2 旅先の国で出会った彼等は
柳季に紹介されたのは、ロワリア国にあるという、とあるギルドだった。聞けば、どんな依頼も引き受けてくれるなんでも屋のような組織で、優秀な人材が揃っており依頼の解決率も非常に高いらしい。世界的に見てもそこそこ有名とのことだが、僕は柳季に聞かされるまでそんな組織があることを知らなかった。どうも世間のことには疎いのだ。ロワリア国とは僕が住んでいるレスペル国の隣国のことで、実際に訪れたことはなくとも、さすがにその名前くらいは知っている。兄の敦志は昔からよくロワリアのほうへ遊びに行っていたし、そこにも何人かの友人がいるらしい話を以前に聞いたことがあったのだ。僕たちが住んでいるのはレスペルの西部で、ロワリア国に近かったので、正直なところ、兄も僕も隣国というより隣町くらいの気持ちだ。
とはいえ、一人で列車に乗るのも、国の外へ出向くのも今日が初めてで、しかもその初めての遠出は遊びに行くためでもなんでもないのだ。施設を出るときも、列車を待っている間も、座席に座って目的地への到着を待つ間も、そわそわとあたりを見回したり、足を動かしたりと気が落ち着かないのも、無理のないことだとは言えないだろうか。
ロワリア国は思っていたよりも賑やかなところだった。町全体の明るい雰囲気と、穏やかな空気によって、まだ列車で移動しただけで、なにも始まってすらいない旅の緊張が少しだけほぐれたような気がした。レスペルも明るく穏やかなところだが、こちらのほうが活気にあふれているような気がする。たしかに、土地ごとの空気の違いを知れるという意味では、兄が外へ行きたがるのも理解できる。ひとつだけ残念なのは、空が鈍色によどんでいることくらいだろうか。最近はレスペルのほうでも雨が多く、曇ったり晴れたり雨が降ったり、はっきりしない天気が続いている。どうやらそれはこちらも同じのようだ。
僕は柳季からギルドの話を聞いてからすぐに母国を飛び出してきたため、その組織についての情報は彼から聞いた最低限のことしか知らない。それもおおまかなことばかりで、依頼を届け出る方法や、そのために予約や前もった連絡が必要なのか、どれほどの代金がかかるのか、ギルドの詳しい住所等々、詳しいこと――というより最も肝心なところ――については、行けばわかるからと説明を省かれているのだ。面会時間の限界が近かったので彼も急いでいたし、僕もそれを引き留めることはできなかった。そんなことでよく来訪する決心がついたと自分でも呆れているが、その時点ではやや楽観的に物事を捉えていたということだ。想像力というものがまるではたらいていなかったともいえる。
そのあたりの通行人に道を尋ねながらの手探りな旅を覚悟していたのだが、たしかにギルドの位置は柳季の言っていたとおり、誰かに聞くまでもなくすぐにわかった。まわりの建築物とは明らかに様子の違う、比べ物にならないほど大きな、存在感のある建物が一軒、列車を降りてすぐに確認できた。一番目立つ建物――というのが柳季の言っていたギルドの特徴だが、その話がたしかなら今見えているあれがそうなのだろう。
しかし、やはり事前にきっちりと調べてくるべきだったという後悔も消えてはいない。僕は基本的には気弱でなにをするにも臆病な、人畜無害を絵に描いたような男だが、ときどき、どうにもその場の勢いや感情に任せた突発的な行動をとってしまうことがある。普段は消極的なぶん、稀に積極的になる際に、その積極さの加減ができないということだろうか。まさに今回がそうだ。この軽率さは改めて矯正していく必要があるだろう。
駅をあとにし、人々で賑わう大通りをまっすぐ進んで行くと、遠目に見ても大きいとわかる建物がだんだんそのスケールを増してきた。一歩ずつ近付いて行くにつれ、本当にあそこで合っているのだろうか、もっとしっかりとした服装で来るべきだったのではないか、やっぱりやめておこうか――と、目的地到着のころにはすっかり臆病風に吹かれて縮こまってしまっていた。
建物は何棟かにわかれていて、一番大きな建物と、その隣にもうふた回りほど小さい建物があり、お互いに二階の部分が通路で繋がっている。他にも小さな小屋のようなものが、僕がいる位置からも確認できた。敷地は大きな鉄製の柵でぐるりと囲われており、正門は解放されている。僕は門の正面を少しそれたところで立ち止まり、これより先に立ち入るべきか、立ち去るべきかと最後の決断に迫られていた。そして、中に入るでも駅へ戻るでもなく、うろうろと半径一メートルの距離を行ったり来たり、建物を見上げたり足もとを見下ろしたり、もたもたしているうちに五分、十分とはっきりしない時間が流れていった――
