9話 一人じゃない
9話 一人じゃない
”猿鬼”は柚希の髪の毛を持って持ち上げ頬を殴りつける。柚希は呻き声を上げて目を開いた。
「なに、寝てやがる おらっ! 」
何度も何度も顔面を殴られ柚希の顔は腫れ上がり変形してきた。
「あひぃぃぃーーー 」
その圧倒的で一方的な暴力に柚希は悲鳴を上げ、涙と鼻血をボトボト流し、唇も切れ前歯は折れていた。そして、またブルブルと震えながら足と足の間から液体がチョロチョロと漏れ太ももを濡らしている。それを見て“猿鬼“は柚希の下腹部をまた激しく殴りつけた。
バキャッ!!
チョロチョロと漏れていた液体が勢いよく噴き出す。
「あうぅぅぅーーー 」
苦しげに声を上げる柚希の姿を“猿鬼“は楽しそうに高く掲げ、他の妖怪からその無様な姿が見えるようにした。そして、拳を握りしめる。
「ほーら、もう1回飛べ 」
”猿鬼”は柚希の腹を思い切り殴り付け、柚希の体を宙に飛ばす。柚希の体は血と液体を撒き散らし空高く舞い上がった。そして、落ちてくる柚希の体に狙いをつけ拳を握り締め力を溜めて構えている。
・・・ごめん、八千穂 私もまた殺される ・・・
このまま落下して拳を突き入れられれば内臓は破裂して致命のダメージを受けるのは間違いなかった。
・・・弥生さんは一人で出歩くなと言っていたのに、ごめんなさい ・・・
柚希は迫りくる自分の最後を感じて涙が止まらず視界がぼやけていた。いくら悔やんでも、もう取り返しがつかない。そして、”猿鬼”が強烈な拳を突き入れる。
・・・!? ・・・
柚希は優しく抱き止められていた。”猿鬼”の拳は小さな手が押さえ付けいる。丸太のように太い”猿鬼”の腕が、白く細い腕で押さえられピクリとも動かせないでいた。そして、その小さな手が”猿鬼”の拳を握り潰す。
バキャァ!!
大きな音とともに”猿鬼”の拳が肉片となり飛び散った。
「うぎゃぁぁ 」
拳を潰された”猿鬼”は悲鳴を上げ、自分の拳を潰した相手を睨み付ける。その凶悪な目は怒りに満ちていたが、次の瞬間”猿鬼”の頭部が爆発したように粉々に飛び散った。柚希には何が起こったのか理解出来なかったが、”猿鬼”の巨体は地響きをあげて地面に倒れ動かなくなった。
「何者だ お前っ! 人間ではないな 」
”鬼女紅葉”が他の妖怪の陰に隠れながら叫ぶ。
「一人を大勢で痛めつけるようなクズに名乗る名はありません それに、このお方はお世話になっている私の御主人様が勤めている会社の社長のお孫さんです 見過ごす訳にはまいりません 」
「馬鹿め 何れにしろ一人で来るなど愚の骨頂 これだけの数を相手に出来るものか 」
「あら、私が一人で来たと言いましたっけ? 」
「なにっ 」
”鬼女紅葉”が動揺した時、三日月型の刃物が高速で回転し不規則に飛んでくる。そして、妖怪たちを次々に切り裂いていった。さらに、無数の”くない”が雨のように降り注ぎ、その後、妖怪たちは何者かに次々と一刀のもとに斬り倒されていった。そして、あれだけ数のいた妖怪が、あっという間に全滅していた。
「首謀者らしき者を残しておきましたが、どうしますか? 」
その者はつぶらな瞳を向け抱いている柚希に問いかけた。
「アイツは私の親友を残酷に殺した 絶対に許せない 」
柚希は怒りに満ちた目で吐き捨てるように言う。
「だ、そうですよ 」
アンティークドールの体のそれは、つぶらな瞳で”鬼女紅葉”を見つめる。
「とはいえ彼女はこんな体の状態ですので、私がお相手しますよ この体はあまり汚したくないですし、辺りに人影もないようなので私もあなたに相応しい姿でお相手して差し上げます 」
柚希を優しく座らせたその者は、一歩歩くと立ち止まり、その体から黒い霧のようなものが噴き出してきた。アンティークドールの体が静かに倒れ、黒い霧が鬼の姿を形作っていく。
「そんな あり得ない 何故、十鬼神がこんなところに…… 」
無数の単眼の目が冷たく”鬼女紅葉”を見つめたかと思うと、”鬼女紅葉”の体は爆裂し血と肉片となり飛び散った。そこには圧倒的な力の差が感じられた。形作っていた者はまた黒い霧に戻りアンティークドールの体に入っていく。
「私の名はカトリーヌ そう呼んで下さい 」
カトリーヌは柚希を軽々と抱き上げるとベンチまで運び横にし診察する。
