ACT.2
まさかあの時の少年に出会おうとは、偶然とは恐ろしいものだ。いや、彼からすれば、僕は見知らぬ他人でしかないだろうが。それでもこの巡り会わせには驚きを禁じ得ない。
無論、同じ町に住む人間としてすれ違うなんて事は起きえる事だとは思っていた。けれども、まさか、この時、この場所で、出会う事になるなど誰が予想できようか。これには、ちょっと運命すら感じてしまうのは、言い過ぎだろうか?
「あのー……」
「え」
一輝少年の呼び掛けにハッとなる。いけない。思考奥深くに没入するところだった。意識を内側から外側に向けると、一輝少年はやや心配そうにこちらを見ていた。
「あの……もしかしてご不快に思われましたか? それだったら謝ります。この人も別に悪気があったわけじゃなくて、ただ単に口が悪いというか、がさつなだけなんで」
「ちょっと一輝! なにしれっと人の悪口言ってくれてんのよ!」
ポカッとカオリン女史が一輝少年の頭を殴る。
「い、いてっ! 何すんだよ、かおりん! 別に殴ることないだろ? 本当の事なんだし」
「あ、あんたねぇ……」
カオリン女史はこめかみに青筋が浮き上がりそうな形相で一輝少年を睨んでいる。このまま放って置くと喧嘩でも始めそうな勢いだ。この辺で落ち着いてもらわないと。
「あ、いや、私は何も気にしてませんので」
「そ、そうですか……?」
一輝少年はこちらの言葉を言葉通りに受け取れなかったのか、不安げに尋ねてくる。
「ええ。ですから、そちらもお気になさらないでください。こちらもジロジロと見てしまってすみませんでした。知り合いに似ていたので、つい……」
「ほらみなさい。あんたの余計な杞憂よ、一輝。あんた、まだ大学生の癖に余計な気遣いが多いのよ。そんなんじゃあ、将来、禿げるわよ?」
「は、禿げ……」
カオリン女史の指摘に一輝少年は石のように固まる。その直後、余程ショックだったのかガックリと項垂れてしまった。僕はそれを見て苦笑するしかない。
まだ出会ってほんの少しだが、これまでのこの二人のやり取りを見ている限り面白い人たちだ。そして、決して悪い人間ではないように思える。きっと普段の僕なら、この一輝少年とは男同士の交流を、カオリン女史には積極的なアタックを試みるところなんだろうけど、それはできない。この一輝少年と僕が関係を持つ事は、僕の雇い主の意思に反する行為になる。彼は、あの家から遠ざけられた存在だから。
故に、僕がこれから取る行動は決まっている。彼らとの接触を極力持たないようにして、この邸宅から去る。それが正しい行動だ。
行動方針は決まったので、それに準じて彼らから視線を切る。すると、まるで見計らったように部屋の扉が開き、メイドの亜美さんが入ってきた。その表情はここから出て行った時以上に不安げだ。
「真藤様、大変申し訳ございませんが、やはり旦那様は、今はお会いになれないとこの事です。ご夕食後までお待ちいただけないでしょうか?」
「はあ!? 夕食までって……この時間と場所を指定してきたそっちなのよ!」
「そ、それは大変申し訳なく思っております。旦那様に代わり心からの謝罪を。ですが、現在、旦那様は緊急の用件のため手が放せないとのことで……」
頭を何度も下げ謝る亜美さん。使用人の彼女が何もそこまでしなくてもと思うが……。
それにしても、先程の会話から察するに、この真藤姉弟(仮)も、ここの当主、朝倉英介に呼ばれて来たようだ。……待った、それってまさか……。
「そっちの都合なんて知らないわよ! 緊急って言うなら、こっちの方がよっぽど緊急でしょう!? 貴女だって分かってるんでしょう? ここの当主は――」
「ダメだ、かおりん!」
カオリン女史が怒りに任せて何かを言い掛けようとした時、一輝少年が声を張り上げた。それに彼女はハッとなって手で口を押さえた後、ちらりとこちらを見た。どうやら、部外者である僕には聞かれてはならない事を口走りそうになったと見える。
「と、とにかく! 今すぐ朝倉英介に会わせて!」
「で、ですが……」
「騒がしいわね。廊下まで声が漏れているわよ?」
