第一章 第一話 皇帝死去
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アルギリア暦73年。アルギリア帝国初代皇帝、ディリウス・キリアン・マウエル・アルギリウス死去。享年96歳。アルギリア建国後、荒れ果てていた大地を世界有数の先進国へと押し上げた彼は賢君と呼ばれた。国中の民が偉大な皇帝を失ったことに涙した。
ある若き侍従は老人とは思えぬ健脚さを語り、またある老臣は、アルギリアの建国当初の、若き皇帝の凛々しさを語った。
壮厳な葬送の儀式が行われ、皇帝は本人の生前の願いどおり、国の南に位置する先祖が眠る生まれ故郷ではなく、自身が人生の大半を過ごした城の片隅に葬られた。
そうして、偉大な人物を失った悲しみも、時が薄れさせてくれる――はずだった。
「ラディス」
自分の名を呼ぶ声に、ラディスは椅子から静かに立ち上がり、声の主に向かって頭を下げた。長時間、同じ格好で座っていたので体が少々きしむ。しかし、気取らせるような真似はせず、自身の黒髪を主に見せつけるようにしながら、主を呼んだ。
「殿下」
「キリアンでいい」
「キリアン」
そうして、一月前に亡くなったディリウス皇帝の孫――現皇太子、キリアン・シェーファン・エルディ・アルギリウスは幼馴染でもあるラディス・リント・ビュケル伯爵は三カ月ぶりに向かい合った。祖父から受け継いだ蜂蜜を集めたような金髪をかきあげ、緑青の瞳を机の上にあると品物に向けた。
「それだな?例の品とは」
「その通り」
ラディスは榛色の瞳をキリアンに向けながらそれをそっと取り上げる。
それは一冊の冊子だった。厚さはそれほどではない。しかし、古いこげ茶の革表紙を纏うその冊子が、それなりに古いものだということがわかる。
「これが――ディリウス陛下の手記だ」
生前、ディリウスが手記を書いていたなどとは、そば近くに仕えていた臣下すら知らなかった。もちろん、実の孫でもあるキリアンも知らなかった。
これが見つかったのはほんの三日前。ディリウスの私室を清掃していた侍女の一人が、壁に板でふさがれた小さな穴を発見。そっとさわってみると、板が倒れて中にしまわれていた手記が姿を現したのだ。
「ディリウス皇帝が、残した手記、か」
ディリウスが手記に何を記したかはわからない。だが、その内容は彼個人のプライベートなこと、下手をしたら国家機密なみの情報が入っているかもしれない。
そのために、早々に緘口令がしかれ、ひそかに回収されたのだ。
そうして発見から三日目にして皇太子キリアンの手に渡ったわけである。
「何が書かれているんだろうな」
「読むならこの部屋から出すなよ」
「いいのか?」
「陛下の許可は既に取ってある」
キリアンの脳裏に、おとなしい子犬のような笑い方をする父皇帝の顔が浮かんだ。即位したてで毎日のように政務に追われている。おそらく、父親の手記を見る暇もないのだろう。あるいは興味もないのか。
「いいだろう。俺としても気になることだからな」
お前への頼みごとの真相もわかりそうだしな。
なにげなく続けられた言葉にラディスは体を硬直させた。
キリアンは生真面目で正直な幼馴染に笑って見せた。
「別に怒っているわけじゃない。何を頼んだのか知りたいだけだ」
それは祖父の死ぬ三日前のこと。祖父は自ら人払いをした上でラディス一人を呼び寄せた会話の内容は不明だが、ラディスがその日のうちにどこかに出かけ、翌日、また人払いされた祖父の部屋へと足を運んだ。
祖父が息を引き取ったのはその次の日のことだ。
「おじい様は、何か心残りがあられたのだろう?一年に一度、この時期におじい様が一人で出かけられていたのは周知の事実だったからな。それでお前は何か頼みごとをされた。そして帰ってきたお前の報告を聞いておじい様はご安心なさった。そして、息を引き取った」
多くの忠臣がいる中でなぜラディスを選んだのかはわからない。おそらく、自由に動けそうで信頼のおける、と考えた人物がラディスだったのだろう。
そして、自分の幼馴染であったことも関係していたに違いない。なにせ、口がさない貴族連中からラディスが皇帝を毒殺したのではないかとまことしやかに噂されたのだ。そういった噂から守れるような人物もまた必要だった。それが、自分だったということだ。
しかし、ラディスは何を頼まれたのか、自分にすら口を開かない。そう皇帝に命じられたらしいが、自分くらいには話してほしい。
その内心をラディスは感じ取ったのだろうか。
「すまない……実を言うと私にもよくわからなくて」
「よくわからない?」
「あのことが皇帝にとってとても大切なことだった。それは確かだろう。だが、なぜそこまで気になさるかまではわからない」
はっきりとしないことだったから、あえて告げなかった。
頭を下げるラディスにキリアンは困ったように苦笑した。
「もういい。だが今度こそ話してもらうからな?」
そこで、隣室のソファに向かい合うように腰かけ、間のテーブルに手記を置いた。
「これを読む前に、お前の話を聞かせてもらうぞ?」
そのほうがおもしろいだろう。
いたずらっこのように輝かせる緑青の瞳に、ラディスは屈した。