1 ある英雄譚の幕開け
◆◆◆
「――分かった。その条件に乗ってやるよ」
くすんだ赤毛の少年がそっと呟く。
ボロボロだ。
衣類の所々は破れ、露出した肌も裂けて血が滲んでいる。
明らかに激しい暴力に晒された痕跡が見て取れるが、その淡い褐色の瞳には強い意志が宿っている。
屈してはいない。
囁くような声量とは裏腹に、彼の内面には燃え上がるような決意があった。
身の丈に合わない大剣を支えに、よろよろと立ち上がる。抗う。奮い立つ。
「カイトッ!?」
そんな少年の姿を見て、周りから悲鳴に似た叫びが上がる。
声の主は見目麗しい少女だ。彼女がカイトと呼んだ少年の身を案じているのは一目瞭然。
「ぐははははッ!! 確かに聞いたぞ! 二言はないな平民ッ!!」
また別の声。濁った高笑いが響く。
こちらは上背に比べ横に体積があるずんぐりとした体型の男から。
カイトと呼ばれた少年の呟きに応じる形なのだが……男の顔は醜悪に歪んでいる。そこに浮かぶのは愉悦と嘲笑。意地を張る愚かな平民を嗤う。
「お、お待ち下さいダグラス殿! もう勝敗は明白でございましょうッ!? カイト! 前言を撤回して負けを認めなさいッ! これは主としての命令です!」
悲痛なる懇願にして命令。見目麗しきフェリシア・ブランデール子爵令嬢が叫ぶ。
「……」
だが、彼女に仕えるカイトは……決意を秘めた劣勢の少年は、その命令を聞かない。聞けない。
「くくく。これは略式とはいえ、ヘルメイス魔導学院の作法に則っての〝決闘〟なのだ。いかに婚約者殿の頼みであっても聞くことはできぬ。そもそも、この平民をけしかけたのは婚約者殿ではないか? ぐはははッ!」
そして、フェリシアが懇願した相手も同じく。
不機嫌と陰鬱が張り付いたかのような表情。
平均値を大きく越えた幅と厚みのある体型も相まってか、まるで魔物のような雰囲気を醸し出す……ダグラスと呼ばれた男が、麗しき少女の願いをあっさりと撥ね付ける。
カイトとダグラス。
対峙する両名を、一段高くなった観覧席から見学者らが見守っている状況。
それはヘルメイス魔導学院の訓練場での一幕。〝決闘〟はすでに最終局面を迎えていた。
「くッ!? バ、バーディス教官! 勝敗は決したでしょう!?」
すぐにフェリシアは、この決闘の見届け人である学院の教官へと矛先を変える。
「……優劣はあきらかだが、まだ勝敗が決したとは言えない。当事者が続ける気である以上、見届け人が関与する場面ではない。フェリシア・ブランデール子爵令嬢よ。気に入らない状況だったとしても、これは君が従士カイトに決闘の許可を出した結果でしかない」
彼女の願いは叶わない。当たり前だ。残酷な装飾はあれど、ダグラスが提示した〝条件〟は、決闘の場においては真っ当な部類のものでしかないのだから。
このヘルメイス魔導学院は、リナニア王国における魔導の研究機関であり、一定の素養がある貴族子弟にとっては在籍が義務となる学び舎。
また、水準以上の素養があれば、平民も在籍が許されているが、それはあくまで貴族子弟の従士という形でだ。
称賛も不名誉も懲罰も。
善くも悪くも、従士たる平民の立ち振る舞いやその結果についての責は、その一切を主である貴族子弟が負う。
この度、フェリシア・ブランデールの従士として学院に在籍するカイトが、フェリシア嬢の婚約者であるマーヴェイン伯爵家のダグラスに決闘を挑んだ。
それを許したのは主であるフェリシアであり、いざ決闘となれば、作法に則り当事者同士が雌雄を決するだけのこと。
貯水の堰を開放すれば、水は高地から低地へ流れていく。
それほどに当たり前の話だ。
たとえその過程でどれほどの被害を生もうと、流れ始めた水そのものを責めることはできない。
責められるべきは、堰を開放した者――許可を出した者だ。
「……次の一振りが届けば俺の勝ちでいいんだな?」
痛みと傷で軋む身体を叱咤しながら、大剣をゆっくりと振り上げるカイト。
まるで天を突くような大上段で構える。静止する。
「くく。あぁ、マーヴェイン伯爵家の者に二言はない。次の一振りが届き、俺にかすり傷一つでもつけることができれば貴様の勝ちで構わん。だが、届かなければ貴様の負けだ。跪いて俺の靴を舐めれば右目と右腕だけで勘弁してやろう。どうだ? 身の程知らずの愚昧な平民相手に命を保証してやろうというのだ。俺は心優しい貴族様だろう?」