――ときだった。
「うちのギルドになにか用か?」
ぎょっとして振り返る。まず目に入ったのは胸ポケットにペンを一本差した白いワイシャツ。無意識に上へ視線を動かすと、頬に大きな一筋の傷痕がある男が立っていた。歳は若い。おそらく兄とそう変わらないだろう。乾いたような茶色の髪、暗い色の瞳が、無表情にじっと僕を見ている。別段目つきが鋭いわけではないが、背丈の差で必然的に男が僕を見下ろすかたちになるので、傷跡と無表情も相まって妙な威圧感を感じた。
うちのギルド、と言うからにはここの関係者なのだろう。
「は、あわ、あの、ぼ、僕は……」
「落ち着け、慌てなくていい。別に怪しんでいるわけではない」
頭のなかが真っ白になり言葉が出ず、しどろもどろになる僕に、男は眉一つ動かさず、すっと手のひらを立ててそう言った。しかしその表情にはまるで変化がない。怪しんでいないと言っているが、確実に僕を不審者として怪しむ気持ちを持っているだろう。
「い、依頼、が。したいことが、あって」
依頼したいことがあって来ました。ただそう伝えたいだけなのだが、緊張と不安のなかではそれさえもひと苦労だった。言葉が喉につっかえる。なにもやましいことはないのだから堂々とすればいい。僕だってそうしたい。しかし思ったようにはなかなか振る舞えない。全身が火照って顔が熱い。手もうっすらと汗ばんできた。ちら、と男の顔色を伺おうとするが、表情がまるで読めないためそれすら叶わない。
「依頼? ああ、依頼人か。なら詳しい話を聞こう。とりあえず中へ――」
男が僕の肩に手を置いた。彼に対する警戒心やら緊張やらのせいで、僕は思わずびくりと体を強張らせた。怖いのだ。その反応に驚いたのか、男はさっと手を離した。そして気まずそうに頭を掻き、すっかり萎縮してしまった僕に向けて呆れたように表情を崩す。
「そんなに怖がらなくても、別に取って喰いやしねえよ」
「す、すみません」
「気にするな、俺も気にしていない。初めて来た場所で緊張するのは、別段おかしなことでもないからな」
本当に気にしていないらしい彼は、ぽんと僕の背中を軽く叩き門の向こうへ進んで行った。この機を逃せば永久に中に入れないと判断した僕は、そのまま名も知らぬ男の背中に隠れるようにして、未知の領域へと足を進めた。
*
外から見ていてもわかっていたことだが、建物の中は広々としていた。天井は高く、等間隔にはめ込まれた照明が少し眩しい。玄関ロビーには何人かの若者が立ち話をしていたり、忙しそうに荷物を運んだりしている。皆、僕とそう歳の変わらない少年少女ばかりだ。あちこちで人が行き来し、あちこちで誰かが喋っている。石材造りの建物に音が反響し、賑やかで非常に明るい印象を受けた。
「見てのとおり、うちはこういう組織なんだ。そう固くなる必要もない」
前を歩いていた男が急に振り返ったので僕は思わず身構える。彼がなにか言おうと口を開いたとき、視界の外から大きな声が響いた。
「おーい、郁!」
驚いて声のしたほうを見ると、真っ直ぐに伸びた廊下の真ん中で、こちらに手を振ってる少年がいた。郁と呼ばれた傷の男は少年に向けてなんだ、と声を上げる。
「ちょっと来てほしいんだけど!」
「今すぐでないといけないのか」
「さっきもそう言って出かけちゃって、帰ってきたらすぐに来るって言ってたじゃん」
ああ、そういえばそうだった――男は呟いてため息をつく。そして僕を見ると反対側に伸びる廊下を指さした。
「向こうに進むと二階に上がる階段がある。応接室……いや、司令室に向かうといい。ひとつだけ大きな扉がある。行ってみればすぐにわかるだろう」
「えっ、あの」
「用が済んだら俺もすぐに向かう。わからなかったら、そのへんのやつにでも聞いてくれ。全員ここに所属するギルド員たちだ。無責任ですまない。じゃあ、あとでな」
男はやや早口に言い、呼び止める間もなくその場を去ってしまう。また一人になった僕は急に心細くなった。あのままどこかの部屋に通されて詳しい事情を話すものだとばかり思っていたので、まさかこんな風に置き去りにされるとは。とにかく、言われたとおりに進んでみると、たしかに上の階へ続く階段があった。おそるおそる二階へ進み、あたりを見回してみる。扉がいくつか見えるが、どれもこれも同じ形に同じ色。どれがなんの部屋だかわからない。
