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無縁の少年  作者: 氷室冬彦
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15 早川敦志と早川春斗

 どこまでも続く石畳の階段をのぼりきったところに鈴鳴神社はあった。この国や南大陸ではそれなりに有名な神社だ。早川敦志から悪しき魔獣を祓い落とすために、彼がここへ運び込まれてから、既に一時間と三十分の時間が過ぎようとしていた。人間に取り憑いたカルセットを祓うには、その準備にも、実際の儀式にも時間がかかり、儀式を行う部屋には祓い屋の神主以外が立ち入ることは叶わない。


 鈴鳴玲華すずなりれいかは、鳥居の前で傘を手に佇んでいた。


 敦志からカルセット、斬人を落とすのは玲華の兄、鈴鳴龍華すずなりりゅうかの役目だ。さまざまな危険を伴うとのことで、玲華はその手伝いすら許されていない。玲華にできるのは、準備段階の雑用のみである。今、こうして雨の降る中も外を見張って立ち続けているのも、なにもぼんやりと無駄な時間を過ごすためではなかった。


 ――必ず間に合わせる。しばらく待っていろ。


 早川敦志が気を失った状態で拘束されてここに担ぎ込まれた際、探偵はそう言って、斬人の武器であり、青年から祓った斬人を封じ込めるための「器」になりうる刀を、玲華たちに預けないまま事務所へ持ち帰ったのだ。


 儀式は既に始まっている。あとは器を待つだけだ。


 背後にそびえる神社を振り返る。厳格で、神聖な空間。建物自体は立派なものだが、なにかと取り繕ってはいるものの築年数は隠しきれない。古き良き――と言えば聞こえはいいだろう。灰色の空に遠くが霞む雨。この視界の悪く薄暗い背景があっては、憑きもの祓いの善良な神社といえども、やや不気味に見える。


 全身を包む雨の音。視覚を閉ざすと自然に意識が聴覚へ集中し、雑音は脳の奥まで響く。数多の水滴が地面を打ち鳴らし、延々と続く雑音を生み出す。足もとから聞こえるようでも、横から聞こえるようでも、前から、後ろから聞こえるようでもある無数のノイズに、徐々に平衡感覚が奪われていく。思わず後ろによろめいた。


 目を開ける。鳥居の向こうに気配があった。石畳の階段を、八人の大所帯がのぼりきろうとしていた。


 前を歩くのはロワリアギルドの支部長である來坂礼。隣には雷坂郁夜とロワリア国の化身、ロア・ヴェスヘリーが並び、その後ろにラウの領主、ジオ・ベルヴラッドと、茶色い肩掛けの探偵とその助手、寿。そして、そこから二歩ほど後ろに柳岸柳季と早川春斗が続いている。一同は鳥居の前で玲華に気が付き、立ち止まった。玲華は居住まいを正すと、彼らに向けて深々と一礼した。


「お待ちしておりました」



 *



 探偵の話が終わったあとに僕たちが連れてこられたのは、とある神社だった。鳥居の向こうで傘を手に立っていた和装の少女は、春斗たちの存在に気付くと丁寧に頭を下げる。この鈴鳴神社の巫女であり、ギルドの一員でもある、名を鈴鳴玲華と言うらしい。神社は本殿の奥に大きな屋敷があり、彼女はそこで兄と暮らしているのだと、道中で礼が言っていた。


「兄を連れてまいります。それまでどうか、ごゆるりとおくつろぎください」


 僕たちを座敷に案内したあと、探偵となにやら小声で言葉を交わし、例の刀を受け取った玲華は、そう言い残して廊下の奥へ去っていった。肩までの短い髪に飾られた青色のリボンが彼女の歩みに合わせて揺れる。とても清楚でおしとやかな印象だ。指先ひとつひとつまでの動作が細やかで繊細。さぞ育ちがいいのだろう。柳季の話によると、彼女は僕のひとつ年上の十七歳らしい。


 脚の短い大きなテーブルを囲むように敷かれた座布団にそれぞれ腰を下ろす。ジオは部屋に入らず、縁側のふちに腰掛けていた。探偵も同様に部屋の外で柱に背中を預けている。対する寿は座布団の上に寝転がっていた。


「なあ、あの人のお兄さんって……どんな人?」


 柳季は正座を崩し、腕組みをして考え込む。


「うーん、そうだなあ……ひと言で言うと、元気……いや、活発? 快活……ちょっと違うな。そんなに活動的なやつじゃない。言うなれば……そう、ほがらかなやつ――だな。玲華ちゃんとはあまり似てない。でも、さっぱりしてていいやつだぜ。愛想もいいし、でも、たまになに言ってるのかわからないことがある」


