2 〝いべんと〟
◆◆◆
ゲームと現実は違う。
いかにゲーム世界と思しき異世界であっても、そこに生きている者たちからすれば、自分たちの生きる世界は紛れもない現実。当たり前の話だ。
そんな当たり前を、異世界転生人(暫定)であるカティは、改めて実感していた。
下級の演習場の隅っこ。今日も今日とて剣を振る、主であるダグラス・マーヴェインの横で。
これまでの〝カティ〟としての人生で、何度も痛感させられていたにもかかわらず。
「……暇ですね」
ぽつりと呟く。
「ん? なんだ? 暇を持て余してるんなら、久しぶりに手合わせでもするか? 学院に来てからは、〝原作〟を意識し過ぎてお前も鍛錬してなかっただろ? 正直、俺も少々鈍ってる」
従士の呟きに応じるダグラス。あくまで言葉だけ。その視線はぼんやりと前方を見据えたまま、遅々とした素振りを止めることもない。
「は? 嫌ですけど? どうして〝訓練所〟を出てまで鍛錬しないといけないんですか。それに、加減を知らないダグラス様とは、模擬戦だの手合わせだのはもう二度としないと……以前にお伝えしましたよね?」
ダグラスからの提案は、どうもカティにはお気に召さなかった模様。
この場面だけを切り取れば、怠惰で生意気な従士という印象だが、マーヴェイン家の〝訓練所〟が、彼女のトラウマになるほど、それはそれは過酷な環境だったことは記しておく。
なにしろ、マーヴェイン伯爵家は、生まれや育ちなどに頓着せず、オーブ使いとして才がある者らを、金と権力でかき集め、衣食住の面倒を見ながら、従士や魔導士として精力的に育成しているのだ。
〝人買い伯爵〟という不名誉な風評があるが、それはただの事実。
マーヴェイン家の訓練所にて、一定水準以上に育った者たちは、秘密裏に他の貴族家へ〝商品〟として売り出される。
リナニアの貴族社会では、そのような〝商売〟は、魔導士や従士の品格を貶める行為であり、貴族の風上にも置けぬと非難されている。非難されているのだが――。
マーヴェイン家の商売は上々だ。堂々と黙認されており、公の場で裁かれることもない。
需要と供給は商売の基本。要するに、いかに厳しい風評被害があろうと、〝客〟が途絶えないのだ。
よその貴族家や力のある商家などが、諸々の悪評を乗り越えてでも取引をしたいと思わせる〝商品〟を、マーヴェインは用意している。
当然、他家に売り出される〝商品〟の陰には、厳しい訓練の過程で〝壊れてしまった者〟も多い。
孤児院出身のカティも、幼い頃から、マーヴェイン印の品質保証付き商品となるべく、かの家が運営する〝訓練所〟で過ごしてきた。
彼女は〝特殊な事情〟を含めた諸々により、ダグラスの従士に収まっているが、それでも十分に〝商品〟として通用する水準にある。そこへ至るまで生き延びてきた。
「ふっ。気が変わってないかと期待したんだが……どうにも駄目そうだな」
「ええ。私は、身を守る以外での暴力の行使は好きになれません。鍛錬が必要なら一人で行いますし、ダグラス様のように、鍛錬そのものに喜びを見出すという、変態的な趣味もありません」
「……おい、誰が変態だ、誰が。相変わらず失敬なやつだな。そもそもはお前が暇だとか言うからだろうに……」
ダグラスからすれば事故のようなもの。従士の呟きに気を遣って話を振っただけなのに、思いの外に強い拒否が返って来た。暴言込みで。
「はぁ……私が暇だと言ったのは、別に暇つぶしを求めてのことじゃありません。学院に来てからは、それこそ〝イベント〟が立て続けにあったので気にする間もありませんでしたが……改めて、この世界は現実なんだと、物思いに耽っていたわけです」
「ん? ……あぁ。そういえばカティは昔から言っていたな。〝いべんと〟までの間が長過ぎて暇だのなんだのと……」
ゲームと現実の差。それが如実に表れるのが時間の経過だ。
ゲームでは、モノローグや回想シーン、ナレーション後の場面転換などが普通に行われていたが、現実にはそのようなシナリオ進行上のスキップ機能はない。途中で一旦止めたり、やり直したりという、ゲーム的なセーブ&ロードもない。