司令室――と言っていただろうか。行けばわかると、柳季とまったく同じことを言われたが、ひとまず二階をぐるりと一周してみればなんとなくでもわかるだろう。一階は人が多かったが、二階はそうでもなく、先ほどまでと打って変わってあたりは静かだ。少なくとも今僕から見えるところに人はいないので、誰かに案内を求めることもできない。人が多かろうが少なかろうが僕の小心さは変わらない。ならば他人の視線がないぶん、人がいないほうがましかもしれない。
なぜか足音を立てないよう静かに歩きながら、僕はひとつひとつの扉を注意して見てまわる。扉には部屋名の書かれた小さなプレートがあるため、それを見ながら言われた部屋を探した。司令室、司令室、と頭の中で繰り返し呟きながらしばらく進んで行くと、他の部屋とは明らかに様子の違う、大きな両開きの扉があった。その扉にも例外なくプレートがあり、そこには司令室とはっきり書かれてある。もっと迷うものかと思っていたが、意外とあっさり見つけてしまった。たしかに、この扉に気付いた瞬間にあそこか、と思ったので、行けばわかるというのは本当だ。重そうな扉はしっかりと閉じてしまっているが、中に誰か人がいるのだろうか。
ノックをするために軽く拳を握ったところで動きを止める。この場合、ノックは何回が正解なのだろうか。二回、いや三回? はい、と返事が来た場合、その時点で扉を開けてもいいものだろうか。それとも、開けないまま用件を話し、どうぞと言われるまで待つべきだろうか。いや、そもそも返事が返ってこなかった場合は? 行けと言われたのでおとなしく従ったが、ここから先はどうすればいいのだろう。あの少年との用事が済めばこちらに来ると言っていたから、ここで先ほどの青年を待っていればいいのだろうか。
悶々と終わりの見えない思案にふけっていると、またしても背後から声がした。
「あれ、依頼人?」
すぐに振り返る。綺麗な青髪に紫の大きな瞳をした、穏やかそうな男性だった。眼鏡をかけていて、童顔だが顔立ちは整っている。さっきの男と同じく若いが、彼とは違い、雰囲気がやわらかで優しげだ。
どこかで――見たことがある気がする。
突如現れた美青年に数秒、見とれてしまっていたが、すぐに我に返った僕は慌てて遅れた返事をした。
「あ、は、はい。あの僕」
「おお、そっか。じゃあ話、聞くから。さ、入って入って」
青年はにこにこと愛想のいい笑顔で僕の背中を押した。突然のことで足がもつれて転びそうになるも、されるがままに前に進む。青年が扉を開け、僕を司令室へ招き入れる。部屋の中は思っていたより広く、部屋の手前にテーブルとソファ、その奥に一組のデスクがあり、部屋の壁に沿うように本棚がずらりと並んでいる。入りきらなかったらしい何かの本や資料がその近くの床に積み上げられている。
「さあさあ、座って。コーヒーと紅茶、どっちが好き? あ、ココアとかのほうがいいかな。ジュースもあるけど」
「は――あ、いえ、お、おかまいなく……」
つかつかと部屋の中に入り込んだ青年は僕をソファに座らせると部屋の奥に歩いていき、本棚の陰に姿を消した。どうやら、死角になっている位置に扉があるのか、その向こうでなにやらゴソゴソやっている。
「君、一人でここに来たの?」
部屋の奥から声がする。
「は、はい。あ、でも、さっき男の人に会って、ここに……司令室へ来るように言われて」
「それって、顔に傷痕があって無表情の? そんじゃあ郁だね、そりゃ」
「郁……さん?」
「雷坂郁夜。だから郁。皆そう呼んでんだよ。応接室だと誰もいないところで待たせることになるから、こっちに来させたんだろうな。そうすれば自分がいない間、誰かしらが君の相手をして、こうやって飲み物でも淹れて準備を整えるだろうと。あいつらしい判断だ」
青年が三つのマグカップを乗せた盆を手に戻ってきた。そのまま僕の正面のソファに腰を下ろすと、テーブルに盆を置き、カップをひとつ僕に差し出す。お礼を言いながら受け取ると、カフェオレのいい香りがした。青年がコーヒーに口をつけたのを確認してから、僕もひと口すすった。甘い――が、好みの味だ。適当に作ってたまたまこうなったのだろうか。それとも僕が知らないだけで、カフェオレを作るときのミルクと砂糖の黄金比のようなものがあるのだろうか。
