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プロローグ

 【願い】が運命を変える。

 世界を導くのはいつだって誰かの【決意】。

 未来は今、七つの光に託された。



 地下室の扉が開け放たれる。

 光が石畳を照らして、人の影を描いた。

 少女を引きずった女の影は、長く伸びて不安定に揺らめく。


「ごめんなさいっ、お母様、ごめんなさいっ‼」


 少女の悲痛な声が地下室に木霊した。

 しかし、女は止まらない。鬼のような形相で少女の髪を掴むと持ち上げる。

 そのまま、少女の頬を強く張った。

 パァン、と乾いた音が響いて、少女の泣き声が一瞬、小さくなる。


「言ったわよね? 悪い子は悪魔の住む地下室に閉じ込めるって?」

「ごめんなさいっ、いい子にします、ごめんなさいっ」

「いいえ、貴女は悪い子よ。私の言ったことが出来てなかったじゃない!」

「ごめん、なさいっ」


 少女の泣き声は次第に、過呼吸気味になっていく。

 女はそれさえも気にせず、少女に詰め寄った。

 

「私は出かける前になんて言ったかしら?」

「ごめん、ごめんなさいっ」


 女の金切り声は少女には届かない。もはや、少女を支配しているのは恐怖だけだ。

 少女はひたすら、謝罪を繰り返す。何に対して謝っているのかさえ、少女は分からなくなりつつあった。ただ、自分が悪い子だから、だから怒られているのだ、とそう結論付け、ひたすら謝る。

 煩わしくなったのか、女は小さく舌打ちをした。そして再び、少女に平手打ちを浴びせる。

 痩せている少女は簡単に床に倒れ込んだ。


「違うわよ、お掃除をしなさいって言ったの! でも出来てなかったわよね⁉」

「うぅっ、なさい、ごめんなさいっ」


 少女はうずくまる。

 女は気が収まらない様子で、少女を見下した。


「とにかくそこで反省してなさいっ‼」


 言い終わると女は出て行く。

 少女は顔を上げた。泣きはらした顔で、閉まりゆく扉を凝視する。手を伸ばすが、光は細くなり、やがて無慈悲に閉ざされた。

 少女はふらり、と起き上がって扉によたよたと覚束ない足取りで近寄った。


「ごめんなさい……、ごめん、なさい」


 少女の声が暗闇の中に反響した。

 ホリゾンブルーの瞳が揺れる。そして、大粒の涙が溢れだした。


「ごめんなさい……ちゃんとおそうじします。ごめんなさい、あけてください。ルース、いい子にします……ごめんなさい」


 少女──ルースはひたすら祈るように言葉を押し出す。

 しかし、扉は固く閉ざされたまま。


「ここはこわいよ、あけてくださいっ! いい子にするから、わたしをおいていかないでぇっ‼ お母様、お母様っ‼」


 ここに自分を閉じ込めたのが母親だとしても、ルースは彼女に助けを求めるしかない。

 幼い子供が頼れる大人というのは限られている。

 ルースだって、母親が本当に自分を助けてくれるとは思っていない。

 だが、それしか道がないのだ。

 しっかり閉ざされた鉄の扉を、ルースは叩き続ける。


 元からボロボロだったルースの手は簡単に裂けて血が飛んだ。

 それでもルースは泣きながら扉を叩き続けた。

 謝罪を口にしながら、何度も何度も。

 ルースにそこまでさせたのは恐怖だ。

 この地下室には怖い話がある。

 乳飲み子の頃から、悪いことすると悪魔を閉じ込めている地下室に連れていくよ、と言い聞かされて育ってきていたのだ。閉じ込められている悪魔は、子供の肉が大好きで、悪い子供を地獄に攫ってしまう。

 そのようにルースは教えられてきたのだ。

 だから、この地下室は恐怖の対象でしかない。


「ごめん、なさいっ……」


 泣きすぎて、ルースは酸欠に陥った。

 視界がくらくらと揺れて、自分が真っ直ぐ立てているのか判断さえつかなくなる。

 いい子にならなければいけない。だが、どうすれば母親の求めるいい子になれるのか分からない。

 ルースはふらつきながら、その場に座り込んだ。

 真っ赤な手が冷たい石畳に触れる。


「おかあさま……」


 諦めのような気持ちでルースは呟く。

 泣きすぎたせいで、呼吸はおぼつかない。涙も鼻水も気持ち悪いが、それを拭う力すら残っていなかった。

 視界はぼやけて、現実から切り離されているかのような、そんな妙な心地になる。


 刹那。


 床がまばゆい光を発した。


 ──汝、契約を求める者か?


