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リナニア戦記 ~悪役貴族と転生従士は平和の国の夢を見るか~  作者: なるのるな
3 変事の起こる地

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7『バウフマン領の変』の現場

 ◆◆◆



 バウフマン家の邸宅とは言うが、領内の執政業務を取り仕切る官庁舎という性質が強い。特に一階と二階については、日々官吏たちが出入りしており、とても大貴族の邸宅という雰囲気ではない。


 そのような官舎機能を持つ棟と繋がってはいるものの、日頃から厳しく立ち入りを制限されている棟やエリアもある。そちらこそが、バウフマン家の私的な邸宅と呼べる場所。


 ダグラスとカティが連行されて行ったのは、まさにそちら側であり、さらに上階の奥にあるという一室。


 磨き上げられた床に、点々と血と泥の足跡をつけながら、ダグラスとカティは到着した。バウフマン家の貴賓室とて扱われている広間に。


 多くの賓客を迎え、社交として夜会を開くには手狭ではあるが、ただ話をするだけであればあまりにも広いという具合。


 当然のように、そこにはアイリーン嬢が待つだけではなく、他にも顔が並んでいた。


「――改めて名乗りましょう〝オーク〟殿。私の名はアイリーン・バウフマンよ」


 貴賓室の真ん中。不自然に配置された豪奢なソファセットの前で、アイリーン嬢が、軍装のままではありながら、軽く貴族淑女の礼を取りつつ名乗る。


 血生臭い陰謀の渦中であるとは思えないほど(たお)やかに。


「これはこれはご丁寧に、麗しき淑女(レディ)。返礼の名乗りは必要ですかな?」


 未だに肩と下腿に矢を食い込ませたままの、血塗れの〝オーク〟が紳士的に問う。


「ふふ。すでに貴殿からの名乗りはお受けいたしましたわ」


 冷たい瞳で微笑む淑女。


 この場面だけ、このやり取りだけを切り取れば、リナニアの貴族同士が、社交の場で軽く挨拶をした程度に見える。


 もちろん、実態はそんな微笑ましいものであるはずがない。


 アイリーンの後ろ。豪奢なソファセットの中のある、大きな一人掛けのソファチェア。


 そこには貴婦人が静かに座っている。目を瞑り、もう二度と、心臓の鼓動さえ奏でないほど――静かに。


 背もたれにもたれかかるようにして、器だけを現世に遺している。


「(すでに亡くなっているのか。あのご婦人は……辺境伯夫人か?)」


 その年齢、見た目、貴人としての装いなどから、彼女がジュディ・バウフマン辺境伯夫人だと――ダグラスは目星を付ける。


『バウフマン領の変』の悲劇を彩る高貴なる御夫人。


 また、そのすぐ隣には、三人が腰掛けても十分な広さでくつろげるソファがあり、そちらには妙齢の女性が寝かされている。こちらはまだ、微かに鼓動を奏でている。ダグラスとカティの見知った顔。シリウス・バウフマンだ。


 さらにさらに、ダグラスから見て、アイリーンやソファセットのさらに後方には、複数人が身を縛られ、ご丁寧に目隠しの上で口まで塞がれ転がされている。


 ダグラスには、転がされている者の中の何人かにも若干の見覚えがあった。


 他でもない、バールライラでの戦闘で生け捕りにした〝正体不明の賊〟こと、マルバ都市同盟の兵士たちだ。見覚えのない者らにしても、その出自を同じくするのだろう。


 こちらも変事を彩ることになる人材。実行犯()


「(なるほどな。はじめから、計画ありきだったというわけか)」


 バールライラではしばらく前から、『マルバ兵を殺し過ぎるな』『生け捕りにしろ』という命令を受けていたが、ダグラスは腑に落ちた。瀕死の者すら治療し、バウフマン家へせっせと移送していたのは、このためだったのかと。


「(……醜悪を通り越して、いっそ邪悪ですね)」


 ただ、同じく諸々を察したカティの方は、腑に落ちるどころか強い嫌悪感をもよおす。禍根を残すくらいなら皆殺しにすればいいなどと極論を語った彼女だが、『(のち)に都合よく殺すために生かす』という所業には賛同できない。それは戦場で生死を懸けて戦うのとは、方向性がまるで違うと。