唐突に第三者の女性の声が部屋のドアの方から聞こえてくる。僕も含め皆が一斉にそちらに目を向ける。そこには、見た目が三十代後半くらいの女性が立っていた。
女性は、一目で金持ちだと分かる装いをしていた。ブランドもの服に身を包み、指や手首、首回りには宝石類が輝いている。顔は……まあ、僕の好みじゃないので言及はしない。
「お、奥様……!」
予想外の人物の登場だったのか、亜美さんは女性の姿を見て驚き戸惑いつつ奥様と呼んだ。
奥様……だって? それじゃあ、この人が朝倉英介の妻? いや、それにしては若すぎる。朝倉英介の歳は六十目前。この女性はどう高く見ても四十手前だ。三十代の息子がいるとは到底考えられない。
「これは一体何の騒ぎなの? 亜美さん」
「あ、はい……実は――」
亜美さんは夫人に説明を求められ、ことの事態を彼女に話していく。その過程で、夫人の表情がどんどん険しいものへと変わっていくので、亜美さんも話を進めていくほど声が尻すぼみしていく。
「と、言う訳でして……」
「……話は分かりました。こんな日なのに、全く以って不愉快極まりない話ね?」
夫人は溜息と共に嫌みのように吐き捨てる。それに亜美さんはビクッと身を硬直させた。
「も、申し訳ありません!」
亜美さんは頭を下げて平謝りする。さっきから彼女は謝ってばかりだ。そんな彼女を見て、夫人は深い溜息を吐いた。
「いいえ、今のは私が悪かったわ。貴女には何の落ち度もないものね。どう聞いても、今回悪いのはあの人なんだから。恥ずかしいことにね」
夫人はそう呟くと、険しい顔つきのまま僕と真藤一行に正対した。
「夫の非礼は、妻である私が謝ります。お客様にはご不快な思いさせてしまい、大変お申し訳ございません」
彼女はそう言うと深々と頭を下げた。流石は大企業の社長夫人だ。ブランドものや宝石類で着飾っていても、礼節を重んじているのだろう。
「あ、いや、何もそこまで……僕は別に待つつもりでいましたし……」
「あ、あああ、あたしだって、別に待っててもいいかなーって思ってたところだったわよ?」
分が悪いと思ったのか、それとも彼女の潔さに自身の行いを恥ずかしく思ったのか、カオリン女史は掌を返す。
「よく言うよ。今すぐ会わせろって迫ってたくせに……」
「馬鹿、子供は黙ってなさい!」
「あいたっ!」
ポカリと頭をぶたれる一輝少年。理不尽、とも思えるが、今のは彼の思慮の足りない言動によるものなので、同情の余地はあまりない。
「ま、まあ、こっちもそちらの都合も考えずに言い過ぎたかもね。ええ、大丈夫よ。夕食後、までね。それまで待つわ」
カオリン女史がそう言うと、夫人は頭をサッと上げて、まるで少女のような明るい表情を見せる。
「お客様にそう言って頂けると助かりますわ。実はあの人、結構気難しい所があるから、一度言い出すと聞かないの。本当は、今直ぐにでも用件を済ませてお帰りなってもらいたいところだけど、あの人が待てというなら、待ってもらうしかないのよ、ごめんなさいね?」
「……」
全員が夫人の発言に絶句した。いまのは、「本当はさっさと帰ってもらいたい」と受け取られても仕方ない発言だ。悪気はないのかもしれないが、先程の礼節ある対応とはまるで正反対。もしかすると、謝罪を受け取ってもらって、自分の役目は果たしたと思っているのかもしれない。
「でも、そうね……折角待ってもらって、何のもてなしもしないなんて、失礼よね。……そうだわ! だったら、お客人にもパーティーに参加してもらいしょう!」
「パーティー……?」
「え……お、奥様……?」
突然飛び出した夫人の提案、それに僕も真藤一行も意味が分からず戸惑う。亜美さんもやや困惑気味だ。それを察してなのかそうでないのか、彼女は勝手に説明し始めた。
「今日は私の誕生日なの。あの人が企画してくれて家族だけのパーティーをしようって言ってくれてたんだけど、実を言うとね、家族だけなんて面白くないって思っていたところなのよ。だから、あなた方にも参加してもらおうと思って。悪い話ではないでしょう? 大企業の社長夫人の誕生パーティーに出席できるんだもん」
