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無縁の少年  作者: 氷室冬彦
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0 それと関わる数日前の始まり

 早川春斗はやかわはるとは今年で十九になる兄の敦志あつしと仲がよかった。敦志は誰にでも愛想がよく勤勉で、弟の春斗に対しても優しい穏やかな青年だ。明るい性格故に友人がとても多く、家の近くだけでなく隣町や隣国、果てには海を越えた向こう側にまで及ぶほどの広い交友関係を築いていた。その年齢層も幅広く、もちろん同年代の友人が一番多いようだったが、年下も年上も、男も女も分け隔てなく接し、どこにいても人気者。それだけたくさんの人々に囲まれていようとも決して家族をないがしろにせず、母や父を気遣い、春斗や下の妹もかわいがる。寛大で心優しく器用な兄を春斗は尊敬していた。


 弟である春斗は敦志とは正反対の、内気でおとなしい少年だ。外に遊びに出かけるよりも家でじっと本でも読んでいるほうが好きで、兄と違って人見知りもするし臆病で愚鈍だ。数人程度の気の合う友人と、こそこそ喋って笑い合っているのが性に合う。ときどき外に出て誰かに急に挨拶をされても驚くばかりでろくに笑顔も返せない。性格なのだから仕方ないと割り切っていても、兄のようになりたいと思うことが何度もあった。しかし性格が少し暗いというだけで、あとはどこにでもいるような少年だ。


 勉強、運動、顔、性格。すべてにおいて上出来な兄と、すべてにおいて平均的な弟。普通の家に生まれ、出来のいい優しい兄に恵まれ、なんの変哲もないごく平凡な毎日を当たり前に送り、明日も同じように朝が来て夜が来る。ほどほどに楽しくて、ほどほどにつらいこともあって、これまでがそうだったようにこれからも、そんな生活が続くのだと思っていた。


 ああ、どうして、こんなことになってしまったのだろうか。



 *



 その日、僕は兄とともに家から出発した。これは別段珍しいことではない。同じ日に外に出る予定があり、なおかつ途中までの道筋が同じであれば、分かれ道まで一緒に歩く。そうでなくても、二人で一緒に遊びに行くことだって何度もあるし、ただの散歩だったり、買い物だったりも日常的だ。ともかくいつも通りの朝だったのだ。兄は友人との待ち合わせ場所である噴水公園へ、僕は数少ない友人の住まいへ。いろんな話をした。昨日一緒にしたゲームの話、友人といたときに起きたおもしろい話、兄が最近知り合ったという友人の話。そうしているうちに兄と別れ、僕は予定通りに僕の友人のもとへ向かった。


 それから数時間後、僕はこの町一番の医療施設へ駆け込むことになった。家族の誰かが事故にあったとか病気で倒れたとか、そんな生易しい報せではない。僕の家族――父と母、そして妹が、僕と兄が出かけている間に、何者かによって惨殺されたという報せだった。捜査のため現場である自宅を警備隊に一時引き渡すことになった僕と兄は、しばらく警備隊が管理している施設へ身を置くことになった。捜査がなくともあの家には住めないだろう。突然に家族を失った僕たちのメンタルケアと、これが早川家全員を狙った殺人であるならば僕と兄の身も危険だとのことで、犯人からの保護も兼ねている。僕も兄も泣かなかった。ショックが大きすぎて涙が出てこなかった――というほうが正しい。


 僕は変わり果てた家族の姿を直接見たわけではないが、兄は身許の確認のためにもそれを目にしている。こういうときこそ励まし合い、お互いに支え合っていくのが本来理想とするべき兄弟愛なのかもしれないが、目の下に隈を作り、家族の死を悼んで手で顔を覆っても涙すら出ず、話かけても返事もできない。そんな兄の疲れ切った様子を見ていると、なんといって声をかければいいのかわからなかった。また、自分がどんな言葉でなぐさめられたいのかもわからなかった。仲の良かった兄弟はその日を境に一言の会話を交わすこともなくなった。


