(試作版)世紀末覇者な家に転生したけどスローライフを送りたい
ドドドッという地鳴りが聞こえてくる。深い森から異形の生物が姿を現し始めた。その数は優に千を超えるだろう。ヒトをはるかに超える力を持つ「魔物」たちの襲来であった。すべてを喰らい尽くし、破壊する「絶望の津波」を前に、少年は震えていた。彼の名は「ヴァルター」という。
「怖いか? ヴァルよ」
「父上っ! これは武者震いです!」
今年で九歳になる少年は、内に沸き上がる恐怖を必死に抑えるように、父親の言葉に反駁した。だが震えは止まらない。当然であった。これが、少年にとって初めての戦いなのだから。父親はフッと笑い、息子の肩に手を置いた。
「恐怖を否定するな。否定すれば、それは焦りになり、理性を失う。恐怖と向き合い、飲み込むのだ」
「で、ですが父上は、まるで恐れていらっしゃらないではありませんか?」
「それは違うぞ、ヴァルよ。この父とて怖い。魔物との戦いは常に命がけ。死と隣り合わせだ。“生中に生無く、死中に生有り”という。死を覚悟して戦えば生き、生きようと思って戦えば死ぬという意味だ。恐怖に飲み込まれるな。恐怖を飲み込め」
九歳にしては大柄な体格を持つヴァルターは父親を見上げ、そして前を向いた。手綱を握る手に力が入り、目つきが変わる。震えは、いつの間にか止まっていた。
「我らに後退はない! ただひたすらに駆けよ!」
父親が槍を掲げる。男たちが雄叫びをあげ、そして魔物の群れに突撃を始めた。
《というわけで、貴方様には地球とは異なる次元への転生という選択肢があります》
「えっと…… 地球人として生まれ変わるという選択は?」
《ありません。地球人としての貴方は死んだのです。悔いも未練も残せません》
「嫌だぁぁっ! 我が生涯には悔い有りまくりぃぃぃっ!」
白く揺らめく魂に向けて、女神は微笑んだ。口元こそ笑みを浮かべているが、その瞳は冷たい。まるでGOMIを見るような眼差しであった。
《神である私にとっては、ヒトなどゴミのようなものです。ですが、こちらの手落ちで亡くなったので、こうして転生の選択肢を提示しているのです》
「言ったよ! 言っちゃったよ! いま、ヒトがゴミのようだって言ったよね?」
まるで血涙を流しているかのような叫び声だが、女神は耳をふさいでいる。
《さて、では転生先を選んでください。貴方は次の生をどのように送りたいですか?》
叫びが終わり、ハァハァと息をする魂に、女神が問いかける。数瞬の沈黙後、その魂は選択した。
「中世調な剣と魔法の世界で、辺境の田舎で貴族として生まれ変わって、スローライフを送りたい! 戦闘系と生産系のチートスキルで、楽して農畜産業するんだ! あ、できれば凄い美女たちに囲まれて、数十人のハーレム作って、美食と肉欲に彩られたキャッキャウフフな一生涯を送りたい!」
微笑みこそ消えないが、女神の眼差しはその温度を数十度下げ、すでに極寒である。塵芥の自己中心的でゲスな要求を受け、女神は頷いた。
《それでは、できるだけ希望に沿った世界に転生させてあげましょう。チートスキルなどはありませんが、才能豊かな健康な肉体を持って転生させてあげます。生まれ変わる先は、魔導技術と呼ばれる技術体系が発達し、地球の中世ほど不便な生活ではないはずです。そこで貴方の望む人生を実現なさると良いでしょう》
「おぉっ! やった! これで次の人生は悔いなく生きられるぞ!」
飛び跳ねんばかりに喜ぶ魂の周囲に、魔方陣のようなものが浮かんだ。最後に、女神が告げる。
《そういえば、寿命の指定がありませんでしたね。転生先は魔境と呼ばれる超危険地帯の辺境貴族です。せいぜい長生きできるよう、頑張ってください》
「え?」
《では、悔い無き生涯を……》
こうして、一つの魂が転生した。
ウィリヴァルト(ウィル)が「前世」を思い出したのは、生後半年のことであった。前世では交通事故にあい、神様から異世界への転生を勧められたという「テンプレ」である。ブラック企業で働いて疲れ切っていたため、転生先は田舎の貴族の家で、スローライフをしたいと希望を出した。転生先は、剣と魔法の世界ながら、魔物から得る魔石を利用した「魔導技術」によって、中世的な街とは思えないほどに暮らしやすい世界と聞いていた。だからワクワクして生まれ変わったのだが……
(いやいや、なんでこんなにゴツイんだよ)
ウィルが目にしたのは、身長二メートルを超えると思われる大男と、優しそうな美しい母親であった。その両者に共通しているのは
(まるでマンガ「世紀末覇王伝」のキャラみたいだな。特に親父なんて、眉間から額に深く刻まれた皺といい、頭よりも太いんじゃないかっていう首といい、どう見ても「長兄」だよね?)