「しかしだな、主人公の次の〝いべんと〟は上級部門でのあれこれだろう? それに、もう俺たちに〝原作〟での出番はないんだ。暇になるのは、ある意味では当たり前じゃないのか?」
「ええ。もちろん分かってはいるんです。結局のところ、本当に〝原作〟通りになるのかを、いち早く確認したいと……私の気が逸っているだけです。ですが――」
カティにも自覚はある。前世の記憶らしきものを思い出してから、彼女はこの世界で十年以上を〝カティ〟として過ごしてきた。地獄のような訓練所での日々を。
現実はゲームのように、テンポよく次々とイベントが発生したりはしない。百も承知している。
それでも、今の状況には薄らと不満を覚えている。
「――ダグラス様が、こうもあからさまに餌を撒いているのに、未だに食い付いて来ない他家の従士らについては……少々思うところがありますね」
気怠そうに語っていたカティの目がすっと細くなる。なんだかんだと言いながらも、彼女はダグラスを認め、主として仰いでいる。
陰鬱な悪党面に、ドワーフだの小オークだのと揶揄される体型。
伯爵家の嫡子にして、上級オーブを擁する魔導士の端くれでありながら、決闘の場で下級オーブの平民従士に敗北するという無様を晒したことも相まって、ダグラスが周囲から侮られるのは仕方がない。
カティとて、原作の流れに沿うように、そうなるようにと、積極的に仕向けてもきた。ダグラスも〝悪役貴族キャラ〟を演じていた。
だが、今は違う。
貴族家の生まれながらに、ダグラスは剣による鍛錬を開始した。〝訓練所〟での日課を再開した。ヘルメイス魔導学院で素を見せた。
にもかかわらず、下級部門の従士たちは接触して来ない。警戒と猜疑があるのは分かるが、午前だけとはいえ、すでにダグラスがここで剣を振りはじめて五日が経過している。
「ふっ。別に俺は餌を撒いているつもりはないんだがな。ま、気付いている連中もいるし、のんびりと待っていれば、いずれ俺たちの〝いべんと〟も起こるだろうさ」
「だとよいのですが……」
〝原作〟という舞台を下りても人生は続く。ダグラスがこのままマーヴェイン家の嫡子という立場であれば、いずれ学院を去らねばならない。
そのままマーヴェイン家の庇護下で安穏と暮らせるなら、カティも従士としてそれを受け入れるのだが……〝原作〟の流れからも、現実的な判断としても、とてもじゃないが、ダグラスの先行きが愉快なものになるとは思えない。
一先ずのところ、〝原作〟での役割は概ね果たした。
このまま〝原作〟を見守るためには、どうにかしてマーヴェイン家の縛りを脱する必要がある。
二人は、そのための機会を待っていた。
◆◆◆
「くくく。喜べカティ、待望の〝いべんと〟だぞ?」
下級部門の演習場。
いつもは隅の方で、大剣の素振りをしているだけだったダグラス。
今の彼は、演習場のど真ん中にいる。ニタリとした悪役スマイルを貼り付け、どこぞの蛮族かの如く、大剣を肩に担いで仁王立ちしている。
「ぐ……ぅ」
「あが……ほ、骨が折れてる……ッ!」
「痛てぇ……」
ダグラスの周囲には三つの人影が横たわり、皆が苦痛に喘いでいた。
下級部門の従士。それぞれが貴族子弟に仕える者たちだ。
話の流れは、ある種のテンプレ的なもの。
演習場の隅で剣術の真似事をする、落ちぶれた伯爵子息に声を掛けた者たちがいた。
『これはこれは、お貴族様が剣術に励んでおられるようで。どうでしょう? 素振りをするだけでは物足りないでしょうし、実戦形式での模擬戦などはいかがですか? よろしければ、お相手を務めさせて頂きますよ?』
それはあきらかに侮蔑と嘲笑を含んだ申し入れ。そもそも、平民である従士が、先方の従士であるカティへ取り次ぎの伺いもなく、貴族子弟であるダグラスに直接声を掛けた時点で、狙いは明々白々。
浅はかな挑発だと分かっていながらも、その不躾な態度に思わずカティが反応しそうになったが、当のダグラスが制する。
『申し出に感謝する。恥ずかしながら、剣の扱いにはまだまだ不慣れでな。相手のある鍛錬ができるならありがたい。是非とも願いたい』
ダグラスのそんな応答にて、実戦形式の模擬戦と相成ったわけだ。
その結果が今。