 ……よくわからないが、とりあえず怖い人ではないらしい。それから五分ほどの沈黙が流れ、また柳季に話しかけるべきかどうかを迷っていると、襖の向こうから和装の男が、足音もなく姿を現した。玲華も一緒だ。彼女より頭一つぶんほど背の高い男は、座敷に向けて一礼すると、まっすぐに僕を見た。


「鈴鳴神社の現当主、鈴鳴龍華すずなりりゅうかです」


 元気で活発で快活で、いや、ほがらかと言うほうが正しいらしい男の、厳かな雰囲気につられ、僕もその場で頭を下げた。玲華と見比べてみる。髪の色は同じだが、目は赤色だ。右手だけに黒い手袋を着けている。


 礼が龍華を見上げた。


「珍しいな、龍華。いつもの鈴鳴節はどうした?」


「やかまし、仕事やぞ。俺かて客人への挨拶くらいちゃんとするわな。最初だけでもビシッとせんでどないすんねん」


「最初だけなんだな」


 独特な発音と耳慣れない言葉遣いで返す龍華に、隣で郁夜が呟いた。しかし、龍華は聞こえないふりをしているのか、あえてそれを無視する。


「あんさんら、こらまた、なんぞ厄介なもん持ってきよったなぁ。鈴鳴としてはまあ、珍しもん見れたんはええけどや。えらい骨いったで、暴れて暴れて、しゃあなかったわ」


「あ、暴れた?」


「手荒な真似はしとらんから安心し。手荒……いや、ま、あれは手荒なうちに入らんやろ……入らんやんな? にえとらんかったし……」


「に、にえ……?」


「青痣はできてなかったってこと。なんだ、痣ができたらわかるような場所を殴りでもしたのか?」


 礼が補足する。たしかに柳季の言っていたとおり、ときどきなにを言っているのかわからない。


「人聞きわりこと言いなや、ぶつかっただけじゃい! わざとか、わざとやないんかはノーコメントやけどな」


どついた・・・・の間違いだろ?」


「あ、あの! それで……兄は?」


「おお、すまんすまん。話逸れとったな。心配せんでも、もうあの兄ちゃんは大丈夫や。鈴鳴の名に恥じんよう、きっちり祓い落としたったわ。意識はまだ戻ってへんけど、そのうち目ぇ覚めるやろ」


 龍華がようやく座敷に足を踏み込み、空いていた上手の座布団に正座した。玲華もその傍らにゆっくりと腰を下ろす。自然な動作だが、二人とも背筋が伸びて姿勢が美しい。


「斬人みたいに生き物に取り憑くカルセットっちゅうのはな、難儀なこっちゃ。実体があるんやかないんやか、どうもはっきりせん。存在自体がおぼろげっちゅうんかな。斬人は人間やの他の動物やの、ま、なんぞ他のもんに取り憑いて悪さしでかす。そやけど、斬人も自分自身の元々の身体っちゅうもんがあるはずやろ。それがあんじょうすんのに……あ? なんや、聞いてられへんのか?」


 彼の言葉が耳慣れないあまり、一字一句も聞きもらさぬよう集中して聞いていた僕は、話を聞きながらどんな表情をしていたのか。龍華は片眉を吊り上げた。慣れないうちは……いや、おそらく慣れても聞き取りづらいままだろう。彼と知り合いのはずの柳季も僕の隣で難しい顔をしている。


「しゃあないなあ。柳季、俺よかお前しか詳しかろ。続き頼ま」


「あ、ああ、わかったよ、任された。……斬人が人間などの他の生き物に取り憑くのは、斬人の持って生まれた、決して変わることのない属性であり本能だ。そういう生き物ってこと。ただなにかに取り憑きっぱなしなわけじゃない。さっきも言ったように、刈人とよく似た外見の、個人としての身体を持っている。影から生物に取り憑き、離れれば元の身体に戻る。二つの身体を行き来する斬人の、本来の身体の存在を確かなものとするためには、依り代になるなにかが必要となるんだ」


「ま、待って、こんがらがってきた」


「えーと、つまり……他人の身体を乗っ取って、他人の身体を操る力が本能的に備わっている斬人は、自分自身を留守にする時間が長くて、だから存在があやふやなんだ。あとでちゃんと自分の元の身体に戻れるように、元の身体を忘れないようにしないといけない。自分自身を見失わないために、これこそが自分という存在の証だと言えるものが、斬人に限らず、生き物に憑依するカルセットには必要なんだよ。それがないと戻れなくなる」


