! 無事……?」
誰かの必死な声が聞こえて、私は顔だけでもなんとか横を向けて、視線を入口へと向けた。
「古雅……先輩?」
相変わらず目は涙に濡れたままで、視界は水の底にでも居るみたいに揺らいでいる。
それでも、陽の光を背にして立つ銀色の髪のその人が、私の大好きな人だと分かってホッとすると同時に恥ずかしくなった。
今の私は顔は涙でぐちゃぐちゃで、殴られた頬は痣になっているかもしれない。
倒れたハードルの山の中に埋もれる姿は埃塗れで、カッコ悪いったらありゃしない。
「……おまえら何やってんだ?」
そんな私を見た古雅先輩は、今まで聞いたことがない低くドスのきいた声で言うと、倉庫の中に居た男子生徒たちに躍りかかった。
「ゴッ!?」
「ぎぃ!」
「うわああああッ!?」
そして一瞬で床に沈む三人の男子生徒。
「……え?」
何が起きたのか分からなかった。
いや、冷静に振り返れば揺らぐ視界の中でも辛うじて見えてはいた。
まず古雅先輩は倉庫の中へ踏み込んできた勢いのまま右手で正面の男子生徒の顔を殴り、続いて左のローキックを右隣にいた男子生徒のふとももに叩き込み、そして最後の男子生徒は何かよく分からないうちに吹っ飛んで倉庫の外まで転がっていった。
冷静に振り返っても意味が分からなかった。
恐らく最後の男子生徒は足が不自然に上がっていたので投げられたのだろうけれど、古雅先輩がその男子生徒に手を伸ばした様子がまったくなかった。
正に素人には何をしたのか分からないほどの瞬殺。
意図的に残されたのであろう幼馴染も顔を青くして立ち竦んでいる。
どうやら蘇芳くんに全面降伏したのと同様、古雅先輩は自分にはどうにもできない格上だと今更理解したらしい。
食堂全体を揺らす蹴りを見た時点で理解できなかったのかと思うけれど、そこは幼馴染なので仕方ない。
「ふふ。我ながら甘すぎたかなあ。ここまで考えなしだとは思わなかったからなあ」
そして引き続きドスのきいた声で言いながら、ゆっくりと幼馴染に近づく古雅先輩。
一方の幼馴染は完全に足が竦んでしまったらしく、刑の執行を待つ囚人のように絶望に染まった顔で体をがくがくと震わせている。
「色々言いたいけど、おまえ言っても理解しないもんなあ。ならこうするしかないよなあ!」
「ごほぉっ!?」
古雅先輩の拳が横っ面に突き刺さり、幼馴染は独楽みたいに回転しながら吹っ飛んだ。
「ぐへっ!?」
そしてそのまま倉庫の壁にぶつかり、べちゃりと床に倒れ込む幼馴染。
ピクピクと痙攣しているので生きてはいるらしい。死んでも痙攣はするらしいけれど、きっと生きているに違いない。そういうことにしておこう。
「山田さん大丈夫!?」
幼馴染が倒れたのを確認すると、古雅先輩は私に走り寄ってきて動かない上体を抱き上げてくれた。
ああ古雅先輩に埃ついちゃうなあ。
「……ごめんなさい」
「何で謝るの!? 山田さんは何も悪くないでしょう!」
反射的に出てしまった謝罪の言葉に、古雅先輩は怒りながら取り出したハンカチで私の顔を拭いてくれた。
ああ確かに。私は何も悪くない。
ならこんな時は、別の言葉を言わないと。
「……ありがとうございます古雅先輩。大好きです」
「ええ。私も山田さんが大好きよ」
何だか余計な言葉が付いて来てしまったけれど、古雅先輩は優しく微笑んで私を抱きしめてくれた。
きっとそれは私の抱く恋愛ではなく親愛なのだろうけれど、それでも私は思いが通じたみたいで嬉しかった。
例えこの恋が実らないものだとしても、きっと私は幸せだ。
この人を好きになれてよかったと、本心からそう思えたからのだから。