婚約破棄の代償【ギルラック】
ノルスタン家とリードハルム家の仲は悪かったと聞く。というか、父親同士の仲がよろしくないから自然と対立するようになった。
それ以前まではライバルではあったけど、互いを認め合い切磋琢磨する関係性。
原因を語ることはなかったけど多分、くだらないことだと思う。母上が当時を思い出してはクスクス笑っているのだから。
だが、今は違う。
厳密に言えばアンと出会ってからだ。
三人の子供が男だらけだったからか、初めて会ったアンの可愛さに胸を射抜かれていた。
殿下と婚約する一年ぐらい前だったから、五歳のときか。弟達も姉という存在が新鮮ですぐに懐いた。
兄はいるけど弟はいないアンも嫌がることなく普通に接してくれる。たまに一緒に遊んだりもした。
雪をイメージさせるような白銀の髪。パッチリとした大きな目と海のような青い瞳。
人によって印象は違うだろう。青空に例える人もいるはず。ただ、俺は広大な海を思い浮かべた。
何より笑顔が可愛い。
リードハルム家が揃って「天使」と口を揃える理由がよくわかる。
母上も、あんな可愛い娘がいたら毎日が楽しいと憧れるほど。
同じ公爵家同士、仲良くしなければとアンが助言しなければ、今も仲の悪さは健在だった。
仲直りという表現は間違っているのだろうが、手を取り合い過去を水に流したのも事実。
俺が殿下の側近候補として傍にいるのも、まさにアンが関係している。
アンを癒しと呼ぶうちの家族から、殿下が不埒な真似をしないよう見張れと無理やり付けられた。
最悪なことに同い歳で、しかも公爵子息。殿下の側近としての条件は満たしてしまっていた。
絶対に嫌だったから断ったけど。
だって面倒臭い。
殿下の側近に選ばれるのは名誉なことであるものの、俺の将来の選択肢は父上の跡を継いでノルスタン公爵になることだけ。
脇道に逸れるつもりなんてなかったのに……。
そんな俺が殿下の傍にいるのはやはり、アンのため。
見抜かれていたんだ。俺のアンへの恋心。リードハルム公爵には。
アンを溺愛しているからこそ、より周りの男に目を光らせている。
公爵の笑顔は脅迫でもあった。アンに何かあったら、アンが傷つけられでもしたら、すぐに報告するようにと。
俺が側近候補として傍にいるという大前提で話が進む。
断ろうと口を開いた瞬間、公爵はたった一言だけ
「アンが好きなのだろう?」
ドクンと心臓がはねた。幼いながらに悟った。
それしかアンの傍にいる方法はないのだと。
断ったら俺達は友達ですらなくなる。あらゆる手段を用いて会わせないつもりだ。公爵にはそれだけの力がある。
それだけは嫌だった。アンと会えなくなくことは何よりも辛い。
不可能に近いことでも、やってのけてしまうから公爵は怖いんだ。
「どう思うよ。ギル」
肩に手を回し呆れたように聞いていくるのは同じく側近候補のタナール。伯爵家だ。
パーティーで知り合ってから、たまに遊びに行っていた。アンと出会う数ヵ月前の出来事。
濃い紫色の髪とグレーの瞳。伯爵夫人の遺伝。
昔は髪色のことを言われるのが恥ずかしくて、引きこもる時期があったが、いつからか堂々としていた。
側近候補に選ばれるだけの実力はあるし、リードハルム家との繋がりが出来てからは、タナールの髪色を口にする者はいない。
彼らも本気でバカにしていたわけではなかったものの、当時のタナールはかなり気にしていた。過ぎたことを蒸し返す器の小さい男ではないため謝罪がなくても彼らを許す。
男としては珍しく肩まで髪を伸ばし、適当に一つに結んでいる。
身長や体格は俺と似ていると言われることが多い。
「なにが?」
敢えて聞き返す。
「アレだよアレ」
視線の先には殿下と浮気相手。
「ギルラック、タナール。楽しんでいるかい」
返事に困っていると浮気相手を腕にしがみつかせたまま、こちらに歩み寄ってくる。
今の俺達を見て、楽しんでいるように見えるのなら相当浮かれている証拠。
殿下が仕出かした婚約破棄宣言はすぐ公爵に報告した。今日中に二人は赤の他人に戻る。
「アンリースも残れば良かったのにね。今日は彼女の誕生日パーティーなんだから」
多分、とんでもなく恐ろしい発言を聞いてしまった。
そう。確かにこのパーティーはアンの十六歳を祝うもの。主催したのは殿下。
──お前が浮気相手連れて、婚約破棄なんて口にするまではな!
今はもう新しい婚約者のお披露目パーティーに早変わりしてんだよ!!
