6 ソレは正しい事であるのか
「うん。昨日、無事に着いたよ。ギルドの空き部屋を借りて、そこに泊めてもらうことになって」
『そうか、それはよかった。やっぱり俺もついて行ったほうがよかったかと思って、心配だったんだ』
「大丈夫だよ、そっちも忙しいでしょ? いろいろ心配はあったけど、今のところはなんとかなってるし。まあ、まだ、だいぶ不安だけど」
『そうか。ギルドの人たちとはどうだ? 支部長さんたちには会ったんだろ』
「うん……えっと、まだよくわからないけど、第一印象だけなら、礼さん……支部長さんは優しそうな人で少し安心したかな。副支部長さんは、なんか、なに考えてるのかわからないっていうか、ずっと無表情でちょっと怖いかも」
『あの人は思ってることが顔に出ないタイプらしいから。たしかに、慣れてないと怖いかもしれないな』
「それと、探偵さんにも会ったよ。郁夜さんより、あの人のほうがずっと怖いかな。うん、一番怖い」
『あはは、たしかに。何度か会ったことあるけど、俺も探偵さんはちょっと怖い』
「ギルドでじっとしてろって言われちゃってさ。でも、ずっと部屋にいてもすることがなくて……外も天気が悪くて、いつ雨が降るかわからないし」
『暇だろうなあ。たしか二階に図書室があったはずだから、行ってみたらどうだ?』
「図書室か……うん、探してみるよ」
『なにかあったら、いつでも連絡しろよな』
「ありがとう。お店の手伝い、これからだろ? そろそろ切るね」
『ああ。またな』
ギルドを出てすぐのところにある公衆電話ボックスの中で、僕は小さく息をつく。ロワリアに到着して一日経ち、僕は僕にギルドを紹介したかの友人、柳岸柳季と連絡を取っていたところだ。できることならずっと話していたかったのだが、そういうわけにもいかない。彼の実家は小さな洋菓子店を営んでおり、一人息子の柳季はその手伝いに忙しい。なので話の内容は現状の報告と、ほんの少しの雑談だけに留まり、時間にして十五分もない短い通話であった。
僕のギルド内における行動範囲は、狭いどころかもはや、そんなものはないも同然なほど閉鎖的だった。部外者なのだ。どこも気軽に行ける場所などない。夜になって一度だけ食堂に顔を出してみたはいいものの、当然ながら多くの人で賑わっていたため、とてもではないが立ち入る勇気が持てず、結局、食事は外で済ませた。食堂を去る際にギルド員と思しき少年たちに声をかけられたのだが、焦りと緊張でまともな受け答えもできず、どうにかこうにか逃げ出す始末だ。
迂闊に出歩いてまた声をかけられても、まともに応対できないので結局は相手を困らせてしまうことになる。なので、できるだけ部屋に閉じこもっているつもりだったのだが、あの部屋でできることといえば、寝るか、シャワーを浴びるか、ぼんやり虚空を見つめることくらいのもの。昨日の半日だけで、すぐに音をあげた。自分の置かれた状況を考えると少々不謹慎な気もするが、退屈で仕方ないのだ。天気が怪しいというのも理由のひとつだが、あまり長時間外にいるのもためらわれた。
昨日、僕を客室まで案内する間に郁夜が言っていたのことなのだが、このギルドは一階には食堂や共有の大風呂や倉庫などがあり、二階は司令室や応接室、探偵事務所など、客人を通すための部屋がほとんどで、それより上の階はギルド員たちの寮になっているらしい。部外者である僕は立ち入り禁止――というわけでもなく、なのでギルド員の誰かしらと仲良くなって時間をつぶすのもいいだろう、とのことだ。しかし、ギルド員たちはフレンドリーな人が多く、そのへんに突っ立っているだけでも声をかけられ、そのまましばらく解放してもらえないほどだという。であれば、僕のような男にはハードルが高すぎる。こういうとき、僕は己の性格の暗いことを自覚する。探偵は僕を陰鬱と称したが、まさにそのとおりなのだ。
司令室の扉は開けっ放しだった。そっと中を覗いてみると、奥のデスクで礼が書類と向き合っているのが見える。仕事中らしい。用があるといっても、図書室の場所を聞きに来ただけなのだ。邪魔をしてはいけない。図書室は二階にあると柳季も言っていたので、またひとつひとつ扉を確認していけば、一人でも見つけられるだろう。引き返そうと一歩後ろに下がったとき、礼が僕の存在に気付いた。
「春斗くん、どうかした?」
言いながら、礼は一瞬だけ目を細めて僕を見た。礼は眼鏡をかけておらず、目を細めたということは、やはり目が悪いのだろう。
「あ、えっと、お邪魔でしたか?」
仕事中だったのでは、という意味を込めておずおず尋ねると、礼は軽く笑んだ。
「大丈夫だよ。これはそんなに急がないし、特別重要ってわけでもないし」
