5 絶望の中で
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シリウス・バウフマン辺境伯令嬢は知らなかった。知らされていなかった。
混乱のままに襲撃を受け、逃げ惑う中で従士ウォーレンが逝った。
主であるシリウスを守るために、襲撃者の刃の前に自らの身を差し込んだ。彼女に刃が届くのを防いだ。
彼はいくつもの刃に貫かれたが、血反吐を吐きながらも剣を振るい、襲撃者たちの数人を道ずれにしてみせた。
忠臣として仕えてくれた者の凄絶な死を前にしても、シリウスは立ち止まって悲しんでいられない。襲撃者は他にもいる。追って来る。
もう一人の従士ジョナスも手傷を負っている。
途中で拾った剣をめちゃくちゃに振るいながら、シリウスの視界にも、ひたひたと近付いて来る死の影がちらちらと見え隠れしていた。
まだだ。まだ死ねない。父上に問い質さなければ。なぜにこのような暴挙に出たのかと。
荒い息のまま、蒸せるような血の臭いに包まれながらも、死ねない理由を手繰り寄せ、シリウスは決死の思いで剣を振るう。
ごつりという鈍い感触が伝わる。振るった剣が、襲撃者の一人の顔面に直撃した。斬り裂くほどの技量はない。もはや鉄製の鈍器で殴るような有様だったが、それでも相手にとっては致命的な一撃だった。
警護兵の制服を着た女。
知っている顔だ。顔面を血に染めながら、少し驚いた様な表情のままに女は後ろに倒れた。即座に治療を受けなければ助からないだろう。つまるところ彼女は死んだ。
ふと目を向けると、従士ジョナスが、立ち塞がる老齢の男を斬り捨てたところ。
その男も、シリウスにとっては見た顔だ。長年、庭園を管理してくれていた庭師の男。最近、孫が生まれたと聞いてた。朗らかに笑っていた。
なぜだ。なぜに彼らは、彼女らは襲って来る?
分かっている。その指示を出した者がいる。強い強い強制力で。
「ぐぅ……ッ……シ、シリウス様! あ、あと少しです!」
ジョナスが声を張り上げる。
すでにシリウスにも分かっている。彼が言う〝あと少し〟に、自分たちが辿り着くことはないだろうと。
「――ジョ、ジョナスッ! すまない……ッ! わ、私は……ッ! 私はッ! 気付くことができなかったッ!!」
「シ、シリウス様!? 駄目です! あ、諦めては……ッ!」
死ねない理由たちが零れて逝く。手繰り寄せても手繰り寄せても、希望ではなく冷たい現実が押し寄せて来るだけ。
〝死〟が、じっと自分を見つめている。ちらちらと見えるだけじゃない。すでに視界のほとんどを覆っている。目の前に横たわって待っている。
その時だ。
「ガアアァァァッッッ!!!」
耳がびりりと痛む。空気の振動が身に感じられる。
視界が僅かに晴れる。
自然と音の方へと視線が向く。
「ダ、ダグラス殿かッ!?」
シリウスは見た。
音に反応して、同じようにそちらへと体を向けた襲撃者たちの――〝死〟を。
首が、腕が、足が、胴が、バラバラと吹き飛んで行く。
大剣が振るわれた結果として。
また一人……一つ、物体と化した上半身が僅かに宙を舞い、そのままばしゃりと地に落ちる。
右に、左に、大剣が行き来する度に、血と臓物、肉体の一部が撒き散らされる。
「ひッ!?」
「あがァ……ッ!」
「や、やめ……がぎゃ……ッ!」
これまで、ほとんど感情を見せなかった襲撃者たちの顔には、驚愕と恐怖が浮かぶ。背を向けて、大剣から逃げようとする者もだ。
「こ、これが……!」
シリウスも聞いていた。バールライラの戦場にて、ダグラス・マーヴェインは〝オーク〟の異名で呼ばれていると。
恐ろしげな凶相のままに、目で追えないほどの早さで大剣を振るう。〝死〟を積み重ねる。
さもありなん。
彼女は、死の影が晴れた視界で、確かに〝オーク〟を目撃した。
あっという間のできごと。シリウスとジョナスを追い詰めていた、襲撃者たちの囲いは消えた。皆が物言わぬ死体として横たわる。
のしりのしりと歩いてきた〝オーク〟が、シリウスの前まで来て口を開く。
「カティ。ジョナス殿を支えろ」
「あ……ッ」
あまりのできごとに、思わずその場にへたり込みそうになったシリウスだったが、その腕を掴まれ、引き上げるようにして無理矢理立たされる。他でもない〝オーク〟に。
「……ぐぅ……か、かたじけない……カティ殿……ぐぶ……」
「いえ、傷に触ります。礼など不要です」
同じくへたり込みそうだった従士ジョナスも、カティの支えにて立っている。立たされている。
「シリウス様よ。今座り込めば立てなくなる。無理にでも足を動かすんだ」
「く……しょ、承知した。ダ、ダグ……ラス殿、それにしても無事だったのか……?」
問いを口にしながらも、シリウスは、ダグラスに引きずられるようにして歩き出す。
「ああ。とにかく、俺たちは逃げる。この魔力遮断とやらの範囲外へ出て、サリーア様の指示を待つことになるが……シリウス様はどうする?」
片手でシリウスを支えながら、ダグラスは大剣をもう片方の手で構えつつ、周囲を警戒している。襲撃者のいない方向へと向かう。
「あ……わ、私は……バウフマン家の者として、父上を問い質さなければ……」
