2 渦中に
◆◆◆
「……ダグラス殿。確かに〝そのままでよい〟とは言いましたが……本当に戦装束のままで来る人がありますか?」
バウフマン家からの呼び出しは確かにあった。
ただし、あくまでダグラスとカティは、サリーア・レイ=バルボアナの代理として、彼女の友人であるシリウス・バウフマン辺境伯令嬢と面会するという形で。
いわゆる密会というやつだ。
当然、シリウス側にしても、バウフマン家の食客として、サリーアの従士たるダグラスが、バールライラで賊の掃討作戦に参加しているのは承知している。
だからこそ『戦装束のままでの来訪を許可する』としていた。ただ、それはあくまで形式的な社交辞令であり、建前に過ぎないのは子供でも分かろうというもの。
事前にそれなりの事情を知っているシリウスが、ダグラス(とカティ)を邸宅へと招いたのだが……サリーアの代理は、あろうことか、戦地の血埃を軽く払った程度の戦装束のままでふらりと現れた。
彼の代名詞となりつつある、存在感のある大剣まで背負ったままでだ。
「サリーア殿の代理でなければ問題にしていますよ? まったく……マーヴェイン伯爵家というのは、礼儀と恥を知らぬのですか?」
濃紺の長い髪を束ねた、当人にとっての正装……つまりはバウフマン領軍の礼装に身を包んだ妙齢の女性が、呆れを込めた冷たい視線を〝オーク〟に投げる。
彼女の名はシリウス・バウフマン辺境伯令嬢。次代のバウフマン辺境伯領を担う人材であり、文武両道の才媛。
シリウスは、あきらかにおかしな姿で現れたダグラスを邸宅に上げることはなかった。
付き従う従士の方はまともな恰好ではあるため、その意図が読めないという理由もある。
ダグラスとカティを待たせた上で、シリウスは軍装の上に剣を帯びた状態で、自らの従士らを引き連れて出向く。
今は門扉を挟んで対峙する両者という構図だ。
「ふっ。確かに礼儀としては申し訳ないと思いますが、なにぶん〝戦〟学菲才なる身。これも戦地の勘を削がぬためだとご理解いただきたい。あと、あくまで今の俺はサリーア様の従士でしかなく、マーヴェイン伯爵家との関わりはありません。もっとも、マーヴェイン家が礼儀と恥を知らぬというのは……特に否定はいたしませんが」
なにが戦地の勘だ。だったらお前の後ろに控えている、至極真っ当な恰好をした従士はどうなんだ。シリウス側からすればそう言いたいところ。
ただ、ダグラスとしては、決してシリウスを挑発しているわけでもない。街の中で臨戦態勢を維持しているのは、本当に備えているだけ。バウフマン辺境伯領、その領都にて起こるだろう変事に。
「ふぅ……まぁいいでしょう。この度は、サリーア殿と会うために必要な手続きだと割り切りましょう。噂に聞く〝オーク〟殿が、まさしくオークのごとき野卑な無礼者であるのには目を瞑りましょう」
「ふっ。この〝オーク〟めの無礼をお許しいただけるとは、まことに感謝に堪えませぬ。シリウス様の寛大なる御心を讃え、後の世に広く伝え継ぐ所存にございまする」
侮蔑を含んだ諦めを口にするシリウスに対して、ダグラスはここぞとばかりに慇懃に、リナニア貴族としての正式な礼にて頭を下げる。これについては完全なる煽りだ。
「ッ! ――では〝オーク〟殿……ッ! 予定を変更し、庭園の東屋へ案内いたましょう。こちらへ……ッ」
無礼者の煽りを飲み込み、平静に振る舞おうとするシリウスだが……あきらかに怒気が漏れている。素知らぬ顔をした部外者にも分かるほどに。
「(はぁ。いくら〝いかにもなリナニア貴族〟が気に入らないとはいえ、ダグラス様も幼稚な煽りを……まぁそれが効いてるシリウス様も、大貴族の御令嬢としてはどうかとは思うけれど)」
ダグラスとカティは、シリウスの従士らにがっちりと囲まれ連行されていく。
サリーアとシリウスの会談のために。
◆◆◆
フリントが契約する〈悪霊〉のオーブには、遠く離れた相手と双方向のやり取りを可能とする固有魔法がある。
もちろん、無条件に際限なくというわけでもなく、それなりの条件や準備も必要となる。
遠方の者とやり取りをするには、起点となる者に対して事前に魔法を掛けておかねばならない。そして、その起点となる者が直接遠方へと赴き、はじめて効果を発揮するというわけだ。
そもそも〈悪霊〉の魔法の本来の用途は、対象者の前に写し身を出現させるというものであり、あくまでその対象者とやり取りができるという性質の魔法。
対象者の前に写し身を出現させられるなら、その写し身の存在を濃くし、対象者以外に認識できるようにすれば――さらに有用ではないだろうか?