「そ、そう……ですか」
一旦、会話が途切れる。図書室の場所を教えてもらいに――と思っていたが、そういえば、聞いておきたいことがいくつかあった。なにから聞こうか、沈黙が続くのを恐れた僕は、ろくに考えもまとまらないまま無理矢理に口をこじ開ける。
「あの」
「探偵なら、君の依頼の調査に出ているよ。出かけたのはついさっきだけどね」
「へ? あ……」
急なことで僕はつい、間抜けな声をもらした。偶然だろうか。僕が今まさに問おうとしたことの答えを、問われる前に礼が答えた。だが冷静に考えて見ると、このタイミングで仕事の依頼者が自分のもとへ来れば、それに関することを最初に報告するのは普通のことだ。礼は手元の書類に視線を落としたまま続ける。
「口は悪いし、態度も悪い。でも信用して損をすることはないから、安心して頼るといい。あんなのでも、根はいいやつだからね。腕がいいのもたしかだ。あいつに解けなかった謎がないのも本当。探偵は君に、頼る相手を間違えなかったと言っていたけど、そのとおり、あいつに依頼して正解だよ」
「はあ」
そう言われても、あの高圧的な態度を前に萎縮してしまうのは、次に会った時も変わらないだろう。僕は半信半疑な気持ちのまま、ひとまず納得したように頷いた。彼が言うからには、そうなのかもしれないという気もした。
「それと――」
礼は僕をちらりと見てから、デスクの上の書類をまとめ始める。
「ここ、ロワリア国には、分けて三つの土地があるんだ。東側にはリワンという、昔は国として成り立っていたものの、この国と合併した今は亡き国。そしてここロワリアと、リワンと違って昔からこの国のものだった、ここより少し西側にある、ラウというほんの小さな村」
言いながら、礼は指を三本立てる。突然のことで、なんの話しかもわからないまま、黙って聞く。
「ラウとロワリアの間には森があってね、まあ森と言っても浅くて小さなものだけど。それでも、初めて来た人がなにも知らずに、ぼんやりしていてうっかり迷い込んだら、帰ってくるのに難儀するだろうから、今後はあまり近寄らないほうがいいよ。そう何度も都合よく、現地人に会えるとは限らないからね」
「え――?」
どくり、と心臓が跳ねた。
いや、彼は時間つぶしにこの国をあちこち歩きまわってみることを推奨していた。なので、この国を見てまわるにあたって、昨日伝え忘れていた忠告を今、改めておこなっただけのこと。おかしなことはない。なにもおかしなことはない。親切心からの忠告だ。間が悪く、たまたま僕が運悪く、既にその森に迷い込んでしまったあとだったというだけで、なにもおかしなことは――。
今後はあまり近寄らないほうがいい?
今後は、とはどういうことだ。なぜ、そんな言葉をつける必要がある? いや、そこだけではない。なぜ、既に一度、森に迷い込んだことを前提とした言い回しをするのだ。
「どうして」
僕が森に入ったことを知っている?
なぜ。
そもそも、礼は僕が外に出かけたことすら知らないはず。誰が拭いたものかはわからないが、廊下に落ちた水滴は、郁夜が僕を迎えに来たときには既になくなっていたし、探偵の部屋で会ったとき、僕の髪はとっくに乾いていた。あのときの僕に、水に濡れた気配を感じさせる要素はなにひとつ、なかったはずだ。
たまたま司令室の窓から、僕が出かけていくのが見えたのかもしれない。誰かが僕が外から駆け込んでくるのを見ていて、それを礼に報告していたということもあるだろう。だがそれでも、雨に降られただけならまだしも、森に入ったとまではわからないはずだ。彼がそのことを知っているはずがない。それなのに、なぜ彼は知っているのだろう。
まさか、監視されていたとでもいうのか?
いや、いくらなんでもそれはないだろう。だって、そんなことをする理由がない。心拍数の上昇に伴い、体がだんだん熱くなっていく。礼は思い出したように、ああそうそう、と顔を上げた。
「図書室は司令室からは少し遠いけど、ここや探偵の部屋と同じように、ほかの扉と少し形が違うから、すぐにわかると思う。ここを出て右側に歩いていくといい」
息が詰まり、言葉を失う。僕が顔を上げると礼と目が合った。なぜこの人は僕しか知りえない、僕の考えを、当たり前のように知っているんだ? 僕はまだなにも言っていない。まるで人の心が読めるかのように。
わからない。
穏やかで優しげで、にこにこと愛想がよくて、とっつきやすいと。だから僕は、図書室の場所を尋ねるなら彼がいいと。安心して。僕は、僕は。それなのに。
來坂礼という男が何者なのか、僕は完全に見失ってしまった。




