第94話 神の巡り合わせ
この場に居た全員が氷上与一の告白と土下座に驚きを示していた。
僕もまさか初手謝罪を出してくるとは思わなかった。
氷上与一は自らの非を認め、今も頭を下げ続けている。
「ひ、氷上さん! う、嘘ですよね!? 氷上さんの方が盗作してしたなんて……そんな……!」
淀川さんが氷上与一に駆け寄り彼の両肩を掴んでいた。
彼の担当イラストレーターという立場である故に一番ショックを受けているのは彼女なのかもしれない。
氷上与一はゆっくりと頭をあげ、申し訳なさそうな表情を淀川さんに向ける。
「言い訳はしない。淀川クン……それにユキ先生。本当の本当にすまなかった」
もしかしたら氷上与一はずっと苦しんでいたのかもしれない。
『盗作』という行為で自身が成り上がってしまったことを。
「ユキ……いや、雪野先生。謝っても許されないことを俺はやってしまいました。本当に申し訳ございませんでした。今まで『エイスインバース』で得た収入は全て雪野先生に譲渡します」
「いらない」
「「「「……えっ?」」」」
今まで氷上与一に集まっていた視線が今度は僕に向けられる。
「そんな高額のお金を受け取るなんてできるわけないよ。よくわからないけど税金関係の手続きなんかもあるんでしょ?」
「それでも……」
「いらない」
冷たく突っぱねる僕の様子に氷上与一は悲しげに僕を見つめてくる。
僕はその瞳から彼の後悔と反省を感じ取ることができた。
僕的にはそれだけで十分だった。
「ウラオモテメッセージを盗作したのって1巻部分だけでしょ? 2巻から8巻までは完全に氷上与一オリジナルだ。たった1/8だけ盗作しただけで売上金全部を僕に寄越すなんておかしいよ」
「……わかった。ならば売上金の1/8を……」
「いらない」
ライトノベルの金字塔エイスインバース。
1/8の売上金でも相当な額に上ることは理解している。
それでも僕は受け取りを拒否させてもらう。
「なら……俺はどうすれば……」
縋るように涙目でこちらを見つめてくる氷上与一。
僕から言いたいことは……
「もう盗作はしないでね」
「……! も、もちろんだ! 金輪際しない! この場で誓う!」
「ん。じゃあ僕からは他に言うことはないよ。これからもエイスインバースの執筆頑張って」
「「「「「えっ!?!?」」」」」
またも全員の驚きの声がこちらに向けられた。
「ちょ、ちょっと、キュウちゃん! まさかとは思うけど、それで終わりじゃないよね!?」
「えっ!? 他に何かある?」
「うわぁぁ! この親友本気でそう思ってやがる!」
なぜか雫は頭を抱えながらその場に崩れ落ちてしまっている。
花恋さんが同情の表情で雫の肩を支えていた。
「雪野君。今こそ復讐のチャンスなのよ……と私も言いたい所だけど、この件に関してはもういいのよね?」
「うん。瑠璃川さんには以前通話で話したけど、僕は過去の件に関しては『ちょっと運が悪かっただけの出来事』として昇華されている。その気持ちは今も変わってないよ」
当時、確かに僕は氷上与一に対して怒りを抱いていた。
入学式の日、氷上与一の名前を聞いてひどく動揺してしまったのも事実だ。
もし、彼が逆上して『俺は盗作なんてしていない』、『盗作犯は雪野の方だ』とか言ってきたら僕は徹底的に戦うつもりだったけど、彼は言い訳もせず素直に自分の責を認めてくれた。
その瞬間、過去の因縁は終わりにしていいのかなという感覚に陥ったのだ。
「雪野くん、キミってやつは……」
和泉君は呆れたように微笑みを向けてくる。
「ゆ、雪野……さん……」
「あ……あ……」
淀川さんとナズナさんはちょっと心配になるくらい顔色が真っ青になっていた。
思う所がたくさんあるのだろう。
自分の担当作家が盗作をしていた。
淀川さんにとってそれだけでかなりのショックだろう。
それに加え、自身の信念を貫いて僕へビンタしたことを完全に間違っていた行動だと理解してしまい、激しい後悔に苛まれてしまっている。
『全ての真実を知ったとき、キミは大きな後悔をすることになる』
