第72話 二度目の強襲
ノヴァアカデミーは敷地がとにかく広い。
その代表格が入口の並木道だろう。
綺麗な風景を提供する余裕があるほどこの学校は広大な土地を使用していた。
勿論学内も広い。
整備設備が充実していることは勿論だけど、講堂や講義室内も一つ一つが大きかった。
そしてこの場所もまた広く――
「広すぎて雫たちがどこにいるのかわからない……」
「……ですね」
学生食堂。
学生以外でもこの場で食事することが可能らしく、近所で働いている方々もここで食事をとっていた。
お昼ということもあり、混雑している。
僕はスマホを取り出し、グループチャットを立ち上げた。
弓「混み過ぎて二人がどこにいるかわからない件」
雨宮花恋「お二人は座られたのですか?」
カエデ「ええ。奥に螺旋階段あるのわかるかしら? そこからテラスに出られるの。春風が気持ち良いから二人もこちらにいらっしゃい」
雨宮花恋「わぁ! 素敵です! すぐにいきますね!」
カエデ「その前に、食券を購入してお盆をもって配膳に並びなさい 自分で並んで頂いてくるシステムっぽいから」
弓「了解 この混み方だと時間かかるかも 二人は先に食べてていいからね」
カエデ「わかったわ」
グループチャットを閉じ、瑠璃川さんの言う通りに食券を購入し、配膳に並ぶ。
しかし、先ほどのグループチャット。雫が一切反応なかったのが気になった。
「こっちよ。花恋ちゃん。雪野君」
テラススペースは案外空いていた。
雫と瑠璃川さんは食事に手を付けず僕らを待っていてくれたようだ。
先に食べてていいって言ったのに。気を遣わせちゃったかな。
「お久しぶりです! 瑠璃川さん!」
花恋さんが瑠璃川さんの対面に座り、嬉しそうに手を伸ばす。
瑠璃川さんも目元で優しく微笑みながら花恋さんの手をニギニギと握る。
「久しぶり花恋ちゃん。ちょっと見ない間に大人っぽくなったわね。そのピアスとブレスレット似合ってるわよ」
「えっ!? 花恋さんそんなの付けてたの!?」
「……弓くん」
「……雪野君」
二人が心底呆れたようにジト目で睨んでくる。
や、やば。女の子の変化に今気づいたみたいなリアクションは非常にまずい。だって仕方ないじゃないか今気づいたのだから。
少し居たたまれなくなり、僕は俯いたままの状態で待っていた雫に声を掛けることにした。
ていうか様子が変だ。
明らかに元気がない。
ずっと俯きながら考え事をしているみたいだ。
僕が対面に座っていることに気づいているのかすら怪しい状態だった。
「雫?」
「……あっ、キュウちゃん」
随分反応が悪い。
ようやく上げてくれた顔も少し青ざめているようにみえた。
僕は雫の額に手を伸ばす。
額に触れた手からは特に体温の異常は感じられなかった。
「……って、うわぁ!? きゅ、きゅきゅ、キュウちゃん!? 突然どうしたの!?」
雫が跳び退くように驚きを示す。
突然の僕の行動に、雫だけじゃなく花恋さんと瑠璃川さんも驚きを示していた。
「いや、顔色悪そうだったから熱があるんじゃないかと思って」
「だ、だだだだ、大丈夫だよ!」
「むしろ今熱が一気に上がった感じね」
「る、瑠璃川さん! 変なこと言わないの! 雫ちゃん熱なんてない!」
「顔色が真っ青から真っ赤になりましたね」
「雨宮さんも変なこと言わないの! 熱なんてないったらないの!」
うん。元気そうだ。
一瞬でいつもの雫に戻ってくれた。
「ごめん雫、急に触ったりして。嫌だったよね」
「ぜ、全然嫌ってことはないけど。急だったからビックリしただけ」
両手をパタパタ振りながら焦った様子を見せる雫。
「雪野君今度額同士をくっつける熱の測り方してみなさいよ」
「わかった」
「了承すんな!」
「あっ、ずるいです! 弓くんそれ私にしてください」
「そ、それはハードルが高いよ! さすがに照れるから」
「私の時と反応違うな!? お前!」
相変わらず雫のツッコミはいいなぁ。
春休みのお泊り会でもそうだったけど、僕と花恋さんの冗談に本気で突っ込んでくれるから会話に小気味良さが生じている。
雫のツッコミは場にヒーリング効果を齎してくれる。
「元気になったようで安心したよ。ていうかさっきまで何に悩んでいたの? 明らかに様子おかしかったけど」
「あ……うん……食べながら話す」
先ほどノベル科でひと悶着あったようにイラスト科の方で何かあったのだろう。
昼休みはたっぷり時間あるみたいだし、彼女の悩みを真剣に聞き届けよう。
――でも、その前に。
僕はテーブルに並ぶ皆の食事に視線を移す。
雫と花恋さんはきつねうどん。花恋さんのうどんには七味が存分に振りかけられている。
僕はA定食。エビフライがメインで野菜中心のラインナップ。豆腐の味噌汁が付いている。