「よく鍛えられていますね 感心です そのおかげで致命傷は免れているようです でも病院に行った方が良いですね 私が送っていく訳にはまいりませんので代わりの者に頼みます 」
そう告げるとカトリーヌは立ち去ろうとするが、柚希が呼び止める。
「待って下さい お祖父様のお知り合いなのですか? 」
「そういうことです 直接会った事は一度しかありませんが…… それに、あなたたちの先輩の卯月様には大変お世話になりました 」
「卯月さんに…… 」
「ああ、それと駅前の瓦礫の下からこれを拾いました 多分あなたたちのお仲間が持っていたものでしょう 返しておきますね 」
カトリーヌは不気味な形の小さな笛を柚希に手渡した。
「なんですか? これは 」
柚希は物珍しそうに手にした笛を眺めている。
「これは鬼笛と呼ばれる笛です これを吹けば鬼が助けに来てくれるんですよ 」
「そういえば、澪さんに聞いた事があります 」
「何かの時の助けになるでしょう それにしても、あの大嶽丸がこんな物まで渡していたとはどういう心境の変化なのでしょう…… 」
「大嶽丸さんも知っているのですか? 」
「ああ、彼はもう随分古い友人ですよ でも、大嶽丸には私の事は言わないで下さいね 関わらないと言ってありますので…… 」
柚希は、はいと頷くが持っているこの不気味な鬼笛を吹いてみたい誘惑に勝てず、ピィィーーと笛を吹く。
「あ、ちょ、今それを吹いてしまったら 」
カトリーヌは慌てるがもう遅かった。
「なんだ、お前ら知り合いだったのか? 」
図太い声が背後で聞こえ、振り向くと落花星人の着ぐるみが立っていた。
「関わらないと言っておきながら、やっぱり首を突っ込んでくるとは…… 昔、何千人もの人間を食い殺した土蜘蛛とは思えんな 」
「お知り合いの方ですからね、捨て置けないですよ それに同じくらい人間を殺している、あなたに言われたくありませんね 」
柚希は二人の会話をハラハラしながら聞いていたが、そこへもう1つ声が加わる。
「鬼笛が吹かれたから、何事かと思ったが 大嶽丸か、丁度いい 丁度いい ここで死んでもらう 死んでもらう 」
赤い肌に頭が8つもあり大きな翼を持った鬼が現れた。その異様な姿に柚希は息を呑むが、大嶽丸とカトリーヌは驚く様子もなく平然としている。
「塵輪鬼さんですが どうぞ勝手に戦ってください 私たちは失礼します 」
「土蜘蛛? もしや土蜘蛛なのか これは運がいい 運がいい お前にも死んでもらう 死んでもらう 」
「残念ですが私は忙しいのです それにその変な喋り方止めて下さいと何百年も前にも言いましたよね 1つの口で喋って下さい 」
珍しくカトリーヌがイラッとした雰囲気を醸し出す。
「大丈夫ですよ、カトリーヌくん お話が長くなりそうなので、このお嬢さんは僕たちが病院にすぐ連れて行きます 」
「誰だっ!! 」
大嶽丸が驚愕する。今まで気配一つなかったのだが、いつの間にか柚希を黒いレオタードに黒い網タイツ、目だけ空いた黒い頭巾を被った黒装束の女性が抱えている。そして、その隣にはやはり黒装束の男が腕組みをして立っていた。
「あら、大嶽丸 気付いていなかったのですか 彼らは最初からここに居ましたよ 」
大嶽丸がもう一度見返すともう柚希を抱えた二人の姿は消えていた。
「いったい何者だ 人間のようで人間に見えない あの塵輪鬼の姿を見ても微動だにせず、心も揺るがないとは信じられぬ 」
「彼らは忍者 人であって人でない者 極限まで肉体と精神を鍛練した闇の住人 ふふっ、私のお友達ですよ 」
大嶽丸は言葉がなかった。こんな間近にいて気配を感じさせない。まさに闇の住人、暗殺者だ。その時、まるで無視された塵輪鬼が怒りの波動を発散する。
「いい加減にしろ いい加減にしろ お前ら殺す 殺す 」
* * *
病院のベッドで柚希は今日の出来事を思い返していた。もう駄目だと思った瞬間現れた救いの手。そして、手渡されたアイテム。さらに妖怪をものともしない人間の存在。戦っているのは自分だけではない。何故か柚希は気持ちが軽くなるのを感じた。
・・・澪さんが持っていたこの鬼笛 これが弥生さんが探していたものかもしれない ・・・
柚希は、そうに違いないと確信に近いものをもっていた。