「さて……レディ・アイリーン。今のこの状況について、俺はなんらかの意見を求められていますか?」


「いえ、特にダグラス殿の意見や感想などは求めておりません。もちろん、貴殿らの主である、サリーア・バルボアナ殿からのご意見も……()は必要としておりませんわ」


「左様ですか。では、この不肖なる〝オーク〟は聞くに徹するとしましょう」


 口を噤む。今のアイリーンには……変事を引き起こした者らには、他者の意見など必要ないとダグラスは知る。意見を求めるのは()()にというわけだ。


「ふふ、ダグラス・マーヴェイン殿。貴殿はなかなかに見どころのある御仁ですわ。この世には、沈黙を保つことすらできない輩がいかに溢れていることか――――この私を含めて」


 アイリーンは自嘲気味に溢す。微かに冷たさ以外のナニかが……彼女の感情の欠片程度が声に乗る。


「――私は、私()()は、もう止まりません。偽りの現王家を打倒するまでは」


 アイリーンは淡々と冷たく、されど詩を唄うように語る。


 現王家はリーン=ゼアルを名乗る偽りの王家。簒奪者の血統。


 マルバ都市同盟は、リナニアから盗んだ資源を各地にばらまき、リナニアを攻め落とそうとしている。金勘定にしか興味がない下賤なる者ども。


 ギルギアス王国こそが、真なるリーン=ゼアルの血統を守護する者。


 リナニアは今こそ備えなければならない。間に合わなくなる。


 マウクト神聖国の手はすでに伸びている。


 バウフマン家は、真なるリーン=ゼアル王家にこそ(かしず)く。


 後世に伝える百年の安寧のために、苦難の五十年を戦い続けて見せる。


 我らの流した血は無駄ではない。真なる王家の道しるべ。


 リナニアには正しき王が帰還する。


 そのために我らはある。


 兵たちが囲む広間。ソファには母親の遺骸と意識を失った姉。後々に処分されるためだけに生かされ、拘束されているマルバ兵。


 それらをただの背景として、アイリーンはただただ語る。唄う。


 大貴族の後継として、冷たい威厳を、風格を纏う淑女。


 ほとんど意味の分からない唄を一方的に語り終え、余韻の静寂に包まれた彼女の姿は、ダグラスの目にはそうは写らない。


「――さて、ダグラス殿。なにか思うことがあればお聞きしますが?」


 何事もなかったかのように、彼女は問う。


「ふっ。思うことか……正直に言わせてもらえば、ただただ()()()()()な」


 嘲笑を浮かべながら吐き捨てるダグラス。そこに先の紳士的な態度はない。


「ふふ。なにがくだらないのかしら? 私たちは、現王家の偽りを剥ぎ取るために立ち上がったのですけれど?」


 ただ、礼を失する態度の〝オーク〟を前に、アイリーンはぴくりとも動じない。むしろ、どこか面白がっている。


「現王家がどうの、マルバがどうの、ギルギアスが、マウクト神聖国が……だからどうした? どのような理由を並べようが、貴台らが領民を殺した事実は変わらん。見え見えの自作自演であろうと、領主自らが被害を装う以上、公的に貴台らを裁く者などいない。ことさらに言い訳など吹聴せず、リナニア貴族らしく、我こそが正義だと太々しくおればよろしい。――あぁ。それとも、領民を殺したことではなく、母を殺したことを悔いているのか? ふっ。だとすれば、それこそくだらないな」


 断じる。


 どれほど高尚で壮大な目的を掲げようとも、その過程で殺された者からすれば知ったことじゃない。


 ダグラスとて多少は知っている。〝リナニア戦記〟の流れを。


 現王家には秘密があり、それを暴き、打倒するために立ち上がった勢力がある。


 後にバウフマン家は大公として名乗りを上げ、正面からリナニア王家に反旗を翻すというのも聞いていた。この度の『バウフマン領の変』がそのきっかけになることも。


 カティから、それらを〝物語〟としてはじめて聞かされた当時のダグラスは、思ったものだ。


『そもそもの動機からしてくだらない』――と。


「ふ……ふふ、ふふふ、あは……あはははははッ! はは! あはははーーッ!」


「……」


 にべもないダグラスの言に応じてなのか、突如として笑い出すアイリーン。淑女としてははしたないほどの大声で、大口を開けて。全身で笑う。愉しげに。冷たい権威者の姿を投げ捨てるように。