白々しく絡んできた三人の従士は、己の得物を抜く間もなく、開始の合図からほんの数秒で、皆がまともに起き上がれなくなった。
「はぁ。ダグラス様、確かに私は、他家からの何らかの接触を待っていましたが……いちいち模擬戦の相手などはしなくてもよかったのでは? 彼らがダグラス様を侮っていたのは事実でしょうが、所詮はやらされていただけでしょうに……」
嘆息しながら零すカティ。いくら大剣の腹で殴っただけとはいえ、倒れ伏した従士らは重症だ。分かり易く骨折しており、下手をすれば内臓を損傷しているかも知れない。
「ふっ。あくまで一対一であれば、もう少し手加減してやってもよかったんだがな。ま、やらされた役割だったにしても、こいつらはまるで鍛錬が足りん。開始の合図の前に得物を構えていないばかりか、意図もない棒立ちのままとはな」
開始の合図と共に、ダグラスは一気に踏み込み大剣を振るう。まず、真正面で棒立ちだった一人の肩付近を、振り下ろし気味に大剣の腹で殴った。
油断していた一人目は、まともに反応もできず、無様な悲鳴を上げてそのまま崩れ落ちるだけ。それはまだいい。
だが、残りの二人は、一人目が倒された状況を見やりながらも、腰に佩いた剣を抜くことも、魔法を使うこともできないという体たらく。
止まることなく流れるように、右に左にと、ダグラスが振り回した大剣の腹で打ち据えられ、残りの二人も呻き声を吐き出すだけのオブジェと化した。
まさにあっという間のできごと。とても『剣の扱いに不慣れな貴族様』の姿じゃない。
この度の模擬戦を、薄笑いを浮かべて観覧していた者たちについては、そのニヤついた笑みはあっさりと剥がれた。
もちろん、はじめから結果を予見していた者たちからすれば、ダグラスの動きにそこまでの驚きはない。値踏みするように、彼の一挙手一投足を注視するのみ。
「確かに、ダグラス様の仰りたいことは分かりますけどね」
マーヴェインの訓練所を経てきたカティからしても、倒れている三人が〝従士〟と名乗るには疑問がある。少なくとも、自分と同じ立場だと思いたくないし、思ってもらいたくもない。この者たちは、マーヴェインの品質保証の水準に届いていない。
「さて。そうえば実戦形式だったな? 実戦であれば、その場に倒れて呻いているだけのやつなど、止めを刺されて終いだが? このまま続けていいのか? ちゃんと魔法で防がないと、次は命の保障はないぞ?」
不敵な笑みを浮かべ、ダグラスは肩に担いでいた大剣を大仰に掲げる。わざとらしく振りかぶりながら、呻くオブジェどもに問う。
「ッ!?」
「ぅあッ!?」
「ま、参りましたッ!! こ、こちらの負けです……ッ! も、申し訳ございませんでしたァッ!」
いとも呆気なく、三人の従士たちは役割を放棄する。いや、ある意味では、もう充分に役割を果たしたとも言えるか。
「ふっ。つまらんな。せめて、一撃だけもやり返してやろうという気概はないものか……」
「ダグラス様。それ以上はお控え下さい。その者らにも、主人となる御方がおられます」
模擬戦の物足りなさ、相手の不甲斐なさ、ついそれらを口にしてしまうダグラスを、従士であるカティが諫める。
それ以上いけない。
すでに勝敗は決した。いかに倒れ伏した従士らが未熟だったからといって、負けを認めた後にあれこれと言及するのは、彼らが仕える主への侮辱と受け取られかねない。
「おっと……確かにそうだな。この者らは主命に従っただけ。俺がどうこう言う筋合いじゃないか。――どうだ? 立てるか?」
従士の忠言を素直に受け入れ、大袈裟に振りかぶっていた大剣を下ろす。ダグラスは倒れている者らへと歩を進め、その容体を確認する。
「うぐぅ……わ、私は大丈夫ですが……」
最初に打ち倒された男が、よろよろと立ち上がる。左腕がだらりと脱力し、あきらかに骨が折れてはいるが、多少は動ける模様。
「ぐ……」
「……ぅぅッ!」
だが、他の二人はまだ立ち上がれない。座り込んだまま、上体を起こすのが精々というところ。大剣の腹で、それこそ腹部を強打されたことにより、肋骨や内臓にダメージがある様子。
「ふむ。救護室行きだな。カティ、確か下級の救護室は、基礎部門との共用だったな?」
