侵入者
路線バスは、時間どおりに駅のバスターミナルの停留所に停車した。降車扉が開くと、十人前後の乗客が降りて駅へ向かう。入れ替わりに待っていた客が前の扉から乗車する。すでに朝の混雑時間は過ぎており、客が腰掛けても、車内は空席が目立った。
片手に四角い茶色の鞄をさげた中年の男性が発車間際に乗り込んできた。
発車します、おつかまりください、というマイクの運転手の声が流れると、中年の男性は、車内後部の二人描けのシートに着席した。バスは停留所を離れ、ガードの下でターンすると、走ってきた道を戻る格好で、動き出した。
路線バスは、この区の南北を貫く交通量の多い道を走っていた。窓から見える風景は、戸建て住宅とマンションが混在し、しばらくすると大型スーパーが、道路に接して建っていて、買い物客の自転車が歩道にはみ出すように並んでいる、というような普通の街並みである。
最後に乗り込んできた男性は、膝の上で茶色の四角い鞄を両手で抱えるようにして座っていた。その表情は何か考えごとをするようで、視線を窓の外の風景に彷徨させていた。
「いま、大きなスーパーを過ぎた。普通のアパートもある……。動物病院……自転車屋……」
男性は、独り言にしてはやや大きな声で話しだした。男性の前の座席に座った高齢の女性が怪訝な表情で振り向く。
「あと、どのくらいだ?」
奇妙なことに茶色の鞄の中から声が聞こえた。高齢の女性は気味が悪くなって座席を変えた。
「もうすぐ着く」
男性は鞄の中に話しかけていた。
「広さは問題ないか?」
また鞄の中から声がする。
「大丈夫だ。部屋は二間だ」
男性は鞄に小さな声で返答し、郵便局前、という停留所名が車内の表示画面に出ると、降車ボタンを押した。
バスから降りると、男性は、路地を歩いて木造の二階建てのアパートの前で立ち止まって、ポケットのなかの鍵を確認した。鉄の外階段を上がり、奥の部屋のドアのシリンダー錠に鍵を差して中に入った。
がらんとした六畳の部屋に四畳半。小さな台所と浴室とトイレ。
「早くだせ!」
鞄のなかの声がせがんだ。
男性は、鞄を床に置くと金具を外して開けた。
中でうごめいていたのは、赤いぬいぐるみのような生き物だった。猫のような目をして、爪のある小さな上肢をしていた。それが、鞄のなかで複数、うごめいている。
赤い生き物は、鞄から飛び出すと、室内のあちこちを跳ね回り、得体のしれない奇声を発した。
「これで、いいだろ? 女房と子供を約束どおり解放してくれ」
男性が生き物に話しかけた。
「井上、お前にはもう少し手伝ってもらう。鞄で我々を運ぶんだ。一番安全な方法だ。この星で我々の拠点をあちこちに作るには、もうしばらく時間がかかる。いうとおりにするんだ」
この生き物の怖さは男性はよく承知していた。あの日の夜、自宅の庭に円盤が着陸して以来、生き物の命令に何度か抵抗したものの、その度に頭に強烈な痛みをうけた。生き物は他者の精神領域の奥深くに打撃を与える能力を持っていた。
井上と呼ばれた男性は、あぐらをかいて、ぼんやりとしていた。打開策はあるはずなのだ。だが考えはまとまらなかった。
「何を考えてる。我々をだしぬく策略か?」
生き物が問いかけた。
「余計な考えは捨てることだ。我々に従えさえすれば、すべてはうまくいく。共存することは我々の望みだ」
生き物は、そこで笑いをもらして続けた。
「我々マゼラン星人と地球人は昔から、隣人じゃないか」