 その異様な様に、周囲に配された兵士たちは戸惑いを隠せないが……ダグラスとカティは特にどうということもない。静かにアイリーンを眺めている。


〝次〟に備えている。


 二人にはどこか感じるものがあった。彼女は〝ただの権威者〟ではないと。


「あははは……あーー……ふふ、久しぶりに笑わせてもらったわ。ふぅ……ダグラス殿。どうかしら? 私の手駒にならない? 貴方はサリーア殿のような、真っ当なリナニア貴族の御方には()()()()()()わ」


 その冷たい瞳の奥には、若干の興味が宿る。アイリーンは気まぐれにダグラスを求める。


「我が身には余りある光栄ですが、丁重に辞退させていただきまする。ふっ。どうにも俺は、アイリーン嬢を好きになれん」


 即答。興味本位で差し出された手を払う。その手を取れば、遠からず破滅するとダグラスの直感が囁く。


「ふふ。呆気なく袖にされちゃったわね。とても残念だわ」


 どう見ても〝とても残念〟とは思えない様子で、アイリーンは淡々と応じる。冷たい権威者の姿が戻って来る。


「この度の〝変事〟について、裏にある事情を――バウフマン家には真なる王家への忠誠があったのだと――それを伝え継ぐ生き証人を、父ローネル・バウフマンは求めたのよ。そうして選ばれたのがシリウス姉様。あくまで、渦中を生き延びればという条件付きでだけれど」


「……ふっ。本当にくだらないな。だが、その肩書はともかく、忠誠、誇り、名誉などと言いつつ、他者からの評価が気になって仕方がない小心者気質というのは、リナニア貴族の悪しき典型とも言える」


「ふふ。ダグラス殿の言う通りだわ。父ローネルは〝身を切るのも厭わない為政者〟を気取っているけれど、結局は妻殺しの責を、領民殺しの責を、我が身でまともに背負いたくないという小者でしかないのよ。――本当にくだらない。母様(かあさま)は、覚悟して事に臨んだというのに」


 その冷たい瞳に、侮蔑の色が濃く宿る。アイリーンは、父ローネルをくだらないと一蹴して見せる。


「……で? 結局、俺たちになにを望む? サリーア様の下へ戻り、バウフマン家の生き証人として振る舞えと?」


「ふふ。ダグラス殿にそのような役割を演じろとは言わないわ。ただ、この()()()()()()()()()を連れて行って欲しいだけよ。それでいいでしょ? ――シリウス姉様(ねえさま)?」


「ぅッ!?」


 アイリーンが振り返る。ソファに寝かされている、意識を失っているはずの姉を見やる。


 思わずびくりと反応してしまうシリウス。そういうところが、どうしようもないと言われる所以か。


「愚かな姉様。動けるようになったなら、さっさと私の首を掻き切ればいいものを。(さか)しらに事の経緯を探ろうなどとするから、殺すと決めた相手の話をだらだらと聞く羽目になって……機を逃すのよ」


「くッ!!」


 悪し様にこき下ろされたシリウスは、ソファからがばりと起き上がって飛び掛かる。当の妹に。


 アイリーンは特に抵抗しない。飛びついてきた姉が、自身の首に腕を回し、隠し持っていた短剣を喉元に突き付けるのをただ見ているだけ。


「なッ!?」


「アイリーン様ッ!!」


 もちろん、周囲の兵士たちは即座に反応したが、流石にシリウスの動きの方が早い。抜剣して一歩を踏み出すだけが精々。主が人質に取られ、停止を余儀なくされてしまう。


「アイリーンッ!! なぜだ!? なぜこのような暴挙に出た!! は、母上まで手に掛けたのか!? 父上はなにを考えているッ!?」


 シリウスは吠える。アイリーンとダグラスの応酬を聞いてはいたが、彼女にはなにも響いていない。なぜ暴挙に出た、なぜ殺したという疑問だけ。擦り切れてしまったその心を差し引いても、シリウスは大局の観る側の器ではなかった模様。