過去にそのように考えた者がいた。
今の契約者フリントは、過去の研鑽や研究を形にして利用している。
この度、起点となる〈悪霊〉の対象者は、他でもないダグラス。
彼の存在を通じてフリントは魔法を行使する。サリーアの写し身を、シリウスの前に顕現させる。
「ボクの従士がすまないね。シリウス殿」
シリウスが住まう邸宅の敷地内。
整然と整えられた草木、色とりどりの花で彩られた庭園の奥にある、東屋の椅子に優雅に腰掛けた、幻影のサリーアが軽く謝罪を口にする。
真白い髪に紅の瞳。妖しくも美しい上位者。
事前に言われなければ、その姿、その声、その存在感は、まさに目の前にいるとしか思えないほど。
「いえ、彼の非礼など、サリーア殿との会談の価値に比べれば塵芥ほど……謝罪の必要すらありません」
庭園用の頑丈なテーブルを挟み、辺境伯の令嬢たるシリウスが、無礼者への悪意を乗せつつ応じている。
〈悪霊〉の起点として、サリーアの傍らに控えているダグラスは、多少の悪意をぶつけられようとも動じることはない。
一見すると、ただの置き物、風景の一部と化してはいるが……その意識は周囲に向けられている。変事の予兆を察知するために。
「(――バウフマン辺境伯の留守中に、白昼堂々と領都の邸宅を襲撃し、要人たる辺境伯夫人とその娘を殺害。その上で襲撃犯の一部は、追手を振り切りバールライラ山中へと逃げ果せる――か。ふっ。とてもじゃないが、突発的な思い付きで成し得ることじゃない。あきらかに長い時を掛け、綿密に仕込まれた事業だ。確実にバウフマン側に内通者がいる)」
カティから状況を聞こうにも、この『バウフマン領の変』については、学院にいる主人公カイトが関与するイベントじゃない。
夫人と娘が暗殺され、バウフマン家とマルバ都市同盟が決定的に対立する発端の事件――となっているが、〝リナニア戦記〟においては、それらはあくまで、王国の不穏な空気感を醸し出すための舞台装置のようなもの。
その詳細までは語られていない。つまるところカティも知らない。
「(カティが知る限りでは、〝シリウス・バウフマン辺境伯令嬢〟なる人物は〝原作〟に出てこない。だが、実際には、こうしてサリーア様と連絡を取り合うほどの相手……さて、どうなることやら)」
ダグラスとカティは渦中にいる。だが、言ってしまえばそれだけ。事件を防ぐために動く気はないし、今さら〝個人〟が動いたところで、どうにもならないと見越している。
そもそも今の二人の立場では、貴人である暗殺対象者に近付けない。下手に接触を望めば、むしろ不審者として排除されのがオチだ。
ダグラスとカティからすれば、今の時期に〝バウフマン〟の名を持つ者に、その邸宅などに近付きたくなかった。本音では。
ただ、悲しいかな雇い主に首輪を引っ張られては、立場上ダグラスは逆らえない。まだ、サリーアの下を去るには惜しい。
「――サリーア殿。たしかに貴女の指摘通り、バウフマン領とマルバ都市同盟との〝現場〟での関係性は年々悪化しております。双方共に〝逸脱した行為〟が増加しており、一部では報復合戦の様相を呈しています」
「報復合戦か。たとえまだ一部のことであっても、振り上げた拳を静かに下ろせない状況に陥っているのは――傾向としては不味いね。ただ、どうにも不自然だ。金勘定を優先するマルバが、今の状況を本気で望んでいるとも思えない」