「あ、ああ、なんとなく、雰囲気だけはわかった」


「よかった。それで、斬人にとっての依り代というのが、あの刀なんだ。本体――って表現だと少しおかしいけど、そういう認識でも、まあ問題はないかな」


 龍華が手を後ろにまわし、立ち上がると例の刀を前に出した。鞘の部分に札が貼っている。文字は読めないが、なんだか禍々しい気配を感じた――ような気がした。


「あの兄ちゃんから引きはがしたんはええんやが、まー元気なもんで。また逃げられてもあかんしや、無理矢理封じ込んだったんよな。問題はこれの後始末についてやけども。二度と復活せんよう滅してまうんがええやろか? ああ、抜いたらあかんで。刀が鞘に納まっとる限りは、その札が斬人を閉じ込めとってくれるんやが……見てん、まだ暴れよんのや」


 たしかに、テーブルに置かれた刀は誰も触れていないにも関わらず、ひとりでにがたがたと小刻みに震えている。生きている――のだ。


「あー……壊してもてええか? 封魔の術式がこれしきの魔獣モンに破られたりはせんやろけども、さすがになあ、活きがええもんでおとろしわ。除霊やのうて討伐になってまうけど」


「それは――おねがいします。もう二度と犠牲者が出ないように」


 僕が迷わず答えると、龍華は正座を崩した。


「さよか。そいだら、そうさせてもらおか」


 なおもゴトゴトと揺れていた刀を再び龍華が手に取って立ち上がった。右手の黒手袋を外す。手の甲に赤い刺青のようなものが見えた。モチーフは炎……いや、龍だろうか? 一瞥しただけでは判別できない。いっそう激しく暴れだした刀を、龍華はまっすぐ上に投げ、落ちてきたところに一閃、手刀を叩きこんだ。ごと、ごとり――鈍い音とともに畳の上に刀が落ちる。札の上から真っ二つに両断された刀は、断面が溶けたようになめらかで、ほんのり赤らんでいた。札は切れ端のあたりが焦げたように黒くなっている。


「こういうんはな、元の形を絶つっちゅうのが大事なんや。そら、もう抜かれへんわ。さて、俺の仕事もこれでおしまいやの」


「え、い、今、どうやって」


「俺の能力の話より、なんぞもっと重要なことがあるんとちゃうんか?」


 龍華は汚れを落とすようにパンパンと手を叩き、再び黒手袋を右手に着ける。能力――そうか。どういったものなのかはわからないが、彼もまた異能を持つ存在なのだ。であれば、もはやなにが起きても不思議ではない。


「ついといで。あの兄ちゃんも、そろそろ目ぇ覚ますころやろ」



 奥の座敷に案内されたのは、僕と柳季、それから礼の三人だった。郁夜や探偵たちは先ほどの部屋に残っている。畳の上に布団が一組。その上に敦志は眠っていた。襖を閉める音に顔をしかめ、小さくうめく。僕が枕元に座ると、敦志はやがて薄目を開けた。


 ああ、兄さんだ。もうずいぶん長いこと離れてすごした、久しぶりに会えた敦志兄さんだ。


 やっと会えた。


「に、兄さん? ……兄さん、大丈夫?」


 どういう意味で言ったのか、僕自身にもわからない。とにかく兄の身を案じたことはたしかだ。敦志はゆっくりと体を起こし、かすれた声でああ、と頷いた。


「ここは……?」


「敦志さん、ここはロワリア国の……とある神社です」


 柳季が答える。僕が答えられる状態になかったからだ。涙のあふれる目に腕を押し付け、これ以上泣かないように涙をこらえる。あの悲劇が起きて以来、はじめて流した涙だった。


 敦志は状況を把握できず、怪訝な顔をする。


「神社? どうして……俺は、なにを」


「記憶が混乱しとるんや、無理もあらへん。斬人が憑いとる間の意識と記憶は斬人のもんやからな。事が起こる前から今まで……まあ、何日間かは知らんけども、その間の記憶がすっぽり抜けとるはずや。ただ、乗っ取られとっても体は兄ちゃんのもんやのは変わらん。その体が、その目を通して見たもんを、これっぽっちも覚えとらんっちゅうことにはならんはずや」


「思い出すまでに時間がかかるだけで、斬人が取り憑いていた間の記憶自体がなくなっているわけではない……っていうこと、ですか?」


「そういうこっちゃな」


 龍華が敦志の背中に手を添える。


「……うん、後遺症らしいもんは残っとらんな。今は体がだるいかもしれんけっども、そんなもんやな。飯食うて寝たら良うなるわ。憑かれるっちゅうんはな、何日もその状態やと体の負担もどえらいもんなんよ、本当ほんまは。最悪の場合、斬人を引き剥がした拍子にいんで・・・まうか、精神まで汚染されとったら、この兄ちゃん自体がバケモンになっとった可能性もあったわけやからな。運ええわ」


「い、いんで……なんですか?」


「死んでしまってたかもしれないってこと」


 横で礼が補足する。彼は龍華の言っていることがわかるのだろうか。いや、言葉はわからなくとも、彼にはすべてを見通す力があるのだから、どういう意味の言葉なのかくらいは当然のようにわかるのだろう。