「――ふぅ。姉様、貴女がそんな風だから……私がやるしかなかったんじゃない。本当にどうしようもない人。はぁ……そんな有様じゃ、サリーア様の下に行っても、王国に吹き荒れる〝嵐〟を乗り切れないわよ?」


「なんの話をしているアイリーンッ!? 私はッ! 今回の虐殺がどうして行われたのかを聞いているんだ!!」


 まさにダグラスの言った通り。殺された側からすれば、バウフマン家の真なる王家への忠誠がどうのなど、知ったことじゃない。シリウスにとっては納得できる答えになるはずもない。


 殺した者と殺された者が、心の奥底から分かり合い、赦し合うことなどない。結局はそういうこと。


「ぁがッ!?」


 突然、シリウスの背にがつりという衝撃。立っていられないほどの。思わず、妹と共に前のめりに放り出されるほどの。踏み止まれずに倒れ込んでしまう。


『一体何が起きた?』


 その場の多くの者の意識が逸れる、認識が遅れる。ただ、ダグラスには見えていた。この場でただ一人、魔法によって底上げされた、その身体能力によって察していた。備えていた。


 周囲が動くよりも先に、カティと共に豪奢なソファの後ろへと身を隠す。


 ()()から。


 シリウスが受けた衝撃。それは飛来する矢に背を叩かれたためだ。殺傷力を抑えるために、先端に丸い包みを装着した矢に。


 部屋の奥。壁際に転がされていたはずのマルバ兵たちが、いつの間にか拘束を解いた上で、複数人が機弓を構えている。当然に矢は装填済みだ。


「ッ!?」


「ば、馬鹿なッ!?」


 バウフマン家の兵たちには動揺が走る。こんな展開は聞かされていない。知らない。


 残念ながら、マルバ兵は、その動揺が収まるまで待ったりはしない。無情にも放たれる。


 びん、びん、びん、と、矢を射出するための弦の音が幾重にも重なる。


「ぐァッ!!」


「ぎゃッ!」


「ふ、伏せ……ごぁッ!?」


 当然、その結果は阿鼻叫喚。弓でやり取りをするほどの広さのない一室。逃げようも避けようもない。そもそも、邸宅内にも魔力遮断が効いている。魔法による恩恵がない素の状態で、機弓の矢を見て躱すことなどほぼ不可能。


 一足先に退避したダグラスとカティ。強制的に床に伏せることになったシリウスとアイリーン。


 それ以外は、自力で機弓による横薙ぎの雨を凌がなければならない。


 しかも、なぜかマルバ兵は、装填済みの予備の機弓まで持っている。矢の補充さえしている。一射だけでは終わらない。連続して、死を運ぶ不快な音が響く。


 静かに座っていただけのジュディ・バウフマン夫人の器も、背後からのソファチェアごと矢を受け、床に放り出されてしまう。


 バウフマン側の兵たちが、一方的に()になるという悪趣味な時間が過ぎる。


「……ぅう……」


「く、くそ……い、痛てぇ……」


「な、なん……で、マルバ兵が……ごふ……」


 撃ち方であるマルバ兵の矢が尽きる頃、バウフマン側の兵士たちの呻き声で広間が満たされる。


「はん。どうやら兵たちはおおかた無力化したようだな。さて、肝心のお嬢様は無事なのかねぇ? ま、駄目だったら次案を採用するだけだが……」

 

