第79話 雫ちゃん、また一歩大人になりました
「~~~~!!??」
ちょ、ちょっとまて。
待て待て待て待て。
この雰囲気はまずい。
そのセリフはまずい。
その先に進んでしまったら……もう——
「な、なーんてね。さ、さささ、さすがに、その、まだ早いと思うんだ、うん」
「そ、そうだよね! 僕らには、そういうの、ま、まだ、早いよね!」
「う、うん。まだ、ね」
「まだ、ね」
『まだ』ってなんだよ。
いつかは良いのか?
雫と——そういう関係になるという示唆なのか?
……駄目だ! 頭がぼーっとして考えがまとまらない!
一度リフレッシュしよう。
「雫、小説のデータ送っておくからそれ見てて。僕は身体洗っているから」
「あ、うん。ありがとう」
雫に『クリエイト彼女は僕の小説に恋をする』の小説データを転送し、スマホを塗れないところに立てかけて頭を洗う。
万が一にも裸が映ってしまわないよう、カメラを内蔵モードにしながらディスプレイ画面を反対側に向けた。
邪念を振り払うように念入りに頭を洗い、スポンジにボディソープを湿らせて身体を洗う。
はぁ……
興奮しきっている息子を見るとちょっと切なくなった。
「——あー、キュウちゃんや」
身体を洗っていると、スマホから雫が僕を呼んできた。
ディスプレイ画面が見えないので雫がどんな表情をしているのかわからない。
「ん? どしたの?」
「お風呂だからかな。その、ね。通信エラーになって小説の受信に失敗しちゃって……さ」
「あっ、そうだったんだ。それはごめん。身体洗い終わったらもう一度転送してみるよ」
「う、うん。それは、いいんだけど、さ」
なんかやたら歯切れが悪い。
どうしたのだろうか?
「通信エラーの影響だと思うんだけど……一瞬……通話が読み込み中になってね……その……」
「うん」
「勝手に通話の再起動がされちゃってね……」
「うん」
「…………カメラがね。初期設定に……戻ってね……」
「うん?」
「…………カメラが内蔵モードじゃなくなっちゃってた」
「…………へっ?」
つまり、えっと。
カメラが通常モードに戻ったってことだよね。
今、隠れているディスプレイ側が雫に映っているんじゃなくて、普通に背面に備えられているカメラの方向が雫側に見えている、と。
スマホのカメラの方向には——うん。僕が身体を洗っている姿があるよな。
…………
…………
…………
「うわああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
状況に気づき、僕は絶叫した。
慌てて、スマホのカメラを床に付け、カメラ画面全体を真っ暗にさせた。
「み、みみみみみみみみ見た!? ていうか見たから話しかけてきたんだよね!?」
「あ、そ、その、ごめんなさいっ!」
「うわああああああああああああああああああああああああああっ!!」
「んと……キュウちゃん……その……『興奮』していたね」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああっ!!!」
「その……男の子が……興奮した時の……アレ……初めて……見させて頂きました」
「ぐはあああああああああああああああああああああああああっ!!!」
「あ、あはは。雫ちゃん、また一歩大人になりました」
「ぬぐはあああああああああああああああああああああああああっ!!!」
「その、そんなに気にし過ぎないようにね……んと……それじゃ…………ごちそうさまでした」
それだけ言い残すと、雫は通話をオフにした。
「み、見られたああああああああああああああああああああああっ!!」
雫に全裸を見られたのは2度目だ。
ただ、今回は前回と比にならないほどのダメージだった。
よりにもよって『興奮』した姿を見られてしまった。
雫と通話越しにお風呂に入って思いっきり興奮していたことがバレてしまった。
ショックだ。
ショックが大きすぎる。
親友相手にあんな姿を見られてしまうなんて……
明日からどんな顔で接したらいいんだ……
悶々としながら悩む。
見られてしまったものはどうしようもない。
むしろ粗末なものを見せてしまったことをまず謝罪しなければいけない。
先が思いやられる。
とりあえず心頭滅却させる為にシャワーを冷水にし、それを頭からかぶることにした。
だが、ある程度落ち着きを取り戻したタイミングで別の問題が立ち上がる。
「——弓くん。災難でしたね」
壁越しから女性の声がした。
「うわあああああああああっ!? 今度は花恋さんの幻聴がするぅぅぅ!?」
『お風呂で女性の声がする』ことに過敏な僕は再度絶叫してしまう。
「——お、落ち着いてください。私もたまたまお風呂に入っていたら弓くんと水河さんの声がして……ごめんなさい。一部始終聞いちゃいました」
「なんてタイミングの悪い!!」
「お部屋の壁はしっかり防音されているのにお風呂だけは隣の部屋の声が聞こえるみたいですね。これは良い発見です」
「そ、そうなんだ」
「…………まだ興奮されておりますか?」
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああん!!!!」
