第一章 第三話 消えたメダル
自分が移動するたびに、ろうそくの明かりが増えていく。扉の前に立てば、触れる前に扉が開く。
失われた国の宮に込められた魔術。好奇心を刺激され、宮中を見て回りたい衝動に駆られたが、今は皇帝の頼みごとを優先しなければと理性で好奇心を抑え込んだ。もっとも、目的の祭壇がなかなか見つからず、宮中を歩きまわることになったが。
「ここ、か?」
ようやくそれらしきものを見つけたのは、足が棒のようになって久しくなったころだった。
祭壇は、皇帝の言う通り『そんなに立派なものではない』だったが
「外にあるのなら外にあると言ってほしかったですよ、陛下」
すでに足が悲鳴を上げているラディスはここにはいない、寝たきりの老人に向かって恨み言をつぶやいた。
そう、祭壇は宮の中庭の一角に隠されるようにして鎮座していたのだ。大きさは、子ども一人が横たわれるほど。雨風にさらされてかなり痛んでいたが、繊細な彫り込みをしてあるのが見て取れた。材質は、どうやら大理石らしい。
どうやって見つけたかというと、中をほとんど見つくして休憩を取っているとき、目の前に白く光る火の玉が現れ、まるでラディスを案内するかのように中庭へと移動したのである。
貴婦人がそれを見れば、大騒ぎをするか気絶するかしただろうが、これも魔術の一種なのだろうと思ってそれほど驚かなかった。むしろ、出てくるならもっと早く出てほしかったと大真面目に文句を言ってしまったほどだ。ちなみに、火の玉はまだラディスと祭壇を照らしている。
「とりあえず、メダルを……」
ふところからとりだしたメダルは、火の玉の光を反射して輝いていた。改めて観察してみても、全く見たことがないメダルだった。つい最近造られたものなのは確かのようだが、貨幣として使われている金貨は皇家を現す獅子であり、オオカミではない。思いつく限りの貴族の紋章を思い浮かべても、オオカミを使っている家はない。重さからしても純度の高さがうかがえる。まちがいなく高級品だ。
しばらく観察していたが、特にこれといった細工も見つけられなかった。あきらめて祭壇の上に置き、一旦庭を離れるために踵を返す。
シュン!
ろうそくの灯がともる時と同じような音が聞こえた。
「まさか!?」
あわてて後ろを振り返ってみると、祭壇の上にあったはずのメダルがなくなっていた。
「誰も来ていないはずなのに…!」
あわてて祭壇に近寄っても祭壇は平らなままだ。落ちたのかと周囲を見下ろしても金色に光るメダルは見つからなかった。
「一体どうなっているんだ、この宮は」
頭を抱えて座り込みたい、と思ったがそれは自分の自尊心が許さなかった。
「驚いたな」
それがラディスの話を聞いたキリアンの第一声だった。
「打ち捨てられたとはいえ、エルディアの宮がまだ残っていたとは」
エルディア皇国――この大陸でもっとも長い歴史を持っていたアルギリアの元になった国だ。初代が魔術師であったことからエルディアの皇帝や貴族のほとんどは魔術を扱うことができた。かつて、大陸が小国に分かれて争っていた頃、避難民たちを魔術でもって守り、協力者たちを募って国を作り上げたという歴史ゆえに、魔術の最先端であった国。当時は魔術が当たり前のように使われていたという。
「しかも魔術が盛りだくさん。興味深い」
「幽霊屋敷にいるみたいだった」
ラディスはメダルが消えた後、馬を駆って逃げ出すようにその場を離れたのだ。次の日、ディリウスに事の次第を説明したが、問題はなかったようで逆におびえていたラディスを笑い飛ばしたという。
「かつての皇国も、今では人々の口の端に上ることもない。むしろ、忌避されている」
「しかたがないさ。エルディアの皇帝は最悪みたいだったからな」
エルディア最後の皇帝として、その名を残すルディエル皇帝は、民を顧みず、大地が荒廃していくことに目も向けず、宮に閉じこもってばかりいたという。そして、当時エルディアの伯爵であったディリウス反乱をおこし、皇帝を処刑した。ディリウスがまだ二十代だったころのことである
「エルディアが数百年の歴史を閉じ、アルギリアが誕生した。しかたがないことだ」
「でも、この手記はエルディアの記録が残っているかもしれない」
ディリウスの手記が発見された時、緘口令をしかれたのには、もう一つ理由がある。
建国時の混乱ゆえに、エルディアの記録はほとんど失われている。ほとんど曖昧なことしかわからないのだ。ディリウスは、生涯において自らの過去を語ったことはほとんどない。特に、エルディアがあったころ、少年時代についてかたくなに口を閉ざしているのだ。臣下たちも、そんな皇帝の意に添い、口を閉ざしたまま亡くなった。すでにエルディアを実際に知る者はほとんどいないといっていい。
その中での発見だった。貴重なエルディア資料になるかもしれない書物を、詳しい内容が明らかになるまで秘匿することにしたのだ。
「気になるか?」
「当然だろ?おじい様がどのような少年時代を過ごされていたのか。それがわかるかもしれない」
「過剰な期待は禁物だ」
「でも、お前だって気になるだろう?」
ラディスは口を閉ざした。キリアンはその沈黙を肯定と受け取った。にんまり笑って手記を手にとる。
「では手記を読んでみることにするか」
「わかった」
これからじっくりと読むであろうキリアンを邪魔しないために、ラディスは立ち上がった。
「ありがとう」
キリアンはすでに一ページ目を開いている。読書が好きな彼は、一度本を開いたら内容に没頭してしまう。誰かが声をかけても、反応しなくなる。少なくとも、日が暮れるまでこの調子に違いない。
「ではごゆっくり」
ラディスは静かに扉を閉めた。