ダグラスからすればお遊びのようなもの。決闘などと言い出す威勢の良さの割りに、カイトはまるで手応えがなかった。
実力差が明白であり、軽く痛めつけて終わるはずだったのだが、何度となく立ち上がって負けを認めない。
いい加減うんざりしたダグラスが、さっさと終わらせるために条件を出したという次第。
それはカイトからすれば破格のもの。
なにしろ、まともにやればまるで相手にならない。はじめからカイトに勝ち目などなかった。それは皆が承知していた。当のカイト自身ですら。
それでも彼には、戦う理由があった。
だからこそ巡って来たとも言える。千載一遇の好機が。
「……なら、その心優しい貴族様に重ねて願いたいことがある」
大剣を……具現化した魔導宝珠を構えたままにカイトは口を開く。
オーブ。
それはか弱き人族に〝魔法〟という奇跡の力を授ける神秘の魔導具。
嘘か真か作り話か真実か。遥かなる神話の時代に、女神が人族の窮状を憂い、手ずからに生み出した物だと伝えられている。
しかしながら、いかにオーブが奇跡の力を秘めるといえども、そこには明確な優劣が存在する。
カイトの持つオーブは下級の無銘。魔力の強化によりいくらかの魔法は使用できるが、特殊な効果や強い魔法が使用できるわけでもない。まさに見た目そのままに大剣として振るうという性質のもの。
間違っても、学院に招聘される貴族子弟が扱うようなオーブではない。
それでもカイトは、お構いなしとばかりに大剣にありったけのエーテルを込める。真っ直ぐにダグラスを見据えながら猛る。
「くくく。フェリシア嬢の従士ともあろう者が、これほどまでに厚かましく恥を知らぬ愚昧な平民だとはな。貴様は条件を飲んだ。もはや泣き言は聞かぬ」
ダグラスは右手首に食い込む金色の腕輪をかざす。
それは〈四精〉の銘を持つ上級オーブ。
地・水・火・風、四つの属性魔法を扱えるようになるという、マーヴェイン家が秘蔵していた稀少な一品。
これ見よがしに魔力を発露する。威圧する。
「泣き言じゃない。俺が負けたなら、右目右腕だけといわず四肢を丸ごと差し出してもいい」
二人のエーテルを比べれば、吹けば飛んで行ってしまうほどに差がある。もちろん、飛ぶのはカイトの方だ。
それでもなお、彼は決着後の条件を重くする。その覚悟を、口にした。
「ッ!? カ、カイト!! け、決闘の場で迂闊な発言は慎みなさいッ!」
「ぐはははは! 聞いたなバーディス教官よ! 俺はその条件を了承するぞッ!」
「……見届け人として、双方の合意を確認した」
学院の決闘自体は不殺が前提だが、決着後についてはあくまで当事者同士の合意による。また、それがどのような内容であっても、合意した以上は反故にするよう真似は許されない。
傍から見れば、カイトが自身に不利な条件を追加しただけなのだが、それこそが彼の狙いだった。ダグラスが早々に食い付くことを含め。
「ただしッ! 俺が勝った場合は、その〈四精〉のオーブを返してもらう! ルインダールの名の下になッ!!」
「ッ!?」
これこそが彼の本願。すべてはダグラスの持つ〈四精〉のオーブを取り返すため。滅びた一族に鎮魂の凱歌を奏でるため。
「……〈四精〉を返せ? ルインダールだと? くくく、これはまたずいぶんと古臭い話を持ち出して来たな」
「マーヴェインにとっては大昔のことかも知れないが、俺たちにとってはまだ終わっていない話だ。……さぁ! どうするダグラス・マーヴェイン! 俺の条件を飲むのかッ!?」
他者の目がない場面ならいざ知らず、ここは見届け人と観衆がいる決闘の場だ。
圧倒的に優位な立場にある貴族子弟が、平民の従士ごときにここまで言われて引き下がるわけにはいかない。先に重い条件を相手が引き受けたならなおさら。
それらを見越しての賭け。
カイトはこの瞬間のために、ダグラスに勝敗の条件を飲ませるために、この身の程知らずな決闘に臨んだともいえる。
「……くく、まぁいいだろう。だが、古臭いルインダールの名を出した以上、よもや四肢だけで済むと思ってはいないだろうなぁ?」
