第115話 冷静にキレる
黒龍のおかげで沸騰しかけていた血を冷ますことが出来た。
更に落ち着かせる為に目を閉じて深呼吸をする。
ゆっくりと目を開けて周りの景色を見る。
僕の後ろで壁にもたれながら腕組みをしている黒龍。
そのヤンキー風男の登場に驚きで硬直している池。
池に腕を捕まれ、恐怖で涙を流す雫。
地面に尻もちをつきながら何が起こったのか分かっていない様子の瑠璃川さん。
表情の見えない花恋さん。
不信そうに僕らの脇を横切っていく一般のお客さん。
遠巻きにこちらの様子を眺めているじゃじゃ馬。
今の状況を頭の中で整理して一つ一つやるべきことをこなしていこう。
僕はまず黒龍によって尻もちをつけられた瑠璃川さんに手を差し伸べる。
「えっ? あ、ありがとう」
差し出された手を迷うことなく握り、僕に引っ張られながらその場に立ち上がった。
良かった。瑠璃川さんの中の怒りも一旦沈んだようだ。
さて、次は——
「え?」
静寂の中僕はすたすたと歩みを進め、池の眼前で足を止める。
池は馬鹿みたいに口を半開きにしながら今の状況を掴めないでいるようだった。
「雫、ごめんね。ちょっと触るね」
「えっ?」
僕は雫の腰元に手を回し、力強く引き寄せて池の拘束を解いた。
あっさりと雫の奪還に成功する。
「あっ、おま——!」
池は慌てて再び手を伸ばしてくるが、その汚らわしい右腕は僕が払いのける。
「瑠璃川さん。雫をお願い」
瑠璃川さんに雫の身体を引き渡し、手を離すのと同時に一瞬だけ彼女の頭にポンッと手を置いた。
泣いたままの雫の涙を拭ってあげることもしてあげたかったが、それよりも優先してやらなければいけないことがある。
「さて、そこの痴漢加害者」
「だ、誰が痴漢加害者だ!」
「お前だよ。雫の身体を無理やり触ったじゃないか」
「腕を掴んだだけだ! 誰があんなブスに痴漢なんてするか!」
さっきまでの僕だったらこの言葉にブチ切れて馬乗りでぶん殴っていただろうな。
大丈夫。そんなことはしない。
その程度で終わらせる気など毛頭ない。
「あっ、そこの方、ちょっとよろしいでしょうか?」
「えっ? わ、私?」
僕は遠目でこちらを眺めていたじゃじゃ馬に声を掛けた。
僕と同年代くらいの眼鏡の女性と茶髪の男性。
変なことに巻き込んで申し訳ないという気持ちになりながら、僕はこのお二人に簡単なお願いを申し上げる。
「サービスカウンターに行ってスタッフの方を呼んできてもらってもよろしいでしょうか? なるべく屈強な男性スタッフを連れてきてもらえると助かります。この痴漢を現行犯で連行してもらおうと思うので」
「なっ……!? だから俺は痴漢などしていな——」
「——黙ってろ犯罪者。僕の親友を傷つけておいて無罪放免なわけないだろ? 絶対にお前を許さないからな」
溜め込んだ怒りを解放するように思いっきり殺意を込めて睨みつける。
その形相に恐れをなしたのか池はビビッて尻込みをしていた。
「瑠璃川さん。痴漢現行犯の刑期ってどれくらいか知ってる?」
「迷惑防止条例違反だと1ヶ月以上6カ月以下の懲役よ。でも強制わいせつ罪にまで持っていければ6ヶ月以上10年以下の懲役となるわ」
「わかった。可能な限り長い期間の刑期へ持って行かせよう」
「当然よ。こんなやつ10年の懲役ですら生ぬるいわ」
まぁ、腕を掴んだくらいでは全く強制わいせつ罪に値しないことくらい分かっている。
一般的に見れば恐らく罪にもならないレベルの出来事だろう。
でも池は顔面蒼白になりながら額汗をダラダラと流している。
僕はコイツにこの顔をさせたかった。
先が見えぬ刑期という恐怖を植え付けることで戦意喪失させる。以前鈴菜さんにもやった手段だ。
瑠璃川さんは僕の考えを一瞬で察知し、わざと不安になるように具体的な刑期を伝えてくれた。
こういうとき僕と瑠璃川さんの以心伝心はありがたいなぁ。
