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第14話 ねがい

「ハァ……ハァ……」

(あの……声……)


懸命に走ってもさすがに浴衣姿では追いつけない。小春は両膝に手を当て、遠ざかっていく軽自動車を息を切らして見送ることしかできなかった。


「おい五十嵐! 急にどうした?」


蓮斗が心配そうに駆け寄る。


「……思い出したの、私」

(全部……)


「え?」


「さっき、真田くんのお母さんに言われたんだ……後天性で心の声を聞く能力を持ったきっかけとして、なにか強い願いがあったはずだって。でも私、全然ピンとこなくて……だけどね……あの声で思い出した」

(まさかそんな理由だったなんて……)


小春はそう言うと、花火の打ち上がる音をバックにぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。


「十歳の頃、ママと喧嘩したことがあってね……友達の間で流行ってたキャラクターグッズを買ってくれないとか、そんな些細なことだったと思う。リビングで言い争った後、泣きながら自分の部屋に駆け込んで……思ったの。もしパパが生きてたらきっと私の言い分を聞いてくれるのに、って」

(まだ子どもだったからね)


「……そっか」


「それで、パパのこと思い出してたらすごく恋しくなっちゃって……パパと話したい、パパ、パパ、って布団かぶって泣いてて、気づいたら朝だった。で、リビングに行くとママが朝ごはんの準備しながら「おはよう」って言ったの。でも……私にはその声に重なって(ごめんね、小春)って聞こえて……」

(それが……最初だった)


「おい、ってことは、さっきの犬は……」


蓮斗の問いかけに、涙目の小春が小さく頷く。その瞬間、蓮斗が走り出した。


「ま、待ってよ!」

(真田くん!)


小春も慌てて後を追った。やがて立ち止まった蓮斗が路上に落ちている水色のハンドタオルを拾い上げる。


「これ、さっきの婆ちゃんの……」


確かに、柴犬を押さえる老婆の手にはタオルが握られていた。


「唯一の手がかり……」

(でもこれだけじゃ……)


「ま、探すしかねぇよな」


蓮斗の真剣な表情に小春は驚いた。そんなふたりを時折花火の光が照らす。


「……だって、このままだったら絶対後悔するだろ?」


小春はためらいながらも黙って頷く。


「明日、もう一度探そう。夜中にこれだけ人がごった返してる中じゃ厳しいと思う」


「そう……だね。ごめんね、せっかくの花火大会がこんなことになっちゃって」

(私のせいで)


「いいよ……こんな状況じゃ、オレも言えるわけねぇし」


「え?」

(なにを……?)


蓮斗が小声で呟いたのを小春は聞き逃さなかった。


「あ、まぁ……とにかく明日だ!」


「う、うん……」

(怖いんですけど……)


しかし、それよりも小春の頭の中は父親のことでいっぱいだった。八年前に交通事故で突然この世を去った父……まさか犬に転生しているとは夢にも思わなかった。そして、自分がこの能力を得たきっかけが、他人の心の声を聞くためではなく犬になった父と話せるようになるためだったなんて……。


「でもどうやって探すかな……このタオルひとつで」


「そうだね……あ、いいこと思いついた! 真田くん、明日は強力な助っ人を連れてくるから!」

(まさにうってつけ!)


* * *


「……ワン」

(お初にお目にかかりやす、真田殿)


小春の腕の中でミントが会釈する。


「……はじめまして」


「かわいいでしょ……中身はハードボイルドおじさんだけど」

(またそのギャップがいいよね)


「ワンワオン」

(しかしお嬢、いくらあっしが犬とはいえ、タオルの匂いを嗅いでそれを辿るのはほぼ不可能でやすよ……ましてやホシは車に乗ってたんでやんしょう?)


ゆっくりと首を横に振るミント。


「そうかもしれないけど……ミントは柴犬に心当たりあるんでしょ?」


「ワオワオ……」

(ええまぁ……あっしの記憶に間違いがなければ、それはペットショップで一緒だったカズマで間違いねぇ……)


「……五十嵐、お前のオヤジの名前は?」


「……和真」

(そうなんだよね)


「間違いねぇじゃん」


確かに偶然の一致とはさすがに思えない。


「ワオーン」

(もしカズマだとしたら……数奇な運命でやすなぁ)


「じゃあミント、早速……やろっか」

(真田くん、お願い)


蓮斗が水色のハンドタオルをミントの鼻に近づける。小春がそっと路上に放すと、ミントはそこかしこを嗅いで回る。


「ワン!」

(これは……!)


鼻を鳴らしながら突然早足になるミント。ふたりも慌てて後を追う。


「タクヤ、肉焼けたぞ」

(うまそうだ)


「わーい!」

(おいしそう!)


周囲に漂う香ばしい肉の香り。庭でBBQを楽しむ一家団欒のひととき。ミントは垣根越しに鼻を鳴らしながら尻尾を振る。


「ミント……」

(違うよね?)


