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6.あの頃とこれから

「ルース、どうしたんだ?」


 柔らかな日差しが降り注ぐ庭を見ていた年若い女性が、ゆっくりと後ろを振り向く。

 結い上げられた柔らかな栗色の髪の一束がはらり、と落ちた。

 それを気にせず、女性はホリゾンブルーの瞳を細めて笑った。


「少し昔のことを思い出していたの。あの頃──アスタと出会った頃がもう懐かしく感じる。それが少し寂しくて」

「寂しい?」


 女性──ルースの言葉を聞いた執事、アスタが怪訝そうに眉を潜めた。

 非常に整った顔立ちをしているアスタは、どんな表情をしても絵になる。艶のある黒髪、金色の瞳。バランスが完璧なスッと通った鼻。細く綺麗な眉が今は胡乱気に潜められている。


「ええ。時の流れを感じてしまって」

「本当にどうしたんだ? 社交界デビューを目前にブルーになってるのか?」


 アスタの問いにルースは少し俯いた。

 そうかもしれない、と思う。しかし、そうではないとも思う。

 ルースは本日、16歳になる。

 ここまで生きてこれたのは控えめに言ってもアスタのおかげである。そして、本日、ルースは社交界にデビューすることになっている。

 そこまでの教育を施してくれたのもまたアスタであった。

 両親はアスタが現れてから、ルースに積極的には関わらなくなっていった。初めの頃は、ルースの方から親に近づこうとしたが、それが鬱陶しがられていると知ると、少しずつ距離を置くようになった。

