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第118話 濃色 しずく色

 雫の過去は僕の想像の100倍壮絶だった。

 瑠璃川さんはショックで顔を引きつらせながら口元を両手で覆っている。

 花恋さんは額に血管が浮かび上がるくらい表情を歪ませて怒っていた。

 僕は——


「わ、わわっ!? キュウちゃん!? ど、どうした!? 急に抱きしめてきたりして! う、嬉しいけど……」


「雫……ごめん! その場に僕が居なくてごめん……! 守ってあげられなくて……!!」


「もぉ。何言ってんのさ。違う高校なんだからキュウちゃんがあの場に居ないのは当たり前でしょ?」


「でも……雫がそんなにつらい目にあっていたなんて……僕は全然知らなくて……くそっ!」


 雫を抱きかかえながら僕は泣いてしまっていた。

 理不尽に辛い目に合っていた彼女が可哀想で、雫をそんな目に合わせたクラスメイトが憎らしくて。

 そして元凶の池に対する圧倒的な怒りの感情がなぜか涙となって溢れ出たのだ。


「殺しに行くわよ。池照男を。そして当時のクラスメイト達を」


「同行します」


 瑠璃川さんと花恋さんは殺意を隠そうともしていない。

 僕も二人と同じ気持ちだった。

 だけど——


「この怒りを暴力としてぶつけるのは駄目だ」


 暴力は悪だ。

 悪に対して悪で返すのは駄目だ。

 それを黒龍が教えてくれた。

 池照男には正当なやり方で制裁する。

 その方がきっと奴に与えるダメージは大きい。


「みんな、私なんかの為に怒ってくれて、ありがとう」


「「「当たり前(です)!」」」


 雫。

 自分『なんか』だなんて言わないで。


「キミは……そんな状態だったのに……あの時僕を救ってくれたんだね……ありがとう……ありがとう!」


 もう一度強く、強く雫を抱きしめる。

 いじめ問題は恐らく僕と出会う前の出来事だろう。

 でも不登校だった時期とウラオモテメッセージ盗作騒動の時期は重なっている。

 雫だってこんなにひどい目にあっていたのに、当時の僕は自分だけが不幸者みたいに罵声を浴びせていた。

 その時の後悔も蘇り、ギリッと唇を強く噛んだ。

 雫は両手で僕を包み込んでくれて、背中を優しく叩いてくれる。


「キュウちゃん。先に私のことを救ってくれたのはキミの方なんだよ?」


「えっ?」


「……キミが居てくれたから、私は今でもイラストレーターであるんだから」







 【main view 水河雫(過去)】



 私が学校に行かなくなり、1ヶ月が経過した。

 一応日中は自室で自主学習を行っている。

 たぶんだけど勉強に関して遅れは取っていないはずだ。


 親にはいじめの経緯を詳細に話した。

 お父さんが学校側に強く訴えてくれたおかげで加害者生徒にはそれなりの処分が下ったらしいけど、私は特に興味を示さずにずっと自室で絵を描いていた。

 クラスメイトも数名謝罪に尋ねてきていたけど、私は顔を見せなかった。

 仮に反省したのだとしても私はもう顔も見たくない。

 私のイラストを馬鹿にした人なんて……


「でも、私の絵が下手なのも悪いんだよね」


 私の絵に稚拙な所があったから笑われた。

 その事実は、その悔しさは、きちんと受け止めなければいけない。

 いつかプロになって私を笑いものにした人全員を見返してやるんだ。

 その一心でとにかく描きまくる。


「絶対にプロになって……学生のうちにプロになって……笑ったやつを後悔させてやるんだから!」


 卒業後にプロになっても遅い。

 その頃には私の存在の記憶もうっすらとしか残っていないだろう。

 『水河雫? なんか聞いたことある名前かも』では駄目なのだ。

 在学中にプロになり、私を下に見ていた人をその場で私が見下す(・・・・・)