 そして数日後、兄が忽然と姿を消した。


 目撃証言も、本人からの連絡ももちろんなく、朝になって兄の部屋へ様子を見に行ったときにはもぬけの殻だった。施設に来てからの様子から、自殺を考えているのではないかと大慌てで兄の捜索が始まることになるのだが、僕はただ途方に暮れていた。今度こそ一人になってしまったのだ。あんなに大好きだった兄にすら置いていかれてしまった。すべてに見放されたような絶望。僕にはそれしか残らなかった。


 バラバラだったそうだ。


 先に駆け付けた兄はともかく、まだ十六歳である弟の僕には刺激が強すぎるとのことで、実際に目にすることはなかったが、あとで警備隊の者から受けた説明によると、遺体は胸元を鋭利な刃物で刺されており、四肢と首と、さらに胴体を二つに切り分けられていたらしい。近所の者が異常を察して様子を見に来たころには犯人の姿もなく、既に手遅れだったそうだ。犯人の目撃証言も、使用された凶器も発見されていない。家の中は壁や床もボロボロで、なにかが暴れたような痕跡こそあれど、物を荒らされてはおらず金品の類はすべて無事。金目当ての犯行ではなく、怨恨による殺人という線が強いとも説明された。しかし、父も母も温厚で人付き合いもよく、妹はよく笑いよく喋る、ちょっといたずら好きなところはあるが愛嬌として許される程度の憎めない子だ。バラバラにして殺されるほどの恨みを買うような人々ではない。


 強い恨みがあったとか、金目当てではなかったとか、目的はどうあれ正気の沙汰ではない。僕は家族の最期の姿を見ていないが、見たいと思ったことはなかった。詳しく聞いた話によれば、家の中は一面血の海で、床はもちろん壁にも天井にも血が飛び散り、居間にバラバラになった三人分の遺体のパーツが転がっていて、まるで地獄絵図のようだったとのことだ。見たくなどない。見てしまったら本当に、心が壊れて戻れなくなりそうだ。


 神がこの世にいるならば、どうか兄だけでも返してほしい。



 ある日、事件のことを知った友人たちが僕のもとを訪ねてきた。元気出せよ、お前には俺たちがいるからな――そんなありきたりな言葉を少しばかりかけたあと、いつも通りのくだらない世間話を始めたのは、無責任に慰め続けるよりも、いつもと変わらない態度で接して、少しでも気が紛れてつらいことを考えなくてもいいようにと気を遣ってくれたからだろう。僕もあまり家族のことに触れてほしくはなかったので、その気遣いは嬉しかった。面会時間の終了が近付くころには、事件当日から心の中にずっと抱え込んでいた言い様のない不安や恐怖がほんの少しだけ和らいだような気がした。僕が礼を言うと彼らは、また来るよとだけ言って撤退していった。ほんの数人、ごく少人数しかいない僕の友人たちはいい人ばかりだ。


 友人たちが部屋から出て行ったすぐあと、面会に来ていたうちの一人が部屋に戻ってきた。忘れ物でもしたのかと尋ねると、彼――柳岸柳季やなぎしりゅうきは真剣な面持ちで、話があると言って備え付けのパイプ椅子に腰かけた。僕が慕っている友人たちのなかでも特に、この男とは親友のような仲で、兄を含めた三人で遊ぶことも少なくなかった。僕があの日会いに行った友人というのもこの柳季なのである。


「敦志さん、まだ見つかってないんだってな」


「……うん」


「春斗、敦志さんは絶対にお前を置いて死ぬような人じゃない。いなくなったのは多分……別の理由があったんだ」


「無責任なこと言うなよ。わからないじゃないか。なんで兄さんがいなくなったのか、どこにいるのか」


「ああ、わからない。でも……俺はそう信じてる。お前は?」


「そんなの、僕だって信じてるよ。……そう信じたいけど、いつか帰ってくるなんて保証はない」


「……なあ、春斗」


 日が傾きかけた薄暗い部屋のなか、窓際に座る僕の顔は、きっと逆光で見えなかっただろう。


「――ひとつ。いいこと教えてやるよ」

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