「フム…… この子は大物になるかもしれん。俺の顔を見ても泣かないとはな」
「そういえば、ヴァルもエルもお前様を見た途端に、最初は泣いていたわね。ユリーとソフィーは笑っていたけれど、お前様をまじまじと見つめるなんて、変わった子ね」
(え、優しそうに思っていたのに、母ちゃんって意外に毒舌?)
するとキャッキャという声が聞こえてきた。そして目の前に子供の顔が出現する。
「長兄のヴァルターだぞ。お前のことは兄である俺が守ってやる」
「エルネストだよ。ユリーシアとソフィーアは後で紹介してあげるね」
兄二人の挨拶に、ウィルはダアダアと手を振って頷いた。言葉はまだ喋れないが、それくらいの反応は出来る。兄たちは嬉しそうに笑った。和やかな雰囲気に安堵するウィルであった。
(いやー、世紀末覇者の家だったらどうしようと思ったけど、どうやら親父がゴツイだけで、ごく普通の貴族家らしいね。これならスローライフできるかな)
しかし、その安堵は長く続かなかった。スラッとした執事姿の男が父親に近づき、慇懃に一礼する。
「御屋形様、ディークマイヤー殿が火急の用件とのことでお目通りを願っています。魔境が溢れそうとのことで……」
すると、それまでは厳めしくも穏やかだった父親の気配が一変する。ただでさえ険しい表情に凄みが増し、空気がグニャァと歪んでいるようにさえ見えた。
「ヴァル、ついてこい」
そういって、父親の姿が消えた。母親とエルネストの表情も一変する。いきなり、慌ただしい雰囲気となった。
(え?え? 魔境? そういえば女神がそんなこと言ってたような? なんかヤバい雰囲気……)
転生先の「危うさ」をウィルが知るのに、それほど時間はかからなかった。
広大な領土を持つゴールデンシュタイン帝国の東方には、レヴァルト大山脈という数千メートル級の山々が連なっている。さらにその先には、魔界と呼ばれる人類未踏の広大な原森林が広がっている。その魔界には、決してヒトでは届き得ないほどの力を持つ異形の生物「魔物」が生息しており、時として人間世界に押し寄せてくる。レヴァルト大山脈によって辛うじて食い止めていたが、およそ四〇年前に一人の冒険者がこの状況を一変させる。ゲオルク・F・バルクホルンは片田舎の小貴族に過ぎなかったが、一〇年をかけてレヴァルト大山脈を超え、魔境を切り拓くことに成功した。
魔物の襲来は災害でもあるが、恵みでもあった。魔力の結晶体である「魔石」は、魔導具には欠かせない素材であった。また魔物の皮や骨は希少な素材であり、鋼鉄以上の硬度を持つものまである。ゲオルク・F・バルクホルンは、大山脈の東側に拠点を形成し、魔石の安定供給を実現した。その功績により、バルクホルン家は「辺境公爵」に陞爵された。辺境公爵家がレヴァルト大山脈の麓で魔物を食い止めるため、帝国の臣民は魔物の恐怖から解放されたのである。
だがそれは、バルクホルン家と魔界との果てしない戦いの始まりでもあった。当初こそ、一攫千金が狙えるが、常に死と隣り合わせという辺境には、腕っぷしに自信のある者や野心溢れる若者たちが集まってきた。だが死傷率の高さから、近年では「早死にしたければ辺境に行け」と言われるほどであった。バルクホルン家の領地「レヴァルト大山脈東方域」は、それほどに危険な場所だったのである。
無論、帝国はバルクホルン家に対して最大限の支援を行っている。まず強力な権力を与えている。バルクホルン家は独自の立法権、司法権、軍事権を持ち、帝国に対する租税上納の義務もない。つまり半独立国家であった。バルクホルン家の紋章が描かれた馬車は、すべての関所をフリーパスで通ることができ、関所の税も免除される。そこまでしなければ、危険な辺境に物資を運ぼうとする商人が出てこないからだ。
現当主であるゴドフリード・F・バルクホルンをはじめ、バルクホルン家には一騎当千の猛者たちが揃っている。無論、最初からそうだったわけではない。魔物と戦いうちに、いつしか人間の限界を超えたのである。その一方、数十年の平和は帝都を中心とする他貴族たちを軟弱にした。魔物の存在は、知識として知ってはいても、実際に観たことがある者は一握りとなっていた。そのため、特に若い貴族たちの中には「辺境=田舎」と思い込んでいる者も出るようになった。
(田舎でスローライフ送りたかったのに、なんでこんな世紀末な家に転生させたんだよ)
ウィルは自分を送り込んだ女神に呪詛を唱えつつ、表向きはキャッキャッと笑い、世紀末な家族に愛嬌を振りまく。母親は、あの漫画のメインヒロインのような清楚で美しい女性なのに、男どもはとにかく汗臭く脳筋だ。赤ん坊の自分など、小指一本で殺されてしまうかもしれない。
(とにかく、こんなヤヴァイ家からはさっさと逃げ出さないと! 俺はのんびりノホホンでキャッキャウフフなスローライフを送るんだぁ!)
これは、帝国随一の武闘派の貴族家に生まれ変わった「転生者ウィリヴァルト」の数奇な運命の物語である。人外の魔物との己が誇りを賭けた死闘、美しき姫とのロマンス、そして宿敵との出会い……があるかもしれない。