僕は泣いた。
二人の女性に魂の興奮状態を悟られ、僕はただただ大粒の涙を流すしかなかったのであった。
「あの……弓くん……真面目なお話があるのですが……」
「ここで!?」
風呂場だけは互いの声が届くとはいえ、これ以上全裸の状態で女性と会話することは正直避けたい。
壁一枚隔てた所に同じく全裸の花恋さんもいるんだよなぁ。
この状況は精神衛生上非常によろしくない。
「お許しいただけるのであれば、私がこれからそちらのお風呂へ突撃しますけど」
「許すわけないよねぇ!? ていうかお互い裸状態だよね!? どうしてそんな過激なこと言えるの!?」
「弓くんは私の裸を見たくないのです?」
「見たいに決まっているでしょ!?」
「決まっているのですね……」
「このやり取り前にもあったな!」
「私も弓くんの裸見たいので利害は一致しましたね。ではこれから向かいます。一緒に入りましょう」
「待って待って!」
最近花恋さんが自分の欲望を全く隠そうとしてくれない。
止める人が僕しかいないのもキツイ。
僕の理性が外れた時、本当の本当に今までの関係性が一瞬で崩壊してしまう
それだけはなるべく避けたいのだけど……全裸状態でこんなことを言われてしまうと、もうギブアップしてしまって狼になってもいいんじゃないかなと考えが過ってしまうのだ。
「大体、どうやってこっちにくるつもりだったのさ?」
「えっ? 普通にいつものようにベランダを通ってですよ?」
「裸の状態で!?」
「はい。ベランダのフェンスは高いので身をかがめれば見えたりしませんよ。外も暗いですし」
「そ。そういう問題かなぁ?」
「ベランダ問題は解決ですね。ではすぐに向かいますね」
「待って待って待って!」
やばい。
この人、僕が許可だしたら本当に裸でベランダ通ってきそうだ。
「前々から思っていたんだけど、どうして花恋さんは僕なんかと一緒にお風呂に入りたがるの?」
「一線を越えてしまおうかと思いまして」
「キミは直球以外の球種を覚えて! 本当に!!」
「私達、もう18才ですよ? 恐らく経験済の方も多いのかなと。別に未経験が恥ずかしいことだとは思いませんが、小説家同士、一度経験しておくのもありだと思いませんか?」
「う、う~ん……」
「それに水河さんばっかりラッキースケベ味わってずるいです」
なんかそっちの方が本音くさいな。
この人、初対面の頃から若干桃色に染まっていたからなぁ。
「それも2回も! うち1回は『興奮』状態を見ただなんて……ずるいずるい!!」
「興奮状態言わないで! ものすごく恥ずかしかったんだから」
「弓くんも弓くんです。どうして水河さんにばかり優遇しているんですか。私には一緒にお風呂入ることも許してくれないのに。ずるいです。私も同じことしたいです。私の前でも興奮してください」
「一旦黙ろうか花恋さん! キミ、とんでもないこと言っているからね!?」
「弓くんが一緒にお風呂に入ってくれる約束してくれるのなら黙ります」
「わかった! わかったから! いつかね! 約束するから黙ろうか!」
……はっ!
ぼ、僕は焦りに任せてとんでもないことを口走ってないか?
「やったっ! 『いつか』でいいです。言質取りましたからね。楽しみです」
「う、うん……」
まぁ、いつかの約束だし。
それが10年後、20年後になったとしてもいいわけだ。
年月経てば忘れて……くれなさそうだなぁ、花恋さんだし。
「では今日は壁越しのお風呂場からのお話させてくださいね」
そういえば、何か話があるということで花恋さんが話しかけていたのだった。
「弓くん。まず、貴方の口から真実を教えて頂けませんか?」
「真実——というと……」
「はい。『ウラオモテメッセージ』と『エイスインバース』の関係。それと『ユキ』先生と『氷上与一』先生の関係について、です」
「…………」
いつかは花恋さんにも話さないとなとは思っていた。
この事情を知っているのは僕と雫と氷上与一とあと瑠璃川さんにも一部だけ話したっけ。
瑠璃川さんは割と無条件で僕の味方をしてくれたけど……
小説に対して真摯に向き合っている花恋さんがどう思ってくれるか、正直読めない所がある。
僕の話を信じてくれなくて氷上与一側についてしまうかもしれない。
それでも花恋さんはきっと真実を聞きたがっているのだろう。
例の事件の全容について。
「わかった。ちょっと長くなるからのぼせそうになったら言ってね」
「大丈夫です。窓開けて涼みながら聞いています。弓くんも窓開けてみたらどうですか? 身を乗り出せば私の裸を見られるかもしれませんよ?」
「——あれは2年くらい前のことだったかな。ウラオモテメッセージの102話を投稿した頃だった」
「……弓くんが私の色仕掛けを普通にスルーしてきました。私、そんなに魅力ないのかなぁ。胸は普通くらいにあるのになぁ」
ぶつくさ文句を垂れながら花恋さんは徐々に口数を減らしていき、僕の話に耳を傾ける。
ちなみに僕も窓を開けた時、こっそり身を乗り出してみたが、花恋さんの裸体を拝むことはできなかった。




