彼と彼女の関係
人間関係というものは案外簡単に変わってしまうものなのだなと思った。
「ほらほら、見てこれ。可愛いっしょ」
そう言いながら桐生さんが見せてきたのは、可愛らしいネズミっぽいキャラクターの顔が描かれたお弁当。
いわゆるキャラ弁というもので確かに可愛らしいけれど、何というか桐生さんのキャラには合わないお弁当だった。
「ママがこういうのが好きでさー。よく作ってくれるんだ」
「凄いお母さんだね」
桐生さんにそう返すと「でしょ!」と得意げに笑って見せる。
意外と言っては失礼かもしれないけれど、反抗期というわけでもなくお母さん子らしい。
私たちが今お昼を食べているのは、本来なら部外者立ち入り禁止の生徒会室。
何故ここかと言えば、幼馴染とその関係者が鬱陶しいからとしか言いようがない。
桐生さんが味方になったことで、少しだけだが女子の反応にも変化があった。
まず私が幼馴染を好いていないどころか、むしろ嫌っているということが広まった。これは幼馴染の行動のアレっぷりに幻滅した桐生さんと、その友人たちが積極的に広めたらしい。
そしてその結果。さりげなくではあるが私と幼馴染が出会わないように妨害する女子が増えた。
これは単に私が可哀想だと思った良識派と、幼馴染が好きだから私が邪魔な勢力の思惑が一致した結果らしい。
そしてそれによる幼馴染の反応。
「誰かが俺と璃音の仲に嫉妬して引き裂こうとしている!」
後半はあってるけど前半は激しく間違っている。
というか古雅先輩と話していたときは所有物扱いだったのに、俺と璃音の仲とはどんな都合のいい仲なのだろうか。
きっと幼馴染は私たちには見えない幸せな世界で生きているに違いない。
そのままその世界から出てこないでくれればありがたいのだけれど、無駄に行動力があるのが幼馴染という人間なわけで。
周囲の情報操作及び物理的な障害を乗り越えて私に迫って来る幼馴染。
私を抱きしめて幼馴染を威嚇する桐生さん。
桧さん曰く、子猫守ってる親猫みたいだった。
どうやら私は桐生さんに完全に保護対象として認識されたらしい。
最初の出会いはあんなだったのに、桐生さんの中でどんな化学反応が起きたのだろうか。
少なくとも殴り合って友情が芽生えるような属性は私にはないはずなのだけれど。
そして何か紆余曲折あった後に、騒ぎを見かねた藤絵先輩が爆発し、古雅先輩によって私たちは生徒会室に保護された。
本当に古雅先輩には頭が上がらない。
「そういえば副会長は彼氏とかいないんですか? 工藤のことあっさりふってたけど」
「!?」
そうして大人しく生徒会室でお弁当を食べていたのだけれど、不意に桐生さんが古雅先輩に向けてそんなことを聞き出した。
脈絡のないそれに、箸でつまんでいたウィンナーがご飯の上にポトリと落ちた。
いや、落ち着こう私。
古雅先輩は家の都合で下手な人間とは付き合えないと言っていた。
つまり現時点で恋人の類はいないはず。
「……え? ……あら? ……ああ。一年生にはまだ広まってないのね。私は」
「すとーっぷ!」
桐生さんの質問に何やら不思議そうな顔をし、合点がいったとばかりに口を開く古雅先輩。
そんな古雅先輩を、それまで静かにご飯を食べていた桧さんが引きずるように部屋の隅まで持って行った。
「……今さらりと爆弾投下しようとしましたよね?」
「え? 爆弾って、二、三年生はほぼ全員知ってることよ?」
「何で『ほぼ』なんですか!? 何やってんですかアンタ!?」
「な、何で怒られるの私?」
怒涛といった勢いで声をあげる桧さんと、珍しく本気で困惑している様子の古雅先輩。
そんな古雅先輩も可愛くて素敵です。でも何を言うつもりだったのか気になります。
もしかして古雅先輩には既に恋人や婚約者といった存在がいるのだろうか。
むしろ本家とやらに人生のレールを敷かれている古雅先輩なら、居ない方がおかしいのかもしれない。
自分が古雅先輩の恋人に……何てのは無理だと分かっている。
確かに古雅先輩のことは好きだけれど、それが一般的でないことは自覚しているし、そもそも年上で素敵な女性への憧れをそういうものだと勘違いしているのではと冷静に考えている自分も居る。
しかしそれは置いておくとしても、古雅先輩に婚約者がいるならばどんな人か気になる。
誠実な人なのか。古雅先輩を幸せにしてくれる人なのか。
万が一幼馴染のようなクズならば、古雅先輩のために沈することも考えなければならない。
東京湾あたりに。
「山田さん大丈夫! 古雅さんは彼氏いないし永遠の処女だから!」
「……そこはせめて乙女と言いなさい」
私に向けて輝くような笑顔で宣言する桧さんと、呆れたようにため息をつきながら窘める古雅先輩。
バレバレすぎて逆に清々しかった。
そうか。古雅先輩にはいい人がいるのか。
そう認識すると、仕方ないことだと分かっているのに胸が締め付けられたように痛んだ。
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「あれでよかったのかしら」
もう間もなく午後の授業が始まろうかという時間帯。
生徒会室に残っていた古雅は、綺麗な眉を歪めながら言った。
「むしろ何であのタイミングで暴露しようと思ったんですか」
そんな古雅に、同じく生徒会室に残っていた桧が呆れたように言う。
「古雅さん実感ないかもしれないけど、山田さんマジで古雅さんに惚れこんでますからね」
「なら尚更早めに言っておいた方がよくないかしら」
「そうもいかないんですよ。今の山田さんは古雅さんが心の支えになってる部分もあるんですから、せめてあの幼馴染の問題が片付くまでは素敵な先輩でいてください」
「あんな素直な子を騙すのは気が滅入るのだけれど」
「まあそれは私も思いますけど」
そう言うと、二人は揃ってため息をついた。
「そういや婚約者さんとは最近どうなんですか? 遊びに行く暇もないっしょ?」
「別にどうもなってないわよ。結婚してもいいかなとは思っているけれど、付き合っているわけではないもの」
「うわー、その感覚分かんねえ。何で好きでもない人と結婚しようと思えるんですか」
特に気負った様子もなく平然と言う古雅に、桧は顔をしかめて嫌そうに言う。
「嫌いなわけではないもの。私にとってあの人は憧れの先輩。だからこそ、一緒に歩くことはできても、恋してる自分なんて想像できないわ」
「えー、まあよく知りもしない人と婚約させられるよりはマシなのか?」
口ではそう言いつつも、やはり納得のいっていない様子の桧に古雅は苦笑する。
実際古雅も自分の感覚が一般的でないことは自覚している。その上で自分は一般人ではないからと諦めたのだ。
「きっと私は本気で恋をしたことがないからあっさり受け入れられるんでしょうね。だから、きっと、このまま恋なんてしない方が幸せなんだわ」
そう言って、古雅はいつものような誰もが見惚れる綺麗な顔で笑った。