かけ離れた常識
最悪というものは続く。最低の形で。
クラッサム嬢は今日から編入してきて、まぁ、それはいい。貴族は階級に関わらず学園に通うことが義務付けられているのだから。
最低最悪なのは、そのクラッサム嬢と同じクラスってこと。
殿下が権力使ったかな?きっとそうだよね。
当の本人達はまるで運命のように感激している。二人の背景に花が散りばめられていた。物語の主人公とヒロインのように。
──バカって本当に怖いな。
これは最早、茶番ですらない。
王族の権力を私欲のために使うなんて陛下が嘆き悲しむ。
自己紹介で花束を抱えてる人って、印象どうなんだろう。
クラッサム嬢のことを誰も知らなければ、変わった人、面白い人でまかり通ったかもしれない。
ピンクの花束はクラッサム嬢によく似合う。誰を思い浮かべて買ったのかがよくわかる。
よくもまぁ、そんな花を私に渡そうとしたよね。
花に罪はないため捨てられてしまうのは可哀想だったから、貰い手がいるだけでも良かった。
「えー!私、セリアの横じゃないの?」
席順は公平を期すために担任が作ったクジを引いて決めた。そして、空いている席はもう私の隣だけ。
だから最悪なんだ。同じクラスだけじゃなくて、席も隣だから。
「セリアもこんな地味な子じゃなくて、私が横にいたほうが嬉しいよね?」
その発言は失言を通り越して侮辱。
貧乏男爵家の令嬢が伯爵家の令嬢を下に見るなんて許されない。
「それもそうだね。悪いけど、デイジーに席を譲ってあげて。そこはデイジーの席だから」
二人に悪気なんてなく、愛し合う者同士が傍にいるのは当然だと思い込んでいるだけ。
注意するかもと少しでも期待した私がバカだった。
席を譲るしかない状況で、仕方なしに立ち上がった彼女は、どうすればいいのか悩む。
──空いてるんだけどな。私の隣。
「アーシャさん。ここ、どうぞ」
「よ、よろしいのですか!?私なんかがアンリース様のお隣に座っても」
「もちろんよ。隣には誰もいなくて寂しかったの」
座りやすいように勧めてみれば、ぎこちなく座ってはにかんだ。
アーシャさんは笑顔がとても可愛い人。
笑顔だけじゃなく、動きも小動物みたいで可愛い。
クラッサム嬢の暴走は休み時間になっても収まることはなかった。
「アンリースさん。私、アンリースさんと友達になれてすごく嬉しい!これから仲良くしてね」
小さな手が私を包み込む。満面の笑みを浮かべるクラッサム嬢にぞわりとした。
私達、いつから友達になったの!?
昨日と今日の二回しか会っていないし、言葉を交わした覚えはない。
一方的に二回、話しかけられただけ。私は返事すらしていなかったはず。
──記憶の捏造にしては都合良くしすぎじゃない?
純粋という言葉が似合いそうな笑顔は記憶を捏造しているわけではなく、本当にそう思っているようにも見える。
彼女が私を友達と認識する理由……。
まさか私と殿下が復縁し結婚すると思っているから?
いやいや、ないない。ない……はずなのに、殿下に似た脳みそお花畑のクラッサム嬢なら同じ夫を持つ者は友達、もしかしたら親友と捉えているのかも。
復縁なんてしないし結婚なんて以ての外!!
「クラッサム嬢」
「私のことはデイジーって呼んでね。私もこれからはアンって呼ばせて……」
「クラッサム嬢!!」
言葉を遮るように強く名前を呼べばビクっと驚きながら殿下の腕にしがみつく。
「間違っていたらごめんなさい。貴女、階級は男爵家よね?」
「え、ええ」
「私の階級はご存知かしら?」
「んー……あ!公爵でしたよね。セリアから聞きました」
それがなんだと言わんばりに目をパチパチさせる。
平民から貴族になって一ヵ月は経ってるのよね?最低限のマナーさえ身に付けていないなんて、ありえていいはずがない。
裕福じゃないから家庭教師が雇えないにしろ、基礎知識なら父親からでも学べる。
視界に入るギルは肩をすくめながらため息をつく。
学園に編入にするにあたって、ある程度の教養を身に付けるため勉強はしていた。恐らく、しただけ。
自由な平民と違って堅苦しい貴族はクラッサム嬢には合わない。だから、勉強したことが右から左へと抜けていった。
つまりは。基礎知識のない平民が貴族社会に足を踏み込んでしまったようなもの。
「そうです。私は公爵家。貴女は男爵家。貴女から私に声をかけることは不敬であり、し・か・も!許可をしていない愛称で呼ぼうとするなんて。私を侮辱しているとしか思えないわ」
「そ、そんな。だってセリアは許可してくたのよ!?」
「それは、殿下を名前で呼ぶことだけです。私の呼び方をどうして殿下が決めるんですか?そうそう。言葉遣いにも気を付けて下さいね。クラッサム嬢。男爵令嬢として公爵令嬢である私に敬意は払ってもらわないと。私のことは今後、リードハルム嬢とお呼び下さい。私達は友達でも何でもない赤の他人なのですから」
理解しているかはさておき、多くの生徒がいる前でハッキリと伝えておけば後々、面倒になっても私が不利になることはない。
