第101話 お背中を流しに参りました
一旦家に帰りシャワーを浴びる。
朝から色々あり過ぎてなんだか疲れたなぁ。
本当は風呂を沸かして湯船につかりたいのだけど、さすがに時間がない。
そろそろ出て学校行く支度整えなきゃな。
「——あの、弓くん」
風呂場から上がろうとした時、花恋さんから声を掛けられる。
どうやら脱衣所にいるようだ。このまま上がっていたら全裸を彼女に大公開していまうところだった。危ない。
「どうしたの?」
ガラガラ
「お背中を流しに参りました」
「うわあああああああああああああ!?」
何の躊躇もなく入ってきた花恋さん。
僕は思いっきり仰け反りながら慌てて大事な部分を手で隠した。
「弓くん。椅子に座って鏡の方を向いてくださいね。スポンジとボディソープお借りします」
「貸さないよ!? 急にどうしたの!? 僕普通に全裸なんだけど!?」
「……? お風呂場なのですから知ってますよ? えへへ。ようやく弓くんの全てを見ることができますね」
「見せないよ!?」
どうして嬉しそうな顔をするんだこの人は。
普通汚らわしいものって見たくないものなんじゃないの?
女性って……いや、花恋さんって考えていることが未だにわからない。
「洗い終わるまでずっと隠すつもりですか? 往生際が悪いですね」
「そもそもどうして急に僕の背中を流しにくるということになったのさ!?」
「今朝の件について弓くんにお話があったからです」
急に声のトーンが変わる。
顔を見なくても分かった。花恋さんは怒っている。
「だ、だから、それは全部誤解というかそちらの勝手な勘違いというか……」
「心配かけた罰です。弓くんは大人しく私に背中を洗われてください。決定事項です」
「………………はぃ」
この人は怒らせると手が負えなくなる。
過去の転生未遂事件の時に嫌というほど思い知ったことだった。
そして今もあの時と同じくらい怒りを見せているのが分かる。
「で、でも、花恋さんも濡れちゃうかもしれないじゃない? だったら話はお風呂に出てから——」
「じゃあ私も脱ぎますね」
「ちょ……!?」
躊躇なく服を脱ぎだす花恋さん。
春らしいワンピース姿だったので一瞬で脱ぎ終わる。
「何を今さら照れているんですか。私の下着なんてもう何回も見ているのに」
「下着だけならね!?」
そう、下着だけなら洗濯の時に何回も見た。見慣れすぎて今やどうも思わなくなってしまったくらいだ。
だけど、『下着姿』は初めてだ。
下着だけ見るのと、下着をつけた花恋さんを見るのとでは全く別物である。
直視出来ないので僕は思いっきり目を瞑る。
「では、洗っていきますね」
「うぅ……」
全裸で下を手で押さえながら下着姿の女の子に身体を洗われる。
なにこれ? どうして急にエロラブコメみたいな展開になっているの?
状況についていけず、一人置いて行かれた気持ちになる。
「弓くん。本当に筋肉質ですね。余計な脂肪が一切ない感じです」
「そ、そんなこと初めて言われたよ」
「初めてじゃなければ怒ります。あまり易々と他の人に裸を見られないでくださいね」
「絶対にキミだけはそれをいう資格ないよね!?」
こっちが怖くなるくらい最近の花恋さんの積極的だ。
欲望に忠実というか、やりたいことを全部やる為には躊躇ないというか。
おかげでこちらは気の休まることを知らない。今も手の中で暴れ出しそうなものを抑えることでいっぱいいっぱいだった。
「ねぇ。弓くん。お願いですから転生未遂はこれっきりにしてください。あまり……心配かけないでください」
転生未遂。
転生未遂……か? 今回のこと。
僕の方は死ぬつもりなんて一切なかったし、周りが勝手に暴走しただけである。
よって未遂ですらなかった気がするけど、そんなことを言ってしまったら本気で激怒されそうなので黙っていよう。
「元々死ぬ予定なんて一切ないよ。僕の死因は老衰による寿命だって決めているんだ。病気にだってならないよ」
体力作りをしていると本当に身体の調子が良くなる。
高校三年間一度も風邪を引かなかったのがその証拠だ。
「なら良かったです。私よりも先に死んだら許しませんからね」
「じゃあ花恋さんも僕より先に死んだら許さないよ」
「なんですかそれ。先に死んだ方は恨まれること決定なのですね」
くすくす笑う花恋さん。
良かった。場が朗らかになってきた。
手の中の暴れん坊も沈静化されつつある。
——と、思っていたら、胸のあたりに擽ったい感触が奔った。
スポンジの感触である。
身体をビクッと震わせながらつい振り返ってしまう。
「どうしましたか? 急に私の下着姿を見たくなりましたか?」
って、そうだった。花恋さんも半裸だということを忘れていた。
慌てて再度振り返り、顔を真っ赤にして俯きながら言葉を漏らす。
「ご、ごごごごめん! でも、その、急に前を洗い始めたものだから……」
「はい。背中は荒い終わりましたので」
「だ、だったら終わりにしよう! 前は自分で洗えるから!」
「駄目です。まだ話は終わっていないのですから、それまで弓くんは身体の隅々まで洗われていてください」
胸やお腹に触れる擽ったい感触を耐えなきゃいけないなんて、なんの拷問だよ。
「弓くん。スターノヴァに投稿された2作拝見しましたよ。誰よりも早く両作共に5話分投稿されたのですね」
「う、うん。その、僕って学園では『盗作魔』として知れ渡っているじゃない? だからせめてもの反抗だよ。1番にアップしてしまえば、その後例え似たような作品が投稿されても『僕の方が先に投稿していたのだから』って証明できるからね」
他の作品と内容が重なってしまうことは予期せず起こってしまう。
それだけでパクリだの盗作だの言ってくる人は普通なら居ないだろうけど、相手が僕となってくると話は別かもしれない。
文章の一拍子が被るだけでも僕は総叩きされてしまう可能性があるのだ。
だからこその先手必勝の一手が必要だと思ったのである。
「その二作を見てしまったから……今日の一件で私余計に焦っちゃったんですよ?」
「えっ?」
「私を置いてけぼりにしたままどこかに行っちゃおうとするから……私……」
肩に置かれた手が震えている。
急にどうしてしまったんだ? 花恋さん。
「……弓野先生の新作、とてもとても楽しみでした。でも……同時にとても嫌なことを考えていました」
「嫌のこと?」
「私は心のどこかで弓野先生が『面白くない』新作を作ることを望んでしまっていたのだと思います」
「……えっ?」
突然の告白に理解が追いつかない。
作風が好きな作者に対して『面白くない作品』を作ってほしいと望むことなんてあり得るのだろうか?