 それは互いのために必要な行動であったように思う。

 ルースにとっては、寂しい出来事ではあった。しかし、ルースは孤独にはならなかった。

 アスタが心を砕いてくれたからだ。


 アスタは悪魔のはずなのに。

 ルースの願いを叶えたら魂を取っていけばいいはずなのに。

 なのに、それ以上のものをアスタはルースに与え続けてくれている。

 孤独だったルースを抱きしめてくれ、温かい衣食住を用意してくれた。教育を施し、相談に乗ってくれ、それから、彼はルースの人生の邪魔を徹底的に排除してくれている。

 アスタはそれをこっそりやっていると思っているが、付き合いが長くなれば、ルースだって気が付く。

 おそらく、両親のこともアスタが何かしら手を打ってくれたに違いないのだ。


 アスタの為にルースは心を砕いてくれている。

 それに対して、ルースはまだ何も返せていない。

 早く魂を渡さなければならないと思うのに、アスタを納得させることのできる願いは未だ、思い浮かんでいない。


「……私、上手くやれてるかしら?」


 長考した末、ルースはアスタに問う。


「ああ。自信を持て」


 アスタの答えに、ルースは苦笑した。

 きっとこの質問の意味をアスタは勘違いしている。

 沢山もらってばかりで、何一つ返すことは出来ない。

 何かしら、この恩に報いなければならないとは思っている。だから、早く何かしらアスタを納得させるだけの願いを早く見つけなければならない。


「なら良かったわ。私、きっと頑張って来るわね」

「じゃあ、準備をするぞ」


 アスタに促され、ルースは立ち上がった。

 もう一度、光の溢れる庭へと視線を向ける。

 そこからは母屋のリビングが見える。歳のそう離れていない弟がバイオリンを弾いている姿があった。

 少し引き間違えたのか、エドワードはちろりと舌を出して笑っている。それを和やかに両親が見守っていた。

 羨ましいとは思っている。しかし、それはもう手に入らないものだ、と諦めもついている。

 ルースは視線を切ると、アスタの待つ部屋へと足を進めたのだった。


 ルースは今日。

 家族の知らないところで、大人の世界へと歩み始めるのだ。


 自分で道を切り開く。

 何かしら、起業するにしても。どこかに嫁ぐにしても。

 家族からの支援は期待できない。

 自分で道を切り開いて、アスタに報いなければならない。


 アスタの用意したドレスに袖を通し、アクセサリーを身に着ける。

 鏡の前に座るとアスタが現れて、髪の毛にくしを通し始めた。


「髪型はどうする?」


 言われて、ルースは鏡の中の自分を見つめる。

 アスタが髪の毛にくしを通す度に揺れる栗色の髪。アスタがお風呂の度に丁寧に手入れをしてくれた髪だ。艶もあり、美しいと思う。

 下ろすとグッと大人っぽく見える。


「いいえ、上げてほしいわ」

「分かった」


 悩んだが、若いというのはそれだけで武器だ。年上から可愛がられれば、社会を渡りやすくなる。

 だとすれば、大事なのは大人っぽく見られることも、あどけなく見えた方が得だろう、という考えからだ。


「じゃあ、髪の毛を結ぶ。その間にこれを」

「ありがとう」


 そっと差し出された温かなティーカップに口端が上がってしまう。

 緊張していて、微かに手が震えているのを見抜かれてしまったに違いないのだ。

 いつまで経ってもアスタにとってルースは護るべき子供だ。

 今日から大人の仲間入りしようというのに。

 まだまだだな、と苦笑するだけでは足りない。


 そうしている間にアスタはくるくるとルースの髪をまとめ上げ直してくれた。そして、花飾りを選んでくれている。

 金色の瞳は真剣そのものだ。


 それから、彼はまた真剣な表情でルースに化粧を施してくれた。

 目を開けていいと言われて、鏡の中の自分を観たとき、それが自分だと気が付けなかったほどだ。


「アスタは本当に凄いわね」

「ルースの顔はもともと綺麗だ。だから、何をしても映える」

「また上手いことを言って」

「さて、俺も支度をしないとな」


 上手いこと話しを反らして、アスタは立ち上がる。

 気が付いていなかったが、もう日は傾き始めていた。

 もうすぐ、社交界へと出かけなければならない時間だ。

 本来であれば、執事は当然留守番だ。

 しかし、アスタは違う。

 ルースのエスコートの為に一緒に参加してくれることになっているのだ。女性が一人で、社交界デビューするのはいい顔をされないためだ。


 執事のエスコートでも評判が悪くなるのでは、と心配したルースにアスタは一言、お任せください、とだけしか言わなかった。

 だが、彼がそういう時は決まっている。

 魔法でなんとかするに決まっているのだ。

 アスタが指をパチン、と鳴らす。

 すると。

 アスタの服は執事服から大きく変わり、上品なスーツへと変わっていた。心なしか雰囲気も変わっているように見える。

 ルースは瞬きを繰り返した。


「私のも魔法を使ったら良かったのではなくて?」

「何故?」


 心底不思議そうにアスタが小首を傾げた。

 アスタにはそういうところがある。自分のことはパパっと魔法ですますのに、ルースへの手間暇はなぜだか惜しまないのだ。

 まるで人間がするかのようにルースには手をかけてくれる。


「その方が手っ取り早いじゃない。アスタの時間も奪わなくて済むのに……」


 アスタの手を煩わしていることに、ルースは罪悪感を覚えてしまうのだ。

 それはもうずっと前からのことで、気にするなと言われていても、気になってしまう。


「俺が好きでやってる。それとも、ルースは俺に触られるのが嫌いか?」

「そんな訳あるはずないでしょう?」

「俺も同じ気持ちだ」


 その言葉に簡単に嬉しくなってしまう自分がいる。

 単純だと思いながらも否定はしない。できない。


「俺の姿は他の奴らからは別人に見えている。だから、ルースの執事だとばれることはない。安心しろ」

「細かいところまで気を使ってくれてありがとう」

「当然の配慮だ」


 金色の瞳が伏せられる。

 一体、他の人にはどう見えているのだろうか。分からないが、アスタが教えないということはきっと知る必要はないのだろう。


「それじゃあ、そろそろ出かけるぞ」

「ええ、いきましょう」


 言って、ルースは立ち上がろうとした。

 しかし、それをやんわり押し留められる。

 何故、と疑問を持ってアスタを見上げれば、スッと手を差し出された。


「お手を。参りましょう、"お嬢様"」


 普段、呼ばれない名称に、目を丸くする。

 それから、遠慮がちにルースはアスタの手に、手を重ねた。

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