僕が昨日淀川さんに伝えた言葉がこんなにも早く現実になってしまうとはさすがに予想外ではあったけど。
そして僕を盗作魔と信じて疑わなかったナズナさん。
今までの友好的な関係を終わらせてまで僕に反抗してきたのに、事実を知ったことで彼女も激しい後悔に呑み込まれている。
縋るようなその瞳は氷上与一以上に激しい後悔の色が映っていた。
氷上与一が一番つらいとは思うけど、この二人も立場的にキツイだろうな。
「俺はいつか自分がしたことのケジメをつけなければいけないと思っていた。でも、怖くて、何もできなくて、何も償わないまま今日まで過ごしてしまっていたんだ。だから入学初日に自己紹介で雪野先生の名前を聞いた時、運命だと思った。今までの罪を認めさせるために神が巡り合わせをしたのだとすら思った」
同じ年に、同じタイミングに、同じ学科に、僕ら二人は出会ってしまった。
普通に考えてとんでもない奇跡だ。
『神の巡り合わせ』。
氷上与一の言葉は大げさではないのだと同感する。
「雪野先生。俺は自らの盗作行為を公表する。諸々罪をしっかり償ってから……もう一度……1から創作を学ぶために戻ってくる。俺にそんな資格はないのかもしれないけど、オリジナルの次回作を練り上げることができたら、その時は先生に一番に見てほしい」
盗作行為がどれほどの罪に問われるのか、正直僕には想像することができなかった。
それでも氷上与一は自分の行動を悔い、自首をしてくると言ってきている。
その行動指針はとても立派なものであり、彼の勇気を尊重してあげるべきという空気がこの場に漂っていた。
——そんな空気を僕は一瞬で壊してみせた。
「氷上与一。僕の話聞いてたかな? 僕はもう気にしてないからこの件は終わりにしようって言ったんだ。罪を償う? そんなこと誰が望んだの?」
「……俺はケジメとして……」
「ケジメっていうんならキミのやることは『エイスインバース』を完結させることでしょ? 何人の読者が第9巻を待っていると思ってるの? 自首なんてしたらエイスインバースが書けなくなってしまうじゃないか。僕はその方が許せない」
皆が驚いたように僕の方を見てくる。
僕、そんなに変なこと言っているかな?
「……盗作作品の続きを世に出すなど……もう俺にはできない……」
「作者の都合なんて知らないよ。世に作品を出したのなら完結まで書ききるのが作家の義務だ。それを投げ出すなんて駄目だ」
「…………」
氷上与一は俯いてしまった。
自首するか、それとも僕の言う通りエイスインバースを書くことのできる現状に縋るのか。
迷うことなんてないと思うんだけどな。
僕は大きなため息を漏らしながら、俯いている氷上与一に向けて言葉を放つ。
「言うまいと思っていたけどさ。僕も一つ告白するよ」
「……えっ?」
この盗作騒動は一つの大きな事実要因があるせいで、ここまで大きな騒ぎになってしまった。
エイスインバースを読んだことがある人間の大多数がこう思ったはずなのだ。
「エイスインバースは……ウラオモテメッセージより面白いんだよ。だから氷上与一、自分の作品に自信を持ってほしい。僕は一読者としてキミの作品の続きを読みたいんだ」
「弓くん……」
「雪野君……」
花恋さんと瑠璃川さんが気まずそうに表情を沈ませた。
きっとそれが答えなのだろう。
単純に僕の作品は氷上与一の作品に負けていた。
表情から察するに2人も同じように思っていたのだろう。
でも二人は優しいからその真実を僕に隠してくれていた。
「……それでも……駄目だ。エイスインバースの続きを書くにしても……きちんと罪を償ってから——」
出版社はそこまで甘くない。
盗作のことが世間に広まれば作家契約はその時点で破棄される。
それを承知の上で氷上与一は自首するつもりでいるのだ。
自首したい氷上与一。自首なんかせず作品の続きを書いてもらいたい僕。
平行線にある互いの思惑。
「——だったら、こうしよう」
僕はその場でスッと立ち上がり、敵意に満ちた視線で氷上与一を見下ろしながら言葉を投げる。