「ワオン……」

(お嬢、申し訳ない。これは犬としての本能……)


蓮斗が無言でタオルを差し出す。それを嗅いだミントは再び鼻を鳴らし始め、やがて早足になった。


「クゥーン」

(誰あなた? 見ない顔ねぇ)


「ワンワン」

(お初にお目にかかりやす……ミントと申しやす)


大きなお屋敷の窓際、頭に赤いリボンをつけたきれいな毛並みのヨークシャテリアにミントが尻尾を振る。


「ミント……」

(だからさ)


「ワオン……」

(申し訳ない、これも犬としての……)


「全然ダメじゃん」


「ウー……!」

(だから最初から難しいと言ったでやす!)


「こら! 落ち着いてミント!」

(真田くんも煽らないで!)


「ワン!」

(小春!)


唸るミントをなだめる小春の耳に、あの声が聞こえた。


「ワン! ワオーン!」

(奇跡、これは奇跡だ……!)


二軒隣の向かいの一軒家、柵の隙間から顔を出し吠える柴犬。一目散に駆け出す一同。


「ワン! ワン!」

(小春! すっかり大きくなって!)


柴犬は舌を出し興奮しきった様子で尻尾をちぎれんばかりに振っている。こらえきれず涙の滲んだ顔を目一杯近づける小春。


「パパ、わかるよ、私……パパの言葉、聞こえるよ」

(この声だ……この声だ)


「ワオワオーン……!」

(本当か? ああ、やはり奇跡だ……!)


「こらタロー、知らない人に吠えちゃダメ」

(どうしたのかしら)


玄関から老婆が杖をつきながらやってくる。


「ごめんねぇ、いつもはおとなしいんだけど、なんだか昨日から急に吠えるようになって……」

(発情期かねぇ)


「あの……昨日、これ落としませんでしたか?」


蓮斗が水色のハンドタオルを差し出す。


「あぁこれ、わざわざ届けてくれたのかい? すまないねぇ……昨日は息子の運転でタローと花火を見に行ったんだよ。わたし足が悪くて普段散歩もしてやれないから、せめてもの罪滅ぼしにね……そしたらタローが今みたいに吠えて……」

(なんなのかねぇ)


「おばあちゃん……あの、よかったら、タローちゃんも一緒に連れて行ってあげましょうか? 私たち、ちょうどチワワを散歩させてて……」

(積もる話もあるし……)


「それはありがたいけど……なんでお嬢ちゃん泣いてるの?」

(なんなのかねぇ)


なんとかその場はごまかし、タローを散歩に連れ出すことに成功した。


「……ワン」

(久しぶりでやすな、カズマ)


「ワ……ワン!」

(ケ、ケンゾーさんじゃないですか! どうして……?)


「ケンゾー?」

(ミント、前世はそんな名前だったの?)


小春が思わずツッコミを入れる。


「ワオン……ワン」

(ええまぁ……。カズマ、あっし実はお嬢……小春さんとこでお世話になってるんでやす)


「ワオーン……ワン?」

(なんと! 運命のいたずらってヤツでしょうか……で、こちらは?)


「あの、パパ……紹介するね、真田蓮斗くん」

(なんか不穏……)


「はじめまして、真田です」


タローの尻尾がピタリと止まる。


「……ウー」

(……娘とはどういうご関係で?)


「あ、あの……」

(なんていうか……)


「小春さんと、おつきあいしております」


「ワウ! バウ!」

(認めん! 断じて認めん!)


蓮斗に飛びかかろうとするタローのリードを小春が必死で引く。


「ちょっ、パパ! おつきあいっていうか、ちょっとこれにはワケが……」

(複雑な事情で……)


「ギャンギャン!」

(ワケアリなら尚更認めん!)


タローをなだめながら、蓮斗がツキあっていると言い切ったことに逆に小春は戸惑っていた。


「ワン……」

(真田殿、ここは一旦距離を……)


「あ、あの、オレはミントといるんで……しばらくおふたりで!」


* * *


「ワン?」

(ママは元気か?)


「うん、仕事で忙しそうだけど元気でやってるよ」

(なんとかいつかママにも会わせてあげたいなぁ)


川沿いのベンチで語らう小春とタロー。


「ワオン……」

(よかったでやすな……)


「ああ、ほんとに」


その様子を蓮斗とミントは少し離れて見守っていた。


「……ワンワン」

(……あっしもね、前世では人の親だったんでやす)


「そうなんだ」


「ワオワオン」

(でも、仕事ばかりで家庭を顧みず、親としては最低でやした……一人娘でやしたが、随分と寂しい思いをさせたでやす)


「……時代もあったのかもな」


「ワオーンワン」

(それを言い訳にはできやせん……ちょうど今のお嬢の歳の頃、娘は……病気で死んだんでやす)


「えっ……」


絶句する蓮斗。


「ワオン……」

(それからあっしは酒びたりになって、肝臓をやられてぽっくりと逝きやした。死ぬまで毎日毎日、娘に謝り続けて……そんな後悔の念が犬として転生した理由やもしれやせん)


「……そっか」


「ワンワン……」

(だから、お嬢のこと、勝手に自分の娘に重ね合わせて……あの子には、幸せになってほしいんでやす。真田殿……よろしく頼みやすぞ)


「……わかりました」


蓮斗はミントの背を優しく撫で続けた。

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