彼と彼の事情
突如現れた謎の青年。
見た目は穏やかな印象の好青年。だけどそういった上っ面はいくらでも取り繕えるものだということを私は知っている。
けれどこの人がそういう人間だと判断するのは早計だろう。
人付き合いの下手な私がそう都合よく悪人だけを判別できると自惚れてはいない。
だからこれはきっと嫉妬だろう。
古雅先輩と仲のよさそうな男性が現れたから、無意味に警戒してしまっている。
あるいは幼馴染に振り回されたせいで、こういう見かけのいい男に苦手意識ができてしまったのかもしれない。
そういう意味では蘇芳くんは一般的には恐くて近づきがたい人間なのかもしれないけれど、私基準では実にいい男だと思う。
「稜ちゃんの友達かな?」
「この子はうちの学校の後輩です。一年生なので彩月先輩とは入れ替わりになりますね」
「なるほど。なら僕にとっても後輩だね。僕は彩月正人。今年大学に入ったばかりで君たちの学校のOBってことになるね」
「彩月先輩は特に役職は持っていなかったけれど、人脈の広い人だから私が生徒会に入ってからは色々とお世話になったの。成績も優秀でテニスの全国大会に出場経験もある。文武両道の尊敬できる人よ」
「いやー、稜ちゃんにそう言われると照れるね」
忌憚なく褒め言葉を並べる古雅先輩と、嬉しそうな彩月さん。
しかし彩月さんは笑顔のまま古雅さんの肩や顔に触れようと手を伸ばし、古雅先輩は微笑みを浮かべたままそれを叩き落としている。
……この二人仲がいいの悪いの?
どっち?
「ちなみに彩月先輩は殴られると喜ぶ変態だから、山田さんはまともに相手しちゃだめよ」
「はっはっは。痛い。愛が痛い」
執拗な追撃に痺れを切らしたのか、右手を伸ばし彩月さんの顔をアイアンクローで持ち上げる古雅先輩と、痛いと言いながらも嬉しそうな声色の彩月さん。
わーやっぱり変態かあ。
この世にまともな美形って存在しないのかなあ。
「ふ……僕が稜ちゃんの愛の奴隷なのは否定する必要のない事実だけど、一つだけ誤解があるようだ」
こめかみを責められ大人しくなった彩月さんだったけれど、解放されるなり笑顔のまま話し始める。
まったくダメージになっていないらしい。凄い。この人は真正のマゾだ。
「僕が責め立てられて嬉しいのは稜ちゃんだけだ! 他の女の子に責められるのは普通に拷問だね!」
「……」
真顔で彩月さんが宣言し、古雅先輩がどこか遠くを見つめて現実逃避する。
それを見て今日は古雅先輩のいろんな顔が見れて嬉しいなと思う私は、自覚はなかったけれどS側の人間だったのかもしれない。
「責められたことあるんですか?」
「ああ。『彩月くんってマゾなんだよね!』と名前も知らない女の子に鞭で叩かれたときは、普通に痛みで失神しそうになったよ」
何それ恐い。
噂を信じて鞭で叩いちゃう女子も恐いけれど、本気で愛だけで古雅先輩の攻撃を快感に変換する変態も恐い。
「別におかしなことじゃないだろう。好きな人に触れられるのは嬉しいけれど、見ず知らずの人間に触れられるのは不快なはずだ。恋人とのキスは甘いものだけれど、嫌いな人間と唇が触れるなんてあってはならないことだ。だから僕が大好きな稜ちゃんに殴られるのが嬉しいのは何もおかしいことじゃない!」
「黙りなさい変態」
「はふんっ!」
握りこぶしで力説する彩月さんを掌底で殴り倒す古雅先輩。
そしてその一撃を受けて嬉しそうに身をよじらせる彩月さん。
凄い。この人無敵だ。
幼馴染とは別のベクトルで関わり合いになりたくないタイプだ。
「はあ……。ともかく彩月先輩は頼れる人だから、山田さんも何か本当に困ったことがあれば頼るといいわ。見ての通り見てくれがいいせいで女性に振り回されて女性不信になってるから、手を出してくる心配もほぼないし」
「え?」
女性不信。その矛盾に私は驚いて二人を交互に見比べてしまった。
「女性不信なのに古雅先輩は平気なんですか?」