 そう、それこそが私の目標であり——

 私の復讐なのだ。







 少しだけ心の傷が薄まったタイミングで私は学校へ行っていた。

 といってもテストの日だけだったが。

 保健室で試験を受けることを先生が特別に許してくれたのだ。

 どうやら私は要領が良い方だったらしく、自主学習の結果、学年3位の成績を収めていた。


 そしてあっという間に春になり、私は高校2年生になっていた。

 出席日数はアウト寄りではあったけど、試験の結果といじめ事情を汲んでくれた先生が私も進級させてくれたらしい。


 だけど私は2年生になっても授業には出ていない。

 勉強は自分で出来るし、登下校の時間をイラストの勉強に当てた方が私の身の為であると思った。

 なによりクラスメイトの顔は見たくなかった。

 進級と共にクラス替えはあったみたいだけど当時のクラスメイトが必ず数名はいるはずだから。







 描いた絵を評価してもらえないのは中々辛いものがある。

 自分の絵が上手いのか下手なのか判断付かないからだ。

 SNSで自作の絵を投稿してみたけどフォロワー1桁のアカウントに載せても全く感想などつかなかった。友達が少ない自分が恨めしい。

 だから私の取った手段は『書籍化小説に対するイラストレーター募集』の広告を探すことだった。

 友達が居ないならその道のプロに評価してもらえば良い。

 それがプロになる為の正当な道でもあったから。


 私は片っ端から応募しまくった。

 だけど駄目だった。

 当選など全くしない。する気配すらない。

 1次選考で落とされまくる日々。

 やはり自分の絵なんてまだまだ稚拙なんだ。

 こんなんじゃいつまで経ってもいじめっ子を見返すことなんてできない。

 復讐することなんてできない。

 私の心の中で黒いモヤモヤが凄まじい勢いで膨張している。

 描けば描くほど果てしない無力感が黒い靄となって私の中で広がっていく。

 いつしか私は自分が絵を描く機械のようだと思うようになった。

 集中すれば無心になる。

 無心になればなるほど私の心は死んでいく。


「(私は……何のために絵を描いているんだっけ……?)


 いつしか私は唯一の道標である『復讐』という野望すらも脳裏から消えようとしていた。





 ——そんなときに私は出会ったのだ。





「なに……これ……」


 作品名、大恋愛は忘れた頃にやってくる。

 作者名、弓野ゆき。


「信じられないほど……面白いよ……!」


 それは1組の男女が繰り出す壮大な恋愛ストーリー。

 ド王道でありながら、あっと驚く伏線の数々に心が震えた。

 なによりも活き活きと繰り出される二人の会話文がコミカルで、それでいて時にシリアスで、その独特なリズム感が私の心にクリティカルヒットした。

 二人の主人公が好き過ぎる。

 『人生を変える一作』を選べを聞かれたら、私は間違いなく『大恋愛は忘れた頃にやってくる』と答える。悩む間もなく即答する。

 それだけこの作品との出会いは私にとって運命的だった。


「この作品……この作品のイラストレーターの座だけは……絶対に譲りたくない!」


 応募期日まで2ヶ月ある。

 私はこの日から2ヶ月間、この作品に関してのイラストだけに集中した。

 自主学習の時間を削ってまでイラストに没頭した。

 描いては消して、掻いては捨ててをひたすら繰り返す日々。


 イライラする。


 この作品に相応しい絵を生み出せない自分の無能さにイライラする。


 ここで私は初めて自分の絵が下手くそだったのだと強く認識した。


 理想は頭の中にあるくせにそれを100%具現化できない無能なイラストレーター。


 復讐する? 絵を上手くなって虐めていた人たちを見返す?


 小さい。小さい。小さい。小さい!


 そんな小さい野望に私は奮起していたのか。

 もうそんな小さい野望などもうどうでもいい。


『弓野ゆき作品にイラストを付けること』という大いなる野望に比べれば塵のような目標だ。


 新たに生まれたこの野望。

 絶対に叶えたい大きな夢。

 それ叶える為に私は人生の全てを掛ける。

 ここでイラストレーターの座を勝ち取れなければもう絵なんて描かなくてもいい。

 素直にそう思えるくらい、私は『大恋愛は忘れた頃にやってくる』という作品しか見えていなかった。


 いつしか復讐という黒い感情は完全に私の中で消えていた。

 上手く描けない苛立ちはあったけど、その感情に黒さはない。

 むしろ私を成長させる光の道標のように思えた。



 ——ああ。そうか。



 ——絵を描くことって、こんなに楽しいことだったんだ。



 黒い感情が消えた瞬間、私の瞳に再び輝きが灯ったのを感じた。


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