「待っていてください。今スタッフさん呼んできます」
「ちょ……!? ララちゃん!?」
女性の方が走り去り、男性もその後ろ姿を追いかける。
「お、おい池君。さすがにやばいんじゃ……」
「く、くそっ!」
池と取り巻き2人が焦りを見せている。
このままでは本当に痴漢の現行犯になってしまうと思っているのだろう。
まぁ、その通りにする予定なんだけど。
「きょ、今日の所はこの辺で勘弁してやる! だが、この俺を馬鹿にしたことを後悔させてやるからな! 覚えて——」
「——あっ、そうそう」
池の言葉を遮って僕は冷たい目を向けながら一言残しておくことにした。
「キミ、視力が著しく悪いみたいだからメガネの購入をおススメするよ」
「は……はぁ!? メガネ!? お前急に何を言って——」
僕は数歩下がり、雫と瑠璃川さんの隣に並び立つ。
雫の涙を指で拭いながら僕は最大限の怒りをぶつける様に池を睨め付けながら言った。
「僕の親友はトリプルS級の美少女だろうが!!!」
乱視を極めるのもいい加減にしろといいたい。
いや、異常があるのは脳なのかもしれない。
「美少女の腕を触れることができた幸運を一生ありがたく思え!!」
まぁ、もう一生触れさせたりはしないけど。
早く彼女を家まで届けてあげて奴に触られた箇所をアルコール消毒させないとな。
「わ、わけわからん! いくぞお前ら!」
「「おぼえてろぉー!」」
昭和の悪役キャラみたいな去り方をする池一向。
入れ違いに先ほどの親切なお客さんが本当にスタッフさんを連れて戻ってきてくれた。
「お客様! 大丈夫ですか!?」
男性スタッフさんが数人駆け寄ってくる。
瑠璃川さんの胸の中で泣いている雫をみてただならぬ雰囲気を察してくれたようだ。
「まず休めそうな場所に案内してください。詳しい事情はその後に」
「わ、分かりました。カラオケルームでよろしいでしょうか。バックルームよりも落ち着けると思いますので」
「ありがとうございます」
スタッフさんはインカムで上長へ連絡を取り、カラオケルームの手配をしてくれている。
僕はその間に皆に声を掛けることにした。
「雫、大丈夫? 良かったらおぶっていこうか?」
「……ありがとう……大丈夫……だから……」
「……そっか」
大衆の面前でおんぶされるのはさすがになかったな。
でもせめて肩くらいは貸そう。泣いている所を見られないように壁になるだけでも違うと思うから。
だけどその前にこの二人にも礼を言わないといけない。
「お二方もスタッフさんを呼んできて頂けて本当にありがとうございました」
通りすがりなのに真摯に協力をしてくれた男女の二人組にも大きく頭を下げる。
「べ、別に頭を下げるようなことじゃねーだろ」
「そうですよ。通りすがりの私達を頼ってくれて嬉しかったです。女の子が泣かされている現場を素通りはしたくありませんでしたので」
正義感溢れる良い人達だ。見ず知らずの人の為に動いてくれた姿勢は本当に尊敬に値する。
「あ、あの、ノベル科の雪野さん……ですよね?」
「えっ!? ご、ご存じなのですか?」
「はい。私達1年生の中では有名人ですから。私、音楽科の福水ララです。こちらが佐木敏郎」
福水ララさんに佐木敏郎さん。聞き覚えのある名前。
確かスターノヴァランキングでトップ10に入っていたクリエイターのはずだ。
「盗作騒ぎでアンタのこと色々言ってくる奴もあるだろうが負けるんじゃないぞ。俺達は味方だからな」
「ぼ、僕の味方をしてくれるのですか?」
「女の子のために身体を張れる方が悪い人のわけありません。また困ったことがあれば声をかけてくださいね」
ペコリと一礼し、出口の方へ足を進める福水さんと佐木さんだった。
二人と話して自分の中の環境が確実に変わっていることを実感する。
「お待たせいたしました。カラオケルームの準備が出来ましたので2階までお越しください」
「ありがとうございます」