「死ん……! そ、そんなことってあるんですか?」


「おお、前例はいくらでもあるわ。帰ったら調べてみ。おっとろし事故がぎょうさん出てくら」


 敦志が顔を上げて春斗を見る。


「春、斗? ど、どうなってるんだ、これは」


「兄さん、あの、兄さんは……」


 どう説明すればいいのか、なにから話せばいいのかわからない。助けを求めて礼のほうを見ると、視線に気付いた礼は目を閉じて考え込んでしまった。どうやら、彼も春斗と同じことを思っているらしい。柳季も同じく、眉間にしわをよせていた。


「ええと、敦志さん……こんな聞き方もどうかと思うんですけど……」


 柳季がおずおず口を開く。慎重に言葉を選んでいる、という印象だ。


「敦志さんは……どこまで覚えていますか? 自分の身になにかが起こったんだということは、たぶん、理解できていると思います。最後になにを見たとか、どこにいたのは覚えているとか、なにかありますか?」


「どこまで……覚えて……」


 敦志が神妙な顔つきで俯いたとき、突然、頭を押さえてうめいた。その異変に春斗が慌てて傍らに寄る。


「兄さん、どうしたの?」


「頭が、痛い。春斗と一緒に出かけて、途中で別れて、それから……それ、から……?」


「兄さん無理しないで。思い出せないなら、今すぐじゃなくても……」


「そうだねえ。起き抜けで頭まわらないのも当たり前だよ。今は疲れてるだろうし、体力が戻れば自然と思い出すと思うなあ、俺は」


 礼がのん気な声で言う。なにも覚えていないという兄の焦燥を、不安を、恐怖を推しはかることはできない。それを取り払うにはすべてを思い出す必要がある。兄の負担を心配する一方で、なにも思い出してほしくないという正反対の気持ちが僕の中にはあった。兄がすべてを思い出すということは、斬人が兄の体を通しておこなったすべてのことを見るということだ。


「秋人……」


 ぽつり、敦志が呟く。


「秋人を見た、気がする。それで」


 敦志が自分の右手を見て固まっている。


 まさか――秋人を殺した記憶が?


「に、兄さん、秋人さんは、あの人は」


「……春斗」


 秋人についての説明をどうしたものか、僕がしどろもどろになっていると、兄は僕をまっすぐに見た。顔色が悪い。


「俺が……殺した、のか?」


「あ――」


 違う、とは言えない。しかし、そのとおりだと肯定することもできない。殺したのは敦志の身体を乗っ取った斬人であって、それは決して敦志の意思ではない。しかし事情を知らない者からすれば、たとえ敦志本人であっても、その目にはすべて敦志がやったことであるように映る。


「兄さん、兄さん落ち着いて。秋人さんは――」


「俺なら無事だよ、敦志」


 僕も兄も驚いた。振り返ると、開いた襖の隙間から秋人が入ってくるところだった。彼はギルドを出る際に、自分は行かないと言って残ったのだ。敦志は目を瞬いた。


「あ、あ、秋人、お前」


 秋人は後ろ手に襖を閉める。表情は真剣そのものだ。


「俺を殺したことを思い出したんだな。その記憶は正しいよ。俺は一度、お前に殺されている。ああ、でも別に化けて出たってわけじゃないよ。ほら、触れるだろ? 俺は……そういう身体なんだ」


「そういう、身体?」


「死なない……いや、死ねないんだ。痛みも感じない。俺自身のことについては、別に怒ってもないから、謝る必要もないよ」


 敦志はしばらく放心したように秋人を見つめていたが、やがてああ、と息をついた。


「……痛みがないっていうのは、薄々わかってた気がする。怪我をしても痛がらないどころか、表情ひとつ変えなかったし、気付いてないことさえあって……妙なやつだとは思ってた。それは、お前の能力なのか?」


「いや。俺は能力を持ってないよ。これはそういう体質なんだ。今回ばかりはちゃんと打ち明けないといけないと思って……でも無理に理解しなくてもいい。俺を恐れても、気味悪がっても、拒絶してもかまわない。これから先、俺とどう関わるか、あるいは関わるのをやめるか。どうするかはお前の自由だ」


「兄さん」


 僕が呼ぶと、兄は弱々しく微笑んだ。今こうしている間にも、兄はこれまでのあらゆる惨劇を思い出しているのだろうか。友人を、家族を殺し。弟である僕をも殺しそうになったことを。


 そんなことを。


 そんなことを思い出してしまったら、兄の心が壊れてしまう。


「春斗――ごめんな」


 それがなにに対する謝罪なのか、僕にはわからなかった。

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