勝手に話を進めた上に、身勝手な価値観を押し付けてくる社長夫人。礼節があると感心していたが、どうやら間違いだったようだ。彼女には、礼節はあれど、常識がない。
ちらりと真藤一行の方を見る。その視線に気付いたカオリン女史は、諦めたように肩をすくめて苦笑した。どうやら、向こうの提案を受け入れるようだ。賢い選択だ。ここで固辞して向こうの反感を買うのは得策ではない。
「分かりました。喜んで出席させて頂きます」
「ええ、折角の申し出だし、私達も出席させてもらうわ」
「まあっ! そう言ってもらえて嬉しいわ!」
夫人は我々の回答に満足して満面の笑みを零す。
「それじゃあ、亜美さん。お客様の分の準備もお願いね?」
「は、はい……かしこまり、ました」
少しだけ亜美さんの顔が引き攣っている。どうやら彼女の仕事が増えてしまったらしい。
「それではお客人方、後程パーティーでお会いしましょう!」
そう言い残して、意気揚々と夫人は応接室から退出していく。それを亜美さんはお辞儀をして見送った。
「……はあ」
夫人の姿が見えなくなると、全員が一斉に大きな溜息を吐いた。無論、その意味合いは等しく同じであるはずだ。
「すみません、皆さん。余計なことに巻き込んでしまって……」
亜美さんが申し訳なさそうに頭を下げる。本当にこの人は謝ってばかりだ。
「いいのよ、別に。それに、こうなったのは貴女が悪いわけじゃないんだから」
「そうだね。かおりんが騒ぎ立てなきゃ、パーティーなんてものに出なくて済んだわけだから」
「むぅ! 一輝、あんたいつも一言多いのよ!」
カオリン女史はポカリとまたもや一輝少年の頭を殴る。同情はできない。
「そ、それにしても、随分お若いご夫人でしたね? 確か、英介さんはもう六十間近だった思うのですが……」
「あ、ああ……それは、現在の奥様――凛子様は、二人目、なんです。旦那様は二年前にご再婚されているのです」
僕の疑問に亜美さんは迷いなく答えてくれた。
「再婚? 離婚、されたのですか?」
「いいえ。前の奥様は……その、亡くなられた、と聞いています。確か、七年前にだったかと。私が来る前の事なので詳しくは分かりませんが」
「そうなんですか……」
つまり前妻の死後から五年後に再婚したわけか。再婚するには早過ぎるとも思うが、それは当人たちの問題なので、外野がとやかく言う事ではない。言うとするならば、夫婦の年齢差の方だろう。
「ち、因みに、凛子さんの年齢なんて訊いてもいいですか?」
「……ええっと、年齢はお教えできませんが、旦那様とは二十五歳差、です」
こちらの意図をくみ取った亜美さんが年齢差だけを教えてくれた。もはや犯罪レベルだ!
「なにそれ! ほとんど犯罪じゃん!」
心の中で叫んでいた事を見事に声に出して叫ぶカオリン女史。少しは自重してもらいたいものである。
「あ、ははは……道理でお若いわけですね。息子さんの歳の割りに奥さんが若いのでおかしいなとは思ったのですが、そういう訳でしたか。それじゃあ、他のご子息も前妻との間の子供なんですね」
「え? そ、それは……」
それは、ご夫人の年齢の話題から息子達の話題へと変えてみようと思ってなんとなく口にしただけだった。だが、亜美さんはその質問に気まずそうに言葉を詰まらせる。何か、訊いてはいけない事だったろうか?
「あ、いけない! そろそろ夕食の準備をしないと!」
亜美さんはわざとらしく声を張り上げて話題を打ち切った。
「すみませんが、ここで失礼致します。夕食の支度が整いましたらお呼びに参りますので」
亜美さんは僕達にお辞儀をしてから急ぐようにして応接室を出て行こう――と、ドア開けて部屋から出る直前に彼女はこちらに振り向いた。
「間島様? 話し相手が欲しいのでしたら、折角ですし、お客様同士で交流を持たれたらと思います。私なんかと話しても詰まらないだけだと思いますから」
彼女は笑顔でそう言うと、今度こそ部屋から出て、再度こちら向かってお辞儀をしてからドアを閉めた。
あれって、真藤一行が来る前に話し相手なって欲しいってお願いした事への返答と言う事だろうか……。と、言う事はだよ? もしかして僕、フラれたあああああっ!?