若干のしてやられた感を抱きつつ、ダグラスも条件を飲む。飲まざるを得ない。その上で彼は、カイトの命を天秤に乗せた。
「俺は正真正銘、命を賭す。俺が負ければ、殺そうが奴隷として扱おうが、その時は好きにすればいい」
「カイトッ!」
フェリシアの悲痛な叫びに、もう誰も応じない。彼女の願いは空虚に、場を素通りするだけだった。
「(フェリシア様、すみません。でも……それでも俺は、やらなきゃならない……ッ!)」
内心で主に詫びながらも、カイトは掲げた大剣に、自らの命と一族の悲願という名の怨念を乗せる。
結果が望みに繋がらないとしても、彼はやる。やらなくてはならない。
「ふん、とうの昔に落ちぶれたルインダールと貴様がどう関係するのかは知らんが――本来であれば、薄汚い平民の命なんぞが〈四精〉に釣り合うはずもない。せいぜい光栄に思うんだな」
もはやダグラスの悪態もカイトには聞こえない。届いていない。
「ガァァァッッッ!!!」
勝敗の条件が決まったなら、後は様子見などなし。裂帛の気合と共に、ありったけのエーテルを込めてカイトは踏み込む。ダグラスに向かって一直線に。
「ッ!?」
不意を突いてのその踏み込みは、まさに電光石火。これまで以上で、とても満身創痍の者の動きではない。
瞬きの間に間合いを潰す……と同時に、彼は自身の命を乗せた大剣を振り下ろす。
技としてはまだまだ拙いものの、それはまさに鬼気迫る剣撃。
瞬間。
まるで聖堂の鐘を打つような、重い重い衝突音が周囲に轟き渡る。
「ぐ、ぐはははッ! 舐めるなッ! この愚民がァァッッ!!」
それはこれまでと同じ光景の繰り返し。
迫力と威力は増せども、カイトの剣は届かない。
ダグラスの、〈四精〉の防御魔法によって阻まれる。
混ざり合う地水火風の魔力が障壁となり、大剣の侵入を許さない。攻撃を拒む。
それどころか、障壁から漏れ出る魔力によって、カイトの身はばちばちと打ち据える。新たな傷とそこからの出血を強いられる。
斬りかかったカイトの剣は障壁に阻まれ、即座に弾き飛ばされる――それが、これまでの流れだった。
「ガァァァァァッッ!!」
今回は踏み止まった。障壁と接したまま、踏ん張る。カイトの一振りはまだ終わらない。
『このまま障壁ごとダグラスを斬る。一撃を届けるまでは引かない。引いてたまるか。どうせもう戻る場所はない』
そんな想いが彼の内側で渦を巻く。
「ふ、ふはははッ! い、いくら吠えようが結果は変わらんわッ!!」
不退転の覚悟を隠そうともしないカイトに気圧されたダグラスだったが、すぐに自身の優位が揺らがないと思い返す。
叫ぶだけの無力な平民など、下級オーブの力など恐るるに足らずと。
しかし、その優位はすぐに揺らぐ。
「がァァああああああああああッッ! 〈四精〉ッ!! 邪魔をするなァァァッッッ! 元々お前はルインダールの守護オーブだろうがッッ!!」
地に足がめり込む。僅かに。
全身が前へと動く。若干。
切っ先が下がる。ほんの少し。
「な、なにッ!?」
大剣と障壁がばちばちと激しい音を立て続けている中、ダグラスは気付いた。極々小さな動きではあったが、大剣が近付いてきていることに。
「――――ッ!!」
声にならない叫びを喉の奥に押し殺し、カイトはさらに踏み込む。
「こ、この下民がッ!!」
自身に迫る大剣を払い除けるため、咄嗟にダグラスは右手をかざす。防御ではなく攻撃へと切り替えようした。
――悪手だ。
障壁を保ったまま、攻撃へと転じようとしたその刹那。
「ァァァァァッッッ!!」
まるで金属を擦り合わせたような甲高い音を引き摺りながら、カイトの剣が障壁を裂いた。
斬った。
とうの昔に落ちぶれた一族の、薄汚い愚民と見下された者の一念が通る。
「なッ!? ば、馬鹿なァァッッ!?」
障壁を斬り裂いた勢いのままに、大剣が地に激しく衝突する。
訓練場そのものを揺らすほどの衝撃と共に、込められていたエーテルが一気に弾ける。
地を抉り、場に衝撃波を生じさせるほどの力が放たれる。
「ぅぐぁぁぁッッッ!?」
舞い上がる土煙よりも早く、重々しいダグラスの肉体が軽々と吹き飛ぶ。弾むように、転がっていく。