青年は名を來坂礼というらしい。意外なことにこのギルドを統率しているギルド長であり支部長。詳しい話はよくわからないが、とにかくこの組織で最も偉い人だということはわかった。しかし僕の想像する偉い人のイメージとはまるで違い、とてもとっつきやすそうな人だ。ちなみに、傷跡の男――郁夜はここの副支部長を務めているそうだ。
その雷坂郁夜は、僕がもうひと口、カフェオレをすすったときに司令室へ追いついてきた。そのまま礼の隣に座って、余っていたもうひとつのカップを礼から受け取り、落ち着いたところで本題に入る。あらかじめ持ってきていた兄の写真を出し、家族の事件のことから、僕の知っていることを全て話した。ところどころ言葉に詰まることはあったが、それでも緊張していたにしてはうまく説明できたほうだと思う。
「じゃあ依頼内容としては、失踪したお兄さんを見つけてほしいと」
「はい。……お願いできますか?」
「うん。失踪事件ねえ。大丈夫、うちは犯罪に加担するようなこと以外はなんでも引き受けるから」
礼は手をひらひらさせて笑っている。その隣で、ずっと無言だった郁夜が顎に手を当てながら真剣な顔で言う。
「……バラバラ殺人か。正気の沙汰じゃねえな」
「ああ、ひどい話だ」
そう返す礼はさすがに笑っていない。郁夜は腕を組み、すぐにほどくと膝に手を置いて僕を見た。
「それはそうと、なぜうちに頼もうと思ったんだ。失踪した兄を見つけたいというのはわかるが、そういうのはまず警備隊に届け出るのが筋じゃないか」
「あ、それは……その」
僕が答えを渋っていると、テーブルの上を見つめていた礼がかけていた眼鏡を下にずらし、上目で僕を見た。
「誰かにここの噂を聞いたんだろう?」
「はい。僕の友達が……ここのことを知っていて、教えてくれたんです。それに……」
「警備隊はお兄さんを疑ってるんだね」
そう。警備隊は兄、敦志を一家殺害の容疑者として疑い始めている。兄が失踪した三日後、僕の様子を見に来た警備隊員が帰り際の廊下でそのことを話していたのを聞いたのだ。礼にすばりと言い当てられ、僕はなんだか悔しい気持ちになった。言い当てられたことが悔しいのではない。あの優しい兄が、よりにもよって家族を殺したと、それもあんな、狂気の沙汰としか言いようのない事件の犯人として疑われているという事実が悔しくてたまらない。悲しいことやつらいことがあって泣いているとき、僕がいいことをして褒めてくれるとき、兄はよく僕の頭をそっとなでてくれた。そんな優しくて家族思いの兄に、そんなことができるはずがないというのに。事件のあとに姿を消したという、ただそれだけの理由で。
「警備隊がお兄さんを発見すれば、重要参考人として拘束するだろう。そうなれば君と会うこともかなわない。だからその前にお兄さんを見つけて、消息を絶った真相を知りたい――といったところだね」
そのとおりだ。礼は首を掻きながらううん、と唸った。
「しかし、参ったな。今そういう依頼専門の男が留守でね。もうすぐ帰ってくるとは思うんだけど」
「専門の人……ですか?」
「うん。こういう『謎』のある依頼は、そいつに任せるのが一番なんだよ。警備隊と張り合うとなればやる気も出してくれるだろうし……あ、そうそう、春斗くん、こっちにいる間の滞在場所は決まっているの? もしまだなら、二階の空き部屋でよければ貸し出せるけど」
「え、い、いいんですか?」
「構わないから言ってるんだよ。何泊でもしていきたまえ。食堂も浴場もランドリーも、好きに使っていいから」
「あ、えっと、じ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
立ち上がった礼につられて僕も腰を浮かす。
「春斗くんも疲れてるだろうし、しばらくゆっくり休むといい。アレが帰ったら呼びに行くし――あ、連絡先とか教えといてくれるかな」
「はい。えっと」
メモ帳のページを一枚千切り、僕個人の連絡先を書き込んで礼に渡した。
「じゃあ部屋は――郁、案内したげて」
「ん、ああ」
「待ってるのが退屈になったら観光でもして満喫――はできないかな、今は。まあ、のんびり散歩でもしておいで。ここの連中の雑談に混ざっても楽しいと思うよ」
礼はそう言いながら奥のデスクのほうへ歩いていく。僕はしばらくその後ろ姿を見ていたが、郁夜に声をかけられ、急いで司令室を出た。