 厳かな声が地下室に響く。

 突然降って沸いた声に、ルースは硬直した。

 悪魔に違いない、と体を固くする。

 落ち着き始めていたはずの涙が、再び溢れだした。


 ──……泣くな、面倒な。


 その声にルースは肩を跳ねさせた。

 ずっと母親に言われてきた言葉だったのだ。なんて面倒でのろまな子。悪い子。貴女なんか、産まなきゃ良かった。

 無数の言葉の棘が、ルースの心には刺さったままだ。

 ルースは小さな手で必死に自分の口を覆った。必死に泣かないように声を殺す。溢れ出る涙を止めようともう片方の手でごしごしと目元をこすり上げた。


 ──……小さき者よ、俺と契約を結ぶか?


 言われたことが分からないルースは口を押えたまま、首を横に振った。

 正体不明の存在を悪魔だと思い込み、必死に否定する。


 ──俺が怖いのか?


 声は呆れかえったように言葉を零す。

 ルースはぎゅっと目を瞑る。その冷たい声が母親の声と重なったのだ。

 失望した、と言われる。また、呆れられてしまう。


 ──俺はお前に呼ばれたんだ。


「わたし、よんでない」


 ──お前の魂が俺を呼んだんだ。門に触れただろう?


「もん?」


 ──足元の光の模様だ。


 声に促されてルースは、足元を見つめた。

 暗い部屋に白い不思議な円が広がっていた。それは淡く光り、暗いはずの光を照らしている。


「ごめん、なさい……わたし、しらなかったの」


 ──そうだろうな。だが、門は開かれた。それはお前の魂に資質があったということだ。


「ししつ……」


 聞きなれない言葉をルースは繰り返す。


 ──説明は面倒だ。それよりお前、願い事はないか?


 ルースは口の中で、願い事、と繰り返した。

 恐ろしかったはずの声は優しく、もう恐怖を感じてなどいなかった。


 ──どんな願いも叶えてやる。ただし、願いが叶ったら、その時は魂をもらうぞ。


「たましい? いのちを、あなたにあげる?」


 ──命とは少し違う。死んだあと、生まれ変わることが出来なくなる、ということだ。


 ルースには少し難しい話であった。

 理解しようと言われたことを脳内で、噛み砕こうとする。


 ──死んだあと、次の生き物になれないってことだ。


「そう、なのね……」


 完全に理解したわけではない。

 ルースは俯く。

 死にたくない、と思ったことは沢山ある。

 しかし、死んだあとに先があるとは思っていなかったのだ。

 いきなり壮大な話をされてルースは戸惑っていた。


「ふつうはしんだら、つぎがあるの?」


 ──そうだ。でも、願いを叶えるなら、それが出来ないということだ。


「じゃあ、うん。いいわ。わたしのたましいをあなたにあげる」


 ──願いは?


「わかんない」


 声の主が深々と溜息をついた。

 ルースは膝を抱える。

 咄嗟には思いつかなかったのだ。


「わたし、まちがえてあなたをよんじゃったもの。なにもあげられない」


 ──魂だけなんてもあえるか。俺と契約すれば、どんな願いも叶えてやるぞ? あるだろ、一つくらい。


 この言葉にルースは瞬きを一つ。


「どんな、ねがいも?」


 舌足らずな声で、声に尋ね返す。

 声の主の気配は、一気に柔らかくなった。


 ──ああ、何せ魂を対価にもらうんだ。どんなことでも叶えてやる。


「ほんとう?」


 ──本当だ。


 ルースの目が少しだけ光を取り戻す。

 分からないことだらけだった。

 でも、ルースは甘い言葉に心が揺れていた。

 次など要らない。ただ、お願いしたいことを見つけてしまった。


「……あるっ、おねがいごと、あるよっ!」


 ──いいだろう。では、名前を。


「ルース。ルース・エヴァンス」


 ──俺の名前は_______。


 告げられた言葉をルースは小さく繰り返す。


 ──繰り返して言え。"盟約を交わす"