動けない二人に対して、『鍛錬が足りない』と内心で嘆息しつつも、ダグラスは救護についての段取りを考える。
ただ、彼自身は、今さら貴族がどうのと振る舞う気もないため、動けないなら担いで行けばいいだろという、脳筋で雑な段取りでしかないが。
「ええ。確かに下級部門に専用の救護室はありません。しかしながらダグラス様、我々がそれらの手配をする必要はないようですよ」
「ん? ……あぁ、みたいだな」
ダグラスの雑な段取りを見透かしながら、カティは主に告げる。呻くオブジェたちは一旦置いておき、二人は近付いて来る人影へと向き直る。
「――従士の方に告げる。私の名はフリント。さる御方の従士である。主命により、ダグラス・マーヴェイン様にお目通りを願いたい」
ゲームフィクション的な〝リナニア戦記〟の世界でも少々珍しい、薄い紫銀色の髪と瞳を持つ長身の――フリントと名乗る男が、カティへと声を掛ける。
それは先方の従士に対して、主人への取り次ぎを願う儀礼であり、いわば形式的なやり取りだ。当然、目と鼻の先にいるダグラスにも聞こえている。
「ああ、もう今さらだ。いちいち形式的な取り次ぎなど要らん。従士フリント、この俺に一体どのような用件であろうか? ……ふっ。こうやって問うこと自体も、今さらと言えば今さらだな」
従士同士の形式的な問答を待たずに、ダグラスが従士フリントに促す。さっさと、その見え透いた用件を告げろと。
マーヴェイン家では嫡子として見限られ、貴族子弟として扱われていなかったためか、ダグラスは貴族社会での儀礼よりも、直接的なやり取りを好む傾向があった。
しかし、従士としての役割を飛ばされたカティが、微妙に嫌そうな顔をしていることには気付いていない。
「ありがとうございます。すでに察しておられるでしょうが、ダグラス様への用件とは、我が主が貴台との面談を所望されており、そのためのお伺い、先触れとして、こうして私が参上した次第にございます。その者らの救護についても、こちらで手配いたします故、お気になさらずに……」
ダグラスの性質を理解したのか、無為な問答を挟まずに、さっとその場で片膝をつき、するりと用件を述べるフリント。その流麗で隙のない所作を見るだけでも、フリントの仕える主が、それなり以上の〝上位者〟であるのが分かろうというもの。
「ふっ。主の名を明かさぬままの誘いときたか。どうやら、思いの外に大物の目に留まったようだな――くくく」
ダグラスは思わずニヤリと笑みを浮かべる。
彼としては、模擬戦相手の不甲斐ない従士らとは違い、何気なく片膝をついたフリントが、大剣の間合いのぎりぎり外を保っていることに感心しただけなのだが……傍から見ていると、どうにも〝悪役貴族キャラ感〟が強い。なにを企んでいるのかという猜疑が湧いてくる。
「従士フリントよ。このダグラス、貴公の主からの誘いを謹んで受けよう」
「――我が主の願いを聞き入れていただき、感謝に堪えません。では、さっそくですが、このままご案内させていただいても?」
「ああ、構わない。よろしく頼む」
鷹揚に応じるダグラス。上位者からの誘いは、彼とて望むところ。マーヴェイン伯爵家が下手に手出しできぬほどの相手であれば、なおのことよしだ。
ただ――彼の従士は、主ほどにどっしりと構えていられない。余裕がない。
「(う、嘘でしょ……ッ!? フ、フリント……ま、まさか、この人たちがダグラス様の餌に食い付くなんて――ッ!!)」
表面上は平静を装いながらも、彼女の内心は乱れている。
事情を知っていれば、それも当然となるリアクションだ。
なぜなら――
〈悪霊〉のフリント。
彼は〝リナニア戦記〟のネームドキャラだ。
〝カティ〟のような一見さん的な端役ではなく、〝ダグラス〟のような小者臭のする序盤の悪役貴族でもない。
どこかスポコン青春もの的なノリのある第一部ではなく、殺伐としたシリアス寄りの第二部での重要キャラ。
彼は第二部における、シナリオ上のボスキャラの右腕だ。
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