「が! ごッ! ぐぎゃァッ!!」
くぐもった叫びと共にダグラスは止まる。重量感のある肉の塊が、弾んだ勢いのまま訓練場の壁に激突した結果として。
「……」
静寂に包まれる訓練場。
決闘の行方を見守っていた者たちも、見届け人である教官すら、一時声を失う。
「――お、俺の……勝ち……だ……」
徐々に薄くなっていく土煙の中心で、地にめり込んだ大剣を握りしめたままにカイトが呟く。
その身はまさにボロボロ。無傷の箇所を探す方が難しい。
それでも、彼の瞳には強き意思がありありと宿ったまま。
「……見届け人であるバーディス・スロストがここに宣言する。事前の合意により、この決闘はブランドール家の従士カイトの勝利とする」
状況を確認した見届け人が決着を告げる。その瞬間、改めて場が動きはじめる。
「カイトッ!! 貴方の勝利よッ!!」
金糸のような眩い髪をなびかせ、フェリシア・ブランデール嬢が一段低くなった訓練場へと飛び降りる。勝利者である従士のもとへと駆ける。
「フェ、フェリシア様……俺の身勝手に巻き込んで申し訳ございませんでした……ですが、これで俺の……ルインダールの願いのいくらかは叶いました」
「いいのよカイト! 従士の願いを聞き届けるのは、主としての務めなのだから!」
ずるずるとその場にへたり込みそうになったカイトを、フェリシア自らが抱きしめるようにして支える。
美しきかな主従愛。
ほんの少し前、敗北を認めろと命じていたのは誰だったのか。聞かなかったことにしておくのが、弁えた者の嗜みというものだろう。
「……無銘の下級オーブで魔法障壁を斬ったのか?」
「まさか従士の方が勝つとは……」
「流石に油断し過ぎだろう」
「栄誉ある貴族家の者が、平民ごときに敗れるなど……」
静まり返っていた訓練場に、囁くようなざわめきが広がっていく。その多くは結果に対しての驚きだ。
勝敗の余韻に浸る場において、ひと際大きい声が響く。
「――お待ち下さい。今の決着に異議を申し立てます。発言の許可を」
異議申し立て。勝利の熱に浮かされた主従に水を差す。
今しがたフェリシアが飛び降りた観覧席から待ったが掛かった。
当然ながら、その声は敗者となったダグラス・マーヴェインに仕える者からだ。
「発言を許可する。見届け人として異議を聞こう」
学院の教官にして、この度の決闘の見届け人を務めたバーディスが応じる。
「ありがとうございます。私はダグラス様の従士たるカティと申します。異議についてですが、ダグラス様と従士カイトが合意したのは、〝次の一振りが届けば従士カイトの勝利、届かなければダグラス様の勝利〟だったはずです。ですが、従士カイトの剣はダグラス様の魔法により一度は阻まれました。その後、障壁を斬り裂かれた衝撃によりダグラス様は吹き飛びましたが……果たしてそれは〝一振りが届いた〟と言えるのでしょうか? ダグラス様に剣撃による傷はないはずです」
カティと名乗った若い女が、淡々と、朗々と語る。
あくまで条件は剣の一振り。ダグラスに剣傷はない。一振りが届いたとは言えない。だから、勝負はダグラスの勝ちのはずだ。
それは難癖と言って差し支えないが、ダグラス・マーヴェインの従士という立場上、彼女は主の敗北を易々と認めるわけにはいかない。
このままだとダグラスは、余裕綽々で決闘に挑んだにもかかわらず、無銘のオーブ持ちである平民従士に負け、あまつさえ家宝級の稀少なオーブを失うという大失態。
しかも、決闘の相手は婚約者殿の従士ときた。
ただでさえ貴族社会で風評がよろしくないマーヴェイン伯爵家だ。
ここぞとばかりに周囲から笑い者にされ、醜態を晒したダグラスが冷遇されてしまう未来がカティには見えている。
「従士カティの異議は理解した。だが、それでも従士カイトの勝利は変わらない。その目でしかと確認するがいい。あの瞬間、ダグラスがかざした右手に、従士カイトの剣が僅かに掠めていた。かすり傷であっても、従士カイトの勝利という条件だったはずだ」
バーディスは冷静に状況を説明する。見届け人はその名の通り、確かにその決着を見届けていた。
「……承知いたしました。異議申し立てへの回答、ありがとうございます」
