孤高の聖夜(表)
2013年 12月20日 金曜日。もうすぐクリスマスが訪れようとしていたこの時、俺の住む町、如月町には再び不穏な空気が流れようとしていた。
この日の夜、街の片隅である事件が起きる。
俺がその事件の詳細を知ったのは次の日の朝、テレビを見てだった。
『被害者の遺体はバラバラに切断されており、一年前の連続猟奇殺人事件と何らかの関係があるものと警察は――』
は――? 一年前の連続猟奇殺人事件、だって?
朝食を摂っていたその手は止まり、手から箸が零れ落ちる。
奴が――戻ってきた?
『しかし、何故今になってまた現れたのでしょうか? 確か、昨年の今頃でしたよね? 猟奇事件が始まったのは? それから短期間の間に犯行を何度も犯し、姿を消したにも関わらず、またこの時期に現れたのには何か目的があるのでしょうか?』
『こういう輩には〝目的〟なんて高尚なもの持ち合わせていませんよ。言うなれば、これは習性みたいものです。奴は殺しを楽しんでいる。そして、それを楽しむのがこの時期と決めてるのでしょう』
テレビからキャスターとコメンテーターの勝手な論評が展開されている。
そんなものはもう耳に入ってはいないが、敢えて言わせてもらえば、キャスターもコンメテーターが言っていることは間違いだ。
これはあの殺人鬼と対峙した俺の直感にしかすぎないが、奴にはそんな習性なんてないし、きっと何か目的があったと思う。何故なら、もし本当に殺しを楽しんでいただけなら、今この瞬間に俺が生きているわけがないのだから。
「そんな……奴が……戻ってくるなんて……」
あり得ないことだと思っていた。あの事件以来、俺は奴と出会うことなく、殺人事件もピタリと止まっていた。だから、奴はこの街から去ったのだと思っていた。けれど――。
「かずきー! いつまで食べてるの? 時間は大丈夫なの?」
母親の声に我に返り、時計を見る。そろそろ家を出ないと、学校に間に合わない時間になっていた。
「あ、ああ、もう行くよ!」
まだ朝食の途中だったが、そもそも、あんな事を聞いてしまえば、もう食欲なんてない。俺は落とした箸を広い、食卓に置くと、立ち上が――。
「あれ――?」
立ち上がろうとして、足に力が入らないことに気が付き、俺は椅子から転げ落ちた。
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
母親が慌てて駆け寄ってくる。
「あ、は、はははは。ご、ごめん。ちょっと足を滑らせただけだから」
「滑らせたって……」
母親は心配げな表情を向けてくる。
「だ、大丈夫だよ」
そう言って、俺は立ち上がり、ほらと両手を広げておどけてみせる。
「はぁ……まったくもう! 心配させるんじゃないわよ! 早く支度して学校行きなさい! 今日は終業式でしょ?」
「う、うん。分かったよ!」
俺は母親に急かされ、いそいそと支度をする。
なんて、情けない。あんなニュースを見ただけで、あの事件を思い出して足が震えるなんて……きっと海翔なんかに知られたら笑われる。
支度が終わり、玄関から家を出ようとした時、母親から呼び止められた。
「そうそう、今日は香里ちゃんが帰ってくるそうだから、寄り道せずに早く帰ってきなさい。香里ちゃんも何があっても、すぐに帰ってくることって言ってたわよ?」
「わ、わかったよ」
やれやれ……あの事件以来、母親もかおりんも過保護になったように思える。まぁ、あれだけの事があったんだから、当然と言えば当然なのかもしれない。それに、昨夜の事件も影響してるのだろう。
仕方ない。海翔との約束があったのだが、それはキャンセルして、帰ってくるしかないだろう。
だが、これはある意味チャンスかもしれない。いくら地方に飛ばされたと言っても、かおりんが警視庁の刑事であることは変わらないのだ。今回の事件についても何か知っているかもしれない。
俺はその日、学校が終わると、母親の言いつけ通り、家に直帰した。
「おかえりなさ~い! かずきぃ!!」
帰ってくると、いきなりかおりんが出迎えてくれ――いや、抱き付いてきた。
「うわ! ちょ、かおりん!? ってぇ、酒くさ!! もう飲んでるのかよ!? まだ昼過ぎだぞ!!」
「うっさいわねぇ!! 細かい事気にするんじゃないわよ! 折角、クリスマス休暇取って帰ってきたってのに!!」