ガックリと肩を落とす。あの様子では、脈なし、なんだろう。残念無念。
「どうしたんだろう、あの人……急に落ち込んで」
「さあ? 知らないわよ。大方、あのメイドさんにフラれでもしたんじゃないの」
グサリと言葉のナイフが心に刺さる。小声での真藤一行の会話、聞えていないつもりなのだろうが、しっかりと聞えている。それにしも、何故分かったのか。
「……き、聞えてますよ」
「あら、そうだったの? それは、ごめんなさい」
まったく誠意の籠ってないカオリン女史の謝罪。亜美さんとは大違いだ。顔は好みなんだけど、性格はどうも難がありそうだ。まあ、こういう気の強い女性がどストライクなわけだけど。
「……なによ?」
「あ、いえ……」
いけないいけない。ジッと見ていては変に思われてしまう。ここは普通にしてないと。
「あ、あのー……」
今度は一輝少年が話し掛けてきた。なんだろうか? なるべく彼との接触は控えたいのだが。
「な、何かな?」
「良かったら、自己紹介しませんか?」
「自己紹介?」
「ええ。折角夕食も一緒に頂くことになりましたし、お互いの名前を知らないのも寂しいじゃないですか」
「えー! 一輝、それ本気で言っての?」
非難めいた声を上げるカオリン女史。彼女の非難には同意できないが、かと言って一輝少年の提案に乗るのも僕としては避けたい。けれど、ここで拒否してしまう方が不自然と言うものだ。
「……そうだね。いいよ」
「ありがとうございます!」
一輝少年は無垢の笑顔を向けてくる。どうやら、彼のしてきた提案自体には特に他意はないようだ。まあ、単なる自己紹介だ。こっちの職業を黙っておけば問題ないだろう。
「それじゃあ、僕の方からでいいかな。僕の名前は間島新一。そうは見えないかもしれないけど、しがないサラリーマンだよ」
「ふぅん、確かにサラリーマンって感じじゃないのに意外ね。ところで、歳は幾つなの?」
「え? 二十七、ですけど?」
「あ、やっぱり年下だったのね。じゃあ、やっぱりタメでいいわよね?」
「え、ええ。と言う事はやっぱりそちらは年上だったんですね」
「やっぱりとは何よ、やっぱりとは!」
「い、いえ……特に他意はありません……」
うん、この女性には言葉を選んだ方がいいようだ。余計な一言は自分に返ってくることになる。
「やめなよ、かおりん。それじゃあ、次は僕の方から。僕の名前は真藤一輝。大学生です。宜しくお願いします」
「う、うん、よろしく……」
女性の方とは違って一輝少年は礼儀を知っているようだ。きっと彼となら普通に会話が弾むだろう。まあ、一番関わり合いたくない人物なんだけど。
「ほら、次はかおりんだよ」
「はあ……仕方ないわね。私は、真藤香里。職業は……公務員よ」
なるほど、香里だから『かおりん』というわけか。それにしても今の自己紹介は……。
「へえ……公務員、ですか」
「なによ、文句ある?」
「い、いえ」
公務員というものには色々ある。身近なところでは、学校の先生や役所の職員、そして、警察官だ。
彼女は公務員であることを明かしたが、具体的な職業の明言を避けた節がある。もしかすると、僕同様、知られてはいけない理由があるのかもしれない。ただ単に、言いたくなかったから言わなかっただけかもしれないが……。まあ、その辺はさして気にすることではないだろう。それよりも訊いておきたい事が他にある。
「お二人は、ご姉弟なんですか?」
「違うわ。この隣のお節介焼きのバカは、従弟よ」
「お節介焼きのバカとは随分な言いぐさだね、かおりん!」
「本当の事でしょう。特にあんたの場合は、バカぐらい付けておいた方が丁度いいわ。自覚がないみたいだから」
「なんだよそれ……?」
意味不明と言わんばかりに怪訝そうな表情を浮かべる一輝少年。対して、香里さんは、その一輝少年の表情を見て呆れていた。
「と、ところで、お二人も朝倉英介さんに会いに来たんですよね?」
「ええ、そうよ。そう言うそっちもそうなんでしょう?」