僕には花恋さんの言っていることが、その複雑な気持ちが全く理解できずにいた。
「弓くんはいつもいつも一人で遥か彼方へ行っちゃうんです。ずっと後ろにいる私を置いて」
「えと……?」
「なんでピンと来てないんですか。つまり、弓くんの新作が面白すぎたせいでスタートラインすら切れていない私が焦っているって言っているんです」
「……??」
補足説明をしてくれるが、僕の方は未だピンときていなかった。
花恋さんはさっきから何を言っているんだ?
「実力の世界ですから面白い作品を生み出した人だけが評価されていく。弓くんはもう手を伸ばせばその頂きに手が届く地点まで到達しています。私は……まだまだ遥か後方であがいているだけ。私、弓くんにおいてかれてしまうのが悲しかったんです」
純文学の神童、桜宮恋。
桜宮恋がかつて到達した地点に僕も手が届きそうだと言っているのだろうか。
大衆文学へコンバートした花恋さんは再びスタート時点へ舞い戻り、未だ作品を完成させることが出来ていない。
だから花恋さんは僕に置いて行かれると思った。
そして僕が『面白くない』新作を完成させることを願った。
そうすれば僕達二人は足並み揃えて夢への道を歩むことが出来る。
だけど僕は先に行ってしまった。花恋さんは僕の後ろ姿をただ悲しげに眺めている。
きっとそういうことを言いたいのだろう。
でも——
「花恋さんは作品を完成させていない『だけ』なんだよ。そしてこれは確信をもって言うけども、作品を——『転生未遂から始まる恋色開花』を完成させた時、キミは僕なんか大股で飛び越して遥か次元の彼方の高みまで到達してしまうんだ。キミはそういう異次元の力を持っているんだよ」
花恋さんの処女作『才の里』を読んだ時、僕は率直にそう感じた。
嗚呼——この人の文学には僕なんか一生かかっても追いつけないんだろうなって。
そして『黒マスターと白ドールちゃん』を読んだ時、この人の成長速度に驚愕した。
桜宮恋は大衆文学の世界でも成功する。
その時に彼女の背中がまだ見える位置に居たいと感じたからこそ、僕は必死だったのだ。
「弓くんがどうして私に対してそんな過大評価するのかは不明ですが……とにかく私を突き放したまま他界するのは駄目ですよ! 貴方は私の目標なのだからしっかり生きていてもらわないと困ります!」
「だから死ぬつもりはないって」
「絶対ですよ。指切りしてください」
「はいはい」
背を向けたまま右手を花恋さんに差し出す。
花恋さんの細くて綺麗な小指が絡まった。
「えへへ。このまま腕も洗ってあげますね」
「う、うん」
物凄くむず痒い。
ただ腕を洗われているだけなのに顔の紅潮が止まらなかった。
「反対側の腕も伸ばしてください」
「うん——って左手も伸ばしたら隠す手が無くなっちゃうから!」
「別にいいじゃないですか。裸の付き合いしましょうよ。私、すでにブラ取っちゃってますよ?」
「うっそぉ!?」
反射で振り返りそうになる。
って、駄目だ駄目だ。
下着をつけていても着けていなくても今振り返るのは駄目だ!
そう自分に言い聞かせて決して振り返らず、真っすぐ正面だけを凝視する。
あれ? そういえば正面には鏡が……
「~~~~~~~~~~っっ!!??」
——鏡に映った雨宮花恋は……
ブラどころか——
「おぶはぁ!!」
「わわっ、鼻血! 弓くん!? 大丈夫ですか!? 弓くん!!」
あまりに刺激が強すぎる姿を目の当たりにしてしまい、すべての血液が逆流し、鼻のてっぺんに集まってくるような感覚に陥った。
意識が混濁してくる。
虚ろ行く意識の中……
なぜか風呂場に隅で脱ぎ捨てられていた女物の上下の下着類が目に入ったのだった。