サリーアとシリウスとの会談。
まずはバールライラ山中での攻防の激化を話題にしているが、その辺りの具体的な情報については、事前にやり取りが済んでいる。そもそも、サリーアとて手駒の部隊をバールライラへ送り込んでいるのだ。現場からの情報も直接得ている。
本題はまた別。その先。
「サリーア様。ここから先を語る前に……疑うわけではありませんが、この〝オーク〟殿は信用できるのでしょうか?」
シリウスは、置き物と化したダグラスを冷たく一瞥する。
流石に彼女も、サリーアが用意した手駒を本気で疑っているわけでもない。
単にこの無礼なオークが気に入らないという不快感を、軽く表明しただけ。それがどれほど愚かな振る舞いであるかを自覚せぬまま。
「ボクとしても、別にダグラス殿に信を置いてるわけでもないよ。だからこそ使い勝手がいいとも言える。ふふ。ま、この会談の内容を外部に売るような、分かり易く馬鹿な真似はしないさ。――そうだろう、ダグラス殿?」
幻影のサリーアが、斜め後ろに控える信用ならない従士へと確認する。
「ええ。自分で言うのもなんですが、俺はそこまでの阿呆ではありません。仮にサリーア様の下を去るにしても、もう少し目立たぬ方法を考えます。もちろん、シリウス様が俺に不審を抱かれるのも理解しておりますが、今の俺の立場といたしましては、そのような嫌疑を掛けられてしまっては……どうかご理解いただきたいのですが……シリウス様の後ろに控えておられる従士の方々に対して、俺の方からも信を問わねばなりませぬ」
慇懃に軽く頭を下げながら、ダグラスはシリウスに投げ返す。無礼には無礼を。嫌疑には嫌疑を。
「なッ!? し、信を問うですって!? 無礼者めッ! 貴公は私の従士らが信用できないと言うのかッ!?」
呆気なく激昂するシリウス。当然のように、彼女の従士らも呼応するかのように気配がざわつく。魔力が荒ぶる。
ただ、残念なことに、先に嫌疑を投げてしまったのは彼女の方だ。無礼については……ダグラスの方が先だったかも知れないが。
「(はぁ……ダグラス様も、面倒なことに首を突っ込むような真似を……もう放っておけばいいのに……)」
すまし顔で背景と同化していたカティが、内心で溜息を吐く。彼女には、この先の流れが理解できた。ダグラスとの以心伝心だ。主に悪い意味で。
「当たり前だろうがァァッッ!!!」
「なッ!?」
「ッ!?!?」
怒号が響きわたる。
裂帛の気合いと共に、威圧を込めてダグラスが突如として吠える。腹の底から。
「ぅッッ!?」
これには流石のシリウス嬢も面食らう。魔力を込めた怒号に動揺し、気圧される。
「ら、乱心したかッ!?」
「狼藉を働くなら容赦せんぞッ!!」
護衛である従士たちも、主と同様に虚を突かれて一瞬怯みはしたが、そこは本職。すぐさまに主の前へと身を躍らせる。臨戦態勢だ。
「ふはははッ! 即座の臨戦態勢やよしッ! しかし! この度は貴殿らの主、シリウス様の愚かさが招いた事態であるぞッ!!」
「わ、私の愚かさですって!? ダグラス殿! 一体何の話をしているのですッ!?」
堂々と愚か者などと言われては、シリウス嬢も黙ってはいられない。先ほど気圧された分を、一気に押し戻す勢いで応じる。
「――くく。まさか本当に分からないとはなぁ……ッ」
