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無縁の少年  作者: 氷室冬彦
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11 曇り空はまるで心を映したかのようで

 釈然としない気分のまま外へ出た。いなくなった兄のこと。礼の不可解な発言。異様なほど礼に似た少女のこと。柳季とこのギルドの関係性。森で出会った少年のこと。二日足らずで真実を掴んだらしい探偵のこと。それらすべての謎が、不安と、戸惑いと、疑惑を生んでは胸の内で渦巻いて、いつまでもすっきりしない。気分はどんよりと重い。


 今まで気にしたことはなかったが、柳季はいったい、あのギルドとどういう関係なのだろう。ただ知り合いがいるというだけのはずではないのか。ロアという礼によく似た少女、彼女こそが柳季の言っていた知り合いなのか。そうであっても、なぜ彼女は柳季の名を口にしたのだろう。なぜ今、その名前が出てくるのだろう。わからない。なにもわからない。わからないことは恐ろしい。不安だ。


 ふと、柳季の自宅で雑談していたときのことを思い出した。あのとき、部屋に置きっぱなしだった報道紙。そうだ。思い出した。礼と、礼に瓜二つのロアを初めて見たときの既視感。二人のうち、どちらだったかまではわからないが、報道紙に写真が載っていたことがあるのだ。記事の内容までは覚えていないが、写真とはいえ一度見たことのある顔だったから、実際に礼に会ったときも、ロアに会ったときも、どこかで見たことがあると感じたのだ。


 冷静になろう。二人に対する既視感の原因のように、もう一度最初から、冷静になってよく考えてみれば、答えのわかることがあるかもしれない。例えば、森であった少年のこと。僕が思い出すことを拒み、ただ恐ろしい体験だったと片付けようとしていたために忘れそうになっていたが、そもそも彼は僕になにも害を与えていない。その後の奇妙なことや、なぜ一人であんなところにいたのかはともかくとして、彼は道に迷って困り果てていた僕を森の外まで案内してくれただけだ。しかし僕は、ありがとうのひと言も言わないまま逃げ出した。


 そう考えると、なんだか無性に気持ちが落ち着かなくなった。恩を仇で返すとはまさにあのことだ。森に行けばまた会えるだろうか。怖くなくなったわけではない。大雨のなか、一滴も濡れていなかった少年だ。あれがこの世の者である確証がない。雨に濡れることがないような存在なのかもしれない。いや、そこにいたのだから、もちろん存在しているのだ。身体のどこかが透けているわけでもなかったし、歩いた後には足跡もあった。もしかすると、濡れていないように見えたのは僕の気のせいだったのかもしれない。


 それでも怖くて仕方がない。だが、逃げた僕を追ってこなかったにしても、彼が気分を害していたら? なにもせず逃げっぱなしにしておくのも、それはそれで恐ろしい。どう転んでも恐ろしいなら、少しでも善いおこないだと思えるほうをとるよりない。これは僕なりのけじめのようなものだ。そう自分に言い聞かせながら歩く方向を変え、あの森へ向かった。



 森の中はあの日と変わらず薄暗かった。問題は少年がどこにいるのかわからないことだ。このあたりに住んでいる――ということは、ギルドのある町のほうか、もしくは礼が言っていたラウという村だろう。あまり大きな森ではないらしいので、まっすぐ歩き続けていれば森は抜けられるはずだ。元来た方角を見失わないようにだけ気を付けて歩いていれば迷うこともないだろう。


 そう意気込んで踏み込んだのはいいが、持って生まれた方向音痴が災いしてか、結局またしても道がわからなくなった。


 まだ森に入ってそれほど歩いていない。今なら自力で脱出できるはずだ。探してみれば、もっとわかりやすい道があるかもしれない。そこから仕切りなおしとすれば村にも辿り着けるはず。やはり引き返そうか。ぐるりと周囲を見回す。


