1話 予兆
1話 予兆
深夜の住宅街の路上を何かが引き摺られていく。
ずるっ ずるっ ずるっ ずるっ ずるっ
それは玄関の扉が開いた暗く静まり返った一軒の住宅の中に滑るように吸い込まれ消えていった。
* * *
住宅街の中に一軒の戸建住宅があった。周囲の住宅に明かりが灯り、テーブルを囲んで楽しげな夕食の時間を過ごしている時、その住宅は暗闇に沈み、ひっそりと静まり返り動くものの気配がなかった。
何時の頃からかこの住宅は、住んでいる人の気配が無くなり、小さな庭の奥には1本の柿の木が立ち、他の場所には雑草が生い茂り壁には蔦が絡み付き、まるで周りの空気をも拒絶するかのような雰囲気で佇み長い長い時間が経過していた。そして、この朽ち果てそうな住居は子供たちの間では”お化け屋敷”と呼ばれるようになっていた。周囲の住人が自治体に、この住宅を何とかするよう申し立ててはいるが、所有者が不明で手をこまねいている状況だった。
この”お化け屋敷”と呼ばれる住宅の前を塾帰りの小学生たちが歩いていた。友達と並んで話しながら歩いていた男の子の一人が、あれっと立ち止まる。
「お化け屋敷の玄関が開いてる 」
その一言でみんなが立ち止まって覗き込むと、確かに玄関の扉が開き、中の暗闇が不気味に飛び出していた。
「なんで開いてるんだろう? 」
子供たちは不信に思い近付いて中を覗いて見るが暗い闇が広がるばかりで何も見えない。
「入ってみる? 」
一人が提案すると、全員がごくっと唾を飲み込み顔を見合わせる。
「みんなで行けば大丈夫だろう スマホで撮って配信しようぜ 」
その言葉で全員がその気になってきた。
「お化け屋敷探検動画か いいね 俺たち有名になるかも 」
「廃墟動画なんてのもあるからね 人気でるかもよ 」
すっかり住宅内に侵入する気になった子供たちはスマートフォンを手に撮影準備に入る。
「ちょっと、止めなさいよ 先生に怒られるわよ 」
一人、女の子が反対するが、その気になった子供たちはもう止める気はなかった。
「来ないなら帰れよ 先生には言うなよ 」
「よし、行くぞ 」
スマートフォンのライトを点け玄関から中に入って行く男の子たちを見送っていた女の子は嫌な予感がして堪らなかった。その普通の闇とは違う、この家の暗闇が生きているように、みんなを飲み込んでいくように感じられた。女の子はしばらく様子を見ていたが、ブルッと身震いすると逃げるように走り出した。何かが追ってきているような気がして後ろも振り返らず一目散に自分の家に逃げ帰り、そのまま自分の部屋に飛び込んだ。
しばらく部屋で震えていた女の子は、あのお化け屋敷に入っていった男の子の携帯を鳴らしてみたが誰も電話に出てくれなかった。
・・・どうしよう 大人の人に言った方が良いかな ・・・
でも何でもなかったら男の子たちは酷く怒られてしまうだろう。女の子は、勇気を出してまたあのお化け屋敷に様子を見に行く事にした。
何かあったらすぐに逃げられるように自転車に乗って行く。公園の横を通り過ぎようとした時に、ニャンという声がした。
「クロちゃん 」
声の方を見ると公園の植木の陰から黒猫が覗いていた。暗くなってくるとたまに公園にやって来る黒猫だった。女の子も撫でたりして可愛がっていたので黒猫も女の子に懐いていた。女の子は黒猫を抱き抱えると自転車の前の籠に乗せた。
「クロちゃん、ごめんね 一緒に来てくれる 」
女の子は黒猫を籠に乗せたまま走り出した。黒猫も飛び下りたりせず、ちょこんと籠の中に座っていた。
* * *
この街の外れにある森の中で蠢く者があった。ガリガリと何かを噛る音が響き、その者の足元には首から上が失くなった人間の体が転がっていた。その者が噛っていたのは人間の首だった。ポタポタと血が滴る首に噛りついて一心不乱に食べている。転がっている人間の体は、まだ子供のようであった。
「妖怪”首かじり”ですね 酷いものです 」
「しかも、こいつ子供を殺すなんて許せんな 」
背後から突然現れた二人の少女に、食事を邪魔された”首かじり”は牙を剥いて襲いかかる。その攻撃を難なくかわし、少女たちも戦闘態勢をとった。一人の少女は扇子を広げ、もう一人の少女は木刀を構えていた。
「行きますよ、刹那 」
「いつでもOKだよ、弥生 」
青い襟のセーラー服を着た少女が開いた扇子で”首かじり”を切り刻み、次に赤い襟のセーラー服の少女が木刀を”首かじり”の足元に叩き込む。
ゴハァッ!
”首かじり”の動きが止まったところへ、青い襟のセーラー服の少女が足を大きく上げ”首かじり”の頭上に踵を落とす。
グシャッ
”首かじり”は地面に潰れピクピクと痙攣している。そこへ青い襟のセーラー服の少女が印契を結び真言を唱えた。”首かじり”は煙を上げて消えていった。
「一体なら苦戦せずに倒せるようになったな 」
「まだまだですよ 先輩たちは妖怪の群れを相手に戦い一歩も退かなかったですから 」
「あの人たちは特別だよ、弥生 歴代の中でも最強と言われている人たちなんだから 」
「それでも、その先輩を超える事が私たちにとって大切な事なんだよ 」
「分かっているさ 私もいつか必ず澪さんを超えてみせるさ 」
二人は無惨に転がっている少年の身許が判るものがないか探してみたが、何も見当たらなかった。
「仕方ありません 本部に連絡して埋葬してもらいましょう 」
少女はスマートフォンで連絡をとると、沈んだ顔つきで歩きだした。もう一人の少女が慌てて後を追う。
「助けられなかったのは仕方ないさ でも、これでこれから被害にあう人はいなくなるよ 元気出しなよ、弥生 」
二人は並んで夜の闇の中を歩いていった。
* * *
お化け屋敷と呼ばれる人気のない住宅の玄関に一人の女の子が引き摺られていく。
ずるっ ずるっ ずるっ ずるっ ずるっ
住宅の前には自転車が横倒しになり、一匹の黒猫が足を引き摺りながら公園に向かって走っていた。