第30話 深夜帯のバイトをしていたら
現在の時刻は22時5分。
閉店は深夜1時。
無論、客の振る舞いによっては多少前後することもある。
「よし、がんばるぞ」
裕子は自分の頬を気合を入れるために叩いた。
この時間帯になると、酒で気が大きくなった男性客の視線が無遠慮になってくる。
愛想よくするのが仕事とはいえ、身だしなみがいい加減な状態でフロアに出ると、それをネタに絡まれてしまうときもある。
男性客の一団に生ビールジョッキを3つ運び込んだ後、裕子は少しだけ店内のガラスを鏡代わりに髪型をチェックした。
「桐谷さん、3番テーブルから『生おかわり』入ってるから、そっち持ってって!」
店長の鋭い声が飛ぶ。
「はーい!」
精一杯声を張り上げ、生ビールをディスペンサーから注いだ。
黄金比の泡を作ったら、重いジョッキを手に取ってフロアへ行く。
完全に深夜帯に入った店内は「無法地帯」であった。
「お待たせいたしました、生ビールです」
「おっ、お姉さん、可愛いねぇ! 大学生?」
ビールを持っていくと、ネクタイを少し緩めた中年サラリーマンの集団から声がかかる。
完全に出来上がっており、顔は真っ赤で、目は座っていた。
「ありがとうございます、現役ですー」
裕子は大学では見せないような笑顔を作った。
ここで下手に冷たくすると問題視され、優しくすると気があると思われて連絡先を訊かれるようなことになるらしい。
先輩バイトからの忠告である。
「どこの大学? この辺だと木見北大?」
中年サラリーマンはそんなことを訊いて来た。
これは個人情報であるので、話す必要は無いし、逆に「トラブルになるから絶対に話すな」とも釘を刺されている。
「すみません仕事中ですので! ごゆっくりどうぞ!」
マニュアル返答をなるべく愛想よく聞こえるように明るく言って、空きジョッキを回収して裕子はその場を離れた。
すると
「桐谷裕子さん」
ボソリと耳に囁き声が。
振り返るとそこにクシナダが居た。
彼女は能面のような顔で
「……男子トイレで虹色のものが」
嘔吐物と言いたくないからなのか。
彼女はそういう言い回しで伝えて来た。
(来たか)
裕子の心が凍った。
クシナダの顔からすると、多分目視で確認をしているはずだ。
だからこその能面フェイスなのだろう。
「……ありがとうございます」
裕子は脳死で男子トイレに行き。
無人を確認した後、脳死で後始末をした。
トイレは大事だ。
トイレがまともでない飲食店は衛生観念が信用できない。
統計情報でそうなってるわけではないが、なんとなくそう思われるし。
なんとなくそう思われるだけで十分なのだ。
幸い、あまり盛大に零されていなかったので、始末はまだ楽だった。
そして時間が23時を回ったとき。
「赤ワインのデキャンタ―、お持ちしました!」
裕子は赤ワインがなみなみと入った透明な円筒状のデキャンタ―をテーブルに運び込む。
このテーブルの客はワイン党の人がいるらしく、このデキャンタ―は3本目だった。
ワイン党と思われるのは大柄な男性客で。
まだ若そうに見えた。
服装は黒Tシャツとジーパン姿。
20代後半くらいだろうか?
一般的なサラリーマンには見えない。
彼はだいぶワインが回っているようで。
テーブルにどん、と握りこぶしを振り下ろす。
どうも赤ワインのデキャンタ―を運び込むまでに白熱した会話をしていたらしい。
若干怒ってるように見えた。
彼は拳を振り下ろした後、怒り混じりにこう呟いた。
「多重債務者なんざカスどもだろうがよぉ……人間扱いする必要ねぇだろうがよぉ……」
(えっ?)
流石に物騒だ。
何を言ってるのかと思って固まってしまった。
すると他の客が慌てはじめる。
「あっ、ゴメン気にしないでお姉さん。俺たち別に犯罪計画を練ってるわけじゃないから」
「コイツが変なメールが来たからと、アホなことを言い始めてさ」
「ゴメンゴメンほんとゴメン。お願いだから通報はしないで」
で、その一団は聞いてもいないのに説明してくれた。
どうもこの男性は、間違いメールと思われるメールを受け取ったらしい。
それにはこう書かれていたそうだ。
このメールは多重債務者向けに開かれるギャンブル大会の案内状である。
そしてこのメールを本来受け取るはずだった人物はVIPで。
そのギャンブル大会にイカサマありの状態で参加できるらしい。
そしてこの男性は
「まるで〇イジや嘘〇いの世界じゃねえか! しかも相手は多重債務者! ゴミ同然の馬鹿どもなんだから、VIP待遇のこっちは一方的に狩れるに決まってる! 大儲けしようぜ!」
そう言って、彼らを誘ったらしいのだ。
普通に聞いていて、ただの詐欺メールや悪戯メールを本気にした馬鹿話にしか聞こえない。
だが……
裕子はその話で、少し思うところがあった。




