第二章 第三話 わがままな皇子
勝手に更新を遅らせてしまってすみませんでした…
目覚めは悪かった。
「ふざけんなよ……?よりにもよって」
あんなわがまま皇子を押し付けられるとは!
ディリウスはベッドから起き上がった時の、最初の一言だった。
あの後、父とともにしばらくここに滞在すると知って目の前が真っ暗になった。皇帝一家も右に同じと知ったときはなおさらだった。
――彼がお前の主人だよ
今までも父の勝手さに憤りを覚えたことは一度や二度ではないが、今回のことはさすがに我慢できない。
父が皇帝に忠誠を誓っていることは知っていた。だからこそ、自分もただ一人、と決めた相手に忠誠を誓うことが夢だった。主人となるだろう人のことを考えて眠れない夜もあったのだ。
しかし、自分の強制的に選ばれた主人は妹大事なわがまま皇子だった。
(これが腹を立てずにいられるか!!)
ルディも似たような反応だった。父親を見上げながらどう見てもいやそうにしか見えない表情をしていた。お互い、印象は最悪だったのに、どうやって主従になれというのだろう?もし二人が皇帝と父親じゃなければ、殴りつけようとしたかもしれない。
「何とかして出て行かなくちゃ……」
しぶしぶ用意されていた部屋で夜を明かしたものの、早く元いた父の自領へ帰りたかった。
そうなれば脱走するしかない。父のメンツがつぶれるかもしれなかったが、自分の意思くらい、主張しなければならないと判断したのだ。
「まずは馬を手に入れて……」
「起きた?」
そこに、ひょっこりとリデルが顔を出した。起きたばかりのディリウスとは違い、ちゃんと水色のワンピースを着て、髪も梳かしている。一方のディリウスは起きたばかりで寝間着姿。金髪もぼさぼさ。しかも、自分の思考に没頭していたので、飛びあがらんばかりに驚いた。
「え、リデル!?……じゃなかった、皇女殿下!?」
「リデルでいいよ」
リデルは、わずかに傷ついたような顔をしていた。
「殿下ってなんだか他人行儀だし」
ディリウスはまじまじとリデルの顔を見た。
敬称をつけたのはとっさの行動だったが、あまりお気に召さなかったらしい。
「なんだか、殿下って呼ばれるたびにみんなが一歩離れていくような感じで……だから、ディリウスが名前で呼んでくれた時はうれしかったの」
考えてみれば、公の行事で会うのはリデルよりずっと年上の貴族ばかりだろうし、年の近い貴族の子息に会っても、『皇女殿下』だからと引き気味になってしまうのだろう。だからこそ、身分もなにも知らなかったディリウスが名前で呼んだことが新鮮だったに違いなかった。
「あ…ごめん、リデル」
「ううん。これからも名前で呼んでね」
泣きそうな顔から一変、眩しい笑顔になったリデルを見て、ひょっとして嘘泣きだったのか、と心の中で疑った。
「あと……お兄様も名前で呼んであげて?お兄様も喜ぶと思うから」
続けられた懇願に、ルディの傲慢な顔を思い出して渋面になる。ルディならば、むしろ――
「『様をつけて呼べ!!』といいそうだけど」
こちらのほうが納得できる。
しかし、妹であるリデルは首を横に振った。
「そんなことはないわ。お兄様はディリウスを気にいっていたもの」
信じられなかった。だが、ありえない。そう続ける前に、「お願いね」と念を押した後、リデルは部屋を飛び出してしまった。
ルディと再び顔を合わせたのは朝食の席でだった。席は誰が決めたのか、ルディとディリウスは向かい合わせとなって座る形となってしまった。テーブルにつくと同時に、先に来ていたディリウスと視線があったルディは、ディリウスをひとにらみした後、そっぽを向いた。
(こいつが俺を気に入った?)
