神隠し
当番制だから、役目に当たるものの性別や年齢は様々だ。力仕事がさほど予想されない場合には、女や老人、時には子供が役目を担うこともある。
異変は、比較的若い男女に起こった。
早朝の当番に出たはずの村人が、日が高く昇る頃になって、ぼんやりした様子で帰宅して、そのまま床についてしまうのだ。
大きな水害により、障害物なの除去などを兼ねて、何人もの村人が動員されるような場合には、これは起こらない。
ごく小さな、局所的な水害のため1〜3人程度の少人数が対応するような時、1人だけにそんなことが起こる。
ふいに姿が見えなくなって、同行者が探してもその所在が知れなくなる。
水に落ちでもしたかと危惧しつつ、一旦捜索をやめて帰村したところに、行方不明者がひょっこりと戻るのだ。
経緯は全く覚えていない。今までどこに居たのか、何をしていたのかと、周りの者がどんなに問いただそうと必死になっても、すべてムダなのだ。
ただぼんやりと、首を横に振ることくらいしか出来ない。
ああ、これは神隠しだったのかと、周囲では暗黙の了解がなされる。
神隠しに遭った者は、2〜3日床についてしまう。しかしそのあとは、何事もなかったかのように起き出して野良仕事も出来るようになる。
しかし、ああよかった、大事はなかったのかと周囲が安心する頃に、ふっと姿が見えなくなる者がいた。
全員ではない。
川で行方不明になった者の1割程度の数だ。
しかし、再度神隠しに逢った者たちは二度と戻ることはなかった。
そう、あるケースを除いては、だが。
その男の名は伝わっていない。
まだ若く、嫁も貰ってはいなかった。
仮に男の名を定吉とする。
定吉は、両親と父方の祖母、それに兄夫婦とその子供たちと暮らしていた。
川番の役目に当たった定吉は、一度行方不明になったが、その後戻ってきた。
2日ばかり寝込んだ後、何ごともなかったかのように畑仕事に出たのだが、何故か仕事をしながらため息をついたり、時には手を止めてぼんやり考え込んだりしていたという。
元々働き者で気立がよく、しかも田舎には珍しいほど端正な顔立ちの若者だったから、さては想いびとでもできたかと、家族は囁きあった。
相手はどこの娘か、もし話がすすめられるような相手ならば、出来るだけのことはしてやりたい、と。
だが、定吉の周りには女の影はない。
本人に聞いても、曖昧に言葉を濁す。
さては、何か差し障りがあって嫁に出来ない相手では、と家族の懸念は深まった。
それが家族だけでなく、隣近所にまで噂になる頃、彼は再び姿を消した。
家族が寝静まった深夜、忽然と。
ひとつ、奇妙な証言があった。
定吉の兄の子、数えで九つになる男の子が真夜中過ぎ小便しようと別棟の便所に行く途中、定吉らしい後ろ姿を見たというのだが、その時定吉は1人ではなかったと言い出したのだ。
見たこともないくらい綺麗な着物を着た女の人が一緒だった、と。顔を見た訳ではないが、若い人のようだ、従姉妹のスミ姉ちゃんくらいの年と背丈に見えた。母ちゃんよりほっそりして、長い髪を後ろで束ねていたとの証言である。
その髪は綺麗な赤い玉のついた簪で飾られていたという。
スミは15歳。中背でふっくらした可愛らしい娘だ。
男の子の母親である、定吉の兄嫁は決して太めではないから、それより痩せているならかなり華奢な体型ということになるが、定吉の周囲にそういう娘は見当たらない。
子供のいう赤い玉は、珊瑚だろうか。
見たこともないほど赤い綺麗な玉だと言うが、月明かりしかない深夜にそんな色がわかるはずはない。それ以前にそんな高価なものを持っている村娘はいない。
一体誰だったんだ?
子供は寝ぼけていたのではないか?
いやいや旅役者に連れて行かれたんじゃないだろうか、なんせ定吉には女形にしたいような艶っぽさがあった。
なるほどそうか、それに違いないかもな。
そんな話題がいっとき村を賑わしたものだが、やがてウワサは最悪の形で裏切られたのだ。
村の背後、川と丁度反対側にある山の山頂近く、村人からヤドリギさまと呼ばれる小さな社で、定吉の変わり果てた姿が見つかったのは、二度目の神隠しから七日後のことだった。
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次回は、本日中の予定。