シリウスの口からは、死ねない理由がするりと出て来る。ただ、その答えをダグラスは鼻で笑う。
「ふっ。それで?」
「……」
シリウスとて分かっている。
ここまでの事を起こしてまで、父ローネル・バウフマン辺境伯公には目指すものがあるのだ。今さら娘という立場で何を問うたところで、父の行動に影響を及ぼすことはない。そもそも、娘の死すらも計画に織り込んでいたのだ。ローネルがシリウスを近付けさせるわけもない。排除一択だ。
「……しかし、私にはもう……」
歩を進めながらも、その歩みがどこへ通じているのか……もうシリウスには見えない。死の影は多少晴れたが、進むべき道が見えないまま。
「……ふぅ。今はまず、この場を離れるのが先決だな」
迷いは足を鈍らせる。ダグラスは歩きながら、カティに視線をやる。今はシリウスの悩みなどより、注視すべきものがある。
しかし、思っていたよりも限界は早かった模様。いや、すでに限界を大きく超えてなお、踏み止まっていたのだろう。
他でもないシリウスのために。
ダグラスの視線を受けたカティが、静かに首を振る。
「……残念ですが、ジョナス殿が身罷られました」
「――――ッ!?」
シリウスの耳に届いたのは従士の訃報。自身の足元へと落とされていた視線をがばりと上げる。斜め前にいる、カティとジョナスへと目を向ける。向けるが……やはり、そこには冷たい現実が横たわっていた。
先ほどまでは、カティが肩を入れて支えており、引きずるようにしながら歩いていた。そのはずだった。
今、ジョナスの右腕をカティが肩に回して支えているが……彼の首は脱力して、ぐったりと垂れている。左手で握っていた剣も取り落としている。その足にしても、引きずるようにじゃない。引きずられていた。
そこにあるのは肉体という器だけ。命の灯火はない。魂と呼ばれるナニかは……黄泉への旅路に出立してしまった。
「ぁ……な、……ジョ、ジョナ……ま……ッ……!」
喉の奥からなかなか出て来ない。さりとて、ただ飲み込むこともできない。シリウスの胸が詰まる。締め付ける。
「――遅かったか。カティ、ジョナス殿は言葉を遺したか?」
「はい。シリウス様へと言付かりました」
傍観者を望むダグラスであっても、助けようとして助けられなかった者への悔恨の思いくらいはある。
自身の醜悪さを自覚するカティもだ。死出の旅路を見送る敬意くらいは、彼女とて持ち合わせている。
カティはジョナスを支えたまま、ゆっくりとその場に片膝を付く。そして、そのまま、そっとジョナスを地に寝かせる。
静かに、両手を胸の上で組ませる。顔の血埃をハンカチで優しく拭う。
襲撃者が跋扈する敷地内。今は邸宅沿いに、庭園を突っ切ろうとするルート上だ。当然に目立つ。
邸宅の二階にいた者たちが、窓辺から外にいるシリウスの姿を確認し、ばたばたと動き出すのも見える。
時間を掛けられない状況。てきぱきと動きながらも、カティは決してジョナスの遺体を乱雑に扱うことはない。
「ま、待って……く……た、頼む……ジョ、ジョナスはまだ……ッ……!」
ただ、シリウスの心は擦り切れてしまった。ジョナスをそんな風に、遺体を扱うようにしないでくれと願ってしまう。従士の死を受け止められない。
しかしながら、ここでぐずぐずもしていられない。彼女の心の回復を待つ猶予はダグラスたちにはない。
カティが簡易的な葬送の儀式を執り行う中、ダグラスは決断する。大剣を地に刺し、空いた手でシリウスの首を……
「――すまない」
「ぁ……ぐ……ッ……ぅ……!」
頚動脈洞を狙って圧迫する。わずかな時で意識が途切れる。脱力する御令嬢。強制的に失神してもらう。
そうこうしている間にも、カティはジョナスの髪を少量切っていた。遺髪として、後にシリウスへと渡すために。
「――ジョナス殿。真に忠なる従士よ。どうか安らかに……」
カティは、ジョナスの組まれた両手に触れながらそっと呟く。
彼はやり遂げた。彼は従士として、主の守護を引き継ぐ者が現れるまで、現世に踏み止まり続けて見せた。それは賞賛に値する生き様。死に様。
「……ふぅ。ダグラス様。ごくごく簡易ではありますが、ジョナス殿の見送りをさせていただきました」
「あぁ。助かった。このままシリウス殿を抱えて逃げるぞ。あと、できればジョナス殿の剣も持っていってやりたい」
「はい。承知いたしました」
正直なところ、ジョナスが最期まで持っていた剣が、元々の彼の愛剣なのかはダグラスには分からない。だが、従士が主を守るため、その命が尽きるまで手放さなかった剣だ。目を覚ましたシリウスへのせめてもの慰めにというだけ。
邸宅の中にいた者たちが、ダグラスたちを目掛けて飛び出してくるのが遠目に見える。
「しつこいな。まだ活きのいいやつらも残っているのか」
「行きましょう、ダグラス様」
カティが先導のように先に走り出す。シリウスを荷物のように肩に担いだダグラスも、大剣を片手に後へ続く。
だが、彼らはその先が袋小路であることを――すぐに身を以て知る羽目になる。
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