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3.母親の訪問

 がしゃーん!


 何かが割れる音が聞こえて、ルースは飛び起きた。

 一体、何が起こっているのか分からず、ルースは布団の上で身を固くした。

 神経を集中させて、周囲の音や気配を感じようとする。


「いいからルースを呼べって言ってんのよ‼」


 鋭い怒鳴り声が聞こえ、ルースは音の原因が母親であることを悟った。

 何かやってしまったのだろう。

 母親がヒステリックに声を上げる時は全て、ルースが悪い時だ。ただ、いつもルースは原因が分からない。

 母親を怒らせてばかりで悪い子である。

 怒られるのは怖い。

 母親ににらまれて、叩かれると思うと泣きそうになる。

 布団に閉じこもってしまいたい。

 でも、それは許されることではないのだ。

 ルースは覚悟を決めるとベッドから滑り降りた。

 ひんやりとした空気に触れて、肌が粟立つ。

 冷たい床の感触を感じながら、ルースは、一歩、また一歩と歩みを進めていく。


 扉に手をかけて、意を決して押し開ける。


「生意気な執事だねっ! 本当に憎たらしい顔をしてるよ、爺さんの遺言さえなけりゃ、さっさと家を追い出してるところだよっ‼」

「お引き取りを。まだお嬢様は寝ている時間なので」


 母親の怒鳴り声とアスタの冷静な声が耳に飛び込んできた。

 自分のせいで、アスタまで母親に怒られている。

 そう感じて、ルースは慌てて、走り出す。

 吹き抜けの階段を目指し、廊下を駆ける。そして、階段の上から玄関を見下ろす。


 やはりと言うべきか。

 母親が鬼の形相で立っていた。

 ふわふわのドレス。

 鮮やかなメイク。

 アスタに突き付けている扇子。

 一分の隙もない、大人の女性。

 その迫力が、ルースを圧倒する。ともすれば、足がすくみそうになってしまう。


「お前なんか、爺さんと死んでくれりゃ良かったんだ!」

「どうもそう言う訳にもいきませんので」


 どれだけ母親が声を上げようと、アスタはどこ吹く風である。

 恐れることもなく、ただ淡々と言い返している。


「とにかく、ルースにはやらなきゃいけないことが沢山あるんだよ、さっさと起こして来な!」

「屋敷のメイドにやらせればいいではありませんか」

「はあ? 誰に物を言ってんだい?」

「奥様です」

「じゃあ、生意気にも反論してんじゃないよっ!」


 母親が扇子を振り上げる。

 それを見て、ルースは転げ落ちるように階段を駆け下りた。


「ま、まって! まってください!」


 叫びながら、母親の元まで行き、素早く膝を付いて頭を床にこすりつける。


「ごめんなさい、わたしがわるかったです、だからアスタをおこらないでください」


 声はみっともなく震えた。


「お嬢様……」


 アスタの声が耳を打つ。

 叩かれたら痛い。

 アスタは悪い人ではない。ルースみたいな人を助けてくれる。

 だから、いい人だ。

 そのアスタが自分のせいでたたかれたら、ルースはきっと自分を許せなくなる。

 だから、必死に謝る。

 何が悪かったのか、思い当たる節など一つもない。だけど、母親が怒っているのだから、きっとルースが悪いのだ。


「ふんっ、随分、遅かったじゃないかい。いいかい、今日は、エドワードのおもちゃを買いに行くから、エドワードの部屋のおもちゃを全部捨てときな」


 言われて、ルースはホッとした。

 どうやら起きてくるのが遅かったことを怒っているだけだった。叩かれる気配もない。

 言われたことをルースは承ろうとした。


 しかし。


 ルースが返事をするよりも早く。


「お断りします」

「はあ?」


 ルースは驚いて、顔を上げた。

 母親の顔色がみるみる赤くなっていく。

 せっかく母親の怒りを鎮められるところだったのに、アスタは何をしているのだ、とルースは混乱する。


「お嬢様は今日から、淑女になっていただくべく授業の予定が入っておりますので」

「誰がそんな教師を雇ったんだい? あんた、勝手に家の金を使ったのかい!?」

「いえ」


 アスタが、言葉を区切って、金色の瞳で真っ直ぐに母親を見つめた。


「私がお教えするのです」


 今度こそ、母親もルースも啞然とした。

 何を言い出すのだ。

 淑女教育という者は、普通、同じ爵位を持つ年配の女性から教わるものである。

 知識が乏しいルースでさえも知っている。


「勝手に財源を使う訳にもいきませんので、苦肉の策です。お嬢様には立派に社交界にデビューして頂かなくては。それは亡き先代の意志でもあります」


 やや早口で、アスタは付け加えた。

 そのまま、地面に膝を揃えたままのルースのところまでやって来る。

 脇にひょい、と手をさしこまれ、ルースは軽々と持ち上げられた。


「私の主人は、お嬢様なのであなたの意向には従えません。それでは」


 顔を真っ赤にしたままの母親にそれだけを告げると、アスタはさっさと歩き始めた。


「待ちなさい、この木偶の坊!」


 後ろで母親が怒鳴っている。

 ルースはアスタの肩越しに母親を見ようとした。

 しかし、その行動はアスタの動きによって封じられてしまう。

 アスタは一度も振り返ることなく、食堂へと入り、扉を閉めてしまった。

 扉がしまると、食堂は不思議なほど静寂に包まれた。


 見ると、アスタの瞳孔が縦長に伸びている。それだけではない。金色の瞳がわずかに発光しているようだ。


「全く、面倒な奴だな」


 小さく呟いたつもりであろう、アスタの言葉がルースの胸に刺さった。

 アスタの言い分も分からなくもない。

 他の人から見れば、母親はそう言う風に見えるのかもしれない。

 そう思うと哀しかった。

 ルースはアスタの腕の中で俯く。


「あの、ね……お母様は、わたしのためにいってくれてるの」


 アスタの表情が凍り付いた。

 ルースは、必死に自分の母親の良さを伝えなければならないと思った。

 アスタにも自分の母親を好きになってもらえたらと思ったのだ。


「……違う」

「え?」


 アスタの言葉にルースは弾かれたように、その金色の目を見つめた。

 瞳が縦長に伸びている。金色の虹彩がゆらゆらと揺れている。


「それは違う。お前の為じゃない」


 何か、反論しなければならない。

 それなのに、言葉は喉の奥で絡まってしまったのか、声が出てこない。

 口をハクハクとされる。


 そんなことはない。

 自分は愛されている。

 のろまで愚図な自分のために母親は厳しくしてくれているのだ。

 そんな母親を怒らせてしまうのは自分が悪いのだ。

 だからもっと頑張らなきゃいけないのだ。


「気が付いてるはずだ」


 ルースは、後退った。

 そして、首を横に振る。

 そうでなければ、何か大事な部分が壊れてしまう、そんな気がした。


「ルース、俺が言っていることは酷だろう。認められないだろう。だけど、ちゃんと現実を見ろ」


 脳がぐわんぐわん、と音を立てている。

 心臓がバクバクと音を立てて、体はまるで火が灯ったように熱い。

 これ以上、聞きたくない。

 ここは怖い。


 ルースは駆けだした。

 食堂の奥へ飛び込み、目についたクローゼットの中に飛び込む。

 アスタが駆けてくる音が聞こえたが、必死に息を殺す。


 違う。

 違う違う。

 お母様は悪くないはずだ。

 自分が悪いのだ。

 だから怒られる。

 そうじゃなければおかしい。

 酷いことを言うアスタは何も分かっていない。


 コツン、コツンと、重いけど規則正しい音がクローゼットの前にやって来る。

 ルースは頭を抱えた。

 何も聞きたくない。


「ルース」


 呼ばれている。

 だけど、答えたくなくて、ルースは口を食いしばる。

 何故だが、涙が溢れそうになった。


 隠れていても何も解決しない。

 むしろ怒られる。

 分かっている。

 分かっているけど、ルースには受け入れられない。

 ずっと自分の為だと思い込んで、受け入れてきたのだ。

 そうじゃなければ、何故、と思わずにはいられない。

 ぐらぐらと心が揺れる。


「ルース、すまなかった」


 謝られて、ルースはびっくりして顔を上げた。

 何故、アスタが謝るのか、ルースには訳が分からない。

 ルースは硬直した。

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