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1.道場の珍客 (3) ☆

「それは偶然でした。その夏の捜索も空振りに終わり、山を下りる途中、天候が急変しました。雨を避ける場所を求めているうち、洞窟を見付けました。その年は下山したあと、北方の街パイエンに寄ろうとして、いつもとは違うルートで下っていました。かつての村の者たちも来ない険しい場所です。その洞窟の中で……彼女を見付けたのです」

「マジかよ!?」

 ハルが身を乗り出す。ボウマンが頷く。

「そこは、事故があった場所から数カロルーテも離れたふもとでした。きっと長い年月をかけ、氷の川に流されてきたのです。彼女は穴の奥で、氷塊に包まれていました。その姿は事故があった時のまま、まるで眠っているようで……そう、あたかも鏡の中の姿のようでした」

「……………」

「その姿を見て、私の心は乱れました。はじめは、遺品のひとつでも見付ければあきらめようと思っていました。でも、そのまるで生きているような有様に……私は思ったのです。『彼女を生き返らせることができないか』と」

 リリィの眉が微かに動いた。唇を噛んだようにも見えた。


「それから、私が探し求めるものが変わりました。死者を蘇らせる方法――それは、彼女を見付けるのと同じくらい困難な仕事でした。しかしいくつかの年が去り、今年の夏の終わり……ヤクトの酒場で聞いたのです。『都に凄腕のまじない師がいる』と」

 ヤクトは、彼の村に近い宿場町だ。小振りな町だが、マーロン山脈を越えた街道が王都方面、パイエン方面に分岐する交通の要衝だ。「なるほどな」、ハルの言葉にボウマンは頷いた。

「その者は右腕がなく、ロッドを左手にした若い娘だということでした。私は都に(のぼ)り、そのまじない師を探しました。すぐに手掛かりは得られましたが、エンベロペの中に住んでいるとのことで、どうやって会うか思案しておりました。そんな折、こちらの道場の師範代――ハル殿がその者の知り合いだと聞き、こうして伺った次第です」

 『エンベロペ』は、王城を取り囲む真円形の城壁だ。中には許可を得た御者や、衛兵にエスコートされた運び屋のほかは、限られた身分の者しか立ち入れない。事実、今日リリィが道場に来たのも、ハルの取り次ぎがあったからだ。


 リリィが椀の水を喉に送った。

「……それで、私にその恋人を蘇らせてほしいと言うわけね」

「死んだ人間を生き返らせるなんてできんのかよ?」

 最初の疑問をハルが繰り返した。シールもこくこくと相槌を打った。しかしリリィは語った。

「文献では読んだことがあるわ。それは、『反魂(はんごん)の秘術』。力をもった者が、何らかの儀式を執り行う。それにより、死者の地に還った魂を、もとの肉体へと呼び戻す」

「マジかよ!?」

 だが、リリィの表情は晴れない。その顔色が表す疑懼(ぎく)を、彼女はそのまま口にした。

「でも、私にはそれができると思わない」

 彼女は木椀を眼前に掲げた。


挿絵(By みてみん)


「私がこの中の水をこぼせば、それはもう、二度と椀には戻らない。形あるものは壊れ、命ある者は死ぬ。それがものごとの(ことわり)

 シールが眉を落とした。ボウマンの心情を(おもんばか)ってのことだろう。しかし、当の彼に打ちひしがれた様子はなかった。彼は反駁(はんばく)した。

「それはそうです。ですが、女はその胎内で子をなすことができます。職人は土くれから道具を作ります。それもまた、理です」

 瑪瑙(めのう)の輝きを放つ真摯な眼差し。そこには偽りも、虚勢もなかった。どうするか――リリィの美顔を窺うハル。


 場を覆う静寂。

 無論、道場は無音ではない。横では少年たちが弓の腕を競っている。軽やかに的に突き立つ矢音。それに対する賞賛、時には揶揄。だが射場の隅の空間は、世界から切り離されていた。


 長い沈黙。

 そこへ一陣、風が吹き抜けた。矢道の土ぼこりを匂いに乗せ、ひと(たば)の髪をなびかせた風にため息を混ぜ、まじない師は答えた。


「わかったわ。その依頼、引き受けましょう」


 ハルが驚く。シールもおちょぼ口を開く。リリィが続ける。

「ただし、今の私は術のやり方を知らないし、能力もない。時間がほしいわ。年が明け、冬を越え、春分の日(エキノクシ)までに連絡がなければあきらめてほしい」

「わかりました」

「あと、報酬は用意できるんでしょうね」

 覗き込むリリィの瞳。漆黒の目線にボウマンはあご髭をまごつかせる。

「も、もちろんです。でもそれほど多くは……どれほど入り用でしょうか?」

「百万ソリタってところかしら。あと実費ね」

 百万ソリタは、都の物価でも家族が一年食える金額だ。彼は眉間を押さえた。

「百万ソリタは無理です。ですが蓄えは多少ありますし、王都でも仕事はしています。来春であれば、近い金額は……」

 リリィはまぶたを閉じ、ふんと鼻を鳴らした。だがその口元に浮かぶ色は穏やかだった。


「ならその時あるだけでいいわ。それと、実費以外は成功報酬で結構。失敗してまで受け取ろうとは思わないわ」

「ありがとうございます。承知しました」


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