素で言っていることに恐怖しか感じない。
バカ王子をぶん殴りたい衝動に駆られるも我慢した。殴ったところで俺が損をする。
強く握り締めた拳に気付いたのはタナールだけ。
「二人共。楽しんでいってね」
気の利く王子でも演じたいのか、それだけ言ってまた音楽を演奏させ、ダンスを踊る。
聞こえてくる会話から溢れ出すバカさ加減。
国王になったら国中のドレスや宝石をプレゼントするなんて言ってるけど、なれないんだよな。残念ながら。
約束されていた玉座は自分で手放したのだから。
二人がダンスに夢中になっている間に、招待された人は皆、会場を後にする。
ここに集まったのは殿下が主催したからではなく、アンの誕生日を祝いたかった。それだけ。
ついでに言えば、殿下を支持していたのもリードハルム家が後ろ盾になると思っていたから。
婚約が破棄された今、リードハルム家は完全に第二王子を支持することが決定。
ここに残っても不快な思いしかしないのだ。
「んじゃ、俺らも帰りますか」
「そうだな。あ、そうだ。俺、今日から殿下の側近候補辞めるから」
これ以上、俺が見張る必要はなくなった。やっとバカから解放される。
苦痛を強いられなくて済む。
「奇遇だな。俺もだ」
浮気相手の胸ばかりを凝視する殿下には、ほとほと呆れる。
真実の愛がどうのと告げられたのは一ヵ月前。王族としての威厳を保ちたかったのか、チヤホヤされたかっただけなのか、下級貴族だけを集めたパーティーを開いた。
どんな思惑があるにせよ、王太子が下級貴族を気にかけるのは良き傾向であり、俺達も準備を手伝った。
あのときはまだアンの婚約者だったため、彼らは殿下のご機嫌取りをしていた。こんなことになると予期していたら、誰も参加はしなかっただろうが。
浮気相手の第一印象は、貴族令嬢にしてはマナーがなっていない。
殿下の会話に勝手に割り込み、勝手に自己紹介を始めた。
良く言えば天真爛漫。悪く言えばバカ。
貴族としか接してこなかった殿下からしてみれば浮気相手はとても新鮮で、だから恋に落ちたのかもしれない。
平民であったことを明かし、貴族になっても生活水準が変わらないと愚痴を零す。
潤んだ瞳は女の子らしさを強調し、育った胸を武器に殿下に抱きつく。
──普通に考えれば不敬なんだよな。
殿下は普通じゃない王族だったため、簡単に鼻の下を伸ばした。
それだけなら俺も目を瞑ったが、あろうことか「一目惚れした」と口説き始めた。
アンを蔑ろにする行動。報告案件。
俺はすぐに短い手紙を書き公爵に送った。あまり長いと紙が分厚くなりホワイトの足に結べなくなる。
ホワイトは本当に賢い鳥だ。人間の言葉をよく理解している。
市場で見かけたときは真っ白な全身が綺麗だと思った。
近くで見てみるとつぶらな青い瞳にドキリとした。
まるでアンが小鳥になったかのようにとても愛らしく、悩むことなく購入。
理由が理由なだけに本当のことなんて言えるはずもなく、売れ残って処分されそうだったから買ったと嘘をついた。
自分の気持ち悪さは重々承知している。
ホワイトをアンに見立てて一緒に暮らしているわけではない。
アンに似ていることが買った理由ではあるが、一緒に暮らしていく内に純粋なる愛情が芽生えてきた。
弟達もホワイトを気に入ってくれて新しい家族として簡単に受け入れてもらえた。
──父上と母上には何やらニヤニヤされていたが。
返事はすぐきて、このまま不貞の証拠を集めろとのこと。その間にすぐ婚約破棄出来るように手続きだけは済ませておくらしい。
──ほんと、アンのこととなると行動が早い。
見境なく動けるのは家族の特権。
羨ましいけど、俺にそれを求める権利はない。
所詮は他人なのだから。
ノルスタン家とリードハルム家には利害の一致があった。アンの幸せを願うという。
「行こうぜ。ギル」
「あぁ」
恋は盲目なんて言葉があるが、会場内からこぞって人がいなくなっているのに気付きもしない。
視野が狭すぎる。自分のことだけしか優先的に考えない。
それを補うためのアンとの結婚。リードハルム家が後ろ盾となるだけじゃなく、家門で殿下を支えて欲しい。
それこそがこの結婚の理由だったと聞く。
最も力のある家門はリードハルム家だし、他の家門もリードハルム家の後をついていく形になっているのも事実。
せっかく、第二王子が辞退してくれた座を自分から手放すなんて、やっぱりバカだな。
誰もいなくなった会場で、踊り続けるバカ二人に呆れながら俺達もさっさと退場した。
ーーーーそして事件が起きた。