ありえないだろう。リデルの勘違いではないだろうか。わかりやすい拒絶に内心腹を立てていたディリウスはルディのように自分もそっぽを向いた。
その様子がおかしかったのか、ディリウスの父は豪快に笑った。
「おやおや。殿下。ディリウス。二人は横を向いたまま、どうやって朝食をとるんだね?」
ちょうど、皇后とリデルを連れて部屋に入ってきた皇帝も、二人を見て笑った。
「曲げたナイフとフォークが必要だね」
夫の言葉に、皇后はそうですわね。と続けた。
「曲っていたら、扱うのが大変そう」
最後のリデルの一言で、ルディとディリウス以外の全員が笑い声をあげた。
朝食をとっている間、一言も口を利かなかったディリウスとルディを見かねたのか、大人たちは中庭の東屋に二人きりにしてどこかに行ってしまった。ご丁寧に、リデルも連れて行ってしまった。
「……」
「……」
お互い、向かい合って座り、一言も口を利かない。沈黙が重い。ルディは相変わらずディリウスを無視して外の景色を見ている。
「あの……」
「……」
「えっと、ルディエル、殿下?」
「……」
声をかけてみたものの、ルディは口を開かない。それどころか、そっぽを向いてディリウスを視界に入らないようにしていた。
「僕は、お前を騎士として認めない」
ようやく口を開いたと思ったら、ディリウスを完全に否定する言葉だった。
「お前の体は細くて剣を振るのに向いているとは思えないし、どこからどう見ても弱そうだ。もっと鍛えるんだな」
ブチッと何かがちぎれるような音がしたような気がした。確かに、ディリウスの体は同世代の少年たちに比べると華奢なほうだ。それでも、毎日練習用の剣の素振りを欠かした日はない。ルディの言葉は、ディリウスの今までの努力を無意味なものとして位置付けていた。しかも、僅かながらに背はルディのほうが高いが、全体的に自分と似たり寄ったりの体型だ。鍛えている様子はない。
元々、ディリウスの沸点は低い。ルディのほほを殴らずに、東屋のテーブルに拳をたたきつけたのは最後の理性だった。
「ふざけんな!!勝手に駄目だししやがって!おれこそ、お前に忠誠を誓うなんてこっちからお断りだ!!」
ディリウスは椅子から立ち上がると、ルディに別れのこともなしに東屋を飛び出そうとした。これ以上、こいつといても意味はない。連れてこられた時から、心の中にくすぶっていた思いが怒声という形になって、ルディに叩きつけることになったのだ。
何が何でも帰ってやる。ディリウスは心に決めた。ルディは皇帝に何か言いつけるかもしれないが、あの父親なら何とかするだろう。これ以上、わがまま皇子につきあって入れるか――――
しかし、背中を追いかけてきたのは罵声ではなかった。
「ようやくでたな」
ディリウスは、まぬけにも誰が言ったのかわからなかった。止めるつもりのなかった足が体ごと後ろを振り向かせる。ルディは、例の傲慢そうな笑みを浮かべている。
ようやく、先ほどの言葉はルディが発したものだと気がついた。
「でたな、って」
何が?
思わずそう叫んでしまいそうなくらい、ルディは笑っていた。どこか面白がっているような気がする。からかわれているのかもしれない。
「わからないのなら、別にいい」
「なんだよ、それは!」
「僕は、自分を偽る輩がきらいだ」
「は?だから――」
なんだよ。と続けようとして今朝のリデルの言葉を思い出した。
『あと……お兄様も名前で呼んであげて?お兄様も喜ぶと思うから』
そしてさっきの言葉。
「ようするに、最初に会った時のような言葉づかいをしろと言いたかったのか?」
確かに今日のディリウスは、敬語を使っていた。相手はこの国の皇子、たとえ同い年でも国で三本指に入る偉い人間なのだ。むしろ、それが当たり前であって公の場で今のような言葉使いをしたら不敬罪で処刑されかねない。
それなのに、この唯我独尊という言葉が似合う皇子は、最初は乱暴な口調で話していたくせに、皇子だとわかったとたんに敬語など使うな。と言外に求めてくる。
怒りを通り越して呆れたが、ルディは無邪気とは程遠い、ニヤリと音がしそうなあくどい笑みを浮かべていた。
(……言われないとわかるわけねーだろ)
妹の前ではシスコンぶりを発揮し、自分の前ではめちゃくちゃな我の強さを発揮する。
(わからない)
何もかも。そもそも、全てがあまりにも突然すぎた。それらすべてを受け入れることは、10歳の少年には容易ではない。目の前のルディもそうなのかもしれなかった。
「ルディ」
名前で呼びかけてみたものの、口にすべき言葉が思いつかなかった。あまりにも予想外な出来事が続いたせいで、思考回路が停止してしまったのか?
「殿下、ディリウス!」
突然乱入してきたのはディリウスの父親だった。彼にしては珍しく、あせっていることがうかがえた。
「父上?」
「どうした」
「リデル様が――」
ディリウスはその時、ルディの顔が青ざめるのを見た。