 ――……。


 かすかな物音が鼓膜をくすぐった。自分の足音や、雨の音でもなければ、風の通る音でも葉擦れの音でもない。それでも、たしかに聞こえたような……気のせい、だろうか。


 ――……。


 まただ、なにか聞こえた。気のせいではない。ゆっくりと音のしたほうへ向かう。誰かいるのだろうか。


「――だからあれほど忠告しただろう」


 突然、男の声が聞こえ、思わずびくりとした。咄嗟に身を隠す。聞き覚えのある声だ。誰かに向けて話しかけているようだが、相手のものと思しき声は聞こえない。


「貴様がノロマなのはとうに知っていたことだが、であるからこそ、警戒を怠るなと、私は何度も言ったはずだ」


 ――ああ、思い出した。この声は。


 この声の主は、あの探偵だ。知り合いとわかって安堵した僕は、木の陰からそっと向こうを覗き見た。


「そんなことだから命を落とすはめになるのだ。わかっているのか?」



「秋人」



 灰色がかった白い空。どこまでも広がる深い緑。落ち葉の混ざった土。


 僕に背を向けて立つ、紅茶色の男。


 その足元。


「あ――」


 赤黒いしみの上、血まみれの男が一人。


 探偵の、潔癖そうな白い手袋が真っ赤に染まっている。その手に血の滴るナイフを握ったまま、彼がこちらを振り向いた。


 どくり、と心臓がひときわ大きく脈打つと、同時に頭のなかが真っ白になった。あの利発そうな青い瞳が、じろりと僕を睨む。


 生まれて初めて、喉が引き裂けそうなほどの声で叫んだ。


 探偵がその場でこちらに手を伸ばすが、既に僕は冷静さを欠き、はじかれたように地を蹴った。走れ。身体が思うように動かない。それでも走れ。ただ必死にその場から逃げる。少しでも遠く、少しでも速く。足がもつれる。木の根につまずき、何度も転んだ。


 秋人。秋人――僕はその名前を、その人を知っている。兄と仲の良かった青年だ。優しくて、背が高くて、かっこよくて、少しのんびりしている、どこか変わった人だった。その秋人がなぜ。


 なぜ、秋人が死んでいる?


 逃げろ。


 逃げろ。


 逃げろ。


 道なんてわからない。わからなくていい。とにかく逃げなくては。どこか。どこでもいい。追いつかれてはいけない。追いつかれたら。


 もし、追いつかれてしまったら、僕はどうなる?


 ああ、考えたくない!


 木々の間をくぐり抜け、でたらめな方向へ逃げる。走っても走っても同じような風景。まったく前に進んでいない錯覚さえ覚えた。息が切れて、喉が痛くて、膝は震えて力が入らなくなっても、止まることはできない。


 しかし体が言うことを聞かず、だんだん走っていられなくなり、やがて足が止まった。次の一歩を、早く逃げなくては。歩いてでも、這ってでも、逃げなくては。足に力が入らず、恐怖心と、酸欠と気の焦りで、歩くことすらままならない。まるで自分の身体じゃないみたいだ。


 背後からは僕を追いかけてくる足音は聞こえない。撒いただろうか? 木の幹に手をつき、体を支えながら前に進む。森を抜けよう。村でも町でもどっちでもいい。とにかく人のいるところへ逃げなくては。今にも崩れそうな膝を必死に伸ばし、よろよろと数歩、前に進んだ。


 がさり。


 視界の外でなにかが動いた。慌てて振り返る。


 白い光が一筋、横から僕の目の前に迫った。


 靴と地面が擦れる音。


 金属音。


 視界いっぱいに、真っ黒ななにかが。


 人だ。


 黒い服の。人が。


 ――息が。


 息が、苦しい。


「あ、あ――」


 身体は金縛りにあったように硬直し、僕はただ、目の前に現れたそれらを見た。


 真っ黒の人影の向こうから伸びてきた刃が、僕の顔のすぐ横でぴたりと止まっていた。


 目の前の人が、縦に構えた刃でそれを受け止めている。


 少年だ。


 あのときの、森で出会った少年だ。


 その少年の肩の向こう、横向きの刃を振った正体。


 そこにいるのは――


「にい、さん……?」


 鬼の目のような眼光が、僕の目と視線を合わせる。


 その瞬間、世界がぐるりと反転し、僕の意識はそこで途絶えた。

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