瑠璃川さんも定食か。唐揚げとミニナポリタンがメイン。あっちの味噌汁は豚汁か。
僕は瑠璃川さんと視線を合わせる。
彼女も僕と同じ考えなのかじっとこちらと料理を交互に見つめてきていた。
……ふむ。
割りばしを割り、エビフライを掴んで瑠璃川さんのお皿に乗せた。
同時に瑠璃川さんも自分の皿の唐揚げを僕の更に乗せてくれる。
ミニトマトを瑠璃川さんのお皿に乗せる。
ブロッコリーをこちらに寄越してくる。
最後に僕の豆腐味噌汁と瑠璃川さんの豚汁のトレードが行われ、各々のメニューが完成する。
「「いただきます」」
「「まってまってまってまって!!」」
食べ始めようと手を合わせた所でなぜか雫と花恋さんからストップが掛かる。
「えっ? 何今の!? なんでおかずが行き来していたの!?」
「いや、せっかくだからお互いに好きなものを食べたいと思ったから……ねぇ?」
「そうね。雪野君のおかげで定食内容が私の好きな物だらけになったわ」
お互いにホクホク顔の僕と瑠璃川さん。
好きなんだよなぁ唐揚げと豚汁。
嫌いなトマトのトレードも成立したし、いい事まみれだ。
「ど、どうして無言でトレードが成立していたのですか?」
どうしてと言われても……
「いや、まぁ、瑠璃川さんだから……ねぇ?」
「そうね。なんか知らないけど雪野君とは目を合わせるだけでシンクロすることができるのよ」
高校時代から謎の以心伝心があった。
瑠璃川さんが何を好きで何が嫌いなのか、別に本人の口からきいたわけではなのになぜか僕はそれを予想できる。
瑠璃川さんも同じなのだろう。
「うわぁぁ! なんか二人の方が親友っぽいことやってるよぉ! 雫ちゃんじぇらしー!」
「悪いわね雫ちゃん。一歩リードしちゃって」
瑠璃川さんがからかうように雫に声を掛ける。
「じぇらしーー!!」
そして雫はハンカチの端を噛みながら叫ぶというマンガのキャラのような悔しがり方を披露したのであった。
「結論から言うとね、イラスト科に『淀川藍里』が居たの」
うどんをモグモグさせながら雫は不機嫌そうに事情を話し出してくれた。
淀川藍里――
氷川与一原作の大人気ライトノベル『エイスインバース』小説版のイラストレーターの名だ。
雫と同じクラスということは淀川藍里も同い年だったのか。
「どなたです?」
事情を全く知らない花恋さんが首を傾げながら聞き返していた。
そうだよな。エイスインバースという作品が超有名と言っても大衆小説の中での話だ。
純文学上がりの花恋さんが知らないのも無理はない。
「昔キュウちゃんを小説の道から遠ざけた仇の一人だよ」
雫の発言に花恋さんの食事の手が止まる。
目が見開かれ驚愕の表情でこちらを見つめてきた。
『本当なのか』。目がそう訴えてきている。
「本当と言えば本当だ。でも——」
でも——それはキッカケに過ぎない。
僕が小説を一時辞めたのは僕の心が弱かったから。
小説を止めるも続けるも結局は自分自身が決めることなのだから。
そう言おうとした刹那、僕の目の前に影が憚る。
小さな影。それは女性の物だった。
見上げてみると、そこには両手を腰に置き、座っている僕を見下すような鋭い視線を飛ばしてくる女生徒がいた。
誰だろう? 知らない人が突然僕を睨みつけてきている……
「淀川藍里!」
雫がガタッと大音を立てながら立ち上がる。
雫の瞳の奥底には小さな怒りが浮かんでいた。
この人が淀川藍里。
大人気の天才イラストレーター。
「なんの用? 悪いけどこのテーブルは席埋まっているから他所で食べてもらえるかな」
雫にしては珍しい完全なる拒絶の構え。
敵視にも似た目線で淀川さんを威嚇し続けていた。
「貴方に用はないわ水河雫さん。用があるのは『ユキ』よ」
「えっ? 僕?」
まさか指名が入るとは思わなかった。
エイスインバースのイラストレーターが僕に何の用だ?
この様子を見ると、ノベル科新入生にネット小説家の『ユキ』が居ることを知っていた様子だけど、誰から聞いたんだ?
って、考えるまでもないか。
――氷川与一。
彼女と最も繋がりの深い人物がノベル科にいたことを思い出し、納得に至った。
「貴方が『ユキ』なのね」
「う、うん」
素直に頷く。
その瞬間、強い怒りの視線が僕に向けて放たれた。
そして――
パァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンン!!!
青空注ぐテラスの一角で、平手音から放たれる雑音が強く大きく響き渡った。
僕は叩かれた右頬を抑えながらテーブルによろめく。
――嗚呼。今日はよく頬を叩かれる日だな。
同じところを叩かれたせいなのか、池君にぶられた時より痛みが強かった。