「氷上与一。僕と勝負をしよう」
「……勝負?」
「4月締め切りのスターノヴァ。そこでどちらがランキング順位が上なのか競うんだ」
「……勝敗の代償は?」
「もちろん、僕が勝ったらキミの自首はなし。エイスインバースを完結まで書ききることを誓ってもらう」
「……俺が勝った場合は?」
「好きにしたらいい。自首してエイスインバースを打ち切っても文句は言わないし、何だったらこのまま僕に盗作魔としてレッテルを張らせたまま退学させたっていい」
「「「……っ!!??」」」
「俺を舐めるな雪野先生。そんなことするはずがないだろう!! 俺が勝ったら自首をして自身が盗作魔であると世間に公表する。それだけだ! それで文句はあるまい!」
僕は誰にも見えないように小さく口元で笑みを浮かべる。
氷上与一が僕を退学に追い込むなどするはずがない。
分かっていながら僕は敢えて自分の退学を餌にして彼を勝負の舞台へとあげさせたのだ。
「話は決まったね。勝負は4月締めのスターノヴァ。ランキングで順位が上だった方が勝利だ。勝敗が決するまで勝手に自首とか盗作公表とかしちゃ駄目だからね」
「わかってる。この一ヶ月は創作のことだけを考える。他のことを考えていられるほど甘い相手ではないことは知っているからな」
氷上与一は本気で僕に挑んできてくれるつもりだ。
嬉しい。
あの氷上与一から対等の相手と認められたことが素直に嬉しい。
「盛り上がっている所、水を差してすまない。雪野君にはもう一つ解決しなければいけないことがあるんじゃないのか?」
和泉君が横から割り込む様に質問を投げてくるが、僕には何のことかわからず小さく小首を傾げた。
「ネットでの誹謗中傷の件だ。キミは氷上君に公表するなといっているが、そうなるとネットで叩かれるのはキミのままになるぞ。その件に関してはどう考えている?」
なんだ。そのことか。
「放置でいいと思う。言いたい人には言わせておけばいいよ。僕に直接被害があるわけじゃないし」
それに元凶である鈴菜さんにはもう話を付けてある。
これ以上事態が悪化することは恐らくないと踏んでいる。
「あったじゃないですか! 今日だってクラスの男子に散々絡まれて! あんなのが続くなんて冗談じゃありません。さすがに弓くんが可哀想です!」
クラスの男子——池君……か。
確かにあの人だけはやたら僕に執着してくるから厄介だ。
僕に——というより花恋さんにちょっかいを出したいだけな様子でもあったけど。
「花恋さん。ありがとう心配してくれて。でもあんなのどうってことないからさ」
「むぅぅ~!」
納得のいってない様子で唇を尖らせる花恋さん。
この人、本当に池君嫌いだな。僕もだけど。
「アンチ共には俺も睨みを利かせておく。ボディガードくらいは俺にやらせてくれ。講義の時は必ず俺が近くに席を取る。危害を加えそうな者が近づいてきたら必ず追い返してやる」
「あ、ありがとう。氷上与一。頼もしいね」
池君、氷上与一にはビビりまくっていたからな。
「微妙に納得はいっていないが、一応は話がまとまった感じだな。まだ何か言い足りないことがある奴はいないか? いないなら今日は解散にしようと思う」
和泉君が全員の顔を見渡しながら質疑に入る。
僕は言いたいことは言い切った。氷上与一もそうだろう。
言いたいことはないのだけど……
「…………」
「…………」
確実に沈み切ってしまっている2人の女の子が気になってしょうがない。
ナズナさんと淀川さん大丈夫だろうか?
そんな風に考えていると、ふと和泉君と目が合った。
決意が籠った力強い視線が交わってくる。
『この二人のことは俺に任せてくれ』という意思がその視線から伝わって来た。
わかったよ和泉君。
この二人のことはキミに任せた。
今日の話し合いは全て終了し、各々が帰宅の準備を行う。
僕、花恋さん、雫の3人は方向が同じなので一緒に帰宅。
氷上与一と瑠璃川さんは駅の方向へと歩みを進めていった。
和泉君、ナズナさん、淀川さんの3人はこのままスタジオに残るようだった。