思わず聞いてしまったその矛盾は、きっと答えを聞くまでもなく矛盾ではないのだろう。
彩月さんにとって古雅先輩は女性という枠組みにとらわれない特別な存在。
ただそれだけのこと。
そしてそんな彩月さんの好意を、古雅先輩は受け入れているように見える。
先ほどからじゃれあうような応酬を重ねている二人には、遠慮といったものがまったくない。
仲のいい友人関係だという月島先輩との間にすらあった壁のようなものが感じられないのだ。
だから私はそう思ってしまった。
――古雅先輩の思い人とは彩月さんではないのかと。
「ん? ……なるほど。稜ちゃん。ちょっとこの子借りるよ」
「……変なことはしないでくださいね」
「え?」
私の発言をどうとったのか、彩月さんは私の手を取り古雅先輩から距離を取った。
「どうにも誤解があるみたいだね。稜ちゃんも面倒くさいことをしているというか、本家からの命令なのか。まったく馬鹿だけやっていられれば楽なんだけど」
「?」
「ああ、ごめん。こっちの話。さて、僕が何故女性不信なのに稜ちゃんに愛を捧げているかというとだね、稜ちゃんなら絶対に僕に恋愛感情を抱いたりしないからだよ」
「……え?」
言われた言葉の意味が分からなかった。
相手が自分を絶対に好きにならないから好きになれる。
それこそ矛盾であり、まったく理解できない言葉だった。
「僕が女性不信になったのは、まあ僕の優柔不断な性格も一因なんだけど、とにかく僕を好きだと嘯く連中に振り回されたせいなんだ。だから厳密には女性不信というよりも恋愛嫌いかな。僕は僕を好きだと言いながら自分を押し付けてくる女が大っ嫌いだ」
その言葉には憎しみがこもっていた。
先ほどまでの笑顔が嘘みたいに、その目には暗い感情しかなかった。
「だから僕は稜ちゃんが好きなんだ。好きになったきっかけは別だけれど、今も僕が稜ちゃんを好きでいられるのは稜ちゃんが僕を絶対に恋愛対象として見ないから。だから僕は一方的に愛を捧げ続けられる」
「でもそれって……」
報われない。
彩月さんは絶対に自分の思いに古雅先輩が応えてくれないと思っているし、もし応えてくれても逃げるようにその関係を終わらせるだろう。
どうやっても報われない。そんな愛に彩月さんは生きている。
「報われないか。確かに。でもそれは君も同じ覚悟だろう?」
「え?」
「君も稜ちゃんが好きだろう。先輩だからとか、友人としてじゃない、恋心を抱いてる」
「……」
今まで自覚しながらも見ないようにしていたそれを指摘されて、私は何も答えられずただ驚いて彩月さんを見た。
「……どうして?」
「分かったかって? それは僕と君が同じ人を好きになった同士だからだよ」
そう言って親指を立てて見せる彩月さんに戸惑いしかない。
どうしてこの人はそんなに嬉しそうなんだろう。
どうしてこの人は「そんなのおかしい」と私を糾弾しないのだろう。
「おかしいのは僕もだからねえ。むしろ僕の方が断然おかしいね。まったく本当に面倒くさいことになってるなあ」
「……?」
そう言って困ったように笑う彩月さんの言葉の意味が理解できなかった。
一体この人は何を知っているのだろうか。
「ともかく、その思いを大事にしなさい。……きっとその思いは無駄にならないから」
そう優しい笑みを浮かべて言うと、彩月さんは私のそばから離れていった。
意味が分からなかった。
でもその温かい言葉は「自分と同じように報われない恋をしろ」と言っているわけではないように思えた。
――まるで私のこの恋が、いつか報われると知っているみたいに。
「大丈夫山田さん?」
「あ、はい。大丈夫です」
「一体何を吹き込んだんですか彩月先輩?」
「ああ、痛い! 愛が痛いよ稜ちゃん!」
私の様子がおかしいことに気付き彩月さんの手を捻りあげる古雅先輩と、嬉しそうに悲鳴を上げる彩月さん。
私はこのまま古雅先輩のことを好きでいていいのだろうか?
その答えが出るときが少しずつ近づいていた。