自分で確かめろと言われてしまえば、カティもそれ以上は食い下がれない。
先のフェリシアほどの勢いはないものの、彼女も観覧席からさっと飛び降り、横たわって呻く主の下へと早足で向かう。安否を気遣うためではなく、右手を掠めたという傷を確認するために。
「……ぐぅぅ……うぅ……」
「ダグラス様、申し訳ございません。少々右手を確認させて頂きたく……」
苦しむ主を無視し、カティは分厚い肉に覆われた、ダグラスのその太ましい右腕を無遠慮に持ち上げる。
それは自身だけではなく、今まさに、射貫くような眼を向けて来るカイトとフェリシア、観覧席にいる者らにも分かるようにとだ。
「ああッ! 見て!! ダグラス殿の手の平に傷があるわッ!! やはりカイトの剣は間違いなく届いていたのよッ!!」
「……お、俺の一撃は……ルインダールの想いは……ちゃんと届いていた……」
肉厚のあるその右手の平に紅い一筋。
吹き飛ばされた際にできた打撲や裂傷ではない。明らかに剣による、刃による傷だ。
「なんたること……まさかダグラス殿がこのようなことに……」
「稀少なだけだな。〈四精〉のオーブも大したことはない」
「いやいや、あの平民従士も中々にやるじゃないか」
「これは従士カイトの力量なのか、それともダグラス殿の力不足か……」
「……マーヴェインの嫡子殿は、魔導士としては未熟だったようだ」
「こうなってはダグラス様とフェリシア嬢の婚約も……」
皆がそれぞれの思いを口にするが、もはや決着に異議を唱える声はない。
リナニア王国にある、ヘルメース魔導学院での決闘騒ぎ。
平民の従士が、畏れ多くもマーヴェイン伯爵家の嫡男に決闘を挑んだ。
しかも、あろうことか平民従士が伯爵家嫡男を下すという番狂わせ。
まだ誰も知らない。知り得る者などいるはずもない。
それは権力闘争の末に没落したルインダール家の末裔が、主であるブランデール家の令嬢と共に、激動の時代に揉まれながら新たな時代を切り開いていくという物語だ。
時代が流れた先で過去を振り返る時、人々はこぞって口にするだろう。
この決闘騒ぎが、若き日のカイト・ルインダールの転機であり、後世に語り継がれる英雄譚の、まさにそのはじまりの一幕だったのだと。
◆◆◆
「――ふぅ。なんとか終わったな」
薄暗い室内に安堵の乗った声がする。一仕事を終えた男の声だ。
「はい。お見事でした。あれだけの暴言を吐きながらの無様な負けっぷりに、思わず私も感服いたしました」
応じる声もある。感情の乗らない平坦な女の声だ。
「ぐ……お、お前が〝やれ〟と言ったんだろうにッ!」
「いえ。あそこまで徹しろとは……私も途中から本気かと思うほどの熱の入りよう……もしや本題を忘れているのかと疑ったほどです。とても演技とは思えない、圧巻の熱演にございました。流石は我が主です」
年若い女が慇懃に褒め称える。
スラリとした長身。
短く束ねた暗めの亜麻色の髪に新緑のような瞳。
面差しが整っているが故にか、あまり変化のないその表情は見る者に冷たい印象を与えている。
従士カティ。
「白々しい世辞を言いおってからに! ……ふぅ、まぁいい。とにかくこれで良かったんだろう? 注文通りにちゃんと剣を当ててやったぞ?」
調子を確認するように、自身の右手を握ったり開いたりしながら言葉を吐く。陰鬱な表情を張り付けたずんぐり体型の男。
ダグラス。
衆人環視の決闘で、平民従士に敗北したマーヴェイン家の恥さらし。
すでに彼の右手首に金色の腕輪はない。見届け人以下、多数の者らが見守る中、〈四精〉のオーブは勝者の手に渡ってしまった。
勝者からのせめてもの情けという辱めを受ける形で、今は平民従士が使っていた大剣が、その無銘の下級オーブがダグラスの手元に残されている。
「ありがとうございます。まさか周囲の者に不自然さを感じさせず、あの一瞬で、皮一枚程度の傷を狙って剣に触れることが可能だとは……やはりダグラス様はお生まれになる家を間違えたと確信いたしました。雅な魔導士であることが望まれるリナニア貴族などではなく、ガハハと笑いながら敵を撲殺するような辺境地の蛮族か、あるいはその見た目通りに魔物として生まれていれば……もしかすると蛮族やオークの中で燦然と輝き、その名を歴史に刻んだかも知れません。そうなれば皆からも祝福されたことでしょうに……おいたわしや」