先の怒号から一転。静かな口調となるダグラス。いや、言葉こそ静かではあるが、その顔は、獰猛な魔物のごとき凶相を張り付けたままに――嗤う。
「く……ッ!?」
場が呑まれる。冷たい静謐を湛えたダグラスに。幻影のサリーアも、事の推移を見守る。口を挟む気はない模様。
「愚かな辺境伯令嬢よ。俺はサリーア様の従士ではあるが、同時にバウフマン辺境伯の食客として、部隊を率いてバールライラ山中での軍事行動に正式に参列している。つまるところ、一時的ではあっても、俺はバウフマン領軍に属しているのだ。――この意味を、俺の立場を、本当に理解しておられないのか?」
「……ッ!」
静かに、まるで幼子に言い聞かせるように語るダグラス。まだその意味の全容には及ばない。が、シリウスの瞳には、欠片ほどの理解が灯った。
「貴台の物言いは、もちろん俺個人へ宛てたものなのは理解している――が、〝今の俺〟を信用できぬと断じるのは、それすなわち、領軍の〝兵への侮辱〟に等しい物言いだと……なぜに分からぬ? なぜに口に出す前に考えなかった? バウフマン辺境伯家に生まれた者は、軍の指揮権を持つに相応しくあれと教育されていると聞いていたが……自領の兵士に対して、己の快不快で信を問うのが、兵を率いるバウフマン家の者として相応しい振る舞いなのか? それがリナニア貴族のあるべき姿か? 信が置けぬのは、従士ではなく貴台であるとなぜ気付かぬ? ……さぁ、心して答えるがいい――愚かなシリウス・バウフマンよ」
「ぅ……ッ!」
それはある意味では正論だが、ある意味では暴論。言い掛かりに等しい物言い。
だが、この場においては、ダグラスの言い分は通る。なぜなら、彼がバウフマン領軍に属し、前線で戦っているのは、その血を流しているのは、紛れもない事実だから。戦果を上げ、バールライラ山中で〝オーク〟として認知されるに至っているから。
敵からは侮蔑と恐怖を込めて。味方からは畏怖と安堵を込めて。
紛争が絶えない地であるからこそ、バウフマン辺境伯領においては、兵として戦う者には敬意が払われる。尊重されるべき者として扱われている。
現に、シリウス・バウフマン辺境伯令嬢の従士らにしても、問答無用でダグラスを排除しようとはしなかった。あくまで、主を守護しながら次の出方を待っていた。
四人いた従士の中で二人だけが。残る二人は……少々奇妙な動きを見せた。見せてしまったというわけだ。
「ふん。まぁいい。今は愚かな御令嬢に構ってもいられない。さて、サリーア様もよろしいですね?」
「――ああ。任せるよ。いつから狙っていたのかは……後でじっくりと聞かせてもらうとするさ」
「……?」
シリウスは気付かなかった。認識できていなかった。彼女に仕える《《まとも》》な従士らも。
「動かないでもらいましょう」
「!?」
「……ぅッ!?」
いつの間にか、カティがシリウスの背後に回り込んでいた。いや、より正確には、辺境伯令嬢の二人の従士の背後に。
カティからすればどうということもない。場の意識がダグラスに向いた際に、すたすたと歩いて背後へと回り込んだだけ。
もっとも、より場を俯瞰して観られる立場だった、幻影のサリーアすら僅かに欺いて見せたことにより、その警戒度が若干上がってしまったが。
そんなカティの左右それぞれの手には短剣。すでに必殺の間合い。二人の従士の首筋には、冷たい刃が添えられている。
◆◆◆