 マルバ兵の側から、一人の男が立ち上がる。三十路過ぎの兵士だ。ついこの間まで、バールライラ山中にて、マルバ側の盗掘部隊を率いていた士官であり中隊長。名をニエス。


 彼は、彼らは、戦闘の結果としてバウフマン領軍に捕らえられたが、諸々の取引の結果により……


「――ふ、ふふ……ふ。よくやったわ。どうやら、私はここで死なないだけの運があったみたいね」


 広間の中央付近、ソファセットの陰から、ごそごそとアイリーンが起き上がってくる。その姿を確認し、ニエスもそちらへと歩を進める。


 そう。ニエスらは、今や彼女の私兵。手駒として動いていた。この一連の流れは、ローネル・バウフマンの計画にはないもの。アイリーン独自のもの。


 彼女にとっては、父ローネルの願いなど、本当に〝くだらない〟ものでしかなかったというだけ。


 本来の計画であれば、背に矢の打突を受けて倒れるのはアイリーンだったのだが、シリウスの乱入で少々筋書きが変わった。が、結果は特に変わらない。


 アイリーンは己の命が落とすことすら計画に入れ、考慮していた。死んだら死んだで、それはそれで構わないとばかりに。


「ぐ……ッ! ア、アイリーン……ッ!!」


 ただ、姉シリウスについては、本当に考慮の埒外だった。


「……どうしようもない姉様。なぜ、私なんかを庇ったのかしら?」


 アイリーンの顔や背中には血が付着している。それは姉の血。二人諸共に床に倒れ込んだ際、シリウスは咄嗟に、無理矢理にアイリーンへと覆い被さった。なにが起きているかは分からずとも、それが当たり前であるかのように。


 元々アイリーンは、伏せた状態で身を守れるように、機弓の狙いは腰より上にとニエスらに厳命していたため、覆い被さったシリウスが矢を受けることもなかったのだが……その直前に受けた、矢による打突で傷が開いてしまう。


 シリウスは激痛と出血を強いられる中、動いた。妹を守るため。


「く……ぅ……し、知るか……ッ! アイリーン! それよりも……お、お前は……父上さえ裏切ってなにをするつもりだッ!?」


 当のシリウスにさえ分からない。この醜悪な虐殺に関与する妹を守るつもりなどなかった。無茶な挙動により、こうして痛みで動けなくなると分かっていればなおさらだ。それでも体が勝手に動いてしまった。


「――まぁいいわ。ニエス、火を放ちなさい。父上の計画とは少し違うけど、()は予定通りここで死ぬわ。あとは運のいい何人かが……姉様にも頑張って生き残ってもらい、父上が望む生き証人ということにしましょう」


「承知した。ま、今さら疑っても仕方ないんだが……本当にマルバの長老の一人に話が通ってるんだな? マルバ方面へ向かったはいいが、ただの賊として、正規兵から熱烈に歓待されちゃ目も当てられねぇんだが?」


「ふふ。心配しなくていい。都市ガル・エライラのラヴァル長老が、裏口の戸を開けて待ってるわ」


 彼女とて、父の計画そのものを台無しにするつもりまではない。マルバ都市同盟が放った者らの襲撃を受け、焼け落ちる邸宅とともにアイリーン・バウフマンとジュディ・バウフマンは共にここで死んだ。暗殺された。


 その事実を最後の親孝行として父に捧げ、アイリーンは名を変えてバウフマン家を去る。彼女が私兵を連れてマルバ方面へ向かえば、そのまま撤収する暗殺部隊の裏付けとして、周囲の印象にも残るというところまで考えている。


 先に舞台から下りる。これを機に手を引く。どこぞの落ちこぼれた伯爵家の嫡子とは違い、アイリーンはリナニア王国を覆う暗雲とその先行きに興味などない。父ローネルやバウフマン家の大望についてもどうでもよく、観劇気分などもない。


 彼女は荒れる盤面を読み、時に己の命を運に任せ、その上で、目的を達せられるところまで駒を進めた。


 後は詰めだけ。逃げるだけ。


 アイリーンはある種の天才だが、それでも、ホッと一息くらいは付く。すべてが計算通りにいくと思っていた訳でもない。その上で計算通りにいったのだ。


 気を抜いた。ほんの僅か。


 そのまま意識をニエスに、私兵たちに向けた。〝次〟の段取りのために。


 まさにその瞬間。


 視界の端に動く影を見た。


 咄嗟に振り向いた彼女の眼前には――〝オーク〟がいた。



 ◆◆◆

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