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1.柔らかな目覚め

 ルースは柔らかな光を受けて目を覚ました。

 目を擦りながら、起き上がる。

 そして、動きを止めた。

 昨日、ルースは地下室に閉じ込められたのだ。

 しかし、今、自分はベッドの上に寝かされている。

 一瞬の混乱がルースの頭を駆け巡った。

 そして、徐々に記憶がはっきりしだす。

 地下室で不思議な存在と出会い、契約というものをしたはずだ。

 そして、抱きしめてもらって、温かな腕の中で涙が枯れるほどに泣いたはずだ。

 そのあと。

 そのあとはどうなったのか。

 

「わたし……しんだ……?」


 不思議な存在が言っていた。

 願いを叶えたら、魂をもらうと。

 そのあたりの記憶は朧気だ。

 だが、確かにルースは抱きしめてもらい、いい子だね、と言ってもらった。

 温かくて、ここで消えていいと思うほど、幸せだった。

 だから、魂がなくなったのだ、と勝手に推測する。

 魂がなくなると、死ぬ、というのは幼いルースでもなんとなく理解していたからこそ、導き出された結論だ。

 願いは叶えられたのだから、死んだのだろう。


「ここは、てんごく?」


 次にルースの頭に浮かんだのは、ここはどこだろう、ということであった。

 魂がなくなると次が消えると聞いていたが、天涯付きのベッド。日当たりのよい部屋。ルースが与えられている屋根裏部屋とは違う。

 教会で習っていた、天国と地獄の話が頭を過る。

 天国は素晴らしいところだと聞いた。

 ならば、この美しい部屋は天国に違いない。


「勝手に死ぬな」


 横から声を掛けられて、ルースは飛び上がるほど、驚いた。

 胸の上に手をあて、声がした方を向く。

 黒い執事服に身を包んだ男が立っている。


「あ、アス……」

「しぃーっ」


 名前を呼ぼうとしたら、男は人差し指を立てた。

 ルースは口を噤む。

 男が妖艶に微笑んだ。

 黒い長髪を、右肩のところでゆったりと結わえ、上質な執事服を身にまとっている。

 金色の瞳はすっかり人間らしいものになっていた。


「俺のことはアスタと呼べ」

「アスタ……? なんで?」

「俺の名前は、良く思われないからだ」

「そうなの? ルースはすきよ」


 男──アスタは一度、言葉に詰まった。

 その様子にまた余計なことを言ってしまったのか、とルースはアスタの顔色を窺う。


「じゃあ、俺とお前の二人きりの秘密だ」

「ひみつ……」


 心をくすぐる言葉だった。

 ルースは大きく頷く。

 自分とアスタだけの秘密。


「よし、いい子だ」


 アスタが笑う。

 それを見て、ルースはやはりここは天国に違いない、と誤解を深めた。

 優しくしてくれる存在が受け入れられないのだ。


「怪我は痛まないか?」


 言われて、ルースは自分の手に視線を落とした。

 包帯が巻かれている。

 鉄の扉を叩き続けた手は、言われなければ痛みさえ感じなかった。


「だいじょうぶ。アスタさんがしてくれたの?」

「そうだ。大事な契約者だからな」

「ありがとう」


 ルースの言葉に、アスタはまた少しだけ笑った。

 しかし、どこか哀しそうにも見えてルースは小首を傾げる。


「もしかして、お母様におこられた? わたしは"じりつ"しなきゃだから、おてつだいしてはいけないって おやくそくだなの……」


 天国にいると思ったことさえ忘れて、ルースはアスタに問う。

 アスタの表情は一気に険しいものに変わった。

 ルースは思わず、背筋を伸ばす。

 それに気が付いたアスタがすぐに、息を吐いてまた笑顔を浮かべてくれた。


「違う、お前に怒ったわけじゃない」

「で、でも……」

「いいんだ、お前は気にするな。それより、今から状況を説明するからよく聞け」


 アスタの言葉にルースは頷いた。

 よく聞け、ということは間違えてはならない、ということだ。意識を集中させる。


「……まず、お前は死んでない。よって、ここは天国ではない」

「え……」


 衝撃であった。


「ここは、エヴァンス伯爵家の離れだ」

「はなれ……あらしでこわれてたところ?」

「そうだ」


 アスタの肯定に驚き、ルースは辺りを見渡した。

 記憶によると、離れはボロボロで、とてもこんな穏やかに過ごせる場所ではなかったはずだ。


「直した」

「アスタさんが?」

「そうだ」

「すごい! どうやって?」

「それは、まあ、おいおいな」


 アスタが微笑む。

 まだあって少ししか経っていないが、ルースはもうすっかりアスタの笑顔が大好きになっていた。

 アスタが笑うと安心するのだ。


「で、大事なのはここからだ。ここはお前の城だ」

「え?」

「少しだけ、現実を改変させてもらった」

「げんじつ? かいへ……?」


 聞きなれない言葉をおうむ返しに唱える。

 そのあたりの説明もおいおいな、とアスタは告げる。


「この離れは昔、お前の祖父母……つまり、おじいちゃんとおばあちゃんが使っていたんだ」

「おじいちゃん、おばあちゃん。あったことがないわ」