スタッフさんに先導してもらい、僕らもその後についていく。
でも、ただ一人、その場から動こうとしようとしていない人が居た。
俯いたままの花恋さんが取り残されている。
僕は彼女に近づいて声を掛けた。
「花恋さん。どうしたの? 移動——」
言いかけて、僕は言葉を失った。
僕は勘違いしていた。
池に対して最も強い怒りを抱いたのは僕と瑠璃川さんだと。
そう思っていたのだけど——
「…………」
怒りで形相を歪ませている花恋さんを見て戦慄する。
近寄ることも躊躇するレベルの苛立ちを彼女から感じた。
花恋さんはきっと僕よりも瑠璃川さんよりも強い怒りを抱いている。
雫を泣かせた池に対して表情を歪ませるレベルで怒ってくれている。
「いこう花恋さん。その怒りはいつか正当な方法で奴にぶつけてあげるんだ」
「……はい」
促され、重い足取りで僕についてくる花恋さん。
しかし、不謹慎ながら僕は軽く微笑んでしまう。
友人の為にここまで怒ってくれる彼女の気持ちが嬉しかったから。
「なるほど。事情は理解しました」
大きめのカラオケルームを用意して頂き、雫も大分落ち着いたようだ。
涙は止まっており、今は瑠璃川さんの肩にしがみついて顔を埋めている。
僕はスタッフさんに先ほどの出来事の説明を行った。
「店舗としては警察に連絡するか悩む所ではありますが……」
「こちらは一方的に被害を——」
向こうから一方的に絡んできたとはいえ、僕らと池は知り合い同士。
警察を呼んだとしても知り合い同士の戯れと言われてしまえばそれまでかもしれない。
「……キュウちゃん。ありがとう。私はもう大丈夫だから」
「雫……」
「池さんは私の腕を掴んでいただけ。泣き出したのは私の心が弱かったからだよ」
「いいえ。悪いのはあの金髪野郎よ。確かランキング10位のノベル科男子だったわよね? 私の雫ちゃんを泣かせたこと万死に値するわ」
「私の為に怒ってくれてありがとう皆。でも本当にもう大丈夫だから。警察なんか呼んじゃったらお店の人に迷惑かかっちゃうよ」
自分が被害者なのにお店側の迷惑を配慮できるなんて……すごいな雫。
雫がこういうのであれば警察沙汰にはしない方向で行くべきなんだろうな。
「わかったよ。店員さんお騒がせしてしまい申し訳ありません。警察には連絡しない方向で大丈夫です。僕らももう少し休んだら帰ります」
「承知いたしました。お店への配慮感謝致します。落ち着くまでどうかこの部屋をご自由にお使いください。では」
店員さんが部屋から出ていき、カラオケルームには僕ら4人だけが残された。
各々思う所があるのだろう。
室内は妙に静まり返っていた。
僕と花恋さんは売店で飲み物を買ってきて部屋に戻る。
その頃には雫も完全に落ち着きを取り戻したようで僕らに手を振ってくれていた。
「今日はごめんね。私のせいで楽しい時間が台無しになっちゃって」
「「「それは違う!」」」
3人の声が重なった。
雫は何も悪くない。花恋さんも瑠璃川さんも心からそう思っているはずだ。
「……あの人……ね。高校時代のクラスメイトだったんだ」
「あの人……池のことだよね?」
「その名前を聞くだけで虫唾が奔るわ」
「同感です」
ちなみに僕も同感だ。
基本的にクリエイターは全員尊敬をしている僕ですらアイツに対しては嫌悪が止まらない。
明日からもアイツと同じ教室で学習をすることすら嫌で嫌でたまらない。
「私……ね。高校の頃いじめられていたの」
いじめ。
池もそう言っていた。
『イラストが原因でいじめにあった』という言葉はずっと脳裏に引っ掛かっていた。
それに雫は不登校だった時期もあったらしい。
間違いなくいじめ問題が関係しているはずだ。
でも——
「雫。無理して話さなくても大丈夫だよ」
「……んーん。聞いてほしいな。私の……暗黒の高校時代」
ポツポツと語り出す。
水河雫と池照男の間にあった今過去が明かされる。