とんでもなく失礼な物言いをしつつ、潤んでもいない目頭をわざとらしくハンカチで押さえる従士。見え透いた小芝居。
「おまッ! 相変わらず口が悪いやつだな! 見た目についてはほっとけよ! 俺だってちょっとは気にしているんだからな!? ……まったく。それで? 結局この後はどうするんだ?」
無礼な従士の小芝居(茶番)を流したオークが……もとい、主たるダグラスが先を促す。
「……では気を取り直して。本来の筋書きでは、剣による傷がないと難癖をつけて食い下がったり、フェリシア様との婚約解消に嫌がらせのような条件を付けたりして、まだしばらくは従士カイトやブランデール家と揉める展開になるのですが……わざわざ私たちがそれをなぞらなくても、大筋はもう変わらないでしょう。〈四精〉のオーブも無事に彼の手に渡りましたから……」
「ふん。未来の英雄様の恨みを、無駄に買う必要はない――か。今さらだがとんでもない話だ。フェリシア嬢はともかく、あの従士カイトがそこまでになるとはな」
平民従士との決闘に敗れ、貴族子弟の集う学院で大々的に恥を晒した上に、〈四精〉という家宝級のオーブを失う。
結果として、ダグラスは実家であるマーヴェイン伯爵家からも冷遇され、リナニア王国の貴族社会から脱落してしまう。
対照的に、従士カイトは主であるフェリシア共々に周囲からの注目を集める存在となり、徐々に学院で頭角を現していく。
その一連の流れを従士カティは知っている。そして、それらをダグラスも聞かされてきた。
「いえいえ。信じるか信じないかは、あなた次第というやつですよ?」
「相変わらずよく分からないことを……本来の筋書きに沿いつつ、それでいて身の安全を確保したいと言ったのはカティだろうが。とにかく、この先はどうするんだ? ここから先の俺たちについてはカティも知らないのだろう?」
「確かに、この先の我々については知らないと言えば知りませんが……一先ずのところ、従士カイトやフェリシア様とある程度の距離を保っておけば良いかと。基本的にあの二人を中心に話が進んでいくので。身の安全だけを考えれば、このまま学院を離れて辺境地にでも引っ込めればいいのですが……マーヴェイン家の面目を考えると、流石に今すぐにというわけにはいかないでしょう」
適性のある者がヘルメイス学院へ在籍するというのは、リナニア貴族にとっては徴兵に近い義務だ。
学院側から打診があるならいざ知らず、〝決闘で恥を掻いたので在籍を辞退する〟などの言い分が即座に通じるはずもない。
「ふっ、当然だな。少なくとも弟か妹のどちらかが学院に来るまでは、マーヴェイン家の者として、俺は学院に在籍しておかねばならんだろう。父上からすれば、俺が醜態を晒すこと自体は、オルガやアイラの優秀さが際立つから、むしろ都合が良いと判断なされるかもな。あと、無様な敗者がしばらく晒し者となるのは、リナニア貴族の不文律でもある」
「さ、晒し者にされるなど……なんとおいたわしいことか……よよよ」
泣き真似と共にいちいち大袈裟に目元を拭うカティ。そこに主の心身を慮るような哀憐はない。見るからに茶番だ。
「……その白々しい小芝居を止めろ。いちいち腹が立つやつだなぁ」
呆れたように、失敬な従士への憤りを口にするが、リナニア貴族として致命傷を負ったに等しいにもかかわらず、ダグラスはまるで他人事。状況の推移を楽しんでいるような節さえある。
「分かりました。止めます」
さっと元に戻るカティ。何だかんだと言いながらも、主の要望には素直に応じたりする。ダグラスからすれば、そんな素振りさえふざけているように映るが。
「さて、周囲の意図がどうであれ、このまましばらく学院に留まるというのであれば、私は従士カイトとフェリシア様が〝上手くやる〟のを見届けたい所存なのですが?」
「ふん。それはもとより望むところだ。ま、具体的にどう動くかはカティに任せる」
英雄譚を歩き出した者たちの陰で、筋書きを見守るために、特異な即興劇に身を投じる者らもいる。
◆◆◆
※土・日・祝の7:00にのんびりと更新していきます。