「ええ。午後三時にこの場所を指定されたので、約束通りに来たんですが、どうやら色々と段取りが狂っちゃったみたいですね」
「待った。午後三時、ですって?」
「ええ、そうですよ」
僕の返答に香織さんはムッとした表情になる。その横で一輝少年は、難しい顔をしていた。
「あの腐れ社長、そういう事ね!」
「ど、どうしました?」
「ダブルブッキングよ! あの社長、私達にも同じ時間を指定してたの。大方、約束が入ってる事も忘れて、予定を入れちゃったんでしょ。それに気づいて、具合悪くて苦し紛れに夕食が終わるまで待てって言い出したに決まってるわ!」
なるほど。やっぱり彼らも同じ時間を指定されていたのか。彼女の言う通り、ダブルブッキングしていた事は確かのようだ。けれど、その推理には間違いがある。
「いや、それは――」
「それは違うと思うよ、かおりん」
僕が間違いを指摘しようとする前に一輝少年が否定の言葉を口にした。
「なによ? 何が違うって言うの、一輝」
「夕食が終わるまでって点だよ。ダブルブッキングしていた事は確かだけど、そもそも夕食後まで二組とも待たせる理由がないよ。ダブルブッキングが判明した時点で、どっちかに謝って待ってもらえばいいだけなんだから」
「そ、それは……あれよ、大企業の社長っていうプライドが許さなかったのよ。ダブルブッキングしちゃったってことにね」
香里さんの言う事には一見筋が通っているように思える。だが、それは苦しい言い訳だ。
「社長だからこそ、それはないと思うよ。大企業の社長になる人なら、物事の優先順位が付けられない人じゃないはずだ。三時に呼んでおいて、夕食後まで後回しにするなんて、どう考えても理にかなってない。それに、朝倉商事にとって僕らはそれほど重要な相手じゃないから、そんな体面なんて気にする必要がそもそもないよ」
僕が思っていた事とほぼ同じことを一輝少年が代弁してくれた。中々どうして。彼は頭が切れるらしい。いや、だからこそ、あの事件にも深いところで関わる羽目になったのかもしれない。
「それじゃあ、何よ? あの社長は本当に緊急の用件があって、手が放せないってわけ?」
「まあ、そう考えるのが自然だけど……」
一輝少年は肯定を口にしながらも、腑に落ちない顔をしている。きっと、自分でも納得がいかないのだろう。
もう少し彼の推理を聞いていたいとも思ったが、自分も関わっている事なので黙っているのも良くない。そろそろ、大本を正すべきだろう。
「もう一つ考えられるんじゃないかな?」
「え……?」
僕が突然発言したものだから、二人ともびっくりしてこちらに視線を向けてきた。
「もう一つ、ですか……?」
「うん。社長は最初から僕らを夕食後まで待たせるつもりだった」
「そ、それって……」
一輝少年はハッとした表情に変わる。どうやら僕の言わんとすることが分かったらしい。
「そ。彼は、意図的にダブルブッキングさせたんだよ。僕達を夕食に参加させるためにね。そう考える方が自然じゃないかい?」
「そう、ですね。言われてみれば、そうかもしれません」
「まあ、どうして午後三時を指定したのかとか、何を目的にそんな事をしているのかは分からないけどね」
「そうですね……」
一輝少年は再び難しい顔をして考え込む。
一番重要な部分は謎のまま。けれど、こればっかりは現状の材料だけでは分かりようがない。
「ま、その辺は本人に訊けばいいじゃない?」
悩む一輝少年を尻目に香里さんがあっけらかんと言い放った。
「本人って……その本人に会えないから困ってるんじゃないか、かおりん」
「何言ってのよ、一輝。会えるじゃない。夕食になれば、その本人も姿を現すわけでしょう?」
「あ、そうか」
当たり前の事に気付く一輝少年。そうなのだ。夕食になれば朝倉英介は現れる。そこで謎は明らかになる。
「その時に、しっかりと本人の口から言い訳を聴かせてもらいましょう」
そう言う香里さんは、不敵な笑みを零していた。それが少しだけ恐ろしいと思ったのは、きっと僕だけじゃない。