「めいやくをかわす」


 腫れあがった頬を必死に動かして、ルースは声の言葉を繰り返す。


「われ ちからをのぞむもの たましいをたいかに ねがいをかなえたまえ」


 ルースが言葉を繰り返していると、黒い霧のようなものが石畳の光から沸き上がった。

 本来であれば怖がるべき現象であったが、ルースは怖さを感じなかった。

 声に続いて言葉を繰り返し続ける。


「てんりのことわりにしたがい いまここにけいやくはなる」


 霧はやがて、人の形を取り始める。

 風が乱雑に切られたルースの髪を揺らした。


「わたしのなまえはルース・エヴァンス。わたしのめいにしたがい けんげんせよ______!」


 ふわり、と長身の男が降り立った。

 黒い長髪、金色の切れ長の瞳。

 年頃の女が見れば、釘付けになるような美しい男だ。

 しかし、ルースはその姿を見ることは叶わなかった。

 心臓の上に熱を感じたのだ。

 燃えるような痛みが一瞬走り、ルースはその場にうずくまった。


「あつっ! あついよぅ……」


 せっかく止まった涙がまた新たに溢れだす。

 ルースの声に、男が顔を上げた。

 自分の契約主にそっと近寄ると、そっと抱き起す。

 その手つきはまるで割れ物を扱うような仕草であった。


「それは契約の刻印だ」

「こくいん……?」

「印のようなものだ。もう、痛くないだろう?」


 男の言葉にルースは自分の胸の上をそっと撫でる。

 先までの熱は嘘のようになくなっていた。

 不思議な現象に瞬きを繰り返す。


「さあ、契約主殿。願いを言ってみろ」


 ハスキーな声で男はルースに促す。


「あの……あのね……」


 ルースはここにきてためらった。

 言いにくそうに口をもごもごさせる。

 男は目を眇め、ルースをそっと立たせた。

 自分はしゃがみ、視線を合わせる。それから、そっと涙で頬に張り付いているルースの髪を後ろへ払った。


「なんでも良いんだぞ? あのうるさい母親を消してやろうか? それとも、お前がこんな世界に追いやった弟か? 見ないふりをし続ける父親?」


 男の言葉に、ルースは顔色を変えてぶんぶんと首を横に振った。


「ほう……じゃあ、億万長者になるか? それともこの国の姫にしてやろうか?」

「い、いらないっ」


 ルースの言葉に男は小さく笑った。


「じゃあ、なんだ?」

「あのね……ぎゅってして、いい子だねって言って?」

「は?」


 ルースの言葉に、男は金色の瞳を見開いた。


「だ、だめ?」

「いや、は? 駄目じゃないが、もっとあるだろ? 美味しいご飯が食べたいとか、ずっとだらだら過ごしたい、とか!」

「ううん、ぎゅうってして、いい子いい子って、あたまをなでてほしいの……いつも、エドがしてもらってるみたいに……」


 そこまで言葉にして、ルースの目に新たな涙が浮かんだ。

 ルースには憧れている光景があった。

 それは両親が弟、エドワードを抱きしめる姿だ。

 自分はしてもらったことがない。

 笑顔を向けられたことも。良い子だね、と褒められたことも。


 両親は男の子が欲しかったのだ。だから、最初の子供がルースで、心底がっかりしたのだろう。

 ルースの面倒は乳母に押し付けた。乳母が一人だけであれば、ルースもまた、その人から愛を受け取れたかもしれない。

 しかし、両親はルースが笑顔でいることすら気に障るようであった。ルースが大好き、と思った乳母やメイドは屋敷から消えていった。


 ルースはずっと寂しかった。

 だが、我慢することが出来た。一人だったから、それが当たり前だと思っていたのだ。

 しかし、エドワードが生まれて、そうではないのだ、と悟ってしまった。両親はエドワードを目に入れても痛くないほど可愛がっていた。

 抱っこして、笑顔で一緒にお出かけしていた。

 沢山、褒められていた。

 一緒に眠って、どんな話でもよく耳を傾けている。

 どれも、ルースは経験したことがない。

 ルースも、同じように抱っこしてほしかった。

 いい子だね、と褒められたかった。

 だから、一生懸命、言われたことをやろうとした。

 でも、いつだって両親の望むようには出来なかった。

 結果、いつも両親を怒らせてばかり。

 一度でいい。

 誰かに抱きしめて、いい子だね、と褒めてほしかったのだ。


「……だめ?」


 ルースは男の袖を引いた。

 男は言葉を失ったまま、呆然とルースを見続ける。


「いいのか? たった一つの願いだぞ? 俺に願ったことが叶えられたらお前は俺に魂を渡さなきゃいけないんだぞ?」


 男は念押しで確認せずにいられなかった。

 ルースは頷く。

 その動きに迷いはなかった。


「いや、お前……魂を賭けた願いがそれって……」


 男の動揺を感じて、ルースは手を離した。

 期待に輝いていたホリゾンブルーの瞳が曇っていく。

 やはり自分は悪い子なのだ。だから、抱きしめてもらえないのだ。

 そういう風にルースは解釈した。


「ごめん……なさい……」


 ルースは俯いた。

 浮かれた心は一気に冷え込んだ。

 悪い子が分不相応な願いを持ってしまった、という思考にたどり着く。

 ルースはその場に座り込みかけた。


 しかし、次の瞬間。

 温かな腕に包み込まれていた。


「え?」


 ルースは目を見開いた。


「お前はいい子だ。よく俺を起こした」


 遠慮がちに男が呟く。声は少し震えていた。

 そのまま、大きな手がルースの頭を撫でた。

 ルースの大きな目に透明な膜が浮かんだ。

 そして、ルースは知った。

 嬉しくても、涙が溢れてくるのだ、ということを。


「いいか。こんくらいのお願いは願い事にしなくたって叶えてやる。だから、ちゃんとした願い事、考えろ」

「うん……うんっ!」


 ルースは頷いた。

 言われたことはよく分かっていなかった。

 小さな手を男の背中へ回し、抱き着く。

 温もりに縋って、泣き続けたのだった。



 これは【願い】が紡ぐ未来のための物語。

  

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