「アンリース!!どうしてそんな意地悪を言うんだ!?デイジーは本当に君と友達になりたいだけなのに」
「セリア……」
「デイジー……」
二人が見つめ合うと背景に花が見えるのは気のせいかな。
気のせいじゃないから、みんながドン引きしているのか。
しかも。さっきの花とは別の種類で、状況に応じて変わるのがちょっと怖い。
「殿下。昨日会ったばかりの人と、どうして友達になれるのですか」
「これから毎日、顔を合わせるじゃないか」
──ちょっとギル。貴方の元主人、バカなこと言ってますけど。
ギルは遠い目をして現実逃避をしていた。
殿下の理屈でいけば、同じ教室にいる人達はもれなく全員、友達だと言っているようなもの。
私は友達は多いけど、流石に全員ではない。
婚約している女性がわざわざ男性にばかり近づくなんて、不貞を働こうと勘ぐられるだけ。そんな危ない道を渡るわけないでしょ。
自分の意見こそが絶対。人の話しを聞かない。
こんな典型的バカ王子になんと言い返せばいいのか。
「殿下の理屈を私に押し付けないでもらえますか。少なくとも私はクラッサム嬢と友達になれるとは思っていません」
「やっぱりアンリースさん、怒ってるのね。ごめんなさい」
「怒ってなんていません。怒る理由がないので」
「でもね!私とセリアは愛し合っているの!好きになってしまったものはどうしようもないでしょ!?」
全然聞いてくれない。酔ってるみたいだ。自分という存在に。恋物語の主人公でもなったつもりなのだろう。
もちろん恋愛は自由。
好きになった相手に恋人や婚約者がいなければ。
貴族でも平民でも、それだけは共通のルール。
好きになった相手がもし、同じ気持ちだとしたら誠意を見せる必要がある。
まず付き合っている恋人と別れなければならない。
政略結婚のための婚約だとしても、不貞を働くことは罪である。
言ったところで意味を理解しないだろうから、口を開く気にもなれない。
代わりに別のことで口を開いた。
「クラッサム嬢。どうも私の言葉が理解していないようなので、わかりやすく言って差し上げます。名前で呼ばないで下さい。貴女とは友達になるつもりはありませんから」
「なっ……アンリース!!よくもデイジーにそんな酷いことが言えるな!!」
「殿下。私は貴方にも言ったんですよ?婚約は無事に解消され、晴れて赤の他人となれたわけですが。元婚約者の名前を呼ぶなんて、新しい婚約者に失礼だと思いませんか?」
「まだそんなこと言っているのかい。僕達は結婚するんだよ?」
「そうだよ!正妻として私が色々助けてあげるからね」
どう考えても助けるは私でしょ。一切の業務が出来ないんだから。
さっきも思っていたけど、殿下は本気でクラッサム嬢が王妃になれると信じてるのかな。
無理……だよ?普通に考えて。
貴族令嬢になろうが元平民なのだから。貴族の血が流れていないクラッサム嬢は、なれても側室。子供が生まれても王位継承権はない。
しかも、殿下は勘違いしているようで私と結婚したらではなく、私が王妃になるなら殿下も国王になれるのだ。
……あれ?ちょっと待って。今更ながらに気付いたんだけど、王妃教育が異常なまでに厳しかったのって、殿下が全くもって何も出来ないからでは?
国王夫妻の願いとしては、私に殿下を支えて欲しい。
支えるってそういうことだったのか。
夫婦としての負担割合がおかしい。私が十全部、負担していた。
「私達の関係は殿下によって終わったのです。ですので、私に何かを望むのは間違いです。クラッサム嬢も私と話したいなら敬語を使って下さい」
「だから!捨てられた君を僕が拾ってあげるって言ってるんだよ」
「セリア、優しい。益々好きになっちゃう」
「ですから!さっきからそれはお断りしているはずですが?」
──捨てたっていうか、関係を断ち切ったのはあんただよ。
頭痛がしてきた。なんでこんなに会話が成立しないんだろ。
「人の話が聞けないなんて、殿下はお子様なんですね」
ニッコリと笑顔を作った。
私の嫌味さえも聞こえていないのか、反応はない。
愛しい人と見つめ合う時間は至福。一切の雑音は聞こえなくなるらしい。
もう放っておこうと決めた瞬間、ここでようやくギルが声をかけた。
遅いよ。もっと早くに助け舟を出して欲しかった。
こんなバカの相手を私一人に押し付けないで。
「クラッサム嬢は編入したばかりで、学園のことを知りません。案内してあげてはどうですか」
「なるほど。確かにそうだ。よし、行こうデイジー」
あ、聞こえた。都合の良いことは聞こえるのか。
「セリアが案内してくれるなんて、すっごく嬉しい!」
仲良く手を繋いで遠ざかる背中を見ながらギルはポツリと呟く。
「昼休みにでも」
これで最後まで人の話を聞かなかった殿下に落ち度がある。
ちょうど授業開始のチャイムが鳴った。
どんなバカでもチャイムを聞けば戻ってくるだろうと思っていたら、まさかの四時間全ての授業をサボってまで案内を続けていた。