「ク、クリスマス休暇って……」
アメリカでもなし、そんなのあるのか? なんて突っ込みを入れると、鉄拳制裁が飛んできそうなのでやめておく。
その後、程よくかおりんの相手をして、かおりんが泥酔し始めた頃を見計らって俺は、事件について聞いてみた。
「はあ!? この街で起きてる事件ですって!? そんなの私が知るわけないでしょ! 今はこの町の担当じゃなんだから」
「で、ですよねぇ」
当てが外れた。この人はそれ程真面目(刑事としては当たり前だが)な刑事ではなかった。
「あんたねぇ……それもこれも、あんたのせいだってわかってんでしょうねぇ!」
「え……いや、だって……」
それを言われると非常につらいのだが……。
「いいわ! 今日はトコトン付き合ってもらうからね!」
かおりんはビール瓶を持って、こちらに迫ってくる。
「ひ、ひいぃぃぃ! や、やめてくれぇ!!」
結局その日、俺は日付が変わるまで、かおりんに付き合わされる羽目になった。
12月25日 水曜日。
今日はクリスマスだ。とは言え、ほとんどのイベントが昨日のうちに、クリスマス・イヴのうちに終わっているわけなのだが。
そんなクリスマスの日に、俺は冬季補習のため、如月学園に来ていた。なんたって、俺は受験生なのだ。年明けには受験が待っている。クリスマスなんてイベントを謳歌できる余裕など今の俺にはない。だと言うのに――。
「ま、まじかぁ……」
下駄箱を開けた瞬間、俺はそう漏らしていた。
「どうした一輝? そんな渋い顔して……って! それ、お前!?」
最悪だ……海翔にこんな現場を押さえられるなんて……。
俺は下駄箱から、一通の封筒を取り出す。所謂、ラブレターというものらしい。
海翔は目を輝かせて、それを見つめている。
「で、どうすんだ? 返事、するのか?」
もう、ウキウキとワクワクとなんて単語が聴こえてきそうなほど、海翔は興味津々だ。もう、何を言っても、きっとこいつはどこまでも付いてくるのだろう。
手紙にはこう書かれていた。
『補習の後、体育館裏でお待ちしております』
名前は書かれていない。しかもベタ中ベタだ。もう、見るかぎり、どんな言い訳をしようとも、これは……。
「告白決定!!」
なんて海翔の叫び声が教室に木霊して、俺は頭を抱えた。
だが、こうなっては仕方がない。補習が終わったら、ちょっとだけあの事件について調べてみようと思っていたが、それはこの件が片付いてからでいいだろう。
海翔がいるのは余計だが、相手にはちゃんと応えてあげないといけない。まだ、どこの誰かも分からないけど、無視するわけにいかない。
俺の答えは、それが誰なのかを知る前から出ていた。たぶん、その子を目の前にしても、俺の気持ちは変わらないと思う。だって、俺はまだ……。
補習が終わると、俺はすぐに体育館裏に直行した。もちろん、余計なことに海翔もついてきている。なんでも、「物陰から見守っててやるから気にするな」だそうだ。
体育館裏に行くと、彼女は佇んでいた。緊張した面持ちで俺を待っていた。
「や、やあ。えっと、君は確か……」
「に、二年の……た、橘理奈です!」
彼女は真っ赤な顔で、俺が名前を思い出す前に名乗った。
橘理奈――確か、以前文化祭の実行委員で一緒になった子だ。如月学園では学年毎に実行委員を選出する。その時、偶々一緒になったのを覚えている。
「あ、あの、真藤先輩!」
「は、はい!」
「き、来てくれ嬉しいです! そ、その……わたし……ぶ、文化祭の実行委員で、い、一緒になった時から……その……えっと……」
確信に触れそうになった時、彼女は言いよどんだ。既にもう泣きそうになっている。無理もない……か。
「大丈夫だよ、ゆっくりでいいから。俺はちゃんと待ってるから」
「――あ、ありがとうございます! やっぱり、やさしいですね? 真藤先輩は……」
「……そんな事、ないよ」
少なくとも、今の俺は誰も守れないし、救えない。誰も守れない優しさなんて、優しさとは違う。
「も、もう大丈夫です! ちゃんと言えます」
彼女はそう言うと、大きく息を吸い込んだ。そして――。
「好きです、真藤先輩! 私と付き合ってください!!」
それははっきりと、誰が聞いても間違えないような、明確な愛の告白だった。
「ありがとう……でも、ごめん。俺は君とは付き合えない」
その言葉に彼女は見る見るうちに、涙眼になっていく。そして、俯いた。
「どうして……ですか?」
「そ、それは……」
理由を聞かれるとは正直思っていなかった。けれど、それは至極当然なことだ。必死な想いで告白したのだ。振られる理由ぐらい知りたいのが当たり前だ。それはもう一年生の時に経験済みなことではないか。
「好きな人が……いるんだ。だから、君とは付き合えない」
そう言うと、彼女はさらに瞳を潤ませる。けれど、彼女は毅然とその口を開く。
「真藤先輩……一つ、お願いを聞いてもらえないですか?」
「え? 何だい?」
「その好きな人の事、教えてください」
「え――」
その質問は、いつかの女生徒にされたものと同じ、そしてそのシチュエーションも。
「その人の事を聞けば、私諦めきれるような気がします。だから……」
橘理奈の姿がいつかの女生徒と重なる。
あの時、俺はなんて答えただろうか? 少なくとも、あの時の女生徒の必至な想いに、誠意に、正直に応えようとしていたと思う。ならば、今の彼女にも誠実に応えなければならない。ちゃんと伝えなければならない。俺のあの人への想いを。
「俺の好きな人は、ちょっと不器用なところもあるけど、強くて優しくて頼りになって……」
気高く、孤高で、だけど――。
「だけど、そんな彼女にも弱くて危ういところもあって……ほっとけ……なくて……」
「し、真藤先輩?」
あれ? 俺、声が……。
「でも……もう、会えなくて……会いたくても……会えなくて。それでも……俺は彼女を忘れなくて……彼女の事がまだ……好きで……だから……」
「真藤先輩!」
「ぁ――」
橘理奈の呼び声に俺は我に返った。俺は知らない内に涙を流していた。
「もう、いいです。真藤先輩の気持ち、分かりましたから」
「ご、ごめん」
「謝らないでください。惨めになっちゃうじゃないですか」
「ご、ごめ……」
ふふふ、と彼女は笑う。それはどこか吹っ切れたような笑顔だった。
「でも、もう会えないってどういうことですか?」
「そ、それは……その人は……一年前に転校しちゃったんだ」
「そう……だったんですか……」
その後、橘理奈は〝その人〟の名前を教えて欲しいと言ってきた。俺は何故そんなことを聞いてくるのかと戸惑いながらも、彼女の真剣な眼差しに押され、名前を教えた。そして――。
「でもですね、真藤先輩? もし、その人にまだ会うことができるなら、真藤先輩はその人と会って、ちゃんとその想いを伝えた方がいいと思います! きっと、その人もそれを待ち望んでいると思いますよ?」
なんて言葉を残して、彼女は去って行った。
まさか、振った相手に励まされるとは思ってもいなかった。
「ありがとう……本当に優しいのは君の方だよ……」
彼女の姿が見えなくなった後、俺もその場を離れようとしたのだが――。
「おいおい! マジかよ!? あんな可愛い子振っちまったのかよ!」
なんて、無神経な言葉を吹っ掛けきた海翔を俺は思いっ切り睨んだ。
「ま、まあ、あれだ……折角だしよ? 気分転換がてら、これからどっか遊びにいかないか?」
「……はぁ……ま、いっか。もうそんな気分でもなくなったしな……」
「??」
海翔は俺の言葉の意味が分からず、不思議そうな顔している。
そんな海翔を尻目に俺は歩き出す。
「おーい! 何してんだ? どっか行くんだろ?」
「あ、ああ!」
俺と海翔は横に並んで歩き出す。なんともクリスマスにしては、男くさくて寂しいクリスマスだ。ま、たまにはそんなクリスマスもあっていいだろう。
事件について調べてみようと思ったのだが、それはやめておくことした。あんな事件、一受験生が関わっていいものじゃない。それに多分、あの事件は……。
次の日、案の定というか、予想通りと言うか、事件は解決していた。
あの殺人事件は一年前の猟奇殺人事件の犯人とはまったくの別人だった。なんでも、クスリをやって頭がイカれてしまった連中の仕業だったらしい。
どういう経緯で捕まったのか、詳しいことは分からないが、何でも犯行現場を警察に押さえられ、現行犯逮捕だったらしい。
結局、一年前の殺人鬼とは何ら関係もなかったようだ。
当たり前か……あの殺人鬼がもし帰ってきたのならば、まず狙うのは俺か、あの人以外にあり得ないのだから……。
結局、俺は何も変わらない、いつもの日常を謳歌する。
俺がまたあの反転した非日常に戻るのは、まだ当分先のことである。