「だろうな。お前が生まれる前に死んでるらしい。しかし、そこはそれだ。お前の祖父母がお前にここを譲ったことにした」

「どう、やったの?」

「秘密だ」


 同じ『秘密』の言葉なのに、ルースの心は今度は重く沈んだ。


「そして、俺は祖父母が遺した執事だ。『遺言』にそってお前を主としている」


 理解が追い付かず、ルースは首を捻る。


「……まあ、俺はお前の執事だ。だからアスタって呼び捨てでいいし、俺になんでも命じろ」

「お父様とお母様がおゆるしになるかしら……?」

「それは大丈夫だ。それが遺言の力だ」

「ゆいごんってすごいのね」

「そうだ」


 遺言が何かは分からないが、凄いものだとルースは認識する。

 いつもルースのやること成すことに反対してきた両親を納得させることができるもの。

 そんなものが存在するのか、と内心はまだ疑わしい。


「じゃあ、アスタさ、」

「アスタ」

「あ、アスタは、お母様におこられてもやめない?」

「やめない」

「お父様にいわれても?」

「やめない」

「じゃ、じゃあ、しつじちょう」

「やめない」


 そこまで言って、アスタがルースに手を伸ばしてきた。

 怒られると思い、ルースは身を固くして、目を閉じる。

 しつこ過ぎた、と反省する。

 しかし、恐れていたような衝撃は無かった。

 代わりに体がふわりと持ち上げられる。


「いいか、俺の契約者はお前だ。俺はお前の味方だ。そして、願いを絶対叶える者だ」


 当然のように片腕で抱き上げられて、ルースは瞬きを繰り返す。

 下から、アスタの表情を見つめる。

 アスタは真っ直ぐ前を見つめながら、部屋の中を横断する。

 そして、椅子にルースを座らせた。

 その前に片膝を付いて、ルースと視線を合わせてくれた。


「忘れるな」


 アスタの言葉は嬉しい。嬉しいはずなのに、不安がどうしても過る。


「どうして? どうして、わたしのみかたをするの?」

「契約──約束しただろ? お前は俺に魂を払う。代わりに俺はお前の願いを叶える」

「かなえてもらったわ」


 おずおずとルースは進言する。


「馬鹿め、あれは願い事じゃない。ただのスキンシップだ」


 随分と柔らかい馬鹿め、の言葉がルースの胸に広がっていく。

 怖くない大人、というのが、ルースにはとにかく不思議であった。


「とにかくお前は、魂をかけてもいい、と思うもっと大きな願い事を考えろ。お前の幸せのために」

「しあわせ?」


 馴染みのない言葉を繰り返す。

 またアスタは哀しそうに、苦しそうに表情を歪めた。

 それは一瞬のことだったが、ルースの心はさざめく。


「そうだ。お前は幸せになれる。幸せになる権利がある」


 ──そのために、願い事を考えろ。


 分からない。

 アスタの願いを叶えてあげたいが、『幸せ』も『権利』も『願い事』だって、ルースには理解できない。


「ごめんなさい……」

「何故、謝る?」

「わたし、わからなくて……」

「今から知ればいい」


 そう言って、アスタがルースを抱きしめてくれた。

 抱きしめ返していいのか分からず、ルースの手は宙を彷徨った。

 アスタの温もりは、ルースにとってはまだ慣れない。

 でも、温かくて、それに縋りたくなる。

 それが正しいか、正しくないのか。

 分からなくて、ルースは結局、手を下ろした。


「先は長いな」


 アスタが小さく呟く。

 声に失望の色を感じて、ルースは顔を上げた。

 こういう時の正解が分からない。

 ずっと抱きしめてもらいたかったのに、心にある不安がどうしても拭えない。

 弟はどうやって両親に甘えていたか、思いだそうとした。

 けれど、あまり見ないようにしていたせいか、その光景を上手く思い描くことは出来なかった。

 はっきりとしているのは、皆、笑顔だったということ。

 ルースもアスタも笑顔ではない。

 自分がそうさせているのではないか。

 本当はアスタはルースのことなど抱きしめたくないのではないか。

 そこまで考えて、ルースはつきり、と胸に痛みを感じた。


 ごめんなさい、と出かかった言葉を飲み込む。

 アスタはきっと、ごめんなさい、は嫌いなのだ。

 ルースはすっかり落ち込んでしまい、顔を下に向けた。


「……お嬢様」


 アスタの言葉にルースは顔を上げた。

 誰か別の人がいるのかと思ったのだ。

 しかし、アスタの視線はルースを捕らえていた。

 意図せず、見つめ合うことになる。


「そう、これはお前のことはお嬢様って呼ぶ。早めに慣れていこうな」


 アスタの言葉にうなずきかけて、ルースは固まる。

 両親はルースの大事な乳母を、メイドを、ことごとく辞めさせてしまった。

 皆、お嬢様、と呼んでくれる大好きな人たちだった。

 もし、アスタのことも両親の耳に入ったら。

 そう思い至り、ルースは首を横に振る。


「……お嬢様?」

「ち、ちがう! わたしはおじょうさまじゃない!」


 飛び出た言葉にルース自身が驚いた。

 大人の言っていることに逆らってしまった。

 怒られる。

 ルースは咄嗟に